3-勇者の苦悩

 イーベルがまだ勇者と呼ばれる前のこと。彼がまだ騎士団に入団しておらず、遊んで勉強する普通の子供だった頃のこと。

 彼は王都ケジャキヤから遠く離れた所にある小さな村に父親、母親、妹と共に住んでいた。年の離れた兄のドーベルはこの頃から既に騎士団に入団しており、ケジャキヤに稼ぎに行っていた。イーベルもまた、兄のような騎士になることを夢見て剣術や魔術の勉強をしながら日々を過ごしていた。彼は他の人よりも生み出せる魔力の量がずっと多く、小さい頃から魔術の才能があった。真面目で物覚えがよかったので家族や村の人からも、大きくなったら立派な騎士になるだろうと言われていた。

 ある日、村を魔物の大群が襲うという事件が起こった。村に蓄えてある食料を狙ってのことだったが、その事件には不可解な点があった。

 村を襲った魔物の大群は数種類の魔物によって構成されていたという点。違う種類の魔物が混ざった集団であったにも関わらず、まるで人間の軍隊のように統率された動きをしていた点。そして、魔物達を指揮する1体の白い魔物がいたという点。

 本来ならば協力し合うハズのない違う種類の魔物達が連携して襲い掛かってくる。その異様な光景に村人達はなす術もなく逃げ惑い、村の自警団、村に派遣されていた騎士達も魔物の侵攻を抑えることが出来なかった。

 イーベルも同じだ。イーベルがどれだけ周りから期待されていようと、どれだけ剣術や魔術の勉強をしていても、この時点では彼はただの子供に過ぎないのだ。大層な肩書きもなければ経験もない、ただの無力な子供だ。だから彼も他の村人達と共に逃げるしかなかった。

 村から少し離れた場所にある緊急避難用の施設まで逃げたところで、村人達は逃げ遅れた者がいないか確認する。幸いにも食料が目当ての魔物達はこちらから近づかなければ人間など全く気にしていなかった。

 村人や派遣されていた騎士達の数を数えてみると、1人足りなかった。イーベルの妹がいなかったのだ。

 次の瞬間、イーベルは周りが止めるのも聞かず、1人村まで走っていった。他のことなど頭の中からすっぽ抜けて、イーベルはただ妹のために走り続けた。

 村に着いてイーベルは妹の名を叫んで、必死に妹を探した。その行動が食料を食べていた魔物達の興味をこちらに向けてしまうものだということにも気付かずに。

 自宅に戻ってみると、妹は部屋の中で小さな体を震わせていた。イーベルが呼びかけると妹は鳴き声をあげながら抱きついてくる。よほど怖かったのだろう。

 そして、妹をおぶって避難所に逃げようと自宅を出たところで、イーベルは絶望した。周りを何体もの魔物が取り囲んでいたのだ。

 そして、イーベルの前には、真っ白な4つのハサミを持ったカマキリが立っていた。

 絶望。幼い子供には十分過ぎるものだっただろう。こちらを見つめる無数の目が、いつ悪意をむき出しにして襲ってくるか分からないのだから。


 そんな絶望に耐えきれず、救いを求めた小さな少年は心の底から叫んだ。その瞬間、彼の中から『何か』が溢れだした。


 イーベルが走り去ってから避難所にいた村人達は、村の方角から空に向かって伸びる光を見た。

 それからしばらくして、村に派遣されていた騎士達が村の様子を見に行くと、そこには無数の魔物の死体がそこら中に転がっていた。ほぼ全ての魔物が体の1部を消し飛ばされており、その凄惨な光景に正体の分からない何かが潜んでいるのではないかという恐怖を感じながらも、騎士達は村の中を調べていく。

 そして彼らは見つけた。血みどろの中で気を失っているイーベルとその妹を。


「何が起こったのかはイーベル本人も記憶がないために分かっていない。騎士達が知っているのは、1つの村を多数の魔物が襲い、その魔物達を指揮していたのが『テトラフォリア』と呼ばれる魔物だということ。イーベルが妹を助けるために単身村に突入し、何があったかは分からないがその後魔物達は全滅していたということだけだ」

 ドーベルは苦い表情で語る。

「その、テトラフォリアってどんな魔物何ですか?」

 魔物という存在についてほとんど知らないため、ちょっとした興味として聞いてみたユキだったが、ドーベルはアゴに手を当てて考えた後、困ったように頭をかきながら口を開いた。

「実を言うと、テトラフォリアについて分かっていることはほとんどない。奴の生態についても何1つ分かっちゃいないんだ。そもそも村が襲われた事件以降、その姿が確認されたという報告は1度もない。事件の当事者の話や騎士達が持ち帰った奴の死体を調べて分かっているのは虫型の魔物であるということ、奴には他の魔物を操る手段がありということ、少なくとも基礎魔術は使えるだろうということぐらいだ」

 つまり魔物の中でもレア中のレアということらしい。この世界の歴史の中でただ1度だけその存在を確認された魔物というとカッコイイかもしれない。

「そのテトラフォリアがケジャキヤ大森林で確認されたらしくてな。目撃した騎士の話によると魔物を集めて決起集会のようなことをしていたらしい。まったく、人間にでもなったようだ」

 そこまで話してドーベルはふうと息をつく。

「なあ、ロクト」

「はい?」

「イーベルを、弟を助けてやってはくれないか?」

 そう言ってドーベルは頭を下げた。

「ドーベル、さん?」

「アイツは、イーベルは妹を救うため、たった1人で魔物の群れの中に突っ込んだ。その日からアイツは『勇者』と呼ばれるようになった。元々騎士になるのが夢だったアイツは、事件を経てますます騎士になろうという思いを強くした。必死に勉強して、史上最年少で騎士団に入るまでになった。そうなると今度は『騎士団期待の星』という呼び名がついた。そうした周りの期待感や大事な人を失いたくないというイーベル自身の恐怖心がアイツの心を縛り付けていった。自分は強くて凄い奴でなければいけないという義務感に捕らわれてるんだ。そんな今のアイツがテトラフォリアに勝てるとは思えん。だが、イーベルはテトラフォリアに勝負を挑むだろう。勇者の義務としても、イーベル個人の恨みとしても。だからロクト、お前にイーベルを助けてもらいたい」

 苦しそうな顔でそう言うドーベルの言葉にロクトは少し戸惑った。

「どうして、俺なんですか?」

「お前が今のイーベルに1番近い場所にいるからだ。どういう訳かイーベルはお前を自分のライバルにしようとしてる。お前になら自分の背中を任せられると思ったんだろう。他の奴に助けられても、今のイーベルの心は動かせない。自分はまだまだだと、より一層自分の心を締め付けてしまう。同じ立場に立てるお前じゃなきゃダメなんだ! 頼む! 兄としても、アイツを救ってやりたいんだ‼」

「……分かりました」

 もう1度、ドーベルは頭を下げる。

 とりあえず了承したものの、ロクトにはどうすればいいのか分からなかった。自分がイーベルのライバルになるなんて、ロクトにはどうしても考えられなかった。経験も実力も違うのに背中を任せられるライバルになどなれるハズもない。

 敵を倒すだけなら別にいい。だが、今イーベルを助けても、彼はまたこれからも苦しむだけだ。人の心の救い方など、ロクトには分からない。

「ロクトさんロクトさん」

 そんなロクトの制服の袖を、ユキがちょんちょんと引っ張った。

「ユキ?」

「イーベルさんの心も助ける方法、ない訳じゃありませんよ?」

「なんだって?」

 ユキの言葉にロクトだけでなくドーベルも驚きの表情を浮かべる。

「ほ、本当に助けられるのか?」

「確証はありません。でも……」

 きっと彼らなら大丈夫だろう。ユキは微笑んだ。


「背中を預けられる関係ってのは、ライバルだけじゃないってことです」

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