2-他人の嘘から出た真
生前、現実世界でユキが読んでいたネット小説では、死んだ主人公が異世界に転生する際、何か能力を神様からプレゼントされていた。強力な能力で異世界で大活躍する主人公。一見使えなさそうな能力を、知恵を使って活かしていく主人公。
自分の場合、貰ったのは言語に不自由しないサービスだけだった。転生者は誰もが持っている様なモノだ。女の体なんてむしろ欲しくなかった。別に自分が主人公だと言いたい訳ではない。ただ、実際に体験してみると、死んでも世の中そう上手くはいかないということを実感させられた。
もしも仮に、自分が神様から何かプレゼントされていたのだとしたら、それはきっと、この異世界そのものだろうと、彼女はそう思っていた。過酷な環境でもなく、前の世界とある程度似通った文化を形成しているこの異世界は過ごしやすい。都合の良い異世界を選んで転生させてくれたことこそ、能力の代わりに自分が神様から貰ったものだと、心の何処かでそう思っていた。そう思うしかなかった。
奴隷商に捕まるまでは。
「それじゃあ、大人しくしてろよ?」
そう言って男は何処かへと行ってしまう。男が去った後、場所も分からぬ牢屋の中で上半身をロープでぐるぐる巻きにされたユキはどうすることも出来ずにただただ牢屋の中をゴロゴロ転がっていた。あっちへゴロゴロこっちへゴロゴロ、右へゴロゴロ左へゴロゴロ。まるで短い距離をシャトルランするかのようにゴロゴロ転がり続ける。
転がり続けて『あれ?意外と楽しい?』と思えてきた辺りで転がっていたら何か柔らかいものにぶつかった。
「ん?」
柔らかいものが声を発する。
「んんー? ……ってうわ⁉ 誰アンタ⁉ ってかここ何処⁉」
芋虫のようにうねうね動きながらミユが起き上がると、そこには自分と同じように上半身をぐるぐる巻きにされた赤いくせっ毛の少女がいた。
眠っていたのだろう。突然の出来事に軽くパニックになっているようだ。
「えっと、ユキです」
「そ、そう、ユキね。アタシはジエル。ジエル・スペンシーよ。よろしく」
パニックになりかけるも、ユキの落ち着いた反応を見てジエルと名乗った少女は冷静さを取り戻す。
「にしても、アンタも運が悪いわね。こうして捕まっちゃうなんて」
「仕方ありませんよ。私が美しいのがいけないんです」
「その自信はどっからくるの?」
「……冗談です」
「本当に? アタシの反応見て答えなかった?」
そんな会話をしているとさっきの男が戻ってくる。今度は後ろに2人男がついて来ている。子分だろうか。
「食事だ」
男がそう言うと、後ろの2人の子分達が鉄格子の隙間から2枚の皿を入れる。皿の中には一口サイズに切り分けられた肉の塊が焼きたての香ばしい匂いを出していた。肉には何やら白い粉が振りかけられている。
「ん?もう1人の方も起きたのか。残さず食えよ?お前達はこれから奴隷になるんだ。健康体でないと売り物になんねぇからな」
「ふん、こんな見るからに怪しそうな粉がかかってる肉なんて誰が食べると思ってんの?」
そう言ってジエルは男を睨む。敵意のこもった目を向けられても男はニヤリと笑うだけだ。
「勘違いしてんじゃねえよ。それはただの塩だ」
「嘘つくんじゃないわよ! どうせ怪しい薬でアタシ達の判断力を鈍らせて従順な奴隷に仕立て上げようってんだろ⁉ 騙されるもんか! ユキ! アンタもこんな怪しいもの食べちゃ……」
そう言いながらジエルが振り向くと、ユキは皿に顔を近づけて肉を食っていた。
「ちょっとォ⁉ 何やってんの⁉ 早くぺっしなさいぺっ‼」
「あ、本当ですねコレ塩ですよ」
「……へ?」
恐る恐る肉を1つ口の中に放り込む。下で肉を転がしてみると、しょっぱい味が口の中に広がっていく。同時に辛さも口に広がる。胡椒だろうか。
「……本当に?」
「当たり前だろ。売る前に労働力の頭鈍らせてどうすんだ。判断力鈍らせたらそもそも仕事ができねえだろ」
戸惑うジエルに男はビシッと人差し指を突きつける。
「いいかッ! お前達を奴隷として売るまでに立派な仕事人間に教育してやるから覚悟しておけ‼」
「ええ……」
男の言葉にジエルはますます戸惑う。
「そ、そんな……仕事人間⁉ なんて恐ろしい……‼」
「アンタは何でそんなに慄いてんの?嫌か?そんなに仕事嫌か?」
震えるユキの姿に男は頷く。
「そうか、お前には分かったか。俺の狙いが」
「狙い……ですって?」
まさか自分達を仕事人間にすることに何かとんでもない意味が?自分の理解できていないことが今この場で起きているというのだろうか?そんな馬鹿な。だが、ユキの震えぶりは尋常ではない。
突然、まるでひそひそと囁くような声が聞こえてくる。男の後ろにいる2人の子分だ。
「ねえ聞いた? あそこの家のユキちゃんとジエルちゃん、働きもせずに1日中家でダラダラして過ごしているらしいわよ?」
「ええ、ええ、知ってるわァ。あの子達ったら結婚もしてないんでしょう? あのまま就職もせずにいつまでああやってグータラ過ごしてるつもりなのかしらねェ?」
手で口元を隠しながら子分達はヒソヒソと話す。
「嫌アアアアァァァァッ‼ 止めてエエエエェェェェッ‼」
ヒソヒソとひっそり聞こえてくる言葉にユキが絶叫する。目を見開いて『耐えられない』と言わんばかりにゴロゴロと転がって暴れ出す。
「ちょっ⁉落ち着きなさい‼ アンタ! 一体ユキに何したの⁉」
ジエルが男を睨む。男は邪悪な笑みを浮かべていた。
「分からないか? お前達はこれから何もせずただただ飯を食い続け、近所の人達の冷たい目と陰口に晒されながら過ごすんだよ。就職したくても牢屋の中じゃまともな就職活動なんか出来やしない。だけど周囲の目は常にお前らを見て噂する。ついでに言えば牢屋の中には娯楽もない。ただ食って寝るだけの生活だ。そのうち今の生活に耐えられなくなって『どんな仕事でもいいから仕事が欲しい』って自ら泣きついてくるようになる。そうなった時がお前達はどんな仕事でも喜んで受ける奴隷……仕事を生き甲斐とし仕事無しでは生きられない極端な仕事人間へと生まれ変わる時だ‼ダァッハッハッハ‼」
男は高笑いをする。自分の完璧な計画に酔っているのか、とても満足そうだ。
「嫌アアアアァァァァ‼ 就職は嫌ア! でも近所にヒソヒソ言われるのも嫌ア‼」
「ちょっとォ⁉ なんか最低な事言ってるわよアンタ‼」
恐ろしいことに、男の考えた方法はユキには効果テキメンのようだ。コイツは奴隷になった方がまだ人としてまともになるんじゃないかとすら思ってしまう。
「さあて、また晩飯の時間になったらご馳走を持って来てやるよ。近所の噂話と一緒にな。一体お前達は何日持つかな? 何日目で奴隷にしてくださいってお願いするだろうなあ?」
最後までニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべながら、男と子分2人は行ってしまった。
その瞬間、さっきまで狂ったように絶叫していたユキは何も無かったかのように叫ぶのを止めた。
「さて、男達も行ったことですし、脱出する方法を考えましょうか」
「切り替え早ッ⁉」
「当然です。こんなところさっさと逃げましょう。就職なんて死んでもゴメンです!」
「止めて! これ以上喋らないで! どんどんアンタが最低な人間になっていくから‼」
このまま漫才を続けていても仕方がない。まずはここから脱出することが先決だ。
「まずはこの拘束しているロープをなんとかしないと。腕が使えないと逃げきれないわ」
「そうですね。ロープは最優先課題でしょう」
そう言いながらミユが立ち上がると、彼女をグルグル巻きにしていたロープはあっさりほどけて地面に落ちる。
「え? それどうやったの?」
「なんか暴れてたら勝手に緩みました」
「ええ⁉ そんなのアリ⁉」
事実としてミユのロープはほどけている訳で。ジエルも無理矢理ロープを外そうとしてみるが、ロープはビクともしない。
「……全然ほどけないんだけど」
「相手側も人間を拘束するのは初めてなんじゃないでしょうか?私の方は力が足りずに少し暴れればほどけちゃうような結び方。ジエルさんの方は必要以上に強くきつく結んじゃったのでは?」
「何? アイツらアタシになんか恨みでもあんの?」
「奴隷商の立場から見ればほどけなくするのが普通だと思いますけど」
しかしながら、ほどけないのであれば仕方がない。とりあえずミユがジエルのロープの結び目をほどこうとする。
「あれ? 本当にきつ……すみません、無理です」
「諦めるの速いな⁉これからどうす……ん? これは……ちょっと待ってなさい」
そう言ってジエルが立ち上がると、ブチッという音がして、2つに分けられたロープが地面に落ちた。見ればジエルの右手にはナイフが握られている。
「これでよし……と」
「そのナイフは?」
「コレ? コレはアタシが護身用に服の袖に仕込んでるナイフよ。まさか没収されてないとは思わなかったけど、相手は本当に素人なのかもしれないわね。だけどこれなら牢屋からも出られるわ」
ジエルがナイフを振ると、牢屋の鉄格子の扉にかけられた錠があっさりと壊れる。
「さ、行くわよ」
ジエルが牢屋の扉を押すと、きぃ……と音を立てて扉は開く。
「……最初からナイフに気付いていれば、もっとスムーズに事が運んだのでは?」
「う、うるさいわね! 脱出できたんだからいいでしょ⁉」
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