第1章 春の嵐

第1話 遠雷

「ほう、はるばる海を越えてわしに会いに来るとは光栄なことだな」

 絢爛たる毛皮のコートに身を包み、純金の装飾を施した豪奢ごうしゃな椅子にふとじしの体を沈めた男は、言葉とは裏腹にまるで興味がないといった様子で頬杖をついて、たった今入ったばかりの報告を聞いていた。


 彼の後ろには、精緻な刺繍が施された真紅のベルベットのカーテンが掛かる。煌びやかな装飾で縁取られた天井には極彩色の絵画が描かれ、眩いばかりに輝く巨大なシャンデリアが吊り下げられている。


「それで目的は何だ?金をたかりに来たか?それとも島の女では飽き足らぬとて、パリの女を漁りに来たか?」

 ヒャヒャ、と男は卑猥な笑い声を上げた。首の周りにたっぷりと付いた贅肉が小刻みに震える。

 なんたる品の無さか。ミシェル・ネイは心の中で舌打ちをした。

 だが言葉に出す訳にはいかない。目の前に座るこの男こそ、彼の主君であり、伝統と格式を誇るフランス・ブルボン王朝の玉座を継ぐ、国王ルイ18世なのである。



 フランスの歴代国王にはルイを名乗る者が多い。その始祖は千年の昔、フランク王国のルイ敬虔王にまで遡る。ルイ18世で18人目ということになるが、うち1人は正式には国王ではなかった。

 先の革命で断頭台の露と消えたルイ16世には、ルイ・シャルルという息子がいた。

 ルイ・シャルルは、革命により成立した共和制下のフランスで幼くして幽閉生活を強いられたが、国外に亡命していた王党派貴族は、ルイ・シャルルが正当なフランス国王であると主張し、彼をルイ17世と呼んだのであった。

 幽閉されている間、筆舌に尽くしがたいほどの残虐な扱いを受けたルイ・シャルルは、哀れにもわずか10歳で亡くなったが、生き残った王族の中には逃亡先でブルボン王朝復活の機会を執念深く狙い続けた者がいた。

 その王族こそ、いまネイの眼前で玉座に鎮座するルイ18世であった。


「そういえば以前、奴に幾許いくばくかの金をやると言うてやったことがあるような気がするわ。よもや奴が施し物を欲するとは思わなんだゆえ、とうに忘れておったがな。貧すれば鈍すとはよく言ったものよ。かつての誇りもかなぐり捨てて、わしの足元にすがりついて来るとはの」

 国王は、侮蔑を込めた笑い声を上げ、周囲の家臣たちもそれに同調した。


「恐れながら申し上げます」

「何だ、いったい」

 他人をあざ笑うという、この上ない楽しみに水を差され、国王はあからさまに不機嫌な視線をネイに向けた。

「あの男が欲しているのは金ではなく、まして女でもないと思料いたします」

「では何を欲しておるというのだ。よもや、わしから玉座を奪おうというのではあるまいな」

「玉座など、あの男には幼児の玩具に等しきもの」

 無遠慮な物言いに国王の目つきが険しくなったが、構わずネイは続けた。


「あの男が……ナポレオンが欲するのは……」

 ネイは玉座の国王を見上げた。


「ヨーロッパを再びその掌に収めることにございましょう」

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