第34話

 ズマサを出たソウタが自分の屋敷に帰宅したのは日没後だった。


「おかえりなさいませ閣下」


 屋敷の入り口で執事が出迎えてくれる。


「ありがとう」


 駆け寄ってきた使用人が馬車の戸を開けてくれたので、そのまま降りる。リンの宿舎も屋敷の傍なので、彼女も同時に降りた。


「閣下、それではこれにて失礼します」


「ああ。また明日」


 リンは執事にも一礼する。執事もまた丁寧に礼を返す。リンは前宰相ワジーレの養女であり、執事とはその頃からの付き合いだ。


「リンは有能で気が利くから本当に助かってるよ」


「はい。リンさまもご立派になられました……」


 聞けば彼女の教育のいくつかは彼が施したという。


「閣下、湯の用意ができております」


「ありがとう。相変わらず気が利くね」


「そう言って頂けると光栄です」


 ソウタがこの屋敷に来てほどなく、ソウタの要望で浴室が改装されていた。ソウタは組み立て式の露天風呂セットを持ち込み、それを参考にして薪炊きの風呂を作らせたのだ。


 その湯船は、いわゆる五右衛門風呂のような真下からの直火炊きではなく、湯船に繋がった金属製のパイプを介して水を加熱する方式で、あえて檜風呂のような全木製にした。


 浴室の床も石畳の上にスノコを敷き詰めている。水は水道の貯水槽からだが、水を張るために樋を渡したので、都度手持の桶に水を満たして運ぶ手間を省いていた。


「ソウタ、家にお風呂作ったんですって?!」


 完成を報告すると、すぐにエリが入りたいと言い出した。屋敷は大騒ぎになったが、翌日には受け入れ準備が整い、早速エリが入浴したのだった。


「ああ~~。やっぱりお風呂はいいわ~~♪」


 カ・ナンに来て以来、久しぶりの湯船をエリは心の底から堪能していた。


「ヒトミは良かったのか?」


 様子を見に来たヒトミに尋ねるソウタ。


「私はソウタくんの家でお風呂に入ってるから……」


 とはいえ、女王の残り湯がもったいないからと男の臣下が使うわけにもいかないので、ヒトミにも入浴させる事に。


「ソウタくんのところのお風呂、木の香りが気持ちいいね」


 そんなわけでこの日は二人が帰ってから水を入れ替えて沸かし直したが、やはり湯船はいいものだと痛感した。


 なお久しぶりの湯船での入浴を堪能したエリは、早速王宮にも同様の浴室の設置を命じたのだった。


 ともあれ、ソウタは帰宅したら最初に入浴をする。湯の温度は設置した温度計を見るに40度丁度。手足を思い切り伸ばして、一日の疲れを選択して洗い出す。


「やっぱり風呂は体と魂の洗濯場だな……」


 風呂から上がってしばらく落ち着けてから夕食になる。日がとっくに落ちているので、植物油を燃料にしたオイルランプの明かりの下での食事である。


「いただきます」


 メニューは鳥肉のパイ包み焼きと四種類の豆と貝のスープ、葉物と根物の酢漬など。


 肉や魚が出される頻度もそうだが、貴重な酢を使った漬物などが日常的に出されるのは、小国であろうと宰相という役職に就いていればこその待遇だ。


 飲み物は白色の透き通った果実酒が出された。果実酒はブドウとブルベリーの中間のような味の果実を醸造させて作ったもの。


 原酒はアルコール分より甘みのほうがかなり強いので、甘さを和らげて口直しに用いるために水で割って飲むのが主流。この果実酒も料理人の手で水割りされていて、酔う為でなく飲む為に最適な配合になっていた。


 ソウタは屋敷には一ヶ月に十日程度しか宿泊しないので、料理に腕と金が注げますとは料理人の談だが、それだけに美味である。


 食後にドライフルーツで口直しして歯を磨き、部屋に戻る。


「やれやれ、と……」


 自室は戸を開けると板張りの上に無地の灰色のフェルトを敷いた床になっている。そこに靴を脱いで上がると壁に掛けていたスイッチを入れる。すると屋根に吊り下げていた照明が点灯した。


「科学技術さまさまだな……」


 ソウタは自室に電池式のLED照明を取り付けていた。


 蓄電池は日当たりのよい場所に設置したソーラーパネルと、曇天・雨天でも対応できるキャンプ用のストーブ発電機も持ち込んでいたので、電池の寿命が尽きるまで照明用の電力は確保している。


「ロケットストーブとスターリングエンジン組み合わせて発電機作るのもいけるかもな……」


 ソウタのタブレットには、カ・ナンの国作りに役立ちそうな様々な情報を、とにかく無造作に押し込んでいた。ゆっくりと内容を精査して、日本に戻ったときに調達するのだ。


 他にもエリからもらった、カ・ナンの文字と日本語に対応した手作りの辞書というよりノートを見ながら勉強している。


 エリは頭がよく、カ・ナンで女王にならずに日本で進学していれば有名国立大学も難なく通っていただろうと彼女のノートを読みながら痛感するソウタ。


「閣下、黒豆茶をご用意しました」


 この日も遅くまで明かりが灯っているのを見て、家政婦姉妹の姉のファルルが黒豆茶を用意してくれた。


「すまない。気を使わせてしまって」


「いえ。これも務めですから。とにかくご無理をなさらないでください」


 前宰相ワジーレも夜遅くまで仕事を持ち込む事が多々あったので、彼らも対応することには慣れているという。だが、自分が起きているという事はその時間は彼らは皆、起きていなければならないということでもある。

 

「だけどやれることはやらないと……」


 自分の行動がカ・ナンの未来に繋がっているので、やれる事をやりきらなければならないと、ソウタは考えていた。淹れてもらった黒豆茶には何も入っていないブラックなもので、頭が少し覚めてくる。


「この国は識字率は高い方だから、紙の生産も向上させたいな……」


 カ・ナンでは識字率の向上が図られた先主、エリの親の頃から製紙技術の開発が続けられていた。


 現代の技術を導入するのではなく、日本古来からの和紙の製法を参考にした方向で進められ、カ・ナンの山間部で容易に採取可能な低木の樹皮を原料にした紙が生産されていた。


 質も上々なものが生産されているが、如何せん高価であり、子供たちの文字の練習には各々に水に濡れると変色する樹木の板を、ノート用にはおおよそB5版サイズに切られた裏地が灰色になる樹皮が用いられている。


 なお、現代の地球では木材チップからパルプ紙を製造するのが主流だ。カ・ナンは木材資源は豊富なので、導入が可能であれば将来の役に立つのだが、木材を粉砕してチップにしたり、蒸解・漂白の過程で薬品を使用しなければならないなど、複数の分野に渡る大規模な工業施設が必要になるのだ。


「そういえば教育、あの二人はちゃんとしていたんだよな」


 ふいに思い起こすのは、先ほど茶を給してくれた家政婦の年若い姉妹の事。姉がファルル、妹がフィロロ。日本なら姉が高校生、妹が中学生ぐらいだろう。


 姉妹は共に亜麻色の髪をしていて、姉のファルルは髪型が一つ結びで、妹のフィロロは二つ結びにしていた。身長はファルルが150cmに足りないぐらいで、フィロロはさらに小さい。カ・ナンの女性の平均身長はおおよそ彼女たちぐらいなので、二人が特に小さいというわけでもないのだ。


 今でも十分愛らしいが、このまま成長すれば二人とも評判の美人になるだろう。


 この屋敷に住む事になった二日目に、二人の事が気になったので、夕食後に自室に呼んだのだ。


 若い主人に夜中に呼び出されたので、家政婦長から言い含められていたのか、二人ともできるだけ身奇麗にしてガチガチに緊張しながら、恐る恐る入室してきた。


「ああ、そんなに緊張する必要は無いよ。俺の国だと君たちぐらいの子が住み込みで働いていたのって、随分と大昔の事だったから……」


 二人はソウタから夜伽を命じられるのを覚悟して来たようだったが、ソウタには全くそのつもりはなく、単に二人の身の上話が聞きたかったので呼んだのだっだ。


 ソウタが持っていた小袋入りのチョコレートを与えると、二人ともその甘さに感動している様子。緊張が解けたところで、姉のファルルが語ってくれた。


 二人はある村の村長の三男の娘として生まれたという。


 だがこの国で流行った病が原因で、二人が幼いうちに両親が亡くなり、そのまま祖父の家で育てられてきた。


 だが、四年間の義務教育が終わると、ほどなく花嫁修業も兼ねて、家政婦として働きに出されたのだという。


「私たちは身元がはっきりしているので、身分が高いお方のお屋敷勤めに出されたので幸せな方です」


 二人の場合、身元がしっかりしていた上に村長の孫娘だという事で、王都の有力者向けの家政婦として口利き屋に登録され、かつタイミングが合致していたので宰相宅の家政婦として雇ってもらえたのだ。


 これが貧しい家に生まれた娘の場合は、家政婦として雇われるならまだしも、遊女として売られてしまう事もまだ珍しくないというのだ。


 さらに家政婦として雇われても、主人たちとの身分差は圧倒的に大きいので、酷い仕打ちを受けても抵抗ができない上に早々と辞める事もできない。その上、主人やその家族に無理矢理に手篭めにされた上に捨てられる事も周辺国では珍しくないという。


「大丈夫。俺は絶対にそんな事はしないから、その心配はしなくていいよ」


『ありがとうございます!』


 特にファルルは感涙するほど感謝していた。


「家政婦友達の中では、私たちはとてもとても幸運な方です。でももっとお勉強したかったな……」


 妹のフィロロが思わず本音を漏らしてしまったので窘める姉のルル。だがソウタは黙って頷くとこう告げた。


「俺は飛び回らなきゃいけないから、あまりこの屋敷には居ないと思う。だからそんなに忙しくはないはずだ。だから空いた時間を見つけて勉強すればいい。エリ女王も国民全員が読み書きと計算ができるようにしたいって言ってたからな。宰相の俺は率先しないと」


 翌日ソウタは古書店から尋常学校の教科書と師範学校の初等書を購入すると、使用人たちに時間があるときに勉強するよう勧めた。


「読み書きできるに越した事はないからね。時間ができたら皆も勉強してくれ」


 屋敷に居るもの全員に電池式のLED懐中電灯かランタンを渡し、夜間の明かりとするよう指導した。


 夜警に当たる衛兵や男の使用人たちは雨天でも消えない明かりだと大いに喜び、ファルルとフィロロは夜に勉強ができると喜んだ。


 勉強については家政婦長はあまり気乗りしていなかったが、ソウタ自らが改めて説得し、姉妹は夜に時間を作って励んでいるという。


「言い出した俺が負けるわけにはいかないからな……」


 冗談半分でエリが直々にカ・ナンの文字の読み書きをテストしてやろうかと言われたが、そのときは全力で拒否した。だが、ゴ・ズマが攻めてくるまでには、自力で読み書きできないとマズいとも思う。


 そんな訳で勉強もしているが、やがて時刻が日付を越えそうになったので、照明を落として床に就いた。明日も王宮に出仕。そして明後日には国内視察が控えているのだ。


「どこまで届くかな……」


 自分の行動で国が一つ、見る見る変貌していく。その様子を見るのはワクワクするし、次に何をしようかと励みにもなる。


 だがそれは、ヒトミとエリが世界帝国に立ち向かって打ち勝つ為の足掻きでもある。足掻きが届かなければ、この国が、そして二人が無残に潰されてしまうのだ。


「とにかく全力で掛からないと……」


 ソウタは悲観と楽観を抱えながら、ゆっくりと眠りの底に沈んでいった。

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