探索開始から1時間後

 賢者ドラゴッツィは優れた魔術師ではあったが、権力者に媚びるという処世術は心得ていなかった。そのため彼の館が魔物の発生に関わっているらしいという疑いが生じた時点で、上層部が館の破壊という選択肢に踏み切ったのは当然と言えた。

 しかしさすがに作戦実行までわずか半日、次の日の夜明けと共に開始するという決定には耳を疑った。いや、魔物が主に夜に出没するという事実がなければ即座にでも実行していたのかもしれない。

 障壁で館を覆い、周囲への被害を防ぎつつ内側で爆破魔法を発動させるというその作戦は、確かに街への影響を考えれば理にかなっている。私がおかしいのかもしれない。ゲートを通じてつながってしまっている異世界への影響を心配する私は、自分の手の届く範囲を見誤っているのかもしれない。

 いや、今更ためらってどうする。後悔するにはもう遅すぎる。

 昼間にあらかじめ鍵を外しておいた館の窓から侵入しながら自分にそう言い聞かせた。

 今すべきことは、爆破が決行される明日の明朝までにゲートを閉じる手段もしくは賢者を見つけること。仮に失敗しても私1人が責を負えば済む。

 そう、このときはそう思っていた。


 忍び込んだ窓の内側は長い廊下の途中だった。

 館の周囲を巡回する兵士たちの予定は頭に入っていた。この時間は見回りがいないはずだったが、用心するに越したことはない。

 立ち上がり、どちらへ向かうか考える。動くたびに愛用の赤い鎧が金属のこすれる音を漏らす。もっと身軽な服装にすべきか散々悩んだが、魔物との遭遇が避けられないことを考えるとやはり必要な装備と思われた。そしてその予想が間違っていなかったことはすぐ証明された。


 手足を落とされてもなお追ってくる動く骸骨の群れの何体かを全力でバラバラにし、足止め代わりのバリケードにする。元通りになってしまう相手には恒久的な解決にはならないが一時しのぎにはなった。なんとか振り切り、2階へと駆けあがる。さすがにここまでの多勢を1人で相手したことはない。少しでもいいから体を休める必要がある。

 必死に息を整えながら見回す廊下には、いくつもの扉が並んでいた。

 そのうちの1つが淡く光っていることに気づく。見覚えのある光だ。走り回ったあとでまだ荒く上下する胸元を覗き込むと、同じ色を放つペンダントが目に入った。賢者を追って異世界へと足を踏み入れる可能性を考慮し、持ちだしてきた魔法の品だ。マナの乏しい異世界でも支障なく適応できると聞いている。

 階段からは不吉な音楽のように骨同士がぶつかる不気味な音が迫る。私は胸元のペンダントを引き出し、固く握りしめると扉を開いた。

 吸い込む空気が突然乾燥しきった熱風のように咽喉にしみて激しく咳き込む。閉じた扉に背中を預けて耐えていると、握りしめたペンダントから全身に何かが暖かく広がり、不快感を除去する。ようやく息が落ち着き、室内を確認する余裕が生まれる。同時に、目の前でこっちを見つめる人影に気づいた。

「クラコリチク・ドレボ・ドラゴッツィ殿か?」

 空気の違い以外にも、明らかに室内の調度品は見覚えのないものだった。ここが異世界であろうことは明白で、つまり目の前の人物が賢者であったとしてもおかしくはない。そう考えたからだ。しかし私の言葉に、食事中とおぼしき相手は無言だった。共通語が通じないということはないだろう、と思いつつもペンダントを握りしめ、あらためて問う。

「賢者クラコリチク・ドレボ・ドラゴッツィ殿か? 私は騎士ヴィソカヤ・クラコリチク。騎士団長補佐見習いとして王に仕えている」

 相手は手にしていた椀を手にしたまま、恐れと戸惑いがないまぜになった視線を向けて来た。

「部屋を間違えてませんか?」

 演技ではないとすればどうやら彼はこの異世界の住人らしい。しかし限られた時間しか与えられていない私はまだ諦めきれなかった。

「隠遁されたところをお邪魔することとなってしまい大変申し訳ないと思っている。しかしあなたが開いたとおぼしきゲートを通じて、こちらの世界の魔物がこっちに出没しているのだ。もしあなたが賢者クラコリチク・ドレボ・ドラゴッツィ殿であるなら……」

「クラコレチク・ドレボ・ドラゴンなんだって?」

 この時点でほぼ諦めていたが最後の試みとばかりに確認する。

「クラコリチク・ドレボ・ドラゴッツィの名に聞き覚えが」

「ない」

 そうか、と私は床に座り込んだ。そのとき気づいたが、扉のすぐ前は固く冷たい石の床で、靴がいくつか並べられていた。室内は一段高くなっており、異世界の住人は草を織った床の上で寝起きしているようだった。その相手は、私の出現に止めていた食事を再開する。

「食事中のところ邪魔して申し訳ないが、今少しだけ休ませてくれ。こちらの世界の魔物に追われて……」

「あのさ、さっきから言ってるその魔物うんぬんがちょっと気になってるんだけど」

「マナの力に富んだ生物の総称だ。その中でも特に人に害為すものを魔物と呼んでいる。それ以外は、幻獣や神獣など様々な呼ばれ方が」

「いやいや、そういう話じゃなくて、何、その扉の向こうに化け物がいるってこと?」

 異世界との空間の結び付き方についてどう説明したものか迷う。私自身、その道の専門家ではない。端的に答えることにした。

「簡単に言えばそうだ」

「え、どんなん?」

「全身の肉がそぎ落ち骨だけになってなお動く死体だ」

「スケルトンか」

 それまで困惑気味だった相手がいきなり平然とそう返してきた。

「知っているのか!?」

「いやリアルで見たことはないけど、メジャーどころだからな」

「なんでもいい! 知っていることを教えてくれ」

 藁にもすがる思いだった。私は、異世界の魔物がこちらの世界に出没していること、それを解決する鍵を握ると思われるのが賢者ドラゴッツィであること、その彼の館を探索していること、館を探索中に魔物に襲われここに逃げ込んだことを手短に説明した。

「スケルトンの弱点かあ……アンデッド系は日光に弱いってのが定番なんだけどそっちの世界って夜?」

「夜だ」

「日光照射装置とかあればな。ブラックライトとか。まあ今ここにはないけど」

 無いものは仕方ない。あるものでなんとかできる手段を知りたかった。

「操ってるネクロマンサーがいるって分かってたらそいつを倒すんだけど、そのパターンじゃなさそうだし……あとは腰骨かな」

「腰骨?」

「なんかの本で読んだんだけど、スケルトンが多少破壊されても元に戻れるのは要となる腰骨が無事なときだけらしいんだよ」

「そうか。分かった」

 私は腰を上げた。相手は、あまり当てにするなよ、と心配そうだったので、無理はしないさ、と笑顔で答えておいた。無理に作った笑顔だとばれないと良いなと思いながら。

「邪魔したな」

「ちょっと待て」

 扉に手をかけた私を呼び止める。

「名前、なんだっけ」

「ヴィソカヤ・クラコリチク。親しいものはクラコリチクで呼ぶ」

「俺は苅田貴志かりたたかしだ。まあ、もう会うこともないだろうけどな」

 この予想は当たらなかったが、スケルトンの弱点は当たっていた。だからこそ私はまた彼を頼ることにしたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る