イレイザーの仕事
昨日まで登呂寿司だった場所は、「小料理屋サエ」になった。
登呂寿司を目的にやってくる客も、店の看板が変わっているため踵を返して行ってしまう。閑古鳥の鳴く店内で、大将とタヨは獲物がかかるのをじっと待っていた。
「俺が的を弱らせる。あんたが仕留めろ」
「はい。パープルレイン」
「俺は引退する身だ。その名で呼ぶのはやめてくれ。ここら辺じゃ大将かマサって呼ばれてる」
昼時が過ぎて場外が閑散としてきた頃、そいつは現れた。
✳︎
「ちゃちぃ店だなぁ」
乱暴な引き戸の音が店内に響く。
帽子をかぶっているが、キツネ目ですぐにわかる。岩井千吉。
「いらっしゃいませ」
婆さんが小料理屋の店員よろしくお茶とおしぼりを持っていく。
千吉はカウンターの真ん中にどかっと座った。
「婆さんよぉ、俺は飯を食べに来たわけじゃねえ。ちょっとビジネスの話をしにきたんだ。
見たところ、この店は全然流行ってねぇ。昼時にこの店を観察させて貰ったが、客の1人も入らねぇ。
大繁盛とはいかなくても、せめてもうちょっと客がつかないとこの先厳しいんじゃねぇか?」
「はぁ……ですが、そんな急にお客さんは増えませんし」
「それがあるって言ったら、どうよ?」
千吉が婆さんに身を寄せる。婆さんも興味津々といった風に耳を傾ける。
予定通りだ。俺も聞きたいフリしてカウンターから千吉の隣へ移動する。
ちょうど婆さんと2人で千吉を挟むように。
「どういうことだ?」
「俺は日本で指折りのジャーナリストなんだよ。俺の書く記事を欲しがってる雑誌は山ほどあるのさ。tanchuに東京ウォーキング、Cazaとかな。
そして俺が紹介した店は必ず繁盛する。それくらい俺の書く記事には力があるのさ。」
「ど、どうすれば、、その……」
「ふん、まぁ〜〜このくらいかな」
千吉は手のひらをパーにして両側に向ける。
「ご……50……!」
「はぁ!? 0が一個たりねぇよ!客呼びたいんだろ?安いもんだろうが!!」
———その一瞬。
ガンと鈍い音がして千吉が消えた。いや、カウンターの椅子ごと後ろに倒れている。
気づけば婆さんがいない。
「くっ……何しやがる!!」
千吉は起き上がって大将に殴りかかる。が、目に何かを入れられて前が見えない。
「えぁ!?ああああああぁぁぁぁぁあ!!!!!」
左手にクナイのようにワサビのチューブを握った大将が、涙をばたばたこぼして動けない千吉を見つめている。
右手で千吉の首を掴み、そのまま壁に押し付ける。
「お前、ビジネスとやらを持ちかける相手間違えたなぁ」
無理矢理口を開き、ワサビを流し込む。
こんなもんか。くそっ、どこいきやがったあの婆さん。
大将はちっと舌打ちして新人を呼びつける。
「婆さんどこだ!?なにやってる!!」
「後ろですよ」
千吉を抑えたまま振り返ると、枕を持った婆さんが立っていた。
「そのまま抑えといてください」
婆さんはゆっくりと壁を蹴りながら回転し、徐々にスピードを増す。枕を軸に、とうとう独楽のようにぎゅんぎゅんと高速回転になった。
「離れて!」
ドゴォォォ!!!!
凄まじい音と共に、婆さんが壁を蹴って千吉目掛けて飛んできた。膝がみぞおちに、枕は千吉の顔面から喉にかけてをすっぽり覆っている。窒息、だけじゃない。首の骨も折れている。
「坊や、ねんねの時間だ」
婆さんが離れると、千吉はぐしゃりとその場に崩れた。
大将が首筋の脈を確かめる。
「———終了だ。お疲れさん」
醤油のボトルを動かない千吉に向け、十字を切る。死体にムラサキの雨。
婆さんの攻撃は2発。
カウンターでの1発と、トドメの1発。恐ろしく速い。
「お前、本当に新人か?」
婆さんはカウンターで茶を啜り、素知らぬ顔でふぅと息を吐いた。
「仕事終わりの一服は、また格別ですねぇ」
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