3-異界の神

「異界の神? ユグドラ? 何を言って……」

「キヒヒ、お前には分からんだろうな。この世界には存在しない神の名だ」

 困惑するロクトにユグドラは見下したように笑う。

「……ユグドラシル?」

 ユキが呟く。

「ユキ?」

「ふむ、やはり異界の者か……」

 戸惑った様子でユキを見るロクトに、満足した様子で見つめてくるユグドラ。


 ユグドラシル。

 北欧神話に登場する大樹。日本語では世界樹、宇宙樹などと呼ばれたりもする。北欧神話の『ここのつの世界』に根を張り、3つの魔法の泉があるという。


「アスガルズ、アルフヘイム、ヴァナヘイム、ニダヴェリール、スヴァルトアルフヘイム、ミズガルズ、ヨトゥンヘイム、ニヴルヘイム、ヘルヘイム、九つの世界ではまだ足りぬ。やはり神話の内側の世界ではダメなのだ。だからこそ、神話の外側へと手を伸ばしたのだ。外側の世界を我が配下に加え、我が力をさらに高めるために‼」

 叫びながらユグドラは両手を高く上に掲げる。1つだけだったトゲが、2つ、3つと数を増やして最終的に9つまで増えたトゲがこちらを向いていた。

「さあ! 新たな力を手に入れる前に邪魔者にはご退場願おうか!」

 叫びながらユグドラは両腕を前に振るう。同時に9つのトゲが一斉にユキとロクトへと飛んでいった。

「ユキッ‼」

 ロクトは反射的にユキを抱きしめながら後ろへ跳ぶ。大浴場の床を転がり服が濡れるが、そんなことを気にしてる暇もない。

「ふん、やはり簡単にはいかぬか」

 さっきまで2人がいた場所に大きな9つのトゲが連続してぶつかっていく。床に突き刺せる程の強度はないらしく、床にぶつかった勢いでバウンドした後は、その場に転がるだけとなった。

 床に散らばる人の頭部ほどの大きさのトゲを見て、ロクトは息をのむ。大浴場の石の床に傷はつけられなくとも、人間程度の強度ならば簡単に貫いてしまうのだろう。

「ユキ、立てる?」

「え、ええ、なんとか……」

 ロクトはユキを支えながら立ちあがらせる。トゲから守るためとはいえ無理矢理押し倒すような方法をとったが、どこにも怪我や痛めた部分がないようでひとまず安心といったところか。

「キキ! ヒ! キヒヒヒヒ! まだまだ終わりではないぞ!」

 ユグドラが両手を上に掲げれば、またしても空中に9つのトゲが現れる。そして腕を振るえば、またしても9つのトゲが一斉に飛んでくる。

「うおおおおッ‼」

 ロクトは気持ちを奮い立たせるように叫び、前に出て剣を振るう。ここでしくじれば自分だけではなく後ろのユキまでどうなるか分かったものではない。素早く、正確に、だけど勢いをつけて、剣を振って振って振り続けて襲い来るトゲを斬る。斬って真っ二つにされたトゲは怪物と同じように光の粒と化して消えた。

「やるなあ! 凄いなあ! 強いなあ! だがまあ、どのような褒め方をしても『人間にしては』という前置きが付いてしまうのだがね?」

 ユグドラもまた腕を振るう。腕を振るえば振るう程、トゲが現れては飛んでいく。ロクトも負けじと剣を振るう。これならいける。そう思った。

 しかし、ただトゲを飛ばしているだけのユグドラと、そのトゲを1つも仕留め損ねることのないように斬っていくロクトでは肉体的にも精神的にもかかる負荷が違う。数分間に渡る攻防、ロクトが疲れたような表情を見せ始めた時、ユグドラはまだまだ余裕と涼しい顔をしていた。

「底なしかよ……そのトゲ。魔術で作ったにしてもタフ過ぎるだろ。どれだけの精神力があるってんだ」

 悪態をつくロクトにユグドラはニヤリと笑う。

「バラの咲き誇る庭にいったいどれだけのトゲが生えているかなど分からんだろう? 魔術だろうと発動する気力がなくなれば打ち止めになるが、膨大な数の前には無限も有限も、ましてや数字の違いなど差にはならぬよ。といっても、無知な人間には分からぬ例えだろうがね」

 効かないなら効くまで撃てばいい。ほとんどゴリ押しと変わらないような方法ではあるが、ロクトには十分に効いていた。

 そして、ユグドラは手を上に掲げて、9つのトゲを作り出す。ロクトは剣を構えなおす。そこで始めて、変化があった。

 ユグドラが手を振る。トゲがロクトとユキに向かって飛んでいく。ロクトはトゲを斬り落とす。トゲが光の粒と化して消える。そして……。

「ロクトさん! 後ろッ‼」

 後ろからユキの悲鳴のような叫び声が聞こえた。


 次の瞬間、ロクトの背中に2つ、両腕に1つずつ、合計4つのトゲが突き刺さった。


「……は?」

 突然の痛みと衝撃に、ロクトは目を丸くする。そして、持っていた剣を床に落としてしまった。

「罠とは、こういう風に仕掛けておくべきなのだろうな。床を見てみたまえ」

 満足そうに笑いながら、ユグドラは目線を下に下げる。ロクトが周りの床を見てみれば、トゲが5つ転がっていた。

 それは、ユグドラが最初に飛ばしてきたトゲだ。ロクトが剣で斬らずに避けたことによって地面に残ったトゲ。ユグドラはそれを再利用したのだ。

「2度目に飛ばしたトゲを斬る際、前に出ただろうう? そのせいでいくつかのトゲはお前の視界の外に出てしまった訳だ。前から飛んでくるトゲに気をとられたお前を後ろから不意討つなど、造作もないことよ。それに……」

 言いながらユグドラは指をパチンと鳴らす。すると、床に転がっているトゲも、ロクトに刺さっているトゲも、光の粒となって消えてしまう。

「ッ‼」

 それと同時にトゲによって塞がれていたロクトの体の怪我が開き、体から血が流れる。

「これで、戦いを長引かせる訳にもいかなくなっただろう? お前はあとどれくらいで気を失うかな?」

「この野郎……‼」

 笑みを浮かべるユグドラが憎たらしい。ロクトはユグドラを睨みつけながら剣を拾う。

「ロクトさん……」

「大丈夫だ。すぐに終わらせるさ」

 不安そうに見つめてくるユキに笑顔で返事をするが、ちゃんと笑顔を作れていたか分からない。それだけ今の状況はロクトにとって不利だった。敵から受けた傷を無視したとしても、相手が空中に浮いているという状態ではロクトの剣が当たらない。ロクトは魔術を使えないため、敵からの攻撃を防ぐしかないのだ。

 応援が来るのを待とうとも考えたが、出血している状態ではそれも厳しい。逃げるにしても、大浴場の外には怪物達がいる。

 さて、どうしよう。神を自称する目の前の敵よりも、旅館を徘徊している怪物の方がまだ難易度は低いのではないだろうか。一か八か、ユキを連れて逃げてみるか?

「そんな手負いの状態で逃げられると思っているのかね? というか、逃がすと思っているのかね?」

 ユグドラが腕を広げると、周りに9つのトゲが現れる。

「折角見つけた体なんだ。このまま乗っ取らずに終わらせると思っているのか?」

 そして、腕を前に振るえば9つのトゲは一斉にロクトの方に飛んでいく。ユキを狙ったトゲは1つもない。さっさと殺してからゆっくり体を乗っ取ろうという算段なのか。

「ぐ……おおおおおッ‼」

 痛みと出血で上手く力が入らない腕を無理矢理動かし、ロクトは剣を振るう。だが、負傷した体で全てが自分に向けられたトゲを斬るのは難しい。斬り損なった1本のトゲがロクトの右のももに刺さる。

「ぐう……!」

「ここまでのようだな? 頑張ったのではないかね? 人間にしては・・・・・・

 そしてユグドラは指を鳴らす。そうするだけでトゲは消え、ロクトの右腿から血が流れだす。

「さあ、終わらせようか」

 ユグドラは笑いながら次の9つのトゲを出現させ、腕を振るう。ロクトに向かって一斉にトゲが飛んでいく。


 次の瞬間、巨大な炎の壁がロクトの前に現れ、トゲを全て焼き尽くした。


「……はあ?」

 ユグドラは首を傾げる。頭とアゴに人差し指をつけ、顔を横に90度傾ける様子はコミカルにも映るが、表情は明らかに不機嫌を表していた。

「公共施設、それも温泉で騒ぐとは、どんな神経をしているのですか? 子供じゃないんですから」

 そんな淡々とした声と共に入って来たのは整った髪型に無表情、赤い制服。

「温泉は皆のものです。貴方1人のものではないんですよ? ガショウさん?」

 外円警備隊ミツキゴンダ支部支部長ハルフリング。彼は無表情にユグドラを見つめていた。

「……温泉に服を着たまま入って来るような者に言われたくはないがね? それと我が名を呼ぶ時はユグドラと呼んでもらおうか?」

「なるほど、ユグドラさんですか。言っていることはごもっともですが……」

 ユグドラの返事に対し、ハルフリングは左腕を広げ、手を大きく開く。

「それこそ、温泉で暴れるような者に言われる筋合いのないことです」

 そう言うと同時に、ハルフリングの左手が真っ赤に燃えあがった。表情は変わらず無表情。だが、燃える左手からは、怒りのような感情が伝わってきた。

「今の私は旅館の従業員の代わりとして、貴方を討ちましょう。それなら、私が服を着ていても何も問題はないでしょう?」

「妙なところで真面目にならないでください支部長」

 思わずツッコミを入れるロクトをハルフリングはちらりと見る。

「ロクトさん、騎士団である貴方に、ましてや負傷してる人間に仕事を与えて申し訳ないのですが、貴方はそちらのお嬢さんを守ることに専念してください」

「言われなくてもそのつもりです」

 ロクトが頷くと、ハルフリングは再びユグドラを見つめる。

「では、ユグドラさん。始めましょうか」

「ふん、何人現れようと同じよ。矮小で弱小で卑小な人間が、偉大で強大で絶大なる神に勝てるとでも思っているのかね?」

「ならば、その思いあがった神に説明してあげましょう」

 ハルフリングは燃える左手をユグドラに向け、燃えていない右手を制服の中に入れる。

「外円警備隊の支部長がどれくらいの実力なのか、じっくりと、時間をかけて、授業するとしましょうか」

 そう言ってハルフリングが制服から取り出したのは、1丁の銃だった。

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