第41話

 ソウタたちのクブル滞在は荷降ろしと、入手した銅のインゴッドの積み込みなどで時間が掛かるため一週間に及ぶ事になった。


 その間、ガネ商会の代表であるイコエ・トウザは、エリ女王からの全権委任状を託されたカ・ナンの代表として、クブル各地の視察だけでなく、財界・政界の要人とも会談を行っていた。


 イコエ・トウザは小国の代表という弱い立場でありながら、ぞんざいな扱いを受ける事は一切無く、常に賓客として扱われていた。


 もちろん、理由あっての事である。


 一つはここ最近、カ・ナンから極めて高度な機械時計などが売りに出され、セキトを起点に各国でも評判になっていた訳だが、その仕掛け人がイコエ・トウザである事も知れ渡っていたからだった。


 その噂の仕掛け人がクブルに自ら出向いてきたと聞いて、評判の機械時計だけでなく他にも革新的な品を持ち込むかもしれず、その時には我こそが窓口になろうと、他の商家も大小問わず接近してきたのだ。


 そしてもう一つは、クブルのナンバー2のバンドウ家の令嬢にして、自身も積極的に事業を手がけてるアンジュが常に同行していたことだ。


 イコエ・トウザにはバンドウ家がバックについた事、そして妙齢になったアンジュの伴侶候補、すなわち将来のバンドウ家の当主候補になるのではと噂されたからだ。


「よぉ若旦那!今日も“嫁さん”とご一緒かい?」


 今朝もメリーベルがソウタを茶化してくる。他のカ・ナンからの同行者たちからも似たような反応を示されていた。


「おいおい……。相手が相手だから、こっちは気遣いしてるんだぞ」


 正直なところ、ソウタはどうしたものかと困惑していた。


 アンジュからストレートに好意を寄せられる事が嫌なわけでは全く無いのだが、昨日カ・ナンと直接無線でエリと会話したときは、その事に触れられて茶化されたりしたからだ(しかも決してアンジュに気を悪くさせないように立ち回れと注文さえつけられた)。


「まあ、贅沢な悩みだからな……」


 ソウタはこの国で、ある小国の財務官の一行が金の無心のために商家をあちこち回るものの、面会すらなかなか許してもらえず、無為に過ごしているのを目の当たりにしていた。


 その様子を見ていたのに気が付いて、アンジュが理由を教えてくれた。


「トウザさま、あの国が無心に来るのは、王族の、特に王妃の贅沢を満たす為だとか。あの国は国土が小さく作物も並み、さらに鉱物も木材も無いのですが、国土を開発しようとするならともかく、目先の収入のために領民を売っていると言われているような国なのです。そのような国が相手にされないのは当然です」


「本当なら酷い話だ……」


 ソウタはカ・ナンの、特に女王であるエリの暮らしぶりをアンジュに語った。


 エリは国難に直面し、少しでも国防にお金を回さねばならないからと、王宮は儀礼と対外的な面談に用いる場以外は切り詰め、自室の調度品も必要最低限にしていた。


 食事も調理に手間は掛けているが、高価な食材は安易に用いさせず、日常の食材は国内の市場で容易に求められるものに限るよう指示していた。


 そして年頃の乙女ならば求めるであろう煌びやかな衣類や装飾品は、儀礼用は維持するものの、プライベート用は新規に購入せず、親からのお下がりをそのまま使うか、仕立て直して着ていたのだ。


「それは本当なのですか?!」


「ええ。特にここ最近は自戒されています。自分が纏う衣服を買うお金で、何十人分もの軍服が用立てられるなら、そちらを優先しろと常々」


 エリは臣民に対して特に贅沢を戒めるお触れを出していなかった。だが、自身の姿勢が知られていただけでなく、彼女に最も親しいヒトミからして贅沢に程遠いどころか、日頃から軍服に身を包んで執務に教練に回る日々を送っているのも知られていたので、放蕩する者の姿は、ズマサ以外で見ることはできないのだった。


「まさしくエリ女王こそ、真に国を統べる者の鑑です。嗚呼、私もお目にかかりたい……」


 ソウタの口から話を聞いて、アンジュは自らがカ・ナンに赴く決意を固めていった。


 ともあれ、その間にまとまった大きな話は、黄金のカード号に積み込んでいた船舶無線機を使って、エリの下に報告されている。


 協定の内容は前述したとおり、クブルからカ・ナンへの膨大な資源・資金の援助と、その見返りとして通信・電力技術の移転。そして秘密協定として、万一の際にエリをはじめとする要人の受け入れと、クブルで匿えなくなった場合のさらなる亡命先の確保、そしてその際の脱出船の手配が約束された。


「エリのヤツ、この話は知ったらキレるかもしれないけど、打てる手は打っておかないとな……」


 出港予定の三日前に、協定の正式な書面での締結はカ・ナンで行うことになり、クブルの代表団も含めるため、帰りの船団は往路の倍以上の15隻に膨れ上がることになった。


 そして迎えた出港の前夜。クブルの要人たちが多数参加する盛大なパーティが、バンドウ家の屋敷にて催された。


 ソウタは連日の会談や視察で、出席した有力者の顔を随分と覚えていた。この繋がりはきっと無駄にはならないだろう。


 一通り挨拶と会話を済ませ、ソウタは翌日出港に体調を合わせねばならないからと、宴の半ばで、一旦庭先に出る。


 夜空を見上げて星を眺める。あらためて日本で見る星の配置とはまるで違うと気付かされる。


「夜空を眺めておいでですか?」


 南国の花々のように鮮やかな色彩のドレスをまとったアンジュが声を掛けてきた。


「ああ。故郷の空とはやっぱり違うなと思って」


 手にしていたのは星図盤。以前にナタルが持っていたものとは異なる、ソウタが先日自分で購入したものだった。


「北極星の位置も違うんですね、タツノ・ソウタさま」


 ソウタに肩を寄せて星図盤を覗き込むアンジュ。


「悪いけど、その呼び名は隠してくれないかな……」


「申し訳ありません。今なら誰も聞いていないと思って油断してました」


 幼子のように笑うアンジュ。


「では今後は如何なる場所でも、貴方さまの事は“トウザ”さまとお呼びしますね」


「ああ、ありがとう」


 以降、アンジュは終生ソウタの事をその名で呼ぶ事になる。


「トウザさま、星といえば、昨年東方から画期的な天文図が流れてきました」


「もしかして、エ・マーヌから来たのかな?」


「はい。エ・マーヌの宰相が著者と記されていました」


 天文図は、この世界では未来を見通せるという星占いの基礎として重宝されていただけではなく、航海の際に自分たちの位置や向かう方角を知る為に必要とされている。


 アンジュも船団を率いて通商を行う立場のため、それらには高い関心を持っており、購入に資金を惜しんでいなかった。


「天文図の事がありましたので、エ・マーヌについても調べてみましたが、すでに彼の国はゴ・ズマによって滅ぼされ、宰相のアユムも行方不明になってしまったとか」


「ああ。エ・マーヌのナタル姫をカ・ナンで保護しているけど、彼女以外の王族は全て行方不明なんだ」


 何気なくソウタは夜空の星に手を伸ばす。


 偶然迷い込んでしまったこの世界で、内政を整えながら趣味の天体観測で、未知の世界の天文図を自分の手で開拓していく気分はどんなものだったのだろうか。


 そして志半ばで圧倒的暴力に押しつぶされて退場させられた時に彼は何を思ったのだろうか。


「もしエ・マーヌのアユム宰相が健在なら、あれ以上の天文図を世に送り出せていただろうと思うと、悔やまれてなりません」


「ああ。まったくそうだ。本当にそうだ」


 長期的な改革・発展より、眼前のゴ・ズマの侵攻に備えた強兵と目先の国力増強しか行えていないソウタは、漏れ聞く先人の活躍と顛末に様々な思いを巡らせる。そして彼についてナタルが語っていた時の表情を思い出す。


「そのアユムという方は、トウザさまと同郷の方なのでしょうか?」


「おそらくそうだろうね。帰郷した時に気になって情報を収集したけど、それらしい人が居たことは判明したから……」


 ソウタは興信所に依頼して、アユムと呼ばれた人物について調査していた。


 結果、彼のフルネームがイズミダ・アユムだということ。当時の新聞に、彼が登山中に消息を絶ったと顔写真が掲載されていたこと。そして彼が未発見のまま数年前に両親ともに亡くなってしまった事を突き止めていた。


 それらが判明したので、新聞の切抜きと他に入手できた彼の写真をナタルたちに見せたところ、口々にその人物がアユムで間違いないと断言。そのため先日、ナタルを連れて彼の故郷を巡り、彼の両親の墓参りに出向いたのだった。


 墓参りの際、ナタルはその墓に眠るイズミダ家の者たちに、アユムを生み育ててくれた事の礼を言い、彼がエ・マーヌに来ていた事を示すため、彼の愛用していた天体望遠鏡を掘り込んだエ・マーヌの銅貨を一枚納めたのだった。


「トウザさまは自由に故郷とこちらを行き来できるのですね」


「うん。カ・ナンと繋がっているからね。往来できる人は限られてるし、持ち込める物の大きさも制限があるけど」


 ソウタは日本についてアンジュに語る。今ソウタが行おうとしている事の未来の姿を語る言葉を静かに頷きながら聞き込んでいた。


「トウザさま、この国はどうでしたか?」


 話を聞き終えて、アンジュが尋ねてきた。


「君のお陰で、悪い気分にはならなかったよ。本当にありがとう」


「あ、ありがとう……ございます」


 素直な感想を伝えると、素直な反応が返ってきた。


「トウザさま……、いっそこの国で、お暮らしになりませんか?バンドウ家が、そして私がいる限り、決して不自由はさせません!」


 夜露に濡れて光る可憐な花のように柔らかで愛らしい乙女が、心からソウタを案じて身の振り方を提案してきた。


「ありがとう。気持ちはうれしい。でもそういう訳にはいかないんだよ……」


 諭すような口調のソウタ。


「ゴ・ズマは恭順した国はそのまま安泰とされ、一度でも歯向かった国は徹底的に滅ぼすと聞いています。そしてカ・ナンは一度歯向かっています。でしたら、カ・ナンに居続けるのは危険です!」


 アンジュは心の底からソウタの身を案じていた。


「それはできないんだ。俺の大切な幼馴染が二人ともカ・ナンに居るからね」


 ソウタは腹を括っていた。


「俺も最初に話を聞いたときは、二人に国を捨てて日本に帰るように説得したんだけど、それだけは聞けないって突っぱねられたんだ。だから俺もカ・ナンを見捨てるわけにはいかない。相手が何者であっても」


 覚悟を語るソウタ。アンジュは思わず涙ぐんでしまう。


「羨ましいです……。貴方にそこまで言わせる相手が。カ・ナンという国が」


「一度、来てみるかい?田舎だけどさ」


 ソウタの誘いにアンジュは笑顔を浮かべて答えた。


「はい。今後の取引先になりますから!」


 こうして、ソウタたちが戻る船団に、そして使節にアンジュもバンドウ家の代表として同行することが正式に決まった。

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