探索開始から5時間後

「貴志殿! 直立歩行する狼だ!」

「ああ、そりゃ狼男だな。弱点は銀の武器だ」

 部屋に飛び込み、すぐに扉を閉じて叫んだ私に相手も戸惑うことなく慣れた様子で返事をする。ちなみにまた食事中だ。

「かたじけない! 申し訳ないがあの銀食器を出してもらえると助かる! 後は任せてくれ!」

 背後の扉が激しく揺さぶられる。狼男と呼ばれたあの魔物は、とてつもない腕力と俊敏性を持っていた。吸血鬼のときのように引き離すことも出来ず、先に扉へ飛び込めたのも運が良かったとしか言いようがない。

「そりゃ任せるさ。えーと……」

 食事中の椀を脇に置き、周囲を見回している。

「急いでくれ! 長くはもたん!」

 背中越しに衝撃が伝わってくるがトロールのときと比べればまだ一撃の重みは劣っていた。しかし、それ以上に私の体力も随分と消耗している。それに加えてもう1つ、長くは食い止められないであろう理由があった。

「言い忘れていたが、今回の魔物は……」

 板の割れる音とともに何本もの真っ白いナイフが私の顔の真横に生えた。

「……鋭い爪を持ってる」

 扉を貫いたそれはすぐに引っ込んだ。慌てて背中を扉につけたまま、地面に座り込み体勢を低くした。

「鋭い爪かあ。なんか、こないだの吸血鬼とカブってんなあ」

「なんの心配をしているんだ。それより銀の食器は!?」

「すまん、すまん、えーと……あっ」

 動きを止めた相手が、引きつった笑みを浮かべながらこっちをゆっくりと振り向いた。

「……銀食器、大家さんちに返しちゃった」

 嫌な予感が当たった。

「なんで?」

「いや、なんかお客さん来るから使うとかなんとか……って、しょうがねーだろ! 大家さんにはお世話になってるし、借りたもん返すのは当たり前だし、武緒さん可愛いし!」

「最後のは関係ないだろう!? 大体、誰だ、そのタケオとか……」

 さらに文句を言おうとしたとき、また狼男の爪が背後から頭すれすれのところに生えて引っ込んだ。

 一緒に怒りも引っ込む。

「分かった! 分かった、銀の食器はもう諦める! 他に何かこの魔物に関することで思い出せることは!?」

「えーと……」

 緊張の面持ちで次の言葉を待つ私。

 そして真剣な顔で相手が人差し指を立てた。

「満月の夜に変身する」

「なるほど」

 そういえば今日は満月だったな、と思い出す。そしてこちらの世界にも月があり、満ち欠けがあるのか、と気づかされる。

「……」

「……で?」

 固唾を飲んで次の言葉を待つ。

「え?」

「いや、……それで?」

 先を促す。

「いや、そんだけだけど」

「それだけでどうしろと言うんだ! 空の月の形を変えろとでも言うのか!」

「そんなこと言ってねえだろ!」

「くっ……」

 しょうがない。

 覚悟を決めた。

 勝てるかは分からないがこうなったら剣を交えるしかないと。

 そもそも今回の魔物の件についてゲートに関わっているとおぼしき賢者殿はともかく、この彼を巻き込む権利は私にはないのだ。大人しく剣で挑み、それで倒せなければそれまでだ。

 すでに扉の強度も限界に来ていた。逆に破壊するのも容易に思われた。このままこちらから全体重をかけてぶち破れば不意をつけるかもしれない。

「邪魔したな。色々と世話になった」

 剣を抜きながらこれが最後の会話になるかもしれないな、と気づき胸が締め付けられるような感覚に襲われる。しかしそんな私の様子にも気づくことなく、相手は何やら考え込みながらブツブツと呟いていた。

「……そうか、もしかしたら」

 気になったがもう時間がない。私は警戒しつつ腰を上げると、後ろ手にドアノブをつかんだ。

 そのとき。

 扉の亀裂から毛むくじゃらの黒い腕が突き出され、私の首を抱え込んだ。首当てのおかげで即座に窒息するようなことはなかったが、規格外の腕力を相手にどれだけもってくれるかは分からない。

 まだ動けるうちに、と脆くなった扉を向こう側へ押し破るために両足を踏ん張ったとき、叫びが上がった。

「待て! 逆だ!」

 それまで部屋の奥にいた相手が凄い勢いで駆け寄ってきて私を抱きしめる。

 え?

「えええええええ!? いや、た、貴志殿、それはそのダメじゃないけど、い、今じゃないと思うし、心の準備が……え? うあああああ!?」

 私の首に回された手は、腕を絡めている魔物ごと私を部屋の内側へと引き倒した。すでに限界寸前だった扉は私たち3人の重みにあっさりとぶち破られ、3人の体がもみ合いながら部屋の中へと転がり込む。

 窮屈な姿勢のまま、もがくように狼男が鋭い爪を振り回す。

「くそ、すぐにってわけにはいかねえか!」

 私を抱えたまま身をよじって魔物の攻撃をかわしつつ叫ぶ声が耳元で痛いくらいに響く。

「すぐに? 何がだ!?」

 振り向こうとした視界の端で狼男の白い爪が閃く。

 受け止めようとした剣は誰かの体の下敷きになっている。なんとか引き抜くが間に合わない。

 爪の切っ先が私の顔に。

「痛っ!」

 平手打ちを食らった私は頬を押さえた。

 あれ? 平手打ち?

「!?」

 目の前には体毛が急速に抜け落ち、ほとんどただの人間と化した敵がいた。爪が失われた自分の手を呆気にとられたように見つめている。同じく何が起きたのかよく分からない私の耳に、叱咤の声が飛ぶ。

「ボケっとしてんな! 動け!」

 弾かれたように体が動いた。

 考えるより先に、体に染みついた技術のままに握ったままだった剣を相手の喉元へ突き立てる。何が起きたのか理解できないという表情のまま、魔物は息絶えた。

 そして吸血鬼のときのように、その体はボロボロに崩れ去ってしまった。


「今夜こっちは満月じゃなかったからな。イチかバチか、こっちに連れてくれば力を失うんじゃないかと思ったんだけど、なんとかなったか」

「そうか……いや、それより、その」

 得意げに呟く声をすぐ耳元に聞きながら、ことさら平静を装いつつ告げる。

「助けてくれたのはありがたいが……そろそろ、離れてもらってもいいか」

「え? あ! す、すまん!」

 ずっと抱きついた姿勢のままだったことにようやく気付いたらしい。

 しかし慌てて離れようとした相手がギクシャクとぎごちない動きを見せる。

「いててて……!」

 どうやら無理な動きをしたせいで体を痛めたらしい。

「大丈夫か」

 心配そうに声をかけた私に苦笑を返す。

「運動不足だとダメだな。いや、つーか、むしろ、お前こそよくそんなもん着たままあそこまで動けるよなあ……」

「鍛えてるからな」

「さすが」

 感心したように何度も頷く相手の顔をまっすぐ見ながら、私は自分の胸元に手を当てて首をひねっていた。もう戦闘も終わって緊張から解き放たれたはずなのに、どうしてこの胸の鼓動は一向に収まらないのだろう、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る