探索開始から2時間後

 肩で押し開いた扉の中に体を滑り込ませ、そのまま背中で扉を押さえつける。荒い息を落ち着かせる暇もなく、反対側から人外の力で拳が叩きつけられた。一撃ごとに扉ごと私の体が揺さぶられる。私は慌ててかんぬき代わりに手にしていた剣を床に突き立て、室内に向けて叫んだ。

「賢者殿はいらっしゃるか! 賢者ドラゴッツィ殿!」

「だからいねえつってんだろ!」

 予想通り異世界へと通じていたその扉の向こうには、しかし期待を裏切り賢者と思しき人物の姿はなかった。代わりにそこにはつい1時間ほど前に出会った異世界の住人が、さっきとほぼ同じ姿勢で、ほぼ同じような食べ物を口に運んでいた。

「あ、えーと、お主は……」

刈田貴志かりたたかしだよ。別に覚えてくれなくていいし、もう来てくれないほうがありがたいんだが……つーか、何? なんか来てんの?」

 心底、嫌そうな顔をこっちに向ける。

「ああ。お主の世界の魔物に追われている。すまないが力を貸してくれ」

「嫌だけど断れる状況じゃないよな、これ……とりあえず飯食い終えるから、そのあいだに魔物の特徴とやらを教えてくれよ」

 私に食器を向けつつそう言い放つと、石とも木とも違う不思議な材質の白い椀から一気に食事を口へとかきこむ。しかし余計なお世話かもしれないが食べ過ぎな気がする。ついさっきも同じ量を平らげていた気がするぞ。ああ、でも異世界の住人の食事量が私の世界の……

 そのときまるで催促するように扉越しに強烈な一撃がまた背中を打つ。いかん、余計なことを考えている場合ではなかった。

「緑の肌をした巨人だ! 切りつけた端から傷が癒えてしまい致命傷を負わせられん!」

「えー、マジかよ」

 相手が顔をしかめる。

「どうした? 心当たりがないのか?」

「いや、心当たりあるし、幸か不幸か対策も用意してんだけど……」

 まさか本当に使うことになるとは思ってなかったなあ、と部屋の隅に転がされていた鞄を引き寄せる。

 そうしている間にも背後の扉は一撃ごとにひび割れが広がり、私の体力ともども限界を迎えようとしていた。

「どうすればいい!?」

「とりあえずドアを開けろ」

「良し、分かった! ……え? いや、すまん! 分からん! 開けるの!? 本気で!? 私、死んじゃうかもしれないんだよ!?」

 動揺のあまり、素が出そうになる。

 それに気づいたかどうかは定かではなかったが、動揺は伝わったらしい。鞄の中を探りながら、落ち着けと手で制してくる。

「いや、少しでいいんだ。相手の姿をこっちに見える状態のまま持ちこたえて欲しいんだけど」

「す、少しなら! でも、それで駄目だったら? やっぱり死ぬの!?」

「安心しろ。そのときは一緒に死んでやる」

 それで安心できるわけがあるか、と叫びそうになって、相手の様子に気づく。剣を握ったことすらなさそうな体は震え、血の気が失せて白くなった顔には冷や汗が流れていたにも関わらず、口の端には引きつった笑みを浮かべていた。

 きっと、私を安心させるためだけに。

「分かった」

 そうとしか答えられなかった。床に突き刺した剣の柄を両手で握りしめる。相手の目は、いつでもいいと言っている気がした。

 短い息継ぎを何度か繰り返し、息を止める。

 背後の一撃が来るであろう瞬間に息を合わせ、叫ぶ。

「うおおおおおりゃああああ!」

 剣を引き抜きつつ前に身を投げた。いきなり支えを無くした扉が暴力的な力の一撃に吹き飛ぶ。殴りつけた巨人も予想外の抵抗のなさにバランスを崩し、地響きとともに室内に倒れた。入り口を丸々塞ぐ巨体のあまりの迫力に、後ろから叫び声が聞こえたが、私に振り向く余裕はない。

 私が片膝で立ち上がって剣を構えるのと、巨人が身を起こしてその大人の胴体ほどもある腕を振りかぶったのはほぼ同時。

 受け止めたら剣が折れる。とっさの判断で左手を刃にあてがい、拳の一撃を刀身に沿わせて左へと受け流した。バランスを崩したその巨体が再び床に転がる。揺れる足元に体勢を崩しかけるも、鎧の重量も合わせてなんとかこらえる。

 背後に叫ぶ。

「まだか!」

「今、当ててる!」

 何を、と聞く暇はなかった。さっきとは逆の腕が振りかざされる。ダメだ。剣の向きが。

 間に合わない。

 眼前に緑の。

 思わず目を閉じ、訪れる死を覚悟した。

「マジか」

 しかしいつまで経ってもそれは訪れなかった。かわりに飛んできた背後からの声はどこか呆れたような調子が含まれていた。恐る恐る目を開ける。

 目の前には先ほど迫ってきていた巨大な手があった。さっきまでとの違いは……

「石像?」

「トロールは怪力と驚異的な回復力を誇るけど、太陽の光を浴びると石になるらしいんだよ」

「太陽の光?」

 思わず部屋の窓を振り返る。外は塗りつぶしたような暗闇で、日光など払暁の気配すら感じられない。私の怪訝な声に相手は、これだよ、と手に持った不思議な品をかざした。黒い短い棒の片側だけが薄く紫色に光っている。

「太陽の光と似たような光がこっから出てるらしいんだよね。いや、ほら、スケルトンの話されてさ、日光が弱点の魔物って多いから太陽光を照射できる機械とかないかな、と思って調べたら、ブラックライトが紫外線を出すらしいから、もしかしたら効くんじゃねーかなー、って試しに友人から借りといたんだけど、いやー、まさか本当に効くとは思わんかった」

 どこか得意げにべらべらと話すその内容を、あらためて心の中で整理し直した。

 そして気づく。

「お主、もしや」

 私のその言葉に嫌そうな顔をされた。私の懸念に気づいたのかと思いきや、まったく別のことだった。

「いい加減、名前で呼んでくれよ。貴志たかしだ、刈田貴志かりたたかし。覚えとけ。どうせまた使うぞ」

 そうか、と私は笑顔で頷き、あらためて口を開く。

「貴志殿、つまりその太陽っぽい光を放つかもしれない何かを当てれば、太陽の光が弱点かもしれない魔物っぽい相手を止められるかもしれないと思ったと」

「まあ、そうだな」

「その一か八かに私は命を懸けたと」

「笑顔やめて。怖い」

 失礼な。

「まあ、なんだ。ありがとう。助かった」

 つい怒ってしまった手間、真正面から礼を言うのが気恥ずかしくなり下を向いてしまう。

 身につけた赤い鎧と胸元の青い光が目に入った。

「あっ!」

 しまった、忘れてた。

「どうした」

「長居しすぎたかもしれない」

 慌ててペンダントを引き出す。螺旋状の貝殻の形をしたペンダントは持ちだしたときより少し輝きが弱まっていた。やはりこのマナの乏しい異世界に体を適応させるための魔力の消費量はそれなりにかかるらしい。

 険しい顔で私がペンダント見ていると、寄ってきた相手が不思議そうに聞いてきた。

「何それ」

「これか。ああ、異世界に適応するための装備だ。貴志殿と言葉を交わせているのもこれのおかげだ」

「綺麗だな。似合ってるぞ」

「え? ああ。うん。ありがと」

 アクセサリの趣味を褒められたのが初めての経験だった。つい間の抜けた言葉が漏れる。もっとも相手はそれほど考えての発言ではなかったらしい。

「赤い鎧に青い光が合ってるな」

「……」

 鎧の中身には一切触れてないその感想に思わず冷たい視線を向けてしまう。

「そうか、じゃあな」

「え、なんでいきなり怒ってんの」

「怒ってない」

「怒ってるよね?」

 私が黙って立ち去ろうとして、また呼び止められ、無視しようとして「この馬鹿でかいゴミを持ち帰れ!」と怒鳴られ、石化した魔物を2人がかりで扉の外の私の世界側まで押しやったあと、ようやく館の探索に戻った。

 体力を随分と消費してしまったはずなのに、不思議と心は軽かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る