第12話 一方そのころの天使と女神
デュランに会う前に逃げられた形の天使ラルバートは、口裏を合わせるべく彼を秘密裡に迎え入れたアレキア家に自分と王国が一定の借りを作ったことを理解した。
その借りをどのような形で返すべきか、ということについては言うまでもない。デュランの旅に同行したというアレキア家の長女ミリティアの件について黙認しろと言外に言っているようなものだ。
ラルバートにとっては、上司であるメリッサの人間世界での恋路については正直なところどうでも良い。
彼女の果たすべき権能は天上にこそあり、最終的にデュラン・ドラグノフ・フォースターが天上で彼女に侍ることとなれば、少なくとも千年単位で上司の機嫌は良いだろうと彼は判断していた。
地上での生涯となる数十年程度の停滞は、天使たちや下位の神々の献身でどうとでもなる。その程度の努力で、気まぐれな上司が機嫌よく過ごしてくれるのであれば、むしろその方が有難いというのが彼らの共通した認識だ。
「承りました。姫様の心を曇らせるのも忍びない。私と陛下とで、何とかこの件については姫様にうまく伝わるよう取り計らいましょう」
「ええ、天使ラルバート様」
「それで、フォースター将軍はどちらに向かわれるとかは仰っておられましたか?」
「さあて。さすがに王都の方面には向かわないだろうと思いますが」
ふてぶてしく空とぼける前当主フィクトラム。息子アディアランへのユフィークト領主の地位移譲の届け出が出ていること、そしてそれが長らくどこかで握りつぶされていることは無論ラルバートも知っている。
それを改善しろとは言われていない。しかし、ラルバートはここでできる限りの便宜を図り、しっかりと清算しておくべきだと判断した。
「そういえば、アディアラン殿はアレキア家の当主ではありますが、まだユフィークト領の領主にはなっておられないのでしたな。その形では何かとよからぬことを考える者も出てくるでしょう。私の方から陛下に上奏し、お早い形で状況が正常化することをご協力します」
「それはありがたい! ラルバート様、感謝いたしますぞ」
「いえいえ。ですが、私に出来ることにも限りがあります。何しろ私は将軍本人ではなく、ただの影。彼もまた、あまり強く権力を振りかざすことを望まないでしょう」
「存じております。私どももラルバート様にご心労をおかけしたくはありませんのでね」
話を継いだのは現当主のアディアランだ。何度か王都で会った時には神経質そうな顔立ちばかりが記憶に残る人物だったが、デュランと関わって何かが変わったのか、神経質な雰囲気はなりを潜め、父親同様のふてぶてしさを纏っている。
嫌な予感がしたラルバートだったが、一応次の言葉を待つ。
「そう言えば、王都の騎士団の皆様がこちらに向かっておられるそうですが」
「ええ。彼らについては特に歓待などをしていただく必要は」
「そうですね。ユフィークトの宿はいま、ランドドラゴンの出現で冒険者たちが流出しており、宿や酒場などが賑わいをなくしております」
「それは大変ですね」
「そうなのです。冒険者たちが戻ってくるまで、金を落としてくれる誰かがいればいいのですが」
「なっ」
ラルバートは絶句した。アディアランの言わんとしていることを理解したからだ。だが、ラルバートが答える前にフィクトラムが息子をたしなめる。
「無茶を言うな、アディアラン。騎士殿たちにも生活があるのだ。それはこの街の者と変わらん」
「は、確かに。しかし、宿と酒場が減れば冒険者たちの来訪も減ります。恩寵のダンジョンのもたらす富を循環させるには、彼らの力がなくては」
「それはその通りだな。そうだ、ラルバート様。天界のお知恵を借りることは出来ませんか」
「えぅっ」
突如人間の経済について助言を求められて、ラルバートは目を白黒させた。天界には経済などないのだ。
しかし、そんなことを言ってしまえば侮られるのは目に見えている。
「そ、それはですね」
「父上。父上も不敬ですよ。天界のことを我らごときが教えていただこうなどと。ほら、ラルバート様が困っておられるではないですか」
「おお、それはそうだ。申し訳ありませぬラルバート様」
「い、いえ。良いのです」
今度はアディアランが助け舟を出してくる。
武力を持たないラルバートは、政治力については能力が高い、という訳でもない。
メリッサからは、デュランの影武者としての役割しか元より期待されていないのだ。
そして、アディアランの次の言葉にラルバートは今度こそ凍り付いた。
「それはそうとですね。この街に騎士団の方が一日なり二日なりと逗留されるとなれば、お気をつけください。何しろラルバート殿が単独でこの街に向かわれた日と、フォースター将軍がランドドラゴンを討ち果たされたのが同日。いくらなんでも、討伐を同日に終わらせるのは不自然でしょう。噂話にはお気をつけください」
「あっ!?」
ここでようやく失態に気付く。
内心で仕事の早すぎるデュランの技を呪う。ランドドラゴンをあっという間に征伐したディーツー・フォースターの剣が噂にならないはずがない。それを騎士たちが聞いて、中でも目端の利くものが時系列の差に気付いてしまえば。
「わ、分かりました。私の方から、ユフィークトへの金銭的な援助を上申しておきます。ですので」
「おお、それは助かります! なに、ご心配には及びません。街の者たちには申し伝えておきますとも。騎士殿たちも討伐に加われなかった不明を実感したくないでしょうから、極力彼らの前で将軍の噂をしてはならないと」
「助かります……。出来る限り早めに街を離れるようにしますので」
この時、ラルバートの頭の中にはメリッサに対しての釈明をどうするかということしか残っていなかった。
***
実に一日の逗留もなく、王都ライトダールに戻ってきた騎士団。
そのねぎらいの席で、聖騎士ディーツー・フォースターは街の窮状について王に奏上。恩寵のダンジョンの維持は急務であるとして、マストール王はただちに支援を決定。ユフィークト家は王都にランドドラゴンの頭部を寄贈。その対価とした。
フォースター将軍の名声は更に高まり、へし折られた角を見た人々は彼に『
「で、デュランは?」
「私が到着した時には既に出立した後でしたよ」
「そういう事を言ってるんじゃないの! 女の影は!? あの時、恐ろしい悪寒に襲われたのよ! あれは間違いない、デュランに新しい女が現れたということ!」
謁見が終わり、デュランの私室に戻ってきたラルバートは、メリッサが来るのを予測してはいた。
こいつすげえな、とラルバートは内心で思ったが、口には出さない。
アレキア家の娘が同行しているなどと聞けば、先ほどまでの話の殆どを反故にしてしまいかねない。
「まあいいわ。ラルバート。あの嫉妬深いカウラリライーヴァが近くにいるのです、デュランに近づく悪い虫はあの女が勝手に排除してくれるでしょう」
「はぁ」
「ところでラルバート。アレキア家の娘。そう、ミリティアとか言ったかしら。元気にしていた?」
「え、ええ」
「そう。デュランの弟子である時期もあったことだし、剣の腕も立つことだし、同行しているとしたらあの女だと思うのだけど」
メリッサは笑みを浮かべた。
「そう。やはりミリティアがデュランに同行しているのね。そうよね、あの女の信仰するのはライラスティートだもの。カウラリライーヴァが依り代に選ぶ可能性は確かにあった」
「ひ、姫様?」
「分かるわよ、ラルバート。あなたは致命的に隠し事が苦手なのだから。そこだけは私のデュランと似ているようで違うところよね」
ラルバートの背筋を冷たいものが伝うが、メリッサは気にした様子はなかった。
「まあ、デュランに恨まれてしまうからね。元々アレキア家に手を出すつもりはないの。そうね、カウラリライーヴァがやらかしてデュランから嫌われるのが最も望ましいところだし、しばらく静観するとしましょう。ふふ、大丈夫。いざとなれば」
にこやかに告げるメリッサは、ラルバートが思っていた以上に人間社会に染まっていて。
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