3-草燃えてあかるき人の意思の上に

 大浴場の中、先に動き出したのはユグドラだった。

 腕を上に掲げて9つのトゲを出現させ、ハルフリングに向かって飛ばす。向けられた9つの先端が一斉にハルフリングに襲い掛かる。

 ハルフリングは燃える左手を横に振るう。すると目の前に巨大な炎の壁が形成され、9つのトゲはハルフリングに届く前に焼き尽くされてしまう。

「今度はこちらからいきましょうか」

 そう言いながらハルフリングは左手から炎の玉を作り出すと、ユグドラに向かって飛ばす。

「ぬるいわっ!」

 ユグドラ叫びながらトゲを1つ作り飛ばす。炎の玉とトゲはハルフリングとユグドラの間でぶつかり、小さな爆発を起こして消えた。

 ハルフリングは気にする様子もなく再び炎の玉を作り出す。今度は3つの炎の玉を作り飛ばす。

「ぬるいと言っておろうがっ!」

 ユグドラもトゲを3つ出現させ、炎の玉にぶつける。爆発が起こり、炎の玉もトゲも消える。

 ハルフリングはもう1度、炎の玉を作り出す。今度は9つ。

「学習しないな! 何度やっても同じことだっ‼」

 叫びと共に、ユグドラは9つのトゲを出現させる。飛ばした9つの炎の玉とトゲがぶつかり合い、大きな爆発を引き起こす。


 同時に、バンッ!という爆発音と共に、赤く燃える炎が爆発の中から現れ、ユグドラへ向かって突き進んだ。


 まるで弾丸のように真っ直ぐな線を描き、炎はユグドラにぶつかり全身を焼き尽くそうとする。

「ギイイイイィィィィィッ⁉」

 悲鳴のような叫びをあげながら、ユグドラはすぐに浴槽の中へ突っ込み炎を消す。

「き、貴様ァ‼ 何をしたァ⁉ こ、この人間風情がァ‼」

 顔を怒りに歪ませてユグドラは叫ぶ。

「神様を自称するわりには、随分と心に余裕がないんですね」

 ハルフリングは変わらず無表情のままだ。

「最初から見せていたハズなんですが、1つの物事に集中しているとどうにも他がおろそかになるようで」

 そう言いながらハルフリングは右手に持った銃の銃口をユグドラに向け、引き金を引く。すると爆発音が響き、銃口から炎が飛び出す。炎は凄まじい速度で突き進み、線を引いてユグドラへと向かっていく。

「くっ……!」

 ユグドラは炎の線を体をひねって躱す。

「さすがに、意識していれば躱されますか」

 ハルフリングは動じない。

「誰でも同じ魔術が使えるようにするための魔装武器ですが、開発責任者のジオベルさんが捕まった後でも開発は進められています。この銃はその試作品といったところですね。弾を飛ばすためではなく、弾に込められた魔力を前方に撃ち出すための銃。真っ直ぐにしか飛ばせませんし、弾に組み込んだ術式を発動しているだけですから威力の調整もできませんが、銃から撃ち出す分、魔術の速さはなかなかのものでしょう?」

 そう言いながらハルフリングは銃の引き金を引く。2発、3発と銃口から炎が飛ぶ。

「調子に乗るなよ! 人間があああああッ‼」

 ユグドラは浴槽の中に両腕を突っ込む。すると、浴槽のお湯が盛り上がり、ユグドラの体を包みこんだ。お湯はハルフリングの撃ち出した炎も飲み込み消してしまう。

『死ねッ! 皆まとめて体に穴を開けてくれるわ‼』

 お湯を纏っているせいで言葉を発せないのだろう。ユグドラを纏っているお湯が振動したかと思えば、口を開いてもいないのにユグドラの怒り狂ったような叫びが大浴場の中に響く。

 ユグドラはお湯を纏ったまま再び空中に浮かび上がる。1つの大きなお湯の玉の中でユグドラは腕を広げて9つのトゲを玉の周りに出現させる。すると、浴槽のお湯が浮かび、現れたトゲを包みこんだ。

『貴様の炎もこうすれば問題あるまい! 諦めて死ねえ‼』

 ユグドラは腕を振るってお湯を纏った9つのトゲを飛ばす。

「炎の壁では意味がありませんね……」

 ハルフリングは自分の額に汗の小さな粒がついているのに気付く。表情にも声にも表さないが、内心では焦っていた。

 急いで銃を制服の中にしまうと、ハルフリングの右手も炎を生み出し燃え上がる。燃える両手で10の炎の玉を生み出す。半分の炎の玉を先に飛ばし、トゲが纏っているお湯を蒸発させて消し去ってしまう。一瞬遅れてもう半分の炎の玉を飛ばし、お湯の鎧を失ったトゲにぶつけ、トゲを消し去る。だが、これで消したトゲは5つ。4つのトゲがハルフリングに迫る。

「おおおおおああああああああああッ‼」

 次の瞬間、ハルフリングの前にロクトが飛び出し、剣を振るう。4つのトゲはお湯ごと切り裂かれ、トゲは光の粒となって消え、お湯はその場に落ちる。

『この、死にぞこないめがアアアアアアァァァァァァッ‼』

 ユグドラがお湯を震わせて叫ぶ。

「ロクトさん。助かりました」

 ハルフリングがお礼を言うと、ロクトは頷く。

「助けられたのはお互い様です。ところで支部長、ユグドラのお湯の鎧、支部長の魔術で蒸発させたりできませんか?」

「難しいですね。トゲに纏っていたお湯程度なら、なんとかなりますが、ユグドラの纏っているお湯は量が違う。蒸発させるには炎をぶつけ続けなくてはなりませんし時間もかかります。蒸発させるまでに新しいお湯を纏われるのがオチでしょう」

 ハルフリングは首を横に振る。ここは大浴場だ。お湯、というか水分などいくらでもある。

「実は、ユグドラのお湯を攻略する方法を思いついたんです。といっても俺じゃなくてユキがですけど」

「ユキさん、ですか? しかし、本来彼女は我々が守る立場の人間ですよ? それを戦いに参加させるなど……」

 ハルフリングは横目にちらりとユキを見る。ユキは真剣な表情でハルフリングを見つめる。頼み込むように。

「……いいでしょう。状況が打開できるなら何でもやりましょう」

「ありがとうございます」

 ロクトはお礼を言いながら片腕を自分の背中に回し、合図をする。


 直後、ユキが走り出した。


『小娘エエエェェェッ‼ 誰が勝手に動いていいと言ったアアアァァァッ‼』

 お湯の玉を震わせ、波立たせ、ユグドラは叫ぶ。口は開かずとも、顔はこれ以上ないくらいに怒りに歪んでいる。

 トゲを出現させ、お湯を纏わせ、ユキに向かって飛ばす。

「させるかっ!」

 ユキを守るようにロクトがユキとトゲの間に走り出てトゲを斬る。

 その隙にユキは何かを掴むと、高く高く放り投げた。高く高く投げられたソレはユグドラの真上まで飛ぶ。

「支部長! 今です!」

 ロクトが叫ぶと同時にハルフリングは素早く銃を取り出し引き金を引いた。銃口から飛び出した炎が線を描いてソレを貫く。

 ソレは何かの容器だった。炎に撃ち抜かれ、破壊された容器の中から白い液体によく似た何かが飛び出し、下にいるユグドラへと落ちる。

 そして、落ちた白い液体のような何かがユグドラの纏うお湯に混じり、お湯が白く濁った瞬間だった。


「ぐ、ああああああああああアアアアアアァァァァァァッ⁉」


 自分を守るお湯を弾き飛ばし、ユグドラは叫びをあげる。テレパシー的なものではなく、口を大きく開いた声による叫びを。

「目、目が、アアアアアアァァァァァァッ‼ な、何をしやがった貴様らァ‼ 何を投げたア‼」

「シャンプーだよ」

 目を押さえて叫ぶユグドラにロクトは静かに答える。

「アンタ、お湯を纏ってからは言葉を伝える時に口を開かなかったな? もしもアンタの纏っていたお湯が、自分の外側に膜を張るような種類のものだったとしたなら、口を開いて直接話せたハズだ。それに、ずっと見ていて分かったが、アンタの髪の毛が水中みたいにフワフワしてたからな。お湯の中に潜っているんだってのが分かった。だったら後は簡単だ。そのお湯の中に例えば洗剤なんかを混ぜれば、後はどうなるか分かるよな?」

「そして、お湯の鎧が消えたとなれば、こちらの攻撃も届くということです」

 ロクトの言葉を引き継いでハルフリングは口を開き、同時に銃口をユグドラに向けて引き金を引く。

 ガンッ‼ という爆発音と共に、飛び出した炎が目を押さえて悶えるユグドラに当たり、その体が燃え上がる。

「濡れた体ぐらいなら、どうということはありません。燃え尽きなさい」

「ぎやあああああアアアアアアァァァァァァッ」

 ユグドラは熱から逃れようと反射的に浴槽へと飛び込む。

 同時に、ロクトがユグドラに向かって走り出す。

「待ってたよ。アンタが下に降りてくるのをさあ‼」

 降りてきたユグドラに向かってロクトは剣を振るう。

 その瞬間、ユグドラの頭上に魔法陣が現れ、中から旅館を徘徊する怪物によく似た、花の頭と植物のつるを編み込んだ体の生物が姿を現す。

「な、何いっ⁉」

 ロクトの剣がユグドラに当たる直前で止まる。同時にユグドラ、いいや、ガショウの体はピクリとも動かなくなり、浴槽の中に倒れた。

「く、くそっ! こんな体もういるか! なんとか逃げ出して……」

「なるほど、貴方がユグドラの本体という訳ですか」

 飛びあがろうとした植物の怪物の頭を、ハルフリングが左手で掴む。

「少し劣勢になるとすぐに怒り狂って叫ぶ。神様と呼ぶには随分と精神面が不安定で頼りないとは思いませんか?」

「き、貴様ア‼ 神を侮辱するかア‼ 矮小で弱小で卑小な人間に分際でえええ‼」

 叫ぶユグドラにハルフリングは表情を変えない。

「貴方がいくら人間を悪く言ったところで、貴方自身が強いことにはなりませんよ。何より、例え神様だろうと貴方のように自分勝手にミツキゴンダを荒らした者を私は決して許しません」

 淡々と、しかし底冷えするような声でそう言った後、ハルフリングは左手を燃え上がらせる。

「ぎ、ギヒイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィッ‼」

 ユグドラの体が燃え上がり、断末魔と共に光の粒と化して消えた。

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