探索開始から7時間後

 探索中の館の窓から外を見る。夜の濃さをわずかに失い始めた空が、街並みの輪郭をうっすらと浮かび上がらせ始めていた。日の出はまだ先だ。しかし朝は遠くない。

 おそらく館を破壊する準備はほぼ整い終わっているはずだ。

 潮時か。

 そんな言葉が脳裏をよぎった瞬間、疲労が重く全身にのしかかってきた。不快ではなかった。ただ達成感と呼ぶにはあまりにも虚無的で、気力も体力も使い果たして自分の中が空っぽになったような気分だった。

 そうだ。空っぽと言えば。

 ふと思い出して胸元のペンダントを引き出す。こまめに発動を抑えてきたペンダントもわずかな光を残すだけとなった。異世界へ向かうのもあと1回が限度だろう。

 つまり彼に会うのもこれが最後になるということだ。


 扉をくぐると見慣れた部屋と見慣れた人影があった。

「世話になった」

「って、まさか賢者が見つかったのか!?」

 見慣れた食事をしている相手は驚きの声とともに立ち上がった。そうか。そう考えても不思議はないな。

「いや。時間切れだ」

「そっか。ペンダントの魔力か。あとどれくらい持つんだ? 1時間くらいか?」

「あと10分くらいだと思うが、時間切れというのはそういうことではない」

 そう。私が勝手に自分に課した任務という名の独断専行にはタイムリミットがあった。ペンダントの魔力はそれに足りれば十分という量を充填してきていた。

 本来の手順を踏まず、ばれないように慌てて持ち出してきたがために、限界まで魔力を詰めてくることは難しかった。こうして話せる最後の時間をもっともっと長く出来ると知っていたら、多少の危険は冒してでも……。

 いや、それは今更考えても詮無いこと。それよりももっと大事なこと、必ず伝えないといけないことがあった。

「今回の魔物出没の件は、その中心に賢者の館があると分かった時点で館を破壊する方向で話が進んでいた」

 事の経緯をあらためて説明する。

 この館を破壊する作戦が進行していること。夜明けには作戦が決行されること。その際の衝撃がこちらの世界まで及ぶ危険性を私が危惧していたこと。

 それを聞いた相手は「お人好しだな」と笑った。

 その言葉に私は首を振った。

 どっちがお人好しだ。

 この夜、初めて会った見ず知らずの私のために知恵を振り絞ってくれた。戦ってくれた。一緒に食事をしてくれた。抱きしめてくれた。

 命を懸けてくれた。

 全部、どれもこれも。

 言いたいことはたくさんあったが、その感情を言葉にすることができなかった。

 口をついて出たのは、当たり障りのない言葉と最後に伝えなくてはいけなかった忠告の言葉。

「違う。誰かのためではない。私が納得するかしないかだ。結局、破壊による解決は止められなかったしな。だから最後にお主に警告しに来た。明日は出来るだけ外出していることだ」

 そう。これだけを伝えるために来たんだ。

 これで終わりだ。

「そっか。サンクス」

 少し沈黙が流れる。

「その、なんだ」

 自分の口なのに、誰かに操られて勝手に動いたように感じた。何を言おうとしているのか自分でも分からなかった。

「えっと、出来ればでいいんだが、まあ、無理にとは言わん」

「何をだよ」

 えっ。

 なんだろう。

 私は何が欲しいんだ?

 相手を見る。

 困った様子でこっちを見ている。

「何かもらえないか」

 気づいたらそう言っていた。

 忘れたくない。

 忘れて欲しくない。

「こう、短い時間だが会えたのも何かの縁だ。せ、せっかくだから」

 この言葉に相手は困った様子で狭い部屋の中を見回して、部屋の隅に置かれていた小さな板を持ってきた。こちらの世界の言葉が書かれている。

 なんでも彼の名前らしい。

 口に出して読んだら、賢者殿の名前に似たその響きに相手が何やら呆れていた。私の世界の名前はあまりに多様性に欠けていると。

 この他愛無い会話がたまらなく名残惜しかった。


「おい、残り時間大丈夫なのか」

 相手の鋭い声に我に返る。慌ててペンダントを引き出す。

「つーか、日をまたいで来てるなら充電しろよ。そんなに曇り続きだったのか、お前の世界は」

 何を言っているんだ。

「探索に使えたのはたった一夜だ。もちろんとても屋敷全体を調査することなど出来ないと分かってはいた。だが納得はできた」

 そう付け加える。

 自分に言い聞かせるように。

 私は扉へ向かった。

 立ち止まる。

 背を向けたまま、最後の忠告を残す。

 顔を見たら何かが溢れ出しそうだったから。

「この夜のことは忘れない。明日は忘れずにちゃんと外出をしてくれ」

「待てって!」

 いきなり手をつかまれる。

「どういうことだ? 俺がお前と初めて会ったのは6日前だ」

 手から伝わる熱といきなり言われた言葉の両方に戸惑う。何を言われているのか分からない。

「初めて会ったのは……6時間前だ」

 別れの悲しみがどこかへ飛ぶ。混乱している私の言葉に相手は視線を落とし何やら呟いている。

 いきなり顔を上げた。

「1つだけ教えてくれ。賢者の名、クラコリチク・ドレボ・ドラゴッツィのドレボの意味はもしかして植物の『樹木』か?」

「え? ああ、その通りだ。『安定』や『信頼』という意味もあるが」

 意味も分からずに問われたことに答える。

 私の世界の言葉の意味をなぜ知っているのか。なぜそんなことを聞いたのか。なぜそれを今聞かなくてはいけないのか。考えがまとまらない私の前で、相手は部屋の壁際にある引き戸へと向かった。乱暴にそれを開くと、中にあるものを次々と床に放り出し始めた。

「本当にもう時間がないんだ」

 爪の先程度の明かりがかろうじて先端に引っかかっているペンダントを握りしめる。もしこのわずかな時間を使うことが許されるなら、伝えたい気持ちがあった。あることにようやく気付いた。いや、認めることができた。

「聞いてくれ、私はお前を」

「よし!」

 私の言葉を聞いてか聞かずか、満足そうにこっちに笑みを向けていた。その指の示した先にはフタが開いた細長い箱。その中には……

「とりあえず今日はこれを持って帰れ。何か分かったら、また来てくれ。ああ、でも出来る限り早くな。1年以上かかったら俺はおっさんになってるぞ」

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