第3話 迷宮都市ユフィークト

 ユフィークトはレーガライト王国に四つ存在する、恩寵のダンジョンのひとつを管理する都市である。

 恩寵のダンジョンとは、天界あるいは魔界の神が人々に遣わせた迷宮であり、そこから産出される品々は神からの贈り物であるとされた。人々はダンジョンからもたらされる品によって神への信仰を増し、神々はダンジョンによって人々に試練と恩寵を下す。

 互いの利益に関わるのが恩寵のダンジョンである。時折魔物や魔界の生物たちがこっそりとダンジョンを作って人々を招き入れ、自分たちの食糧にすることもあったが、そういったダンジョンは程なく神々や英雄たちの手によって討伐されて姿を消す。

 ユフィークトは恩寵のダンジョンのひとつ、魔界管轄の巨大地下迷宮を擁する都市だ。魔界管轄ゆえか、強大な魔獣の出現するこのダンジョンは、魔獣由来の資源を産出する拠点として発展した。

 一攫千金を狙う冒険者と、彼らを相手に商売を行う商人と、万一の時に備えて常駐するレーガライト王国の騎士団と。

 ユフィークトは今日も変わらずに冒険者を飲み込み、その多くに恩恵を与え、また命を奪っているのだった。


***


 ユフィークトの市内は、表向き平静を保っていた。ランドドラゴンが出現したという情報があっても、住民にはある種の安心があるようだった。

 デュランは街の様子を調べるのはそこそこに、まずは組合ギルドの建物に足を運んだ。


「おお、来てくれたかデュラン」

「ランドドラゴンが出たと聞いちゃな。……で、俺はどうすればいい?」


 疲れた顔つきの組合長ギルドマスターがデュランを出迎える。心なしか元気のない彼に聞くと、組合長は神妙な表情で頷いた。


「今、儂の知る限りの腕利きに声をかけている。今は騎士団の皆さんが地上に出てこないように苦労しておられる。王都からの軍が来るまで何とかランドドラゴンを押し留めておきたいところだ」

「そうか。……宿は?」

「用意してある。まずは体を休めておいてくれ」


 交わす言葉の少なさに、デュランは組合長が悲壮な覚悟を決めていることを理解した。

 ランドドラゴンは空を飛ぶことこそないものの、巨体と強靭な肉体、鋼よりも硬い鱗を誇る難物だ。突進されれば、人間ではなすすべなく踏みつぶされるか、吹き飛ばされるかのどちらかだ。

 この街に駐屯する騎士団は確かに練度の高い精鋭揃いだが、ランドドラゴンを制圧するには兵器かそれに類する腕の持ち主がいなくては無理だ。


「出来れば魔剣の持ち主あたりがいればよかったんだけどな」

「ああ。だが、この街にいた自称魔剣の持ち主どもは早々に逃げ出すか、功を争うようにダンジョンに潜って戻ってこなかったのさ。だからというわけではないが、騎士団の方々と一緒に今回はミリティ様が一緒に潜っておられる」

「ミリティ? ミリティア・アレキア・ユフィークト令嬢騎士か」

「そうだ。あの方がご無事である限り、ランドドラゴンは上がって来られないだろう。しかしな」


 ユフィークトの領主一族であるアレキア家は、その当主自身が凄腕の剣士であることが求められていた。当主の次女であるミリティア――通称ミリティはレーガライト騎士団にも所属する才媛であり、次期当主である兄以上の剣士ではないかと噂されていた。

 何代か前の当主がダンジョンから持ち帰ったとされる魔剣ヘインバルドを携え、その名声は王国内にも響いている。


「ミリティ様はご自身の剣ではランドドラゴンを倒しきれないだろうと仰っておられた。何とかお助けしたいのだが」

「冒険者はまだ集まっていないのか?」

「軍が来るまでとなれば、少なくない数の死者が出る。おそらく手紙を出したうちのほとんどは来ないだろう。デュラン、呼びつけておいてすまんが」

「おいおい、そんな事を言って集まらなかったらどうするんだ」

「……この街に住む者で、アレキア家に恩義のない者などおらんよ。組合はその全力を投じてミリティ様の支援をすると決めておる」


 組合長の悲壮な表情の原因を理解する。

 デュランはこりこりと頭を掻いた。


「了解。取り敢えずしばらく休ませてもらうよ。宿の場所は?」

「雲海のイルカ亭だ。場所は分かるな?」

「街に入ってすぐのところだろ? ……じいさん、あんた組合長に向いてないよ」

「言っておれ。来てくれて感謝するぞ、デュラン」


 命が惜しければそのまま逃げろと、言外に言う組合長に苦笑しながら、デュランは。

 特に何も告げずに組合から出ていくのだった。


***


 雲海のイルカ亭に用意された部屋で、デュランは革鎧を脱いでベッドの上に乱雑に放り出した。

 くいくいと首を回しながら体を解す彼に、立てかけられていた剣が声を上げる。


『行くの?』

「行きますよ。どうやら数で対抗できる相手ではないようですからね。僕が行くべきでしょう」

『そのミリティアって娘のため? 真実の愛がほしいって言っていたものね』

「……そういうことではありませんよ、カウラ。そういうことよりも大事なことが今はあります」


 何やら不安そうなカウラに、デュランは笑顔で首を振った。

 この女神様は普段は強気で傲慢なくせに、デュランの恋路を本気で遮ったことはないのだ。


「自分が急げば助けられる命を助けないのは、怠慢であると思うのですよ」

『そ、そうね。デュランのそういうところ、ステキだと思うわ』

「それに、ミリティアとは顔なじみですしね。彼女に剣の手ほどきをしたこともあるのですよ、覚えていませんか?」

『え? ええと』

「武と勝利の神としてのあなたの信者なのですから、忘れては可哀想ですよ」

『ええっ!?』


 驚く様子のカウラを手に提げて、デュランは部屋を出た。

 ただし、窓から。


『デュラン、カギはかけなくて良いの?』

「置いておいたのは鎧ぐらいですしね。盗まれても大して困りませんよ」

『そういう問題なのかしら』


 音もなく飛び降りたデュランは、そのまま走り出す。

 ユフィークトに来たのは初めてではない。ダンジョンの場所は分かっている。


「そういえばユフィークトの恩寵のダンジョンに入るのは初めてですね」

『私の管轄ではないしね』

「三女神の管轄のダンジョンには入りませんよ、二度とね」


 苦い顔でつぶやくデュランに、カウラからの返答はなかった。

 どうやら彼女にも思うところがあるようだった。


***


 ダンジョンの入口前には、人の気配はなかった。

 ランドドラゴンが現れたことはすでに知られており、勝てると過信した者はあらかた入った後なのだろう。

 そういう意味では、デュランも同様で、遅れてきて現れた一人というわけだ。


「さて、それでは行きますか」

『久しぶりに元の姿に戻って良いかしら?』

「ええ。ランドドラゴンを相手どるのですから、本気を出しますよ」


 デュランは歩きながら剣を持たない左手で印を切った。

 エイリウルメーヴェシュの加護を身に下ろす印だ。


「創造を司る女神、エイリウルメーヴェシュより下賜されし鎧よ。我が命に応じて来たれ。我が名はデュラン・ドラグノフ・フォースター」


 デュランの全身に光が集う。

 光はデュランの周囲に青く光る鎧を組み上げて消えた。

 カウラがその姿にうっとりとした声を上げる。


『メーヴェのやつは何から何まで嫌いだけど、あいつが作ったものはなかなかデザインがいいのよね。この鎧をデュランに誂えたことだけは認めてやっても良いわ』

「姉妹でしょうに。もう少し仲良くは」

『無理ね。今は特に』


 突然とげとげしい声となったカウラに、デュランその原因は溜息をつくことしか出来なかった。

 視界の先にはダンジョンの赤茶けた風景が広がっている。

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