第21話 大悪魔グラウルイーヴァ

 ボルデコの街に戻ってきたデュランは、ロブーリエ商会の近くに潜んでいたティアの報告を受けてひとつ安堵の息をついた。


「七人が反応して、戻って来なかったんだね?」

「はい」


 デュランがゴルデュナスの八ツ頭から得た情報と同一だ。魔力核を持ち逃げした悪魔はいないと考えられる。


「それでですね、師匠。師匠が来た時にもガルンケルブが反応したのですが」

「それはね、これを持っているからさ」


 デュランが取り出したのは、ひと際大きな魔力核だ。


「カウラが知っていた悪魔が持っていたものでね。最初から攻略しにかかっていたとしたら、随分と時間がかかっていたんじゃないかな」


 無論、その場で握りつぶさなかったのには理由がある。


「これがあれば連中の中枢までは邪魔が入らないと思うんだ。たぶんあいつらはこれを必要としているからね」

「ということは、師匠――」

「うん。ちょっと潜入してくる」


 笑みを浮かべるデュランに、ティアが拳を握る。


「でしたら、私も」

「入る時は一人のほうがいいかな」

「え、何故です?」

「前の七人は、誰かを連れて入ったかい?」

「いえ、一人でしたが……」

「おそらく入ったのは人の姿をとった悪魔だ。二人連れで入っていないってことは、ダンジョンから出てきたのだと思うよ」

「なるほど、そういうことでしたら」

「ティアの力が必要な時には、ちゃんと合図をするよ。頼りにしているから、心配しないで」

「分かりました師匠!」


 デュランの言葉に、消沈しかかったティアが気持ちを持ち直す。

 そして、今度は近くで目をキラキラさせている聖殿騎士のシンズーに声をかける。


「シンズー殿と言いましたか」

「はい!」

「アリッサ殿とウィリ……ミティエ殿に伝言を。ロブーリエ商会に突入しますので、浄化の準備をと」

「え、王都の騎士団を待たないので?」

「待てば、この魔力石を持っていた悪魔が討たれたことがあちらに知られてしまうでしょう。時間を置けば、魔王殿が発生してしまう恐れが増します。今をおいて彼らの先手を取れる機はありませんから」

「分かりました。必ずお伝えいたします」

「周囲の聖殿騎士の皆さんにも伝達を。僕が入っている間に中からモンスターか悪魔が湧き出してくる恐れがあります。対応できる準備をしておいてください」

「はっ!」


 厳しい表情で、請け負ったシンズーが姿を消す。

 アリッサの護衛を務めるだけあって、なかなか高い実力の持ち主であるようだ。


「ではティア。僕が君を呼ぶときは、頭上にカウラの光を放ちます。そうしたら全力で突っ込んできて欲しい」

「はい!」

「さて。では行ってくるよ。っと、僕も変装しておいたほうがいいかな」


 デュランは革鎧を脱ぐと、近くに無造作に置いてあったぼろ布で体を包んだ。ぼろ布の下には保存していた食材が積まれていた。後で戻せば問題ないだろう。

 自分の顔とカウラがしっかり隠れていることを確認して、デュランは表に出た。

 物陰から姿を晒し、ロブーリエ商会の正門にふらふらと近づいていく。


「あの、お客様。失礼ですが」


 ぼろ布をまとった人間が近づいてくれば、商会員でなくても警戒するというものだ。正門近くにいた門番が、棒を差し出してデュランを押し留めようとする。

 デュランは動じることなく、無言で懐から取り出した魔力石を見せた。


「それは……失礼しました!」

「役目、御苦労」

「いえ、どうぞお通りください!」


 やはり、これを持つ者を無条件に通すよう伝達されていたようだ。

 デュランはふらふらとした足取りのまま、ロブーリエ商会の建物の中に入る。誰もデュランを遮ろうとはしてこない。

 潜入することには成功した。あとは目的地に向かうだけだ。


***


 シンズーの報告を受けたアリッサは、もう癖になった苦笑いを浮かべながら口を開いた。


「まったく、段取りがめちゃくちゃね。ま、分かっていたことだけれど」


 王都のメリッサ同様、アリッサもまたデュランが応援を待つようなことはしないと理解していた。


「まったく、三十いいトシになってもそういうところは変わらないんだから」

「アリッサ様。デュランさまは大丈夫でしょうか」


 隣で聞いていたウィリエがひとり、あたふたとデュランを心配している。

 なにごとにも動じず、一定以上の感情を見せずといった性格が、随分と変わったものだ。聖女候補になった理由のふたつが失われてしまったのだが、アリッサはさほど気にしていない。


「なあに? デュランが心配?」

「……はい」

「そうねえ。デュランは断じて負けないわ。あいつの持っている剣は破壊神カウラリライーヴァだから。悪魔ごときはたとえ魔王殿の総力をもってしてもデュランに勝つことは出来ないでしょう」

「そうですか」

「惚れ込んだものねぇ」

「えっ!」


 かぁ、と顔を真っ赤にするウィリエ。もしかして気付かれていないとでも思ったのだろうか。あり得る。

 幼少期に聖殿に招かれてから、色恋沙汰には無縁だった彼女だ。初めての感情に振り回されているのかもしれない。


「デュランのライバルは多いわよ。例のカウラリライーヴァに、創造神エイリウルメーヴェシュも目をかけているからね。そのふたりと競って勝つ覚悟があって?」

「あと、ティア様も、です」

「ああ、あの娘。カウラリライーヴァの依代かと思ったけど、そんな様子もないのよね……。まあいいわ。ではそのライバルに勝つつもりはあって?」

「勝つとか負けるとかは……よく分かりません。でも、デュランさまには笑顔でいてほしいと思います」

「そう。その思いを永劫にできると言うなら、あなたをデュランと添い遂げるための聖女として、スルオリディレーソは祝福するでしょう」


 アリッサは幼いころの自分を思い出していた。

 少しだけ年下の少年と添い遂げるのだと、微塵の疑いもなく信じていたこと。

 女神スルオリディレーソが夢枕に立ち、そのとして生きる道を示されたこと。

 聖騎士に叙されたデュランを誇らしく思ったこと。

 そんなデュランに恋慕したエイリウルメーヴェシュが、王妃の娘の肉体に降臨したこと。

 エイリウルメーヴェシュとの盟約により、デュランへの想いを捨てなくてはならなくなったこと。


「スルオリディレーソの端末聖女は、女神の盟約によりメリッサ王女エイリウルメーヴェシュと同じ人物を愛することが許されません。ですが、そうなる道を捨てるあなたを、端末としてではない聖女に認定してあげることはできるわ」

「アリッサ様、もしかして」

「あの女神どもに一泡吹かせてやれるのは、人間だけってことよ。……どう、ウィリエ。やる? やめておく?」


 その瞬間だけ、聖女の仮面をかなぐり捨てたアリッサの檄に。

 ウィリエは今までの人生でもっとも力を込めた言葉で答えた。


「やります!」

「よろしい!」


 にっと笑う二人の笑顔は、不思議ととても似ていたのだった。


***


 デュランは職員のひとりに導かれるまま、ロブーリエ商会の中を進む。

 デュランだけに聞こえるように、小声でカウラが教えてくれた。


『デュラン。コイツも悪魔よ』

「そのようですね」

『気配の擬装は私に任せて。いま歩いているこの道も、きっと魔王殿を構築するための魔法陣ね』

「ダンジョンの件は最近のはずですけど、これは随分と年季が入っているような」


 あるいは、ロブーリエ商会が悪魔と取引を開始したのはこれが初めてではないのかもしれない。

 もしかすると、商会が大きくなるのに最初から悪魔の力を借りていたのかも。


「悪魔崇拝は禁じられているんだけどなあ」

『人間って不思議よね。私の崇拝は禁じられてないんでしょ?』

「恩寵のダンジョンをもたらす神は、正邪を問わず崇拝を許されていますからね。悪魔はほら、結局のところ魔王殿なので」

『利己的ねぇ。ま、私が言えたものでもないか』


 と、そこまで話したところで、案内の悪魔が足を止めた。

 壁に手を当てると、その部分が横にスライドして、大きな部屋への入口となる。


「どうぞ、お入りください」


 中からは、腐臭に近い臭気を伴う魔力が溢れ出していた。思わず顔をしかめたデュランだが、フードのおかげで表情を確認されることはなかった。


「ああ」


 平静を装いつつ、部屋に入る。

 そこには、仕立ての良いスーツを身に着けた壮年の男性がひとりと、人の姿をとっている悪魔が八体。

 膨大な魔力を吐き出しているのは、部屋の中央にある玉座に座る悪魔だ。


「やあ、遅かったねエイエスヘッズ。きみが来てくれて助かったよ」


 怜悧な美貌を持った悪魔であった。見た目の年齢は十代の少年に見えるが、悪魔の見た目ほど信用できないものはない。


「そうか、ゴルデュナスの八ツ頭はエイエスヘッズという名だったのか」


 デュランは両手を開く少年に、そんな言葉を返した。


「エイエスヘッズ様? グラウルイーヴァ様の御前です。お返事を――」

「待ちたまえホーランド。彼はエイエスヘッズではない」

『イーヴァ? イーヴァですって?』


 何やら楽しそうに表情を歪め、グラウルイーヴァと呼ばれた悪魔はこちらに問いかけてきた。

 デュランの後ろでは、カウラが何かに引っかかった様子でぶつぶつと呟いている。


「君は何者かな? エイエスヘッズが持ってくるはずだった魔力石を持ち、我々と同じ気配をさせている君は」

「あー。そうですね、エイエスヘッズ様が殺される直前にこの魔力石を託されたものです。この場に持ってくるように、と」

「ふふ。エイエスヘッズの名を今の今まで知らなかったのに?」


 どうやら、三文芝居する必要はなさそうだ。

 デュランはぼろ布のフードを外して、ふるふると頭を振った。繊維が髪に残っていると煩わしい。

 ひとまずグラウルイーヴァの方は放っておいて、ホーランドと呼ばれた男の方に顔を向ける。


「ロブーリエ商会の会頭、ホーランド・ロブーリエさんだね」

「私の名を? そういえばその顔、どこかで見たような……?」

「私を無視するとは、中々いい度胸をしている」


 グラウルイーヴァは笑顔のまま、こちらに手をかざしてきた。

 腐臭を漂わせる紫色の魔力が放たれ、デュランに迫る。


「見た目の割に、ずいぶんと気が短いようだ」


 デュランはカウラを抜くこともなく、左手で無造作に魔力を打ち払う。


「ほう」

「玉座に座っているということは、魔王でも気取るつもりかな? 悪魔グラウルイーヴァ殿」

「ふふ。出来れば魔神グラウルイーヴァと呼んでほしいものだ。今よりこの不毛の山地に我が恩寵のダンジョンを作り出すのだからね」

「そ、そうか! 貴殿、王都の騎士殿か⁉」


 半端に思い出した様子のホーランドが、微妙に惜しい洞察を見せる。

 ホーランドはその表情を硬いものとして弁明を始めた。


「悪魔との取引が重罪であることは重々承知している! しかし、ボルデコの鉱山はもう枯れかけているのです。グラウルイーヴァ様のお力添えでこの街に恩寵のダンジョンをお作りいただけるところなのです。申し訳ありませんが、目をつぶってはいただけませんか⁉」

「ほうほう、成程なるほど」


 デュランは目を細めた。ホーランドがどの程度事情を知っているかによっては、彼の罪状の減免も考えなくてはならない。


「ホーランドさん。グラウルイーヴァと取引を始めたのは、あなたが最初ではないですね?」

「え? ええ、ロブーリエ商会を開いた時の祖先から、グラウルイーヴァ様にはいろいろなお力添えをいただいておりますが」

「では、商会が所有しているという坑道も、彼らが?」

「はい。数年前までは立派な鉱石が出ていたのですが、ここのところは奮いませんで……」

「他の坑道は試してみられましたか」

「それはもう! グラウルイーヴァ様が示してくださった坑道はどれもやはり、品質の劣悪な鉱石しか採れません」


 デュランはグラウルイーヴァと同じように、口元を笑みの形に緩めた。だが、そこにあるのは嘲笑ではなく、同情を多く含んだ寂しいもので。

 ちらりとグラウルイーヴァを見れば、デュランの言葉を待っているようだった。ホーランドを絶望させることに楽しみでも見出しているのか。悪趣味なことだ。


「ホーランド・ロブーリエさん。あなたがたは、あの悪魔に騙されています」

「何ですって?」

「悪魔は信じず、互いに利用するというのが正しい関係性ですよ。まあ、悪魔崇拝は現状で禁忌なのですが」

「騎士殿が何をおっしゃっておられるのか、私には」

「彼らは何世代もかけて、準備を進めていたということですよ。あなたの代で準備が整ったから、行動に移しただけで」


 デュランは一旦言葉を止めた。グラウルイーヴァを睨みつけ、言い切る。


「この場所をダンジョンにして、魔王殿を作ろうというのだろう? 悪魔グラウルイーヴァ」

「いや、恩寵のダンジョンだとも」

「魔王殿? いや、やはり――」


 ホーランドが戦慄を顔に浮かべ、続いてグラウルイーヴァの言葉に安堵し。


「まあ、人間は恐怖によって魔王殿と呼ぶかもしれないがね」


 そしてその表情のまま、凍り付いた。


「私が示すのは、恐怖という恩寵さ。そしてこのダンジョンで私は魔神に羽化し、美しき母様に拝謁するのだ」

「母様、ねえ」

「う、嘘だ、そんな馬鹿な!」


 我を取り戻したホーランドが叫ぶ。

 グラウルイーヴァは平然と彼に笑いかけた。


「残念だが、ホーランド。どちらにしろ君が存命のうちは魔王殿と呼ばれてしまうだろう。だが安心したまえ。私の試算では五十年でこの魔王殿は恩寵のダンジョンに生まれ変わる。私が魔神となることでね」

「ご、五十年? ……そんな、それではこの街はどちらにしても」

「残酷なことを言うようだがね、ホーランドさん」


 デュランはばさりとぼろ布を脱ぎ捨てた。

 カウラを鞘ごと背から左腕に持ち替え、全身に魔力を集中させる。

 腐臭じみた魔力を、デュランの体から沸き立つ清浄な魔力が押し流していく。


「きっと、他の坑道はまだまだちゃんと良質な鉱石を掘れるよ。あんたは騙されたのさ」

「馬鹿な……」


 立っていられなくなって、膝をつくホーランド。


「ホーランドさん。取り敢えずこちらに。そこだとちょっと危ない」

「何を……?」


 絶望に動けなくなりそうな彼に、デュランはあくまで快活に告げる。


「心配いらない。この悪魔どもは、今日この場で叩き潰すとも。この街に魔王殿など出来ないし、貴殿は少しの罪を償って、今度は真っ当に商売をすればいいさ」

「あ、ああ! 駄目だ、駄目です騎士殿! グラウルイーヴァ様……グラウルイーヴァは魔神にも迫ろうという強大な悪魔! 応援をお呼びください、あなた一人では」

「させると思うかね? その慧眼は見事だが、一人で乗り込んでくるとは無謀に過ぎたな」


 それでも這いずるようにこちらに来てくれたホーランドを背中にかばい、デュランは満面に笑みを浮かべた。


「そうでもないさ」

「自信を持つのは結構だが、過信は身を滅ぼすよ」


 最早問答は意味を為さないだろう。デュランは普段より短く、世界に召喚の言葉を告げる。


「偉大なる三女神が一、エイリウルメーヴェシュの名の元に。我が鎧よ来たれ!」


 青い光が全身を覆う。

 光はデュランの周囲に集い、鎧を形作っていく。

 後ろでまばゆさに目を隠していたホーランドだったが、だが心当たりはあったようだ。


「そ、その鎧! 女神様の名……では、貴方様は、まさか」

「我が名はデュラン。デュラン・ドラグノフ・フォースター。悪魔グラウルイーヴァよ、貴様の野望は今日ここで潰える」

「創造の女神の使徒か! 笑わせるな、我は大悪魔、偉大なる三女神が一、我が麗しき母、破壊の女神カウラリライーヴァにより名を授けられた大公のひとりなり! 我が同盟者よ、我が配下よ! この者を討て!」

『待って、あのさ』


 と、この時になってカウラがようやく口を開いた。

 既に互いの闘志がぶつかり合っている状態なのだが、カウラはその空気をたった一言でぶち壊した。


『あんた、誰?』

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