第4話 龍殺し、ゆえにドラグノフ

 ユフィークトに向かう道行き、ラルバートは陰鬱な気分で馬上にあった。

 彼は戦う力を持たない天使だ。日頃は聖騎士ディーツー・フォースターとして人々の羨望と尊崇の視線を浴びることに倒錯的な幸せを感じているのだが、今日この日に限って言えばその視線が痛くて仕方ない。


「ユフィークトまではゆっくりとなさってください、閣下。閣下が討ち果たした邪龍ほどの相手ではないと存じますが、ランドドラゴンもまた人の身には果てしない脅威。露払いは我らにお任せいただき、閣下のお力はユフィークトにてお見せください」

「ええ。ありがとうございます」


 きらきらと目を輝かせて良いところを見せようとしてくる騎士たちの何とも微笑ましい姿も、今は恐ろしい。

 今彼が身に着けている青い鎧は、デュランがエイリウルメーヴェシュ主君の正体から賜ったもののコピー品だ。ほんのりと放たれる創造の女神の清浄な気配は、そこにあるだけで周囲の空気を浄化し、魔物の接近を抑制する。

 ラルバートの不安は尽きない。寄ってくる魔物がいたとすれば、それは女神の力をものともしない凶悪な力の持ち主であるし、そのようなものが現れたら結局戦わなくてはならない。

 本来ならば逃げ出したいところだが、メリッサからはデュランの株を下げるようなことはするなと厳命されている。


「……どうしよう」


 そもそも、当のデュランがユフィークトに向かっているという確証がどこにもないのだ。

 できれば一刻も早く合流して、この重圧から解き放たれたいところだ。

 と、道の向こう、遥か遠くから気配を感じる。メリッサから普段感じているのと同質の、極めて清浄な。

 ラルバートの顔が思わず綻んだ。地上にあって、これだけの強さでこの気配を感じさせることができる存在はふたりしかいない。

 そして、その場所は。


「既に到着しているのか、彼は」


 メリッサが出した手紙ではないだろう。元々そこにいたのか、どこかでランドドラゴンの出現を知ったか。

 心に強い安堵が広がる。と同時に、ラルバートは自分が何をするべきかを理解した。

 隊列を組む騎士たちの合間を縫うように馬を進め、先頭に立つ。


「閣下、いかがなされました?」

「先行する。ユフィークトの地には同胞があって、今もランドドラゴンの脅威から人々を守っているのだ。私が行けば、彼らの危険が減ることだろう」

「おお! しかし、閣下――」

「良い。騎士団は急ぐ必要はない。これだけの集団が急げば周辺の町や村に動揺をもたらすだろう。今の行軍速度を維持しつつ、街や村を見て回ってくれ。ドラゴンの発生に乗じて罪を犯すものがいないとも限らないからな」

「閣下、我々の使命は……」

「レーガライト王国の騎士の使命は、民の幸せな生活と安全を守ることだ……違うかな?」


 騎士たちはラルバート――厳密にはディーツー・フォースター――の言葉に感じ入ったようだった。

 ラルバートは馬を前に進ませた。あとは単騎でユフィークトの町に向かって馬を走らせるだけだ。

 この馬を気分よく走らせる方法は簡単だ。誰の耳にも声が聞こえなくなった辺りで、馬の耳に口を寄せる。


「さ、きみの本当のご主人様がこの先で待っているよ」


 ぐんと、体にかかる風圧が増した。

 デュランの愛馬はどうやら本物と偽物の違いが分かるらしい。まだまだだなと思いながら、ラルバートは手綱を持つ手に力を込めた。


***


 ユフィークトの恩寵のダンジョンは、ひとつひとつのフロアが広々としている。

 デュランが入ったことがあるダンジョンは石造りの床と壁で覆われていたものだが、ずいぶんとイメージが違うものだ。

 見渡す範囲に、ランドドラゴンの姿はない。それどころか、魔物の姿も冒険者の姿もまったくない。


「良かった、まだ騎士団は粘っているようですね」


 ドラゴンは別に地上を目指しているわけではないのだろうが、浅い階層に深層から現れた強大な生物が居座っていたらこの街にとっては産業の危機だ。

 ランドドラゴンが暴れているであろう階層はどこか。気配を探ろうと目を閉じたところで、剣から声が聞こえてきた。


『デュラン、五層ほど下に強い生物の動きがあるわ』

「そうですか。ありがとう、カウラ」

『ど、どういたしまして。デュランの役に立てて嬉しいわ』


 こういう時には、女神の権能は本当に役に立つ。素直に感謝を口にすると、カウラは照れたように口ごもった。

 ランドドラゴンが徐々に上の階層を目指しているのか、それとも今いる階層に棲みついたのかは分からないが、ミリティアたちはそこにいるはずだ。


「さて、急ぎますよ。幸いここには誰もいない」

『見られる危険性もないしね?』

「いえ――」


 デュランは両足に力を入れると、強く地面を蹴った。

 瞬間、周囲の景色が流れる。

 下層への入口を見つけて足を止めたのは、程なくのことだった。


「――誰かを跳ね飛ばさなくて済みますので」

『……ああ、そういう』


 カウラが呆れたような声を上げた。

 ともあれ、急ぐと決めたデュランはその言葉に反応することなく、次の階層に足を踏み入れるのだった。


***


 恩寵のダンジョン第六層。

 レーガライト王国のユフィークト駐屯部隊は、ミリティア・アレキア・ユフィークト令嬢騎士の力を借りてランドドラゴンを翻弄していた。


「くっ、破城槍すら通らないとは!」


 六人がかりで叩きつけられた巨大な鉄杭は、三度も叩きつけたところで先端が潰れて放棄された。

 これで五本目だ。


「下がりなさい!」


 腹部を強打された巨体が、苛立ちばかりを唸り声に乗せて体をよじった。

 言葉に応じて逃げ出した六人の背後を、振り抜かれた長い尾が薙ぎ払っていく。

 破城槍はその一撃で枝のように吹き飛ばされた。真ん中からひしゃげて、最早元がなんだったのか分からないものになっている。


「ヴルル……」


 何かを守るように地面に体を伏せて、騎士団を見やる巨大な生物。

 ドラゴンだ。翼は退化し、代わりに脚部と尾部が太く力強く発達している。ランドドラゴンと呼ばれるこの個体は、小さな山ほどの巨体だった。挑んだ冒険者たちの装備を何やら気に入ったようで、体の下に敷いて悦に浸っている。

 破城槍を叩きつけた腹部などは傷はおろか、痕すらついていない有様だ。


「お嬢、これ以上の威力を出せる兵器はこの騎士団にはないぞ!」

「タウラス隊長、ここは私に任せて下がりなさい。王国の本隊が来れば、あの方が必ずこの巨竜を討ち果たしてくださるわ」

「馬鹿言うな。お嬢を残していくわけにはいかない」


 ユフィークト駐屯部隊長のタウラスは、白いものの混じった髭をごりごりとこすりながら深い溜息をついた。


「お嬢、魔剣の効果はあとどれ程続く?」

「あまり期待しないで。徐々に耐性がついているようだから、あれが宝物ではないと気づいたらすぐにでも」


 言うが早いか、ランドドラゴンが何かに気付いたように辺りを見回した。

 足元を見て、むくりと起き上がる。

 心なしか怒っている様子だ。


「やばい。足元の宝物を俺たちが盗んだとでも思っているんじゃないのか」

「そのようね。くっ!」


 桃色の刀身をした魔剣を振りかざすミリティアだが、そこから放たれた妖しい色の光は、ランドドラゴンが頭を振ると簡単に振り払われた。


「ダメね」

「総員、ばらばらに散れ! 被害を最小限に留めろぉっ!」


 タウラスの怒号を聞いて、騎士と兵士があちこちに向けて走り出す。

 ランドドラゴンはどれを狙おうか苛立った目できょろきょろと見回した後、大きく息を吸い込んで咆哮を放った。


「ヴルアァァァァァァッ!」


 文字通り、空気が爆発した。

 生み出された振動が騎士団の鎧を強打し、鎧の奥に深刻な打撃を与える。


「ぐっ! くそ、お嬢!」

「大丈夫、私はまだ……」


 ミリティアが桃色の魔剣を構える。妖しい光が刀身に集中するが、どうやらそれがランドドラゴンの目に留まってしまったようだった。


「お嬢、逃げろ!」

「駄目、私は逃げられても、隊長が」

「俺のことはいい! いいから早く!」


 短い角の無数に生えた頭部をこちらに向けて、ランドドラゴンが地面を蹴った。


「お父様、お兄様っ!」

「お嬢!」


 ミリティアが思わず目を閉じる。

 タウラスが起き上がろうと四肢に力を込めるが、まったく体が言うことを聞かない。


「――皆さん、よく頑張りました」


 この場にいた誰のものでもない透き通った声が、辺りに響いた。

 それは、突進の地響きと轟音が止まったことを意味する。

 驚いて目を開けたミリティアの目に映ったのは、信じがたい光景だった。


「ミリティ、タウラス隊長。後は僕に任せてもらおうかな」


 一人の男が、ランドドラゴンの突進を受け止めている。

 突き出された角の一本を何の気なしに掴んで。

 地面に押し付けられた頭部をどうにか動かそうと、ランドドラゴンはじたばたとその体を暴れさせるが、男の体は微動だにしない。


「あ、あなたは」

「久しぶりだね、ミリティ。随分と美人になって」

「師匠! デュラン師匠!」

「せ、聖騎士、殿……」

「やあタウラス。遅れてしまって済まなかったね」


 自分たちを一切脅威とも思っていなかったランドドラゴンが、まるで子供扱いをされる姿に、タウラスは思わず口走っていた。


「龍殺し……」

「そう、だから


 デュランが腕を回すと、ランドドラゴンは手もなくひっくり返される。

 同時に、デュランが掴んでいた角が音を立ててへし折れた。

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