3-変貌の侵食
「キキ、ヒヒ、ヒヒヒヒ? なんだ小娘。随分と早起きですな?」
目を赤く光らせたガショウは昨日とは違った甲高い声でユキに語り掛ける。体を動かす度にパキパキと小さな枝が折れるような音が鳴っている。
「ようやくこのジジイの体を動かすのにも慣れたってんでもっと動かしやすいお花の嬢ちゃんに乗り換えようとしてんのに、邪魔してくれちゃってさあ? 全く、おかげで殺す人数が増える結果となりそうですな」
ガショウが持つ赤に汚れたナイフがギラリと鈍く光る。
「ゆ、ユキさんッ‼ 逃げてッ‼」
「ッ‼」
ルーナが叫ぶのとユキが動き出すのは同時だった。
ユキは部屋の入り口前に置いてあったゲタの片方を掴むとガショウに向かって思い切り投げつける。そんなゲタをガショウはナイフを持っていない方の手であっさりとキャッチしてしまう。
ユキはもう片方のゲタも投げてそのまま廊下に出て走り出す。
「キッヒヒヒヒ‼ 鬼ごっこをしようというのかね? 子どもは遊びたいお年頃ですかな?」
ガショウもゲタを捨ててナイフを握りユキを追いかけ走り出す。
「ほおらほおーら! 逃げないとナイフが中に入っってしまいますなあ! キーヒヒヒヒイ‼」
実に楽しそうな声がユキの後ろから響く。ちらりと後ろを向けば、ガショウが笑いながら追いかけてきていた。余裕綽々。明らかに手を抜いた走り方。彼は完全に楽しんでいた。
「くそ……どうする……⁉」
当たり前のことだが、ユキはこの旅館の内部構造に詳しくはない。ロクトを頼ろうにも彼がどの部屋に泊まっているのか分からない。泊まっているとしても、ルーナの護衛なのだから当然ルーナの部屋の近くだろう。こうして部屋から逃げ出してしまっては意味がない。警備隊はそもそも泊まっているのかすら分からない。ミツキゴンダ支部というのなら支部の方にいるのかもしれない。
「はあ……はあ……‼」
息が荒くなってくる。『俺の料理屋』の仕事で多少はマシになっているとしてもユキの運動能力はもともと低い。体力もなければスピードもない。体育で強制的に運動をさせられていた高校を卒業してから約3年。バイト以外では家でダラダラし続け半分引きこもりのような生活を送っていたツケはそう簡単には返せない。
「んんー? どうしたのかね? もうへばってきたのかね? 最近の子どもは体力が無くていけませんなあ! キヒ! キヒヒヒーイ‼」
さらには後ろから追いかけてくるガショウからは煽られる始末。走って回らない頭では何か策を考えることもできない。
「ああッ⁉」
走る方に意識を向けていなかったせいか、角を曲がろうとした瞬間に足がもつれて転んでしまう。
「いっつつ……」
運よく足をひねったりはしなかったが、床に激しく体をぶつけたせいで所々が痛む。
「おっとお、追いついちゃいましたなあ? それじゃあそろそろ終わりにするとしますかなあ? キヒ、ヒヒ、ヒ、ヒヒーヒヒヒ‼」
高笑いをしながら楽しそうにユキの前に立つガショウ。ナイフを逆手に持ち、腕を振り上げる。
次の瞬間、ガショウの後ろから火の玉が飛んで来てナイフを持つガショウの手に当たった。
「ああっつう⁉」
それまで不愉快な程に余裕の笑みを見せていたガショウの顔が焦りに歪む。慌てて腕を振り手から熱を逃がそうとする。
「そこで、何をやってんだ? アンタ」
低くワイルドな声が聞こえてくる。ガショウが振り向くと、そこにいたのは大きな2本のツノと赤い体。
「ウチの従業員に何してんだって聞いてんだよテメェ‼」
怒りによって口から炎と化した息が漏れながらサラマンダーが叫んでいた。
「キ? ヒヒ? ヒヒヒ? 熱い……手が熱い……熱いじゃねえかよう⁉」
ふざけたような甲高い声ではなく、ガラガラの暴力的な叫びをあげながらガショウはナイフを前に突き出しながらサラマンダーに跳びかかる。
「はあっ‼」
そんなガショウに向かってサラマンダーは口を大きく開く。その瞬間、赤く燃える炎の息がサラマンダーの口から放たれ、ガショウの体を飲み込んだ。
「あづっああああああ⁉」
熱さによってガショウの動きが止まる。
「だらあっ‼」
そのままサラマンダーは拳を握ってガショウの顔面に叩き込む。ガショウの小さな体が床に叩きつけられ、バウンドする。
「キ、キヒイ⁉ な、なんなんだコイツ⁉
突然現れた龍に、バウンドから着地したガショウは慌ててサラマンダーに背を向けて走り出す。ユキの横を通り過ぎてどこかに逃げ去ってしまった。
「ユキぃ! 大丈夫か! 怪我してないか⁉」
ガショウの姿が消えたのを確認してサラマンダーはユキに近づく。
「ええ、なんとか……」
ユキは立ち上がって体を軽く叩いて汚れを掃う。
「にしても、アイツはなんだったんだ?」
「ガショウさんですよ。昨日話した」
「嘘だろ? だったらなんでソイツがユキを襲うんだよ?」
「私にだって分かりませんよ。ただ、昨日会ったガショウさんとは雰囲気が違うなとは思いましたけど」
ユキはガショウが走り去った廊下を見つめる。ガショウにいったい何があったのか。それとも、あれがガショウの本性だったのか。
「ところで店長はどうしてここに?」
「ああ、寝てたら隣の部屋のルーナとかいう花人の嬢ちゃんに叩き起こされてな? ユキが危ねえって言うから部屋の外に出て見りゃあ、廊下の曲がり角で本当に危ねえ状況になってるもんだからよ。ビックリしたぜ」
「はあ、それでルーナさんは?」
「花人の嬢ちゃんなら騎士団と警備隊を呼んでくるってよ」
ルーナは無事だったようだ。ひとまず安心といったところか。あのままガショウが追いかけて来なければルーナはナイフに刺されて死んでいたかもしれないと考えるとゾッとする。実は随分と危ない賭けをしていたのかもしれない。
「なんだか事件のニオイがしてきたなあ? 旅行といえば事件だけどよ、当事者にはなりたくなかったよなあ?」
サラマンダーが複雑そうな顔でポリポリと頭をかく。ユキとしても運がないと言うしかないのだが、こういった旅館での事件といえば何かトリックが使われて密室になっていたりして、事件を解く探偵役が現れたりするものではないだろうか。どちらかといえばゾンビとか殺人鬼が登場する映画みたいな事件だなと考えてしまうあたり、やっぱりユキは漫画かライトノベルの読み過ぎだろう。
「そういや慌てたもんだから寝間着で部屋から出ちまったんだよなガハハ」
サラマンダーに笑いながらそう言われて気が付いた。やたらプリティな薄いピンクのパジャマを着ているではないか。廊下を見れば、うるさくしたせいで何事かと宿泊客達が次々に部屋から出てくる。
「と、とりあえず部屋に戻りましょう。ここにいたら恥ずかしいです」
「そ、そうだな。戻るか」
「なるほど、朝起きたらガショウさんが急におかしくなったと」
「はい。あれは私の知ってるガショウさんではありませんでした」
ハルフリングの言葉にルーナが頷く。
ユキとサラマンダーが部屋に戻った後、ルーナとロクトとハルフリングの3人が部屋に入って来たのだ。
「全員、部屋から出ないようにしてください。緊急事態ですので」
突然の来訪とハルフリングの言葉に場の緊張感が高まる。ユキが襲われ、サラマンダーがガショウと戦ったため、同じ部屋のジエル、ヒルマ、ステラの3人にも危険が及ぶと考えたハルフリングは全員を同じ空間に集めることにしたのだ。
そして今、被害者のルーナに対してハルフリングが取り調べを行っていた。
「ふむ……ガショウさんの変化に心当たりはありますか? ないとは思いますが一応仕事として聞いておかなければならないものですから」
「心当たり……変化の心当たりはないですけど……そういえばガショウさん、ちょっと気になることを言っていました。確か『この体を動かすのに慣れてきた』とか私の体に『乗り換える』とか」
ルーナの言葉にユキはルーナとガショウの部屋に入った時のことを思いだす。目に映った光景が衝撃的過ぎてよく覚えていないが、言われてみれば確かにそんなことをガショウは言っていたような気がする。
「まるで乗り移ったかのような言い草ね。ありえないとは言えないのが厄介なところだけど」
今までの話を聞いていたジエルがそう言いながらちらりとステラを見る。ステラは元々人間だが、現在は魔物の体に精神が入っている。彼女の存在が精神の移動を証明してしまっているのだ。乗り移りがあってもおかしくはないだろう。
「とりあえず、警備隊に旅館を警備させましょう。とにかくまずはガショウさんを見つけないことにはどうしようもありませんからね」
そう言ってハルフリングは部屋を出て行く。「危険ですのでロクトさん以外はなるべく部屋から出ないように」と付け加えて。
それから数時間後。
「2枚組です」
「残念、3枚組だ」
「私も3枚組よ!」
「私も3枚組ですね」
「ギイ」
「あらあらあら、色揃いよォ」
「ふっふっふ、そう来ると思って俺は! まあ、組無しなんだけど……」
部屋から出る訳にもいかないので、皆でテーブルを囲んでミツキゴンダに来る時に使っていた4色カードで遊んでいた。こんな状況の時にと思わないでもないが、心に余裕を持つためでもある。
そうして時間を潰していると、ダッダッダと廊下を走る音が聞こえてきて、ドンドンと荒々しく扉を叩く音が聞こえてくる。
「皆さん! 無事ですか⁉」
乱暴に扉を開けて慌てた様子の警備隊の男が息を切らしながら部屋の中に入ってくる。
「何か、あったんですか?」
「急いで旅館から出てください! ここはもうきけ……」
ロクトの質問に警備隊の男が答え終わらない内に、ソレは唐突に現れた。
警備隊の男を後ろから殴りつけ、警備隊の人はその場にうつぶせに倒れる。
「あぐっ⁉」
頭を抱えてうずくまる警備隊の人。そこにいたのは植物のつるを編んで作ったような体を持ち、花のような頭を持った人型の怪物だった。
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