探索開始から3時間後

 肩で押し開いた扉の中に体を滑り込ませ、そのまま背中で扉を押さえつける。幸い、今回は荒い息を落ち着かせる暇くらいはありそうだ。扉の向こうからはまだ何も聞こえない。それでも私は念のため、かんぬき代わりに手にしていた剣を床に突き立て、室内に向けて叫んだ。

「賢者殿はいらっしゃるか! 賢者ドラゴッツィ殿!」

「お前、分かってて聞いてるだろ」

 冷えた声が返ってきた。

 予想通り異世界へと通じていたその扉の向こうには、これまた予想通り賢者と思しき人物の姿はなかった。代わりにそこにはつい1時間ほど前に出会った異世界の住人が、さっきとほぼ同じ姿勢で、ほぼ同じような食べ物を口に運んでいた。違うのは身につけている衣類と傍らに置かれた白い箱くらいだった。

「ああ、貴志殿。こちらの世界の魔物に追われている。すまないが力を貸してくれ」

 平然と言い放つ私に、相手は何か言いたげな視線を向けてきたが、複雑なその思いは口にしていた異世界の食事と一緒に呑み込んだらしい。

「とりあえず飯食い終えるから、そのあいだに魔物の特徴とやらを教えてくれよ」

「外見は青白い肌をしている人型の魔物だ。剣で切りつけたがまるで岩を切りつけたようだった」

 相手は食事を続けながら、他にはないのか、と言いたげに目線だけで先を促す。

「他には、そうだな、爪が鋭い」

 ここでようやく食事を終えた相手はまだ心当たりがない様子だった。

「グールかなあ……なんかもっとこう特徴的な何かないの?」

「そういえば小さな空飛ぶ生き物に」

 変化していた、と伝えようとしたとき、背後から何者かに思い切り突き飛ばされた。鎧一式と手にした剣ごと宙に舞う。回転する視界の中で、人外の腕力であっさり扉を押し開けた魔物の姿が上から下へと通り過ぎ……

「ちょっと、そこどいて!」

 その叫びにあっさり身をひねって飛んできた私を避ける。

「あっぶね」

 背中からまともに壁へ激突した瞬間、息が止まる。咳き込みながら必死に起き上がった。涙目で息を整えながら脇に座り込んでいる相手に抗議をぶつける。

「あ、あのさ! こういうときホントにどく!?」

 しかし相手の視線は私の背後に釘付けにされていた。

「来るぞ!」

 背後からの鋭い一撃を頭上に掲げた刀身で受け止められたのは長い年月をかけて体に叩き込んだ動きのおかげだった。理性ではなく本能に近い何かだ。続けざまに襲い来る左右の連撃を床に転がりながら受け流し、相手の隙を待つ。焦れてきた相手の大振りな一撃を全力で弾き返し、ようやく立ち上がる。そのとき背後から声があがった。

「こいつは吸血鬼だ! 空飛ぶ小さな生き物ってのは多分コウモリだ! 弱点は銀の武器!」

「銀の武器!? そんなもの持ち歩いてるわけが……」

 焦りを隠せない私の声に魔物が白い顔にぞっとするとほど美しい薄い笑みを浮かべた。その口元に鋭い犬歯がのぞく。

「残念だったな。そのような安物の武器しか持てぬ下賤な身を呪うがいい」

 武器を構え直すも、返す言葉もなく唇を噛む。

 しかし。

「安心しろ。こんなことあろうかと大家から借りておいた」

 ちらりと見るとさっき足元に見えていた白い箱が開かれ、中に銀製の食器が綺麗にそろえられていた。

「ありがたい!」

「ちょっと待て! こんなこともあろうかと普通思うか!?」

 思わず叫んだ魔物の言葉に、妙に疲れた声が返る。

「あるんだよ。最近のこの部屋だとな」

「貴志殿! 構わん、その食器、すべて上に放り投げろ!」

 私の意図するところを知ってか知らずか、迷うことなく放られた全ての銀食器が宙を舞う。魔物が猛攻を仕掛けてきたが、弱点を看破された焦りからかそれまでの攻撃に比べると明らかに隙が生じている。

 武器を片手に持ち替え、相手の攻撃を弾きながら、頭上から降ってくる食器をもう片手で相手に1つ1つ投げつけた。飛んでくる銀の武器を爪で弾き落そうとするが、守りに回る必要がなくなった私の剣がその爪を弾き飛ばす。

 信じられないものを見るかのような目をした吸血鬼の喉元にナイフとフォークが次々と突き刺さり、次の瞬間、それは白い灰となって砕け散った。


 安堵のため息をついた瞬間、それまでの疲労がまとめてのしかかってきた。立っていることすらできず壁に寄りかかるように床に座り込む。私が目を閉じてしばらく息を整えていると、横から何か暖かいものが突き出された。

「まあ食えよ」

 紙のような素材で出来ているにも関わらずスープが溶け出さない容器から食欲をそそる匂いが立ち上る。来るたびに彼が口にしていた食事だった。

「最後のシーフード味だ。とっておきだぞ」

「いや、好意は嬉しいが遠慮させて頂く」

 飢えていると思われるのが恥ずかしくて断った。

 そんな私の意志とは無関係に腹が鳴る。自分の顔が上気するのが分かった。

「……いや、その、違うんだ」

「違わねえよ。誰だって腹は減るさ」

 あらためて容器が突き出される。仕方なしにそれを受け取った。

「ありがとう」

 私の感謝の言葉に、相手は自分用にもう一つ容器を開けながら首を振った。

「そりゃこっちのセリフだよ。お前、俺を庇いながら戦ってただろ。つうか、さっきのアレすげえな。何? 騎士って投げナイフの練習とかもするの?」

「いや、普通はしないが、義父の勧めで隣国へ修行のために出向くことがあって……」

 そして私の武者修行の旅のことやら、彼の振る舞ってくれたインスタントラーメンと呼ばれる食事の作り方やら、そんな他愛無い会話をしながらの食事は、これまでに食べたどんな料理よりも不思議なほどに美味しく感じられた。


 後から思い返してようやく気付く。

 特別な出自を持つ私とは寄宿舎でも誰もが距離を置いた。義理の両親とも一緒に食事をする機会はあまりなかったし、仮にあったときもどこか互いに気遣いがあった。だからきっとこのときが私にとって初めて心を許した相手との……友人との食事だったんだろう、と。


 気が付くと相手はすでに眠りに落ちていた。私も危なく眠りに誘われるところだったが、頬を両手で張ると立ち上がった。食事の礼をしたかったが何も残せるものはなく、最低限の礼儀として簡単に後片付けだけして部屋を後にした。夜はすでにその半ばを過ぎていた。

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