第13話 聖女アリッサ
赤いローブの男はブーレと名乗った。
本名ではないだろう。間違いなく。手近な酒場に入って話を聞く姿勢を取れば、ブーレはローブも取らずに顔を寄せてきた。
「なあおい、あんた。恩寵のダンジョンについては知っているか?」
「ああ、人並みにはな」
「じゃあ、なぜ山には恩寵のダンジョンが存在しないのかは知っているかい?」
「人並みに、って言ったろ。ダンジョンはダンジョンさ。その主が神様だったら恩寵のダンジョン、モンスターだったらモンスターダンジョン。手に入るものがお宝か、銭に変わるでけえモンスターか。それくらいの違いだろうよ」
無論、よく知っている。デュランは背負うカウラからも、そもそも恩寵のダンジョンの最下層にいる管理者からも詳しく聞いたことがあるのだ。
だが、そんなことをひけらかす意味などない。何しろ、ブーレは下っ端にすぎない。
なのでデュランはあくまでもひとりの剣士として、冒険者として答えるだけだ。
ブーレは感じ入った様子で何度も頷いた。
「そうか、そりゃ確かに凄腕の冒険者ならそういう答えに違いない! 久しぶりに真っ当なお人に出会ったなあ」
「ってことは、何かい。俺以外にも何人か声をかけたってことか」
「あ? ああ、そうだ。鋭いね、デュランさん。前にも何人かに声をかけた。だが相手は恩寵のダンジョンだ。この街に住んでる冒険者連中ってのはあれだ。恩寵のダンジョンに入るには力が足りないか、力はあってもそもそも恩寵のダンジョンが何たるかを知らないかのどちらかだ。さほど準備もせずに入って、結果戻って来られねえってやつらばかりでな。あんた、どうやら恩寵のダンジョンに入ったことがあるんだね?」
「ああ。ユフィークトのダンジョンにな。大して深くは潜ってないが」
「そりゃ素晴らしい! 恩寵のダンジョンで自分の欲と実力のバランスを取れるやつはほとんどいないと言うぜ。あんたになら場所を教えても損はなさそうだ」
口元に媚びた笑みをうかべたブーレは、やはり何かをその笑みの奥に覆い隠していた。
この場でフードを暴くのも手ではあったが、それをしたところで意味があるとは思えない。
むしろ、こちらが考えなしの冒険者であるように侮ってもらった方が都合がいいというものだ。
「そうかい。そう言ってもらえるなら手を貸そう。で? そちらに支払う謝礼はどれくらいが希望なんだ?」
「そのダンジョンが恩寵のダンジョンであるという証さ。それ以外の財宝は、みんな、みんなあんたのもんだ、デュランさん」
「成程。強欲とは言えないな。この街に住む者としては、喉から手が出るほど欲しいはずだ」
「分かってくれるか。そうさ、俺は貴族になりたい。この街に残っている鉱山からは、もういい鉱石なんざ出やしないんだ。鍛冶屋たちも困っている。恩寵のダンジョンの証があれば、人も集まる、新しい鉱山を掘る余裕も出る! だから!」
「貴族なんざ、そんないいモンだとは思わないがね。ま、願うのは勝手さ。いいだろう、商談成立だ。連れが二日酔いで伏せっているから、行くのは明日以降になるが、構わないか?」
「ああ。ありがとう、デュランさん!」
そう言って笑うブーレの表情は、今回だけは媚びたものではなく心からのものだった。
***
ブーレと別れて、組合の建物に入る。
デュランは手を挙げてきた冒険者たちに、同じく手を挙げて応じる。確認するまでもない。昨日酒を一緒に飲んだ連中だ。
「やあ、デュラン。二日酔いにはならなかったのか」
「連れがやられちまったが、俺は大丈夫さ。とはいえ、あいつを置いてダンジョンに入ったら叱られちまう。てな訳で、今日は仕事がないかの確認だけな」
「尻に敷かれてるなあ。まあ、あれだけ綺麗な若奥さんじゃしかたねえか」
「奥さんじゃねえよ。師匠と弟子の関係さ」
「へえ、弟子? そしたら俺たちが声をかけても?」
「別に構わないが。腕は立つから気をつけろよ?」
「ふん、取り乱しもしないのか。からかい甲斐もありゃしねえ」
詰まらなそうに去っていく冒険者たちを後目に、デュランは組合員たちがいるカウンターに向かう。
「ま、そんなわけだけど、何か仕事はあるかい?」
「ああ、そうだなぁ。いくつかあるが、実はお前さんに名指しの依頼があるんだ」
リージェットの件で知り合った組合員が、困ったような顔で話を振ってくる。
「名指しの依頼? なんでまた」
「昔っからの知り合いだって聞いたぜ。来たら通すように言われてる。奥に来てくれ」
「はあ?」
デュランは促されるままに、奥にある応接室に入る。
と、そこに居たのは――
「はぁい」
「げっ!」
「あ、デュランさま」
褐色肌の美女と、ミティエだった。
デュランは表情を強く引きつらせた。ミティエにではない。もう一人、褐色肌の女性のことを、デュランはよく見知っていた。
「アリッサ姉さん……!」
「久しぶりねぇ、デュラン。貴方が村から王都に召し出されてからだから、もうかれこれ十五年にはなるかしら」
「久しぶりだね。姉さんが大聖殿から聖女認定された時が最後だから、十四年じゃなかったかな。ねえ、聖女アリッサ殿?」
「ああ、そうだったかしら。何にしても、会わない間に随分と落ちぶれて」
「まあね。おかげさんで冒険者の真似事さ」
強く睨み合う二人。口調だけは親しげだが、親愛の情は微塵もない。
間に挟まれた形のミティエが、二人の顔を交互に見て口を挟む。
「あ、アリッサさま。デュランさまとは」
「同じ村で育った幼馴染よ。聖騎士としての正しい未来を示してあげたのに、この子ったらいつまでも根に持ってね」
「人を売って得た名声の味はさぞ甘美なことだろう。お陰で今は聖女様だって? 大勢に傅かれる生活は随分と幸せなようで」
デュランが知っているアリッサは、確かに村一番の美少女ではあったがこのように毒気を宿すような美女ではなかった。
一方、ミティエは感動したように美しい瞳でこちらを見てくるのだ。
「や、やっぱりデュランさまは聖騎士さまだったのですね」
『デュラン、冷静に。私もこの女は気に入らないけど』
背後でカウラがうめく。
アリッサは聞こえたのか、視線を背負われているカウラに向けた。
「あら、まだいたのね。神剣カウラリライーヴァ。いい加減デュランに棄てられたと思ったのに」
『黙りなさい、神の威を借る女。私はお前に言うべきことなどない』
「ミティエ殿。君がこの女と一緒にいるということは」
「はい。この街に起きている異変を取り除きに」
「それがこの娘を次の聖女に認定する業績となるからね。貴方がこの街に来ているのは幸運だったわ。きっとスルオリディレーソ様のお導きよ?」
「つまり、俺に求める仕事というのは」
「この娘の手伝いよ。聖殿騎士たちでは不安でしょう?」
アリッサの表情は薄笑いのままだ。ブーレの媚びた笑みもあまり気持ちの良いものではなかったが、この女の笑いよりはずっとマシだとデュランは思う。
だが、願われたことは。そう、それだけは。
『この毒婦がぁぁっ!』
「振るわれなければ力を尽くせない。そういう形で顕現した悪意は黙っていなさいな。さ、どうするのデュラン?」
「連れがいてね。ミリティアという。彼女の許可が出なければ承服しかねる」
「ミリティア? ミティエと名前が似ているわね。そう、その娘も先々代の聖女ミレトイエル様からお名前を借り受けたのね。いいでしょう。ではそのミリティアが許可しなければ、この仕事は聖殿騎士たちに任せるとします」
「その時は、僕がこの街にあるすべてのダンジョンを破壊するさ。全力でね」
デュランがアリッサを見る視線は何よりも冷たい。
あるいは殺意さえ滲んでいたのは、誰よりも彼女を愛していたかつてのデュランの嘆きがそうさせたのかもしれなかった。
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