第20話 準備を始める天使と女神

「ボルデコに魔王殿!?」


 悲鳴を上げたのは国王マストールだ。王都ライトダールにある大聖殿は、女神スルオリの奇跡とやらで各地の聖殿と瞬時のやり取りができるのだというが、今回大聖殿に伝えられたボルデコの異状は、マストールをして悲鳴を上げるほどの重大時であった。


「は。まだその兆しだけとのことです。聖女アリッサと、からの情報でございます」

「ほう、彼はボルデコに居たのですか」


 涼やかな声を上げたのは、青い鎧に身を包んで謁見の間に立つ偉丈夫である。

 ほかの貴族たちも色を失くしていたが、男が悠然と頷くと、ある程度落ち着きを取り戻したようだった。


「では、やはり閣下の……?」

「ええ。神ならぬこの身では、私の手と目はあまりにも弱くあります。ですので国内に信頼できる耳目を放っているのです」


 おお、と感嘆の声が上がる。流石は将軍、という憧憬の声も聞こえてくる。


「陛下。密偵殿は魔王殿の発生に備え、騎士団の派遣を献策されたとのこと」

「うむ、左様か。フォースターの放った密偵の言であるならば、信用できような」


 マストールは頷くと、騎士団長たちに向け命令を下す。


「我が誇り、我が剣。我が騎士団よ。ユフィークトから戻ってすぐのそなたらに苦労をかける。しかし、民の安寧のためにその力を尽くしてもらいたい。レーガライトの誇り、神の寵愛を受けし聖騎士よ! ボルデコの魔を討ち果たし、かの地に平穏をもたらすのだ!」

「御意」


 跪く一同。

 と、マストールの左隣に座っていた少女が立ち上がり、決然と口を開いた。


「お父様。魔王殿となれば、国の一大事です。日々激務をこなす騎士団にばかり任せるのは良くありません。この場は王族が率いるべきかと」

「うむ、そなたの言はもっともだな、メリッサ。ならば私が」

「はい。此度は父に代わり、私が総大将としてボルデコに赴きましょう。騎士団を鼓舞し、ボルデコの民を慰撫し、まさしく勝利の女神となってみせましょう」

「な、何っ⁉」

「姫様、それは」


 メリッサの言葉に驚いたのは、マストールだけではなかった。

 周囲も口々に思いとどまるように告げるが、その決意は固い。


「私の身は、デュランの傍が最も安全でしょう。お父様もお母様も政務にお忙しい身。言い出した私が責任を持って参りましょう」

「ううむ、しかしだな……ぬぅ」

「陛下、良いではありませんか」


 なおも渋るマストールに声をかけたのは、マストールの右隣に座る妙齢の女性だった。

 マストールの妻、レイニア后である。彼女は愛娘に微笑みを向けると、問う。


「デュランの力になりたいのですね、メリッサ?」

「お母様……はい」

「いじましい乙女心というものですよ。陛下、メリッサの決意を汲んであげてくださいませ」

「そなたまで」


 マストールは眉間を揉むと、深く深く溜息をついた。


「良い。騎士団よ。私の我侭であるが、娘を連れて行ってくれ。もし娘が邪悪の手にかかったとしても、そなたらの責は問わぬ」

「しかし、陛下!」


 団長の一人が声を上げるが、マストールはそれを手で制した。


「良いのだ。ここまで言った以上、メリッサは荷物に潜り込んででも目的を果たすだろう。ならば禁じるよりも、正しく準備をさせて送り出した方が良い」


 何か大きなものを諦めた様子のマストールに、団長たちもまた矛を収める。


「ありがとうございます、お父様! お母様!」

「デュランの邪魔にならぬよう、気をつけなさい」

「はい!」


 花のような笑みを浮かべるメリッサに、謁見の間に居並ぶ男たち全てが魅了される。

 意気を上げる騎士団を見つめるメリッサ。その笑みが何となく邪悪なものに一瞬だけ映ったのを知っていたのは、この場ではたった一人だけだった。


***


「姫様、本気で同行するんですか」

「何? 不満なの?」

「いいえ、そんなことはないですよ。意外だっただけで」


 デュランの私室で、天使ラルバートはメリッサに問いかけていた。

 何やら両親にも事前に色々と言い含められたらしく、どことなく疲れた様子だ。

 少し前にユフィークトから戻ってきたときにはそれなりに余裕があったのだ。ほとんど日をおかずにこの対応を取る理由がラルバートには分からなかった。


「嫌な予感がするのよね」

「フォースター将軍に何か?」


 ラルバートは怪訝な顔をした。

 破壊の女神カウラリライーヴァさえも従えるデュランだ、滅多なことで危機に陥るとは思えないのだが。


「ええ。悪い予感がするのよ。アレキアの娘など比較にならない虫がデュランに寄りつく気配がするの」

「ええと」


 結局それか、と言わずに済ませられたのは、ラルバートをして最大限に自制心を発揮した結果だった。

 色恋沙汰でこの世界に降臨した女神としては面目躍如なのかもしれないが、問題はその神格が最高神の一角であるということだろうか。

 とはいえ、ライバルが同じく最高神のもう一角であるあたり、世界が平和なのは掛け値なしにデュランのおかげなのかもしれない。

 ラルバートは小さく溜息をついた。マストールほどではないが、彼もまたこの我侭な女神に対してある種の諦めを感じていたからだ。


「まあ、そういうことであればボルデコでは頑張ってくださいね。フォースター将軍もさすがに今度は逃げ出したりはしないでしょう」

「ええ、分かっているわ。今度こそキメるわ、既成事実!」

「……頑張ってくださいね」


 妙な方向に気合を入れる上司。

 と、メリッサがじっとこちらを見てくる。


「どうされました? 姫様」

「気にしているのよ。のんびりしているけど、あんたはいつ出るの?」

「え?」


 きょとんとした顔で見つめ合うラルバートとメリッサ。

 メリッサはさも当然のことを言っているという表情だ。ラルバートはその意図を図りかねて、改めて聞く。


「出発は明日でしょう?」

「ええ。私と騎士団はね?」

「私は違うと?」

「あのね。ひとだと思う?」

「……思いませんね」

「そうよね。で、あんたが私たちとのんびりボルデコに向かっている間に、デュランは事態を解決するわよ?」

「あ」

「フォースター将軍が到着しました、現地ではフォースター将軍によってすでに解決していました。そうなった時、あんたが影武者だということが騎士団には決定的にばれるけどいいの? この前、ユフィークトでそうなりかけたばっかりでしょうが」


 ラルバートは目を見開いた。

 上司がこちらに気遣ってくれるなど初めてのことだ。


「姿さえ見えなければ、私を危険な目に遭わせないように挨拶だけして先行したとか適当に言いつくろってあげるわ。日程の不整合も女神の奇跡とかってことにしておくし」

「あ、有難うございます!」

「何が?」

「いえ、お気遣いくださって」

「あんたに気遣い?」


 話がかみ合わない。本当に分かっていない様子のメリッサだったが、少ししてラルバートの言葉の意味を察したらしく、眉根を寄せて答えた。


「ああ、そういうこと。あんた一応、お父様から直々に命を受けているでしょう? それが影武者だったってばれたら、お父様の面目に関わるし、王都を空けているデュランにも決して良い影響はないわ。ばれないにこしたことはないのよ」

「あぁ……そういう」


 メリッサの言葉には一切のごまかしがない。ラルバートはどっと肩が重くなるのを感じながら、むしろ上司がまったくぶれていないことにある種の安堵を覚えるのだった。


「あれ、でもそれなら私が変身を解いてしまえばそれで良いのでは」

「別にそれでもいいけど」

「あ、それなら」

「私を働かせて、あんたはサボるってことね? いい度胸だわ」

「えぅ」


 ラルバートはがっくりと肩を落とした。どうあっても今から出発しないといけないらしい。


「分かりました。分かりましたよ、もう」

「誰にも見つからないように出るのよー」

「この上まだ条件をつけるんですか!」

「当たり前でしょ? あんたは影武者として、デュランとデュランの名誉のためにあらゆる努力をしなさい。そうじゃなければここにいる意味がないのだから」

「ひどい」


 どうやらラルバートには自由はないらしい。

 それを今更ながらに痛感したラルバートであるが、当のラルバートとてデュランのふりをすることで色々良い思いをしているのだ。

 ラルバートは力なく立ち上がった。


「ここを出る時には、ちゃんと背筋を伸ばすのよ?」

「分かりましたぁ……」


 心の奥で涙を流しながら、ラルバートことフォースター将軍は一足先にボルデコに向かって出発するのだった。


「デュラン殿、次は絶対に王都に戻ってもらうからなぁっ!」


 彼の叫びが誰かの耳に届いたかどうかは、定かではない。

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