波涛の先にて
第40話
海賊団を撃退した翌日、船団はクブルに無事に入港を果たした。
「ようこそおいで下さいました。クブル共和国は国を挙げて歓迎いたします」
出迎えたのはこの都市国家の元首に次ぐ地位の財務官バンドウ・ロワ・リオウ。アンジュとジュシンの祖父でもある。
このところの海賊の跋扈で入る船が激減していたらしく、海賊を見事に撃退して入港してきたカ・ナンの一行を、クブル共和国は国をあげて歓迎してくれたのだ。
「アンジュ、ジュシン、二人ともよく無事で帰ってきた……」
『はい、おじいさま!!』
約一ヶ月ぶりの孫たちの帰国である。数年前に後継者としていた息子を失い、代わりの後継者がまだ幼い孫になってしまっていたので、リオウは大いに心配していたが、外で、いや他人にはそんな素振りは滅多に見せない。
そんな祖父に飛びつくのはジュシン。そしてこの時は、心配以上に思うところがあるようだった。
「してアンジュよ。長旅からの戻りで大変疲れているだろうが、お前はすぐに屋敷に戻って、応接間で待っていなさい」
「は、はい!」
こうしてアンジュは祖父リオウの指示で船団主としての仕事を部下に任せて、急いで屋敷に戻った。
一方、ソウタは港での歓迎を受けてからほどなく、リオウの招きでバンドウ家の屋敷に招かれた。
クブルの国土面積はカ・ナンの1/4ほどだが、首都であるクブルはセキトを上回る規模の貿易都市。上流から産出される銅の流通を押さえていた事もあり、その財力はカ・ナンの数十倍もあるのだ。
(これがこの周辺国最大規模の大商家の邸宅か……)
その国の序列第二位の大商家の邸宅だけあって、敷地の広さと、豪華さではカ・ナンの王宮を遥かに凌駕していた。まるでテレビで見る西欧の大貴族か王の宮殿のようだ。
屋敷の応接間に通されると、リオウが歓迎した。一礼してソファに座ると、香ばしい香りのする黒豆茶を持って、アンジュが応接室に入ってきた。
「アンジュがわざわざ給仕なんて」
「お気遣いはご無用です、トウザさま」
「わが家では特に大切な客の歓待には、あえて身内に給仕をさせます」
つまり小国カ・ナンの商会の筆頭の自分が、それだけバンドウ家に重視されているということなのだ。
「あらためまして。カ・ナン商会の……」
「お噂は聞いておりますよ、カ・ナンのガネ商会の若き筆頭イコエ・トウザ殿。いえ、カ・ナンの宰相、タツノ・ソウタ様」
『!!』
その指摘に、ソウタもアンジュも驚く。アンジュはイコエ・トウザの正体に、ソウタは正体を見抜かれていた事に。老練な財務官はすでにソウタの正体を見抜いていたのだった。
「トウザさまが、あのタツノ宰相!」
アンジュの驚く様子から、自分の名前が想像以上に周辺国に知れていたことに驚くソウタ。
「でしたら話は早い。実は……」
「銅でしたらお望みのままに。需要があるところに“適価”で提供するのが商いというものです」
「そこまで見抜かれていたのか……」
正体だけでなく目的まで見抜かれていたことに、ソウタは驚きを隠しきれない。
「若き女王が統べるカ・ナンの急速な発展の話は、無論我が国にも聞き及んでいます。そして特に最近はタツノ・ソウタなる年若い青年が宰相に抜擢されて、その陣頭指揮を執っているとも」
「それは過大な評価です。私がやっていることは、皆に必要なものを与えて、できることをやってもらっているだけです」
「それは容易にできることではないのですよ。まして女王以外に後ろ盾のないはずの青年には本来……」
黒豆茶を一口含んでリオウ財務官は切り出した。
「この度ガネ商会を介してでなく宰相閣下が直々に、このクブルに出向いてまで銅を調達される目的を教えていただきたい」
「ゴ・ズマの侵攻に対抗する為の兵器の材料として、銅が必要なんです」
財務官は静かに首を横に振る。
「それだけではないはず。それだけならば、セキト経由だけでも、カ・ナンの総兵力で使える大砲を作る分は賄えるはずです。他に目的がお有りのはず……」
ソウタは観念して銅を大量に必要としている理由を語った。
「銅線の材料が大量に必要なのです」
「銅線、ですか?」
「はい。銅は比較的容易に入手ができて、効率的に電気、雷神の力を伝達する事ができます」
「雷神の力を届ける為に銅線が必要……」
リオウはソウタから渡された手回し発電機を回して豆電球を点灯させた。カバーを外すと、確かに銅線が巻きつけられたコイルと磁石がある。
「おお。確かにこの機械は火を用いずに明かりを燈すことができますな」
「雷神の力はあらゆる事を可能にします。世界の果てまで一切の間をあけずに情報を送ることも、火を熾すことも、火に頼らない明かりを燈すことも。さらに進めれば馬の代わりに車輪を動かし、金属を精錬させ、複雑な機械を精緻に操作することもできるのです」
「そしてそのために銅は必要であり続ける、と」
「電気を伝える金属は他にもありますが、量を確保できて、高額になりすぎず、加工も容易なのは銅です。それはこの地、この世界でも変わらないでしょう」
「おじいさま、私もこの航海でタツノ閣下が、自在に様々な機械を操るのを見て参りました。相手の姿を見ずに遠方と会話できる機械や、風のような速さで海原を駆ける機械などがそうです。私は驚嘆するばかりでした……」
アンジュの目と顔が、これまで積み上げ磨き上げてきたうら若き敏腕実業家の顔ではなく、年齢相応の乙女の顔になっているのに気が付いて、リオウは祖父として微かに笑みを浮かべて、表情を戻す。
「私はカ・ナンを、電化しようと考えています。そしてそれが軌道に乗れば、カ・ナンだけでなくこの周辺国一帯を」
「そして世界の全てを、ですかな?」
「はい。その通りです」
ソウタのプレゼンスは静かに続く。手始めに電信網を整え、ゆくゆくは電灯や機械産業のために大規模発電を行い、電力網を整えようというのだ。
「世界の反対側で起こったことさえ、瞬時に情報が届くのです。情報の価値は王族貴族以上に商家の方が切実にご理解されていると思います」
ソウタが語るのは、地球で電信が発明されて起きたことを、この世界でも起こしてしまおうという、気宇壮大な計画だった。
予備知識がないこの世界の住民にとっては現実味のない絵空事にしか思えないだろうと心の奥では考えるソウタだった。
だが、この周辺国では十指に入るほどの大商家であるバンドウ家の当主であれば、自分の正体と目論見を的確に見抜く眼力を持つリオウ財務官なら、自分の計画の意義と価値を見抜いてくれるかもしれないと考え、静かに、それでいて熱を込めて説明する。
二人の顔を、目を見ながら語る。アンジュは目を輝かせながら、食い入るように聞いている。リオウは表情を全く崩さずに静かに聞いている。時折率直な質問も出てくるが、自分の知識で即答できる内容だったので即座に返答できた。
語るべきことを語り終えて口に黒豆茶を運ぶと、茶は完全に冷え切って冷たくなっていたが、かえって熱弁で乾いた喉を潤すにはちょうどよかった。
「なるほど……。わかりました。私の権限で、クブルからの銅を、お望みの分だけ格安でカ・ナンに提供いたしましょう」
「あ、ありがとうございます!」
一礼するソウタ、安堵するアンジュ。だが、リオウはさらに話を続ける。
「合わせてカ・ナンに資金の融資を致しましょう。利率も国家にお貸しする利率の七割で結構です」
「……。条件はなんでしょうか?」
銅の直接輸出だけでなく、資金援助まで行うという驚くべき提案。それだけにソウタは条件を問わずにはいられなかった。
「カ・ナンが行おうとしている雷神の利用、その成果を我がバンドウ家に提供して頂きたい」
クブルは資源と資金提供の見返りに、ソウタがカ・ナンで進めていた電化事業の技術移転を求めてきたのだ。
「わかりました。技術移転、お約束しましょう。そして可能なら技術に明るい者を派遣してください。正直、技術者の人手が不足しているので……」
「それは願ってもない。早速、カ・ナンに送る者を選定いたしましょう……」
こうしてクブルのナンバー2、バンドウ家のリオウ財務官との会談は終了した。そのまま用意された宿泊先に向かうソウタ。
「アンジュ、ガネ商会のイコエ・トウザが、カ・ナン王国のタツノ・ソウタ宰相であることは、本人が言い出すまで口外するのは止めておくようになさい」
「はい、承知しています!」
「そして、タツノ宰相が滞在している間の世話は、お前が取り仕切るように」
「あ、ありがとうございますおじいさま!」
光を浴びた宝石のように目を輝かせるアンジュ。
「いいかなアンジュ。私の見立てでは、彼は小国カ・ナンの宰相だけで納まる男ではないよ。もっと大きな、それこそ世界を一変させるような大きな事を手がける男になる。だからこそ、彼としっかりした関係を築く事が、我がバンドウ家のためにも必要なのだ」
「お任せ下さいおじいさま!必ずや私があの方を射止めてみせます!」
「……」
リオウは小さく溜息をつくと、わずかに口を動かし苦笑していた。
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