決戦を前に

第88話

 決戦を三日後に控えたこの日の午前中、ソウタは前線視察と病院の慰問を行った。


「宰相閣下、わざわざご足労痛み入ります」


 まず訪問したのは予備隊の待機場所。出迎えた指揮官から説明を受ける。


 ゴ・ズマとの戦闘が開始されて四ヶ月が経過していたが、事前の準備が万全だったこともあってかカ・ナンの損害は今のところ想定以下に収まっていた。


「閣下!敵は数こそ多いですが、我らに恐れをなして碌に近づこうともしません!」


「いっそこちらから討って出ましょう!」


 兵たちは口々にソウタに出撃を求めてきた。これまでの戦闘で一方的に勝利を重ねてきただけでなく、休息も定期的に行えている事もあって将官たちはともかく、兵士たちの士気も高い。


「みんなが大丈夫な事はわかった!敵を撃退して故郷に帰るまで、そのまま健在でいてくれ!」


 まだ決戦に打って出る事を伝えるわけにはいかないが、大いに歓声が上がる。


「閣下、ご覧の通り、兵たちの士気は十二分。装備も行き渡り、弾薬の備えも十全。この調子なら何年でも持ち応えられましょう」


 説明を受けながら、先日激戦が繰り広げられた防衛線付近を視察する。流石に危険があるので第一線まで踏み入れさせてはもらえなかったが、すでに修復だけでなく補強さえ行われたと説明を受けた。


「義勇兵の諸君ありがとう!君たちのお陰で、戦線崩壊の危機は免れた!」


 奪還に活躍した義勇兵たちを激励する。彼らはソウタの各国歴訪の際に、ソウタに賛同して駆けつけて来た若者が殆どである。


「あひふぁふぉうふぉざひまふふぁっふぁ!」


 先の戦いで義勇兵を指揮していたリョウカが礼をする。敵将グナージと最後に殴りあいして顔を滅茶苦茶に殴られていた腫れが完治していないが、早々と復帰してきたのだ。


「ありがとうリョウカ!君たちの部隊の活躍、本当に見事だった!君たちには引き続きカ・ナンを守る一翼として活躍を期待する!」


 ソウタの賞賛に歓声を以って応える義勇兵たち。


『カ・ナン万歳!女王陛下万歳!宰相閣下万歳!!』


 実のところ、ゴ・ズマを撃退して故郷を守れればいいという地元の兵たちよりも、義によって馳せ参じた彼らの方が士気は高かった。ただそれだけに血気に逸っており、強攻策を進言するのも彼らが多く、窘めるのに難儀するほど。


「リョウカ殿は、いえ、彼に限らず義勇兵は皆血気盛んですが、それだけに……」


 義勇兵の最上級者はドミナントという三十手前の髭の男。彼は祖国で千人長を務めていた経歴の持ち主。彼も歴訪の際の会食の席でソウタとヒトミに会い、程なく軍を退役してカ・ナンに馳せ参じていた。


 ドミナントは没落貴族出身で困難な境遇から苦学して仕官し、匪賊の討伐等で功績を積んできた叩き上げの軍人だった。だが門閥出身者ばかりが幅を利かせていた祖国ではそれ以上の出世が望めなくなった事もあって、カ・ナンに義勇兵として馳せ参じたのだ。


 彼が義勇兵の総指揮官に任じられたのは、その軍歴と能力を認められてのこと。しかし義勇兵の大半は彼より若く血気盛んな上に、リョウカのように国は違えど有力貴族出身者も居たので、部下たちの扱いには難儀していたようだ。


「例の件、知れば皆が一層奮起しましょうし、閣下の下に直接加わりたいと言い出す者も続出するでしょうな」


「気持ちはありがたいけど……」


「故に昨日、将軍閣下に進言し、さらに別働の許可を頂きました」


 それを聞いてソウタは表情を歪めた。


「突出しすぎて危険に晒されないか?」


 血気に逸る彼らが功を焦って突出しすぎれば、それを本隊が救援せねばならなくなる。万一の際に全軍の撤退が困難になるのではないかとソウタは危惧したのだ。


「なに、それでも閣下たちよりは無難でしょう」


「言われてみればそうか……」


 仰々しく笑顔を浮かべるドミナント。彼はこの戦いが終わっても帰国するつもりは無く、そのままカ・ナンへの仕官を希望していたので、死ぬつもりなど全く無いのだ。


 ソウタがその足で向かったのは観測台。木製の大きな櫓に登り、そこから高倍率の望遠鏡で改めて敵陣を眺める。


(俺たちはあの中を突っ切らなきゃいけないんだよな……)


 装備も作戦も周到に整えてきたつもりだが、敵の数は何十万もいるのだ。いくら敵の士気が低下し、装備に劣っているといっても、数が数である。防衛線から飛び出してこの数に二百倍以上の敵に囲まれれば、どれだけ整った装備であろうともみ潰されてしまうのは間違いない。


 いや、そもそも作戦からしてゲンブ大帝の本陣に到着して面会すれば、納得して剣を収めて引いてくれるだろうという、あまりにも楽観的、希望に縋る作戦である。


(本当に、みんな生きて帰れるのか?!)


 ソウタは自身の心の奥底に芽吹いていた小さく真っ黒い不安の闇が、徐々に広がってくるのを感じずにはいられなかった。




 前線を後にしたソウタは、次に野戦病院に出向いた。連日の戦いでの損害は確かに想定以下に止まってはいるが、決して皆無ではない。


「メレク、状況はどうかな?」


 メレクに会って様子を聞く。消毒液や包帯などの応急処置の用品や対応人員には余裕があるという。


「そんな次第ですので施設の病床で納まってはいますが……」


「激化すれば、やはりその限りでは無いか」


 ベッドに横たわっている負傷者たちに、横柄に睥睨するのではなく一人一人に顔を合わせて、時に頭を下げて回るソウタ。執務の合間を縫って度々訪れているが、負傷して収容されている兵たちの姿は、平和な日本で生きてきたソウタには、やはりショックが大きいものだった。


「宰相閣下だけでなく、将軍閣下や女王陛下まで度々足を運んで下さるのが救いです」


 野戦病院の傍に、埋葬された戦死者たちの墓が並んでいた。ソウタは跪いて祈りを捧げる。遺族への手当も行うつもりだが、今すぐにできることはこれぐらいしか無いのだ。

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