第2話 聖騎士ディーツー・フォースター

 レーガライト王国に、祝福の騎士と呼ばれた聖騎士が誕生したのは、今からさかのぼること十五年ほど前になる。

 女神の祝福を受けた青い全身鎧と、神の奇跡が形になったとされる長剣。二つを過不足なく使いこなして邪悪の徒を打ち払った彼は、レーガライト王国のみならず、救世の英雄と称された。

 聖騎士の位を与えられた青年は、しかし自ら地位を求めることはせず、常にひとりの剣士としての分を越えることはなく。

 世界最強の剣士ディーツー・フォースター卿は今日も王都ライトダールにて、世の邪悪を許さぬと目を光らせているのである。


***


「で、私はいつまでフォースター将軍のふりを続けなくてはならないのでしょうか、姫様」

「デュランが帰ってくるか、死ぬまで」

「そんなぁ」


 ライトダール城内にある、聖騎士専用の居室。

 そこでくつろぐのは、青い鎧と金髪もあざやかなデュラン――のふりをしている人物と、この国の王女メリッサ・レーガライトのふたり。

 何度目ともつかない問いを口にするも、メリッサはにべもなくいつも通りの答えを返してくるばかり。柔らかいソファに身を預けて天井を仰ぐと、その姿が目に見えて縮んでいく。

 わずかな光とともに現れたのは、茶色い髪と瞳の少年だった。


「ラルバート、この部屋でその姿を取るのはやめなさい。変な噂を立てられると困るわ」

「フォースター将軍の居室で、王女と少年が密会していた、とか?」

「分かっているならやめなさい、もう」

「少しくらい休ませてくださいよ。私の力だって無限ではないんですから」


 呆れたように反論すると、ラルバートと呼ばれた少年はメリッサから視線を逸らして外を見た。


「将軍は今頃、どの辺りにいらっしゃるのでしょうね」

「知らないわ。カウラリライーヴァあの暴力女、デュランをそそのかして」

「世の人々の安全な暮らしを守る……素晴らしい志ですね。原因が素晴らしければもっと良いわけですが」


 今度はメリッサが視線を逸らした。

 原因は言うまでもなく彼女にもあった、それを自覚していたからだ。


「真実の愛を求めて。フォースター将軍も青いですが、そう仰いたくなる気持ちも分かります。だいたいですね、気に入った者を天界に招いて侍らせては、三年もしたら飽きて捨てておられたのは姫様でしょう。将軍が逃げ出すのもわからなくはありませんよ」

「うぐっ」


 創造の女神エイリウルメーヴェシュともあろう方が。使徒として天界から遣わされた天使ラルバートは頭を抱えながら上司であり主君でもある少女に生暖かい視線を向ける。

 とはいえ、今までとは違うとラルバートは思っていた。死んだ後の英雄や美男子を天界に呼びつけていたかつてとは違い、今回は自ら地上に降臨したのだ。仲の悪い姉妹カウラリライーヴァが絡んでいるからと言っても、ここまで執着するのは珍しい。


「それで、将軍は今どちらに?」

「手紙ではアバディの安宿ね。素性を明かせば町の者が家のひとつやふたつ、喜んで用意するでしょうに」

「それでは意味がないのでしょう。人の世は、我々にはなんとも理解できない複雑な部分がありますし」


 天界の住人であるふたりにとって、いまいち人間社会というのは理解の及ばないルールや法律がたくさんある。力や生まれ持った権能が全てという天界や魔界のシンプルな思想とは発想からして異なるのだ。

 と、部屋の外からバタバタと慌てたような足音が聞こえてきた。

 ノックもなく扉が開かれ、入ってくる人影。この部屋にそのようにして入れるのは部屋の主を除いては、たった三名しかいない。つまり――


「お父様」

「おお、メリッサ! やはりここにいたか! と、これはラルバート様。ふむ、これはメリッサではなく、エイリウルメーヴェシュ様としてのお話でしたか」


 現れたのは、レーガライトの国王であるマストールだった。慌てた様子ではあったが、すぐに落ち着きを取り戻したようだ。

 厄介ごとが起きたのはすぐに分かった。メリッサは首を横に振ると、しずしずと述べた。


「すみません、ラルバートが休憩をしたいと言いましたので監視を。何かありましたか?」

「うむ、そうなのか。実はな、ドラゴンだ! ユフィークトのダンジョンにランドドラゴンが現れたという報告があったのだよ」


 言うに事欠いて監視とは。ラルバートはメリッサの残念な本性を暴き立てたい衝動に駆られたが、それで損をするのは彼女を溺愛するマストール夫妻だけだと思いなおす。

 この善良な国王には一切の咎はないのだ。不運なことに、我儘勝手な女神が自分の娘として生まれてきてしまっただけで。


「ドラゴンですか。それはまずい。すぐにでもフォースター将軍に鎮圧してもらわなくては」

「そうなのです。メリッサ、至急フォースター将軍にユフィークトに向かうように伝えてくれ。それまではラルバート様、お願いします」

「……え?」

「では今から軍の編成にかかります。ディーツー……すなわちデュラン・ドラグノフ・フォースターが先頭に立って向かうと伝えてありますので、ユフィークトの民も勇気を奮って待つことができるはずですからね」

「ちょ、ちょっと待ってくれマストール王。私は戦闘の才能はないのだ、姫様に変身の術を見込まれて呼び出されただけの、ちょっとかわいい天使にすぎない! 彼らの陣頭に立って兵を指揮するなんて、出来るわけ――」

「分かりましたわお父様。取り敢えずユフィークトの外でデュランと入れ替わるようにさせますから、そこまでの道行きを指揮する優秀な副官をつけるようにしてくださいませ」

「よし! では頼んだぞメリッサ! ラルバート様、頼みましたぞ!」

「そういうことです、ラルバート。ゆめゆめデュランの株を下げることのないよう、しっかり励みなさい」

「え、姫様? マストール王?」


 最後までラルバートの言葉を聞くことなく、部屋を後にするふたり。

 残されたラルバートは、愕然とした表情のまま、部屋に取り残されることになったのだった。


「フォースター将軍が到着する前にユフィークトに着いたらどうしろと言うんですかぁ⁉」


***


 ユフィークトの組合から手紙をもらったデュランは、街道を一人歩いていた。

 セザリや街の人たちに別れを告げることもなく、だ。宿のおかみにはユフィークトに向かうことは伝えてあるから、しばらくすれば理由も分かるだろう。

 失恋の悲しみの挙句に旅立った、と言われそうな気もするが、それも事実のひとつだ、仕方ないだろう。


『ランドドラゴンね……。尻尾の肉と尾骨は所有権を主張してね』

「なんでです?」

『天界でも魔界でも、ランドドラゴンのテールスープはコース料理の一品になるくらいの品よ。ユフィークトのダンジョンは深いから、おそらく縄張り争いで負けた方が上層に上がってきたのではないかしら。そこそこの年齢だろうし、きっと美味しいと思うわ』

「それはいいですね。……でもカウラは食べられないでしょう?」

『そうだね、作ったスープを少し刀身に流してくれればいい。デュランに天上の美味を味わって欲しいのよ』

「寿命、延びたりしません?」

『うーん、少しくらいは延びるかもね? 何しろ、ドラゴンの生命力が詰まったスープだから』

「何年くらい?」

『そうね。ほんの二、三百年くらいかしら』

「却下」

『なんでぇっ⁉』


 微妙に常識のズレた相棒の言葉を退けながらも、天上の美味と言われた味には興味を惹かれるデュランである。


「寿命が延びない程度に味わってみるのはいいかもしれないなあ」

『そしたら味も落ちちゃうわよ!』

「とはいえ、寿命が四倍に延びても困るだけですしねえ……ううむ」


 ふたりは歩きながら、どうしたら味を落とさず、寿命もそれほど延ばさずに済ますことができるかを議論するのだった。

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