第74話

 ヒトミが帰宅したのは日が沈んでからだった。


「ヒトミ、いいか」


「うん」


 自室に入ったところでヒトミから口を開く。


「ソウタくん、リンさんと何かあったでしょ」


「ああ」


 ソウタは包み隠さず、リンと情事に及んだ事を報告した。


「そうだよね、やっぱりこんなことになったら、リンさんだったら、そうしちゃうよね……」


「怒らないのか?」


「だってリンさんだよ!」


 ヒトミはソウタが過労と病で倒れた時、看病すると強く志願したリンを、エリの命令とはいえ跳ね除けていた。


 その上、ヒトミは暴走してソウタの操を奪った挙句、ソウタの意思あってとはいえ結婚に至り、公務あってにせよ新婚旅行で同席までさせていた。


 それ故にヒトミはリンに対して、特に強い引け目を感じていたのだ。


「あんなに献身的に頑張ってくれたリンさんに、私はあれだけ酷い仕打ちしてきたんだから、文句なんて言えないもの……。だからソウタくん、私たちは絶対にリンさんを幸せにしてあげなきゃいけないんだよ!」


「ヒトミ……」


「前にも言ったよ。ソウタくんは私だけのものじゃないんだもの。見ず知らずの人と火遊びするのは絶対に駄目だけど、私たちが知っている人だったら……。みんなソウタくんのために命懸けになってくれる人ばっかりだから……」


 無理して気丈に振舞う妻に、ソウタは言った。


「O.K.わかった。逆にお前に言い寄ってくる奴がいたら、その時も俺に報告してくれ。厳密に審査するから」


「そ、そんな人、どこにもいないよ!だって私、中学も高校も、ずっと誰からも告白された事なかったんだよ!」


「あのなぁ、小学校の頃はともかく中学からは、周りからはずっとお前は俺と付き合っていたと思われてたんだぞ」


「ふぇえ!?」


「証拠はこれだ」


 ヒトミに渡したのは自宅の郵便受けに入っていた葉書と手紙だった。


 二人の共通の友人に手紙で結婚の報告を入れておいたところ、返事が届いていたのだった。


「カツミちゃん、ケイちゃん、タカツキくん……」


「ほら、みんな俺たちが昔っから付き合ってた前提で書いてるだろ」


「はう、はうう……」


「だから向こうじゃ誰もお前に告白なんかしなかった訳だが……。こっちは相手がきちんといることを知っていても積極的だからな。ましてこれから戦争だから」


「わ、わかったから、お互いにきちんと報告だね!」


「ああ。そうしよう」


 とはいえソウタは、もしも死ぬかもしれないからとヒトミに言い寄ってくる相手が現れた場合、それを気前良く容認できる自信は一切無かった。


 それだけにヒトミとエリの度量の広さと改めて思い知る。そして二人にそれを認めなければならくなったこの状況を、絶対に打破しなければならないと、強く決意を固めたのだった。


「じゃあ、エリちゃんのところに行こう……」


「ああ……」


 エリの寝室に入る二人。


 エリは二人を手招きして、隠し部屋に入る。二人も続くと、その先、ソウタの自宅の玄関にある大鏡から出てきた。


 電気を点け、三人でテーブルを囲み、改めてエリは言う。


「二人とも、今ならまだ間に合うわ。降りるなら今のうちよ」


「くどいな。お前が降りないなら、俺たちは降りないぞ」


「ねえ、本当にやるのソウタ……、ヒトミ……」


「私は一度戦ってるから大丈夫だよ」


「俺は本当の戦争は初めてだけど、命張る事はあった。それに今まで準備してきたんだ。絶対に何とかなる。いや、何とかする」


「それでもソウタ、今回はアンタが身を晒すのよ!毒ガスなんて使うのよ!一歩間違えたら助からないじゃない!」


「もう、トンネルにはしっかり鉄骨で組んだ障害物を設置している。あのサラマンドが入れない隙間しか無いし、間合いもしっかり確保してる。もしも毒ガスがサラマンドに効かなかったとしても操ってる人間には効くし、もしものときには逃げれるようにしてあるから、大丈夫だ」


「だからって……」


「私はソウタくんを信じているよ。今回はとても危ない事をするから、しっかり準備してきてるもの。私の作戦みたいに、その場で行き当たりばったりじゃないから」


「そういう問題じゃないの!」


「私の為に、危険な目にあう必要なんてないのに!」


「俺はカ・ナンのために命を懸ける覚悟はできてる。だけど、お前とヒトミのために、死ぬ覚悟はできてる」


 エリの平手がソウタに飛んだ。


「死ぬなんて簡単に言わないで!」


「エリ、俺たちの手助け抜きで、絶対に勝てる見込みがあるのか?」


「やってみるわよ!!ソウタにもヒトミにも、死んで欲しくないんだから!」


 だが、エリの身体はガタガタと震えていた。


「エリ、俺だって怖い。デタラメに怖い。いくら準備していても」


「だけどカ・ナンのみんなを見捨てて逃げるのは嫌だ!お前を見捨てて逃げるぐらいなら絶対に戦う!」


「私だってそうだよエリちゃん……」


 そのまま三人で抱き合い、泣き合う。少し落ち着くと、今度は不安を消そうと、リビングに布団を広げて、三人で泥のように溶け合った。


「このままここで寝たら、カ・ナンに戻る気が失せちゃいけないからな……」


 小休止してからエリの寝室に戻ると、改めて三人一緒に寝た。ソウタは二人の妻の柔肌に埋もれて、その安らぎの空気を吸い込みながら眠りに就いた。



 翌日、ソウタはリュウジに渡されていた自分の専門の防具を身にまとう。


「閣下の鎧は鉄ではないのですな」


 使用人が手伝ってくれるが、初めて目にする布地の鎧に驚いていた。


「ああ。これは特別な布で、剣も矢も弾丸も通さないんだ」


 リュウジから渡されていたのは最新型の防刃スーツだった。


「もっとも、本番は防毒服だけどな」


 防毒服は現地で装着するので、今ここでは着ないのだ。


「それじゃあソウタくん、行こう」


「ああ」


 装備を整えると夫婦揃って集合場所に向かう。


 そこには準備を終えた海兵団と騎兵団が待っていた。


「それでは作戦を開始します!」


『おお!!』


 一行は大隧道に機材を設置し、敵を迎え撃つべく出撃した。

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