5-私と私が私を見ている

 目を覚ますと、見慣れない天井が広がっている。

「ここは……そっか……」

 頭に花を咲かせた少女、ルーナは上半身を起こして伸びをする。

 そうだ。自分はギーネに村に生えた木について調査してもらうためにケジャキヤまで来て、この宿に泊まっているのだった。

 寝起きの気分はそんなに良くなかった。上を見上げると、木の板を並べた天井が目に映る。ルーナの真上の辺りにある木の板の模様がなんだか人の顔に見える。気分が優れない原因はこの木の模様だろうか。それとも……。

「……」

 ルーナは昨日のことを思いだす。彼女がケジャキヤに来たのには、もう1つ理由があった。手紙のやりとりが途絶えてしまった友人、ドクトールを探すこと。医者になると言っていた彼の言葉を信じ、手始めに病院から探すことにした。

 ケジャキヤの飲食店で働く少女、ユキの助けも借りて、ドクトールは思った以上にあっさり見つかった。

 だが、彼は記憶を失っていた。

 あっさりと見つかったと思ったら、あっさりと希望を潰された。ルーナの知っているドクトールはどこにもいなかった。

「……仕方のないこと、だよね?」

 全ては悲しい事故だった。誰も悪くない。悪がいるとすれば、彼を襲った魔物だ。だからこれは仕方のないことだ。

「焦ってもしょうがないよね。待つしかないんだから……」


『本当に?』


「⁉」

 唐突だった。

 頭の中で声が響いた。

『本当にそう思ってる? ドクトールやスズシロ院長、ユキさんに言ったみたいに大丈夫って思ってる?』

 それは、自分と同じ声だった。自分と同じ声、いや、自分の声が頭の中に響く。まさか、自分がこんな考えを持っているというのか?

『本当は記憶喪失だって聞いて苦しかった。もしかしたらあの場で1番苦しかったのは自分なんじゃないかしら。違う?』

「違う。私はそんなこと考えてない……!」

 頭の中に溢れる言葉に対して、ルーナは言葉を口に出して反論する。無意識に思い浮かんだ考えを無理矢理否定するように。

『無理しなくていいよ。頭の中で考えるだけなら誰にも迷惑はかけないよ』

 声は諭すように頭に響いた。

 ……。

 ……。

 ……考える。

 ……思い出す。

 ……ショックだった。悲しかった。残念だった。理不尽だった。目の前に軽々しく転がってきた事実というヤツに言葉に表せないようなぐちゃぐちゃでどろどろな、汚れた色をした感情が沸き起こった。

 だが。

 目の前には自分に向かって頭を下げて謝る男が1人。その隣では「彼を責めないでくれ」と必死に願う被害者の姿。

 何も言えなかった。頭では事故だったと分かっていても、何か言いたいことがあったはずなのに、何も言葉が浮かばなかった。

 そして私は、上っ面の笑顔で「大丈夫」と言うしかなくなった。思ってもいない言葉を言うしかなかった。状況が、ルーナに1つの選択肢しか与えなかった。

 悲しい。辛い。苦しい。

 思考が汚れた色に染まっていく。

「……ッ!」

 反射的に、思い出したように、ルーナは宿の部屋に置いてある自分の荷物の中から小さな袋を取り出すと、袋の口を開けて鼻に近づける。

「……すう、はあ」

 そのまま深呼吸をする。しばらくすると、ルーナは落ち着きを取り戻していた。

 袋の中に入っているのは、アルカ草と呼ばれる植物。気持ちを落ち着かせる匂いを発する植物で、麻酔の材料にもなっている。

『そうやって、慌てたように袋に顔を近づけて息を吸ったり吐いたりしてると、危ないお薬に手を出してるように見えてこない?』

「やかましい」

 ルーナは頭に響く声をなんとか黙らせようとする。

『気分転換に外に出てみない? どのみち研究所の調査結果を待たなきゃだし、折角ケジャキヤに来たんだから観光しないと損だよ?』

 しかし、頭の中に声は響く。考えないように、気にしないようにしようとすると、余計に気になってしょうがなくなってしまうように。

『とにかく外に出てみましょうよ。昨日は飲食店と診療所にしか行ってないんだから。もうちょっと観光らしい観光というのをしましょうよ? ねえ?』

「うるさい」

 考えを振り払うように頭を横に振るう。

『ねえ? ねえ?』

「うるさいってば」

『ねえ? ねえ? ねえ?』


 次の瞬間、ルーナは自分の頭を部屋の壁に思い切り叩きつけた。ドンッ! と鈍い音が部屋に響く。


「……」

『ねえ?』

「……うるさい」

 だが、声は止まない。自分という存在はこうも思い通りならないものだったのか。

『ねえ? ねえ? 外行こう?』

「うるさ……」

「おい! 隣の部屋の奴! うるせえぞ!」

 もう1度、頭の中の声を振り払おうとしたところで、隣の部屋から壁越しに怒鳴り声が飛んで来た。

「す、すいませんでした……」

 そりゃあ壁に頭突きなんてしたらそうなるよなあ……。


 これ以上部屋にいても仕方がないので、ルーナはとりあえず外に出ることにした。決して隣の部屋の人が怖かった訳ではない。

 さて、どうしたものか。

『気を取り直して観光しましょう? いつまでも怒られたことを気に病んでいても仕方ないわ?』

「誰のせいだと思ってるのよ」

『心の声にわざわざ口を開いて返しちゃう自分のせいじゃないの?』

「黙ってて」

 はあ……と、ため息をつくルーナ。自分の思考というものがこうも厄介だとは思わなかった。これではただの独り芝居ではないか。周りから見たらブツブツ何を独り言っているんだアイツと思われること間違いなし。そんな自分になんだか嫌気がさして、ルーナはもう1度ため息を吐いた。

 こうしていても仕方がない。うるさい自分の声に従うのもなんだか癪だが、気持ちを切り替えて観光がてら、ケジャキヤの街並みを見て回ることにしよう。とはいえ、小さなギーネ村からさらに少し離れた森に住むルーナがケジャキヤの観光地など知るはずもない。本当にただただ歩くだけだ。

「あ、ルーナさん」

 あてもなく街中をぶらついていると、後ろから声をかけられた。

「ユキさん」

 振り返ると、買い物カゴを片手に持ったユキがこちらに向かって手を振っていた。ここ最近、彼女とばったり出くわすことが多い。

「お買い物ですか?」

「ええ。料理の材料を買い足しにいくんです。ルーナさんは、何してるんですか?」

「いや、私は特にすることもないので町をテキトーに見て歩いてるんです」

「そうなんですか?」

 ルーナがそう言うと、ユキは嬉しそうにポンと手を胸の前で合わせた。

「だったらルーナさん。ちょっと付き合ってもらえませんか?」

「へ?」


 ユキに連れられて来たのは集合商店というケジャキヤの名物の1つだった。様々な種類の店が1つの建物に集まった巨大な店の集合体。もしかしたらギーネ村よりも広いんじゃないかと思えるような建物の大きさにルーナは圧倒される。

「卵が1人1箱まで半額で買えるんですけど、ルーナさんがいれば2箱半額で買えちゃいます!」

 お1人様1箱まで半額! と書かれた紙が貼りつけてある卵コーナーで、ユキはホクホク顔で卵を買い物カゴの中に入れる。

「なんて強かな……」

 そんなユキの様子をルーナは苦笑いで見ていた。

「いやあ、付きあわせちゃってすいません」

「いえ、どこに行くかも決めてませんでしたし、こういった大きなお店はいろいろなモノが見れて楽しいです」

 ギーネ村で店といえば、行商人か小さな出店しかない。こういった巨大な店は初めてで、なんだかんだルーナも楽しんでいた。

「えーと、次は……お肉ですね。行きましょう」

 卵コーナーから肉コーナーに移動する。

 惣菜のパックのような透明な箱に入った肉が並んだ商品棚の下には「3割引!」や「2割引!」と書かれた紙が貼ってある。ルーナにはよく分からないが、ケジャキヤのような大きな店だとこうした割引も多いのだろうか。

 そんな中で一際目を引くのが「限定50袋! ケジャキヤ山岳ボスタ肉が半額!」と書かれた紙だ。人気があるのか、商品棚にはあと1つしか残っていない。

「へえ、珍しい肉なのかな?」

 ユキがそう呟きながら肉の入った箱に手を伸ばすと、横から現れた手とぶつかってしまった。どうやら、隣にいた客も最後の1箱を手に入れようとしたようだ。

「あ、すいません」

「いえ、こちらこそ……ってあら、貴方達は昨日の?」

 お互いに謝ると、相手が不思議そうに声をあげる。

「え? 昨日?」

 ユキとルーナが相手の顔を見ると、そこにいたのは、ナナクサ診療所の受付のお姉さんだった。

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異世界適応力 灰色平行線 @kumihira

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