1-私の名前
「ここです」
そう言ってロクトが指さしたのは、飲食店と思われる建物だった。店の壁に大きく『俺の料理屋』と名前が書いてある。
扉には『定休日』と書かれた看板がかけられていた。
「マーさん。いる?」
そんなことも気にせずにロクトは扉の鍵を開けて店の中へと入っていく。
「おう! ロク坊じゃねーか! 飯でも食いに来たか?」
店に入ったロクトが呼びかけると、店の奥から力強く男らしい声が返ってくる。
「いやー最近新メニュー考えててよ、何か良いアイデアねーか?」
そう言って店から出てきたのは、白いシャツのような服に黒いズボン。茶色のエプロンをつけて立派なアゴ髭を生やし、大きな2本のツノが特徴的な真っ赤な人型のドラゴンだった。
「紹介する。こちら、飲食店『俺の料理屋』の店長のサラマンダー」
「さ、サラマンダー……さん?」
マーさんのマーはサラマンダーのマーだった。
サラマンダー。火を操る精霊。手乗りサイズのトカゲ、もしくはドラゴンの姿をしているらしい。
あるいは両生類有尾目の動物の英名。日本ではサンショウウオ指すことが多いのだとか。
だが、女の前にいるのは小さなトカゲでもドラゴンでもサンショウウオでもない。ロクトや女なんかよりも大きくていかついドラゴンがこっちをじっと見ている。怖くてちょっぴり涙が出てくる。
「おい…ロク坊…」
「何? マーさん?」
次の瞬間、サラマンダーのパンチがロクトの顔面にぶち当たった。ロクトは吹っ飛び壁に体をぶつけ、倒れる。
「見損なったわ! 母ちゃんお前はそんな事をする奴じゃないってずっと信じてたのに! よりにもよって……女の子誘拐するなんて⁉ 母ちゃん悲しいわよ‼」
「誰が母ちゃんだ⁉ 誤解だマーさん! その人は保護しただけで……」
「黙らっしゃい! 母ちゃん分かるんだからね⁉ 見てみなよこの子泣いてるじゃないの‼」
「だから違ェっつってんだろ! っつーかいつまで母ちゃんキャラでやる気⁉ 男らしい料理屋の店長でしょアンタ!」
起き上がって漫才のような言い争いを始めるロクトとサラマンダー。泣いているのは間近でドラゴンなんて恐ろしいモンを見たからだとは言えなかった。
「あ、あの、わ、私誘拐ささ、された訳じゃなくて、むしろ保護されたというか……」
とりあえず話を進めるためにも弁明をしなければ。
「うん? そうなのか? そのわりにゃあ随分と話し方がぎこちないが」
それは貴方の見た目が怖いからです!とは言えなかった。ついでに言えば知らない人と話すのが苦手なだけだ。それでもコンビニのバイト中は普通に受け答えできていたと思いたい。
「そうかそうか、まあ俺ァ信じてたよ? ロク坊は心の優しい奴だって。お前が誘拐だなんてそんな事するハズはねえって信じてたよ?長い付き合いだからそれくらいは目を見りゃあ分かるもんさ」
「だったら俺の目見て話してくんない?」
横を向きながら話すサラマンダーにロクトが詰め寄る。目を見るどころかぴっちり目を閉じてしまっている。
しかしながら、随分と遠慮のない話し方だ。親しい間柄と話す時というのはああいう感じなのだろうか。学校でも家でも碌に話さず、バイト先では敬語オンリー。そんな生前を過ごして来た女にはよく分からなかった。
「それでさマーさん。この人しばらくここに置いてあげてくんない? どうやら奴隷商から逃げて来たみたいでさ、俺これから騎士団に行って辺りの捜索を申請するから」
「そうなんか? 奴隷なんて今時珍しい。安心しな嬢ちゃん! 何かあれば俺が守ってやっからよ!」
「……はい、お願いします……」
もう誤解を解くのも面倒だった。諦めてこのまま奴隷キャラとしてやっていこうと女は思った。
「それで、お前さん名前はなんていうんだ?」
「えっと……」
そうサラマンダーに言われて女は口ごもる。結局は名前の問題に行き着いてしまうが、未だに思いついていないのだ。
女はオンラインゲームでなくとも、ゲームの主人公に自分の名前は絶対に使わないタイプだ。そもそもオンラインゲームは対人関係が怖くてやったことは1度もないが。
「ちょっとマーさん? あの子名前も持ってない奴隷だったんだからもうちょっとデリケートに扱ってあげて? あんなボロボロの服で諦めたような光のない目してるんだから分かるでしょ?」
「おお、スマン。確かにちょっと臭うもんな。ありゃデリケートに扱ってやらにゃ自殺しかねんもんな。だけどよ、名前がないんじゃ何て呼べばいいんだ?」
女が口ごもっているとロクトがサラマンダーの肩に手を回して女に背を向けさせる。2人して女に背を向けて話すが会話は筒抜けだった。果たして女は同情されているのかそれとも貶されているのか。どっちにせよ心は複雑だか同情だと信じたい。
「よし! 名前がないなら俺がとびっきりのを考えてやろう! うーんとよー……そうだ! ユキってのはどーだ?」
サラマンダーがグーとパーで手をポンと叩く。頭の上に豆電球でも見えそうだ。
「ユキ? なんでユキ?」
ロクトが首を傾げる。
「ホラ、北の方にミユキダフクってゆー年中雪が降ってる町があるだろ? ソイツの髪も雪みてーに真っ白だし、雪からとるのも良いと思ってな」
「はあ、なるほど」
「ユキ……」
先程漫才を繰り広げたわりには思いの外まともな名前だと女は思った。
偶然かどうか、漢字にすれば雪。日本語もカタカナにするとそれっぽい。
「どうだ! 嬢ちゃん! ユキ! 良い名前だろ?」
「じゃあ、それで」
即決だった。断る理由もないし、ここで駄々をこねれば変な名前にされる可能性もある。異世界にもキラキラネームってあるのだろうか。
「良い名前だと思います」
「そうか! そりゃあ良かった!」
「俺も良い名前だと思うよ」
「ホントかぁ? ロクトお前は話合わせようとしてるだけじゃねーのぉ?」
サラマンダーが笑う。ロクトも笑う。いつの間にか、女も笑っていた。
新たな名前を得ることで、ようやく異世界での第一歩を踏み出したように、男改め女改めユキは思ったのだった。
「とりあえず、着替え用意しておいてやるから体洗って来な」
「それ、遠回しじゃなくて直接臭いって言ってますよね?」
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