第6話 英雄と少年

 食事を終えてダンジョンを出ると、街の住人たちがデュランたちを迎えて歓声を上げた。


「フォースター将軍!」

「ありがとうございます!」


 いつランドドラゴンがダンジョンから出てくるか分からない。緊張を強いられていた彼らにとって、討伐完了の報は何よりも嬉しかったはずだ。

 向けられる感謝の声に右手を挙げて応じ、組合ギルドへの道を歩く。

 組合の建物の前では組合長が待っていた。


「これは、フォースター将軍。早速の討伐、本当にありがとうございます」

「いえ。皆さんの暮らしを守ることができて良かった」


 喜色を満面に浮かべた組合長が、デュランの手を取る。随分と老け込んでしまったその姿が、この街の背負っていた恐怖と負担を示していた。


「騎士団も欠員はなし。先に入った冒険者たちは残念だけど」

「おお、お嬢様! ご無事で良かった」


 続いて声をかけたミリティアを見て、組合長が思わず瞳から大粒の涙を流す。

 ミリティアはデュランから離れた組合長の手を取って、微笑む。


「無事に帰れたわ、お爺様。師匠のお陰よ」

「お爺様⁉」

「ええ。そういえば師匠には言ってなかったかしら? 組合長は母方のお爺様なんです」

「そうだったんだね。なるほど」


 恩義を殊更に口にしていた組合長。それも本心だったのだろうが、何より祖父として孫娘が心配だったというわけだ。

 デュランは悪戯な笑みを浮かべる――鎧で隠れて他からは見えなかっただろうが――と、組合長の耳元に顔を寄せてこっそりと囁いた。


「じいさん、やっぱりあんた、組合長に向いてねえよ」

「な、なにを⁉」

「気付かないかい、じいさん。さっき話したばっかりじゃないか」

「デュラン⁉ ディーツー・フォースター将軍が、まさか……」

「デュラン・ドラグノフ。だからディーツーってな。ま、出来るだけ内密にしといてくれ。雲海のイルカ亭の部屋はそのままに頼むよ」

「あ、ああ。何故今の今まで気付かなかったんじゃろ」

「神の思し召しってやつだろ。じゃあな」


 これ見よがしに肩を叩いて、組合長から離れる。周囲からは、見るからに疲労した老組合長をデュランが個人的に激励したように見えたことだろう。

 ミリティアが周囲に向かって声を張り上げる。


「フォースター将軍のお力添えをいただいて、この街は大きな被害を受けることなく困難を乗り越えることが出来ました! しかも、将軍は討ち取られたランドドラゴンの骸をこのユフィークトに託してくださると仰っておられます! 皆さん、将軍のご厚意に感謝を!」


 再び湧き上がる歓声。

 ドラゴンは骨も鱗も、血も肉も脂も余すことなく活用できる。巨体であればあるほど討伐や狩猟は困難を極めるが、そのぶん経済効果は果てしなく大きい。


「しばらくの間、将軍には我がアレキア家で歓待いたします。お分かりとは思いますが、フォースター将軍は物品による感謝を必要とされません。ご配慮を!」


 何しろドラゴンを気前よく譲ってくれたのだ。どんな感謝の品も色あせてしまうと釘を刺すのも忘れない。

 と、デュランは人込みの中に、その言葉を聞いて俯いた少年を目に留めた。

 ゆっくりと歩み寄り、膝を落として目線を合わせる。


「どうしたんだい?」

「あ、しょ、しょうぐんさま……⁉」

「何か残念なことがあったかな?」

「と、とーちゃんが」

「うん?」

「とーちゃん、きしだんにいるんだ。さっき、にだいをおしてた」

「無事だったんだね、良かった」

「とーちゃん、いってたんだ。たすけてくれたひとには、おれいをしなさいって。でもおれ、しょうぐんさまにわたせるおれい、これくらいしかないから……」


 少年が突き出した手には、くすんだ色の金貨が握られていた。

 なけなしの小遣いを持ち出してきたのだろう。デュランはにこりと微笑むと、少年の頭をくしゃりと撫でた。

 ダンジョンに面した街に暮らす騎士の生活は、決して裕福なものではない。鎧と武器の摩耗は早く、上等なものを用立てるには騎士団の俸給では効果的な貯蓄が必要とされるからだ。

 デュランは少年のつぎはぎだらけのズボンのポケットから、やはりくすんだ色の布が覗いているのを見つけた。

 それをするりと抜き取れば、ずいぶんと使い込まれた磨き布だと分かった。油の匂いが染みついている。


「あ、それは……」

「これで父君の鎧を磨いていたのかい」

「うん」

「毎日欠かさず手入れをしていたんだね。君の父君への尊敬がよく分かります」


 デュランは磨き布を掌に乗せて、一言呪文を唱えた。

 磨き布が光に包まれて、青い鳥の姿を取る。周囲からおおっ、とざわめきが起きた。


「君の父君への想いと無事を願う祈り、そして感謝。確かに受け取りました。この磨き布が、証拠です」

「しょうぐんさま」


 ピィーッ、と甲高く鳴いた青い鳥が、天空へと一直線に飛んで行く。

 皆の目が鳥の姿を追う。

 空が青く瞬いた。


「武の女神、ライラスティート様が喜んでおられますよ。ほら」

「えっ」


 空からひらひらと、一枚の布が降ってくる。

 つややかな素材で編まれたと分かる白い布の中央には、赤い紋様が刺繍してあった。


「少年。この磨き布は君へのライラスティート様からの贈り物のようです。受け取ってください」

「え、でもこれ、しょうぐんさまにあげたやつ」

「違いますよ。ライラスティート様は僕の捧げた武功を喜んでくれましたが、それとは別に、父の無事を日々願い続けた少年に新しく磨き布を下賜してくださいました。これからも父君だけでなく、父君の相棒も労ってあげてください」

「は、はい! ありがとう、しょうぐんさま!」


 少年が大事そうに磨き布を押し抱いたのを確認して、立ち上がる。

 ミリティアのところに戻る前に、最後に少年に問いかける。


「少年、夢はありますか」

「はい! しょうぐんさまのような、みんなをまもれるせいきしになることです!」

「そうですか。では少年、剣を鍛え、魔法を磨き、いつかレーガライト騎士団を目指しなさい。君が大きくなって、僕の後継として聖騎士となる日を楽しみにしています」

「は、はい! しょうじんします!」


 深く頷いて、デュランは少年に背を向けた。

 そして、この日何度目かになる歓声が爆発した。


***


 アレキア家の屋敷に着くと、緊張した面持ちの当主と前当主が二人を出迎えた。

 無理もない。政敵でもある妹を、ダンジョンに死にに行かせたと思われても仕方のない立場であるからだ。二人の父親である前当主はそれを擁護するために出てきたのだと分かる。

 だがデュランは、おそらくミリティアが家族の制止を振り切ってダンジョンに向かったのだろうと思っていた。


「久しぶりですね。アディアラン殿、前迷宮伯」

「はっ! 閣下、ご無沙汰をしております」

「そう硬くならずに。ミリティのことですから、誰が止めても聞かなかったのでしょう? 炎のような正義感と風のような行動力の持ち主ですからね」

「そ、そう言っていただけると……」

「貴族の世界ではどうしたってその辺りをあげつらう者は出てくると思いますが。かわいい弟子の家ですしね。僕の名に誓って、アレキア家が悪い扱いを受けるようなことがないように取り計らいます。ご安心ください」


 ほっとした顔をするアディアラン。隣ではミリティアが二人の顔を交互に見て恐縮している。自分のしでかした行動の意味をようやく理解したらしい。


「ごめんなさい、お兄様、お父様」

「構わないよ。お前が無事で良かった」

「だが、あまり心配をかけないでおくれ。母さんはまだ臥せっているのだ。後で元気な姿を見せておやり」

「はい!」


 柔らかい笑みを浮かべて妹を労う兄と父の様子に、デュランもまた笑みを浮かべるのだった。

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