3-心のヒビと心残りの日々
「……ここは?」
「あ、ロクトさん。気がつきました?」
ロクトが目を覚ますと、天井と、覗き込むユキの顔が見えた。首を動かして周りを見てみる。ここは旅館の一室か。
「ユキ? えっと、何がどうなって……? さっきまでユグドラと戦ってたと思うんだけど……」
「覚えてないんですか? 戦いの後、ロクトさん倒れちゃったんですよ?」
「倒れて……?」
「はい。その後ルーナさんやお医者さんに怪我の治療をしてもらったんです」
ユキに言われて、ロクトは自分の体の所々に包帯が巻かれていることに気付く。
「薬草のエキスを包帯に染みこませて、巻いている部分の傷の治りを早めるらしいですよ。医療って凄いですね。あ、果物持って来てるんで食べますか?」
「ああ、食べようかな?」
ユキは部屋のテーブルの上に置いてあった皿から果物を1つ掴み取ると、ナイフで皮を剥き始める。
「入院に果物って物語の中では定番ですよね」
「別に入院する訳じゃないんだけどな」
ユキは果物の皮を剥いて、食べやすいように切り分ける。つまようじを刺せばお見舞いの定番から体に良いオヤツ代わりまで、なんでもこなす簡単フルーツ盛りの完成だ。果物を切って皿に盛るだけ。レシピ要らずの手間要らず。胃にも家計にも優しいそんな一品。
そんな果物を食べながら、ロクトはユグドラとの戦いの後、どうなったのかをユキから聞く。
「ユグドラの消滅後、ガショウさんはしばらく気を失っていたんですけど、ロクトさんが目覚める少し前に目を覚ましました。今はあの自称神様が何時からガショウさんに憑いていたのかを調べるために警備隊の取り調べを受けています。旅館は怪物も植物も消えたことでなんとか運営できるようになりましたけど、シャンプーを浴槽にぶちまけたせいで夕方まではお湯の処理のため温泉の男湯は使えないようです。あとは……ごめんなさい」
突然、ユキは頭を下げる。
「ユキ?」
「私のせいで、こんな怪我を負わせちゃって……」
「それは違う。ユキのせいじゃない。怪我をしたのは自分の不注意のせいだ。それに俺は守るのが仕事だから。誰かを守った結果の傷なら誇りこそすれ怒ったりなんてしないさ」
そう言ってロクトは笑う。
「ああ、でも、離れた相手に何もできなかったのは我ながら情けないな。やっぱり俺も魔術とか使えるようになった方がいいのかな?」
「ロクトさん……」
魔術。
自分も自衛のために魔術くらいは使えた方が良いのだろうか。なんてユキは考える。思えば、ユキが何かに巻き込まれる度にロクトに助けてもらってきた気がする。
この世界で最初に目覚めた時、右も左も分からない状況で魔物に襲われたユキをロクトは助けてくれた。それがロクトとの出会いだった。この世界で1番最初に出会い、この世界で1番最初に助けられた。
それから奴隷商や強盗、ジオベル、そしてユグドラ。ユキが危険に巻き込まれる度にロクトは助けてくれた。
それが当たり前のことではないことは、よく分かっている。自分が目立った怪我をしていないのは、決して必然でも運命でもないことは、よくよく分かっている。だからこそ、何度も自分を助けてくれるロクトには感謝してている。だが、何度も何度も助けてくれるが故に、その度に彼が傷つくことに悲しみを覚えてしまう。自分のために、自分のせいで彼が傷つくことが耐えられない。そのための、ごめんなさい。
そんなユキにロクトは「ユキのせいじゃない」と言ってくれる。ロクトならばそう言ってくれるであろうことは、ユキには分かっていた。
分かっていても、謝りたかった。分かっているからこそ、どうにかしたいと思った。だけど、魔物、人間、神様、この世界には化け物が多すぎる。怖がって震える心を武者震いだと自分を騙して、なんとか立ち上がっても、結局最後には誰かに助けられる。
魔物にしても人間にしても、この世界には怪物が多すぎるのだ。現実世界でコンビニのバイトをして停滞した日々を過ごしていた自分がどれだけ恵まれていたか、そして、この世界でいろんな人に助けられている自分がどれだけ恵まれているか、いくら自覚しても、ユキの考えが甘いのだ。
異世界というのは優しいけれど、それ以上にユキにとって厳しかった。
「おや、目が覚めたようですね。ロクトさん、調子はどうですか?」
果物を食べながらロクトと話していると、ハルフリングが部屋に入って来た。
「ええ、少し痛みますが動けないって程ではないです。明日にでも護衛任務に戻れそうですよ」
「あれだけ血を流したというのに、たくましいですね。元気そうでなによりです。そうだユキさん、お連れの方が探していましたよ?」
「え?」
「ユキさんよりも背の小さい少女でした。確かジエルさんといいましたっけ?」
「分かりました、行ってみます。ありがとうございます」
ユキは礼を言って、ロクトに別れを告げて部屋を出る。
廊下を歩いていると、タイミングよくジエルと出会った。
「あ、ユキ! 探したわよ!」
「ああ、ジエルさん。どうかしましたか?」
「観光に行きましょ!」
「はい?」
ユキは思わず聞き返してしまった。
「なんだか大変なことになっちゃったけど、それも解決したんでしょ? だったら観光に行きましょ! ルーナちゃんも誘ってあるから皆で観光よ!」
ユグドラの件で頭から抜けていたが、そういえばミツキゴンダには旅行で来たのだった。そして知らない内にジエルとルーナが友達になっていた。今朝出会ったばかりだというのに、ユキの周りにはコミュニケーション能力の高い人が多い。
「さあ! 疲れた心に栄養を与えるのよ! 部屋でじっとしていても意味なんてないわ!」
ジエルはユキの手をとって歩き出す。こうやって手を引いてくれる人がいる。恵まれた自分の環境に感謝こそすれど、罪悪感を抱くのは何かが間違っている。ジエルを見てそんな風にユキは思う。
優しいけれど、厳しい。厳しいけれど、優しい。そんな異世界。
自分のために体を張ってくれたロクトに対して、ユキが言うべき言葉は決して「ごめんなさい」なんて言葉じゃなかった。自分の手を引いてくれる仲間達に対して、ユキが言うべきは決して、謝罪の言葉などではない。
「……ありがとうございます」
「ん? ユキ? 何か言った?」
「フフ、いえ、なんにも」
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