「03(ゼロサン)」
ソラ
「03(ゼロサン)」
東京、新宿、歌舞伎町入り口・・・
この
事件は起きる。
アルタビル前の交差点、新宿駅東口に向かって、青年は信号待ちをしていた。その時、大型のワゴン車がスピードを出して、青年のいる方の人だかりに突っ込んできた。パニックになる人たち。詰まりに詰まった人だかりは、その場から逃げ出すこともできなかった。
そして歩道の中に突っ込んでくる1秒前、青年が一歩前に出た。
ここにいた人たち全員が“死んだ”と思ったその瞬間、
“ガッコーン!!“
という衝撃音とともに車が消えたことに気づく。
「上だ!!」
誰かが叫ぶ。皆が上空を見ると、ワゴン車はバンパーとボンネットがくの字にひしゃげた状態で、10メートル近く上空を飛んでいた。そしていきなり方向を多数の線路が並ぶ広い地域に変えて、ものすごい勢いで突っ込んだ。まるで何かの力で押されたかのように。地面に叩きつけられたワゴン車は、ものすごい火柱と爆風とともに大破した。
「自爆テロだ・・・ 自動車爆弾だ・・・。」
そう、これだけの破壊力を持つ自動車などない。TNT爆破薬を相当量積んでいただろう。この車がもし、アルタビルに突っ込んで爆発していたら・・・。
しかし、この事件は奇跡的にも誰一人死傷者は発生しなかった。時間が経つと共に、警察車両や自衛隊車両、消防、救急などが集まってきた。新宿東口は、ほぼ一帯が規制線により警察の統括下に入った。道路もほとんどが通行止めになって、渋滞を引き起こしている。
かなりの野次馬と報道が集まっていた。空を見上げると、警察と報道のヘリが数機、この空域を旋回していた。
青年はその様子の一部始終を見ていた。新宿駅ビル、ルミネイストの屋上の柵の上で。そして数分したのち新宿駅南口の方へ去って行った・・・。
※
「今日は定時で帰れるか、ラッキーだな。」
向井は防衛省、内部部局の職員であった。片手にビジネス鞄を持ち、2ピースのスーツをしっかりと着こなしている姿は精悍であった。180センチもある長身がより彼の存在感を強調していた。顔立ちも端正で、目は大きく、はっきりとした眉毛がりりしい。その割には甘い唇の形と、すっと通った鼻筋。
髪の毛は後ろの方はしっかりと刈り上げていて、前髪の方は生え際中央からやや左側から分けてあり、短い方はすっきりと後ろに流し、長い方はざっくりと大きく荒くウェーブして、毛先が右目にかかるぐらいの位置に流している。いわゆるイケメンだ。それでいて体格もごつすぎず、痩せすぎずで、とてもスマートにしている。
向井は市谷駅から各駅停車に乗り、四ツ谷駅から中央線の快速列車に乗り継いだ。18時頃だったが、
『この時間でも結構多いな。』
と感じるぐらいの乗客は乗っていた。
※
9月下旬、残暑が抜けきらない日が続く。この時間では、まだ外の日は明るい。
西荻窪駅を出発したその快速は、もうそろそろ吉祥寺駅に入ろうとしていた。そして、減速しつつ車両の三分の二が、構内に入ったあたりで急停車した。
車内は、車両前方に多くの人がよろめいて圧迫された。
「いたーい!!」
「なんだよ、何かあったのかよ!!」
などと罵声が飛ぶ。
向井は、自分の正面にしがみつく一人の女性に気が付いた。
「ゴ、ゴメンナサイ。 急だったもので・・・。」
彼女は顔を赤らめて謝ったが、向井は、
「気にしないでください。お役立ててうれしいです。」
と言い、彼女が気にしない程度に笑顔で会釈した。
車内アナウンスが流れ始めた。
「ただいま、駅構内で人身事故が発生したため、現在車両は停止中です。これよりドアを開放しますので、順次駅員の誘導に従い避難してください。」
このアナウンスとともに電車のドアが
“プシュー”
と空いた。
一気に流れ出る人の波。向井は明らかにこのアナウンスはおかしいと感じ取った。
『まずい!!』
それは確信に基づいた直感だった。
「皆さん、待ってください! 降りるのを待って!」
そう叫ぶも、人の波と
数人がホームに降り立った瞬間だった
“バリバリバリバリバリ・・・・・・・!!”
銃声が鳴り響いた。
「ギャー!!」
四方八方から聞こえる断末魔。人の波の中で逃げ切れない人たちのほとんどが、鳴りやまぬ銃声の一斉射に飲み込まれていった。撃たれては血を吹き出し、倒れつづけてゆく。
向井は、自分の胸元にしがみついて外の惨劇を目を丸くしてみている女性の頭をつかみ、二人一緒にしゃがんだ。
「君、見るな!」
「人が・・・人が・・・」
彼女は、小刻みに震えながら、向かいの体にぴったりとくっついてしまった。
約5分ほどして銃声は一度やんだ。列車のドアの前には、生き途絶えた人の山が出入り口ごとにあった。その遺体の山から雪解け水のように鮮血が広がり流れていた。
列車の中にいて一命を救われた人は、窓から狙撃されない様、皆しゃがんでいた。
『こんな白昼堂々と無差別テロか!』
ゆっくりと頭を上げ、外を見まわす。
何も変化のないホームであったが、向かいの右目の瞳の奥はレンズが小刻みに動き出していた。右目は自動赤外線識別機能に切り替わり、人の体温以上の物は遮蔽物があっても通過して赤く見える状態になっていた。このホームの先、3・4番線ホームに4人のテロリストが確認できた。すべて今は銃を構えつつ自動販売機やごみ箱の陰に隠れている。その周辺にはテロリスト突入時に巻き添えになった駅員や一般客の遺体も確認できた。
『くそ!! 目的は俺一人だろうに!!』
向井は唇をかんだ。
そうしているうちに、駅の周辺地域やホームの端に警察の特殊部隊、SATの姿が確認できた。
『ようやくお出ましか。』
そして上空からヘリコプターの音も聞こえる。
向井の音声識別プログラムが発動し、上空に待機しているヘリコプターは、多用途ヘリコプターUH-1Jが2機と対戦車ヘリコプターAH-1Sコブラが2機だと確認した。
『ずいぶんと豪勢な出撃だな。』
と向井が思った瞬間、いやな直感が頭をよぎった。
『対戦車ヘリまで出すとは・・・まさか、あれがいるのか?』
と、その時だった。
「ガー!!」
と、雄叫びのような叫び声とともに、向井のいる車両に濃い緑の大きな怪物が車両をぶち抜き突入してきた!
「うわあ!」
「ぎゃん!!」
向井の近くにいた乗客3人は、その緑の怪物に押しつぶされ、外に飛ばされていった。そして緑の怪物は、向井にしがみついていた女性をつかみ、引き離した後、その女性をつかみながらホームに戻った。飛ばされた3人の乗客は人の形をしていない異形の姿に変わり果て死んでいた。
『あいつ・・・』
目の前に立つのは約3メートルはある緑色の巨人だった。ただ人の形はしていてもその姿は怪物そのものだった。
向井は心の中で呟く。
『クリーチャー・・・』
そのクリーチャーという生物はブロンドの短髪の髪に、四角い輪郭をした顔立ちだった。眼光は鋭く、両ほほから無数の触手が伸びていた。口は開けるたび、粘膜みたいなものが伸びていた。体格は骨格、筋肉ともに異常なほどに発達し、両足は獣のような大きな爪がせり出していた。体中に鱗のような小さな凸凹があり、そこから無数の汗のような液体と蒸気が出ている。捕まった女性は右手首を掴まれていたがクリーチャーはその手首を力いっぱい握った。ここからでも手首がつぶれる音が聞こえた。
“バギ!!”
「ぎゃあー!!!」
彼女は叫びながら失神した。1メートルほどに吊るし上げられた彼女の両足からは失禁した尿が
散発的に銃声が聞こえる。逃げ出そうとした人たちが、ことごとく狙撃され、殺されてゆく。
向井は自問自答した。
『どうする。政府は対戦車ヘリを出している。もちろん、クリーチャーを倒すためだけに。一般市民を犠牲にする覚悟はできているはず。』
『警察のSATごときで倒せる生物じゃない。このまま一般市民が犠牲になってクリーチャーとテロリストがせん滅するのを黙って見てろと言うのか。』
強い
そんな時だった。駅を通り越した高さが同一のビルの窓から、赤色の微弱な発行信号を向井の目が捉えたのである。
自動的に向井の右目は赤外線識別から微光暗視拡張機能へと変わった。これで微細な光も収集され識別が出来るようになる。そこで収集された光のリズムは、向井の頭脳の一部から起動した光信号解析プログラムに渡り、信号の解析を始め、自動的に向井の思考の中に音声として飛び込んだ。
【テロリスト4人の対処はSAT一個中隊で対処する。突入は上空のヘリとホーム両脇から行う。最後の発光信号の後30秒後に突入を開始する。当初煙幕弾を投入する。「ゼロサン」は発煙弾の有効時間内にクリーチャーの人質を確保、のちクリーチャーを撃滅し、速やかに生活拠点に戻れ。 以上。】
それだけの指示ではあったが向井には必要にして十分だった。
最後の信号が淡く発行してから、ぴったり30秒後、発煙弾が投入され発煙がかなり濃いモードで広がった。向井は自動的に発煙弾の煙の有効時間を計算していた。発煙弾のタイプと流れる風の向き、速度で約45秒の時間の猶予を確認、瞬時に両眼を赤外線カメラに切り替えホームに出た。そしてはっきりと視認できたクリーチャーに対峙した。
片膝をついた向井は、だらりと下げた右手を数千度にまで熱線を放射させた。瞬時にスーツや皮膚が蒸発してゆく。真っ赤な閃光の中にはアウターフレーム構造でできたメカニカルな右手がぼんやりと写っていた。
その後、向井は立ち上がり右手を振り上げた。クリーチャーが発煙によって周りが見えず首を振ってウロウロしているところに、
「たああ!!」
と叫びクリーチャーを飛び越す高い跳躍をした。そして下に落ちると同時に、熱線の手刀で人質をつかんだ左手を、肩から切断した。
“ジャ、ジャー”
と、熱線で焼き切れる音と、皮膚と肉が焼けるにおいが周辺に漂った。
「ギャアー!! アー!!」
クリーチャーは叫び、体をくねらせた。ゴトっと落ちる左腕と女性。煙も薄くなりクリーチャーの発達した瞳からも向井を視認できるほどになった。
「ガアー!!」
クリーチャーは叫びながら左肩から鮮血の血しぶきを飛ばし、右手の素早い連打で向井を叩き込んだ。
後ろにすっ飛ぶ向井。ゆっくり立ち上がるとクリーチャーは後ろ回し蹴りを仕掛けてきた。その巨大な足と爪が向かいの身体を捉え、停車している車両まで吹き飛ばされた。クリーチャーは右手の手のこぶしに固い皮下組織を円錐の槍状に変形させ、向井を突き刺そうとしていた。
「この出来損ないのゼロサンがあぁ!!」
大きく吠えるように叫ぶクリーチャー。
そして突き刺したと思ったその時、目の前には何もなかった。
「?」
クリーチャーは、
「はっ!」
として上空を見上げると、向井は両手を頭の上に振り上げ両拳を握り、叫んだ。
「貴様がその名前を呼ぶなあ!!」
そしてその拳はクリーチャーの頭頂部に直撃し、そのまま拳をクリーチャーの頭部にのめり込ませた。そしてちょうど頭の中央に来たところでこぶしは微細動を始め、クリーチャーの頭はその振動で歪み初め、瞬時にミクロの肉片となって飛び散った。頭のなくなったクリーチャーは、倒れ絶命した。
向井は人質の彼女のところに行くがもう煙幕もなくなり時間がないことに気づく。
めり込んだクリーチャーの手は人質の手くびから全く離れない。
「くそ!!」
向井は、自分の手刀で彼女の右手首を切断した。
吹き出し始めた血を止めるべく、すぐさま左手で10センチほど離れたところで強く握った。あっという間に血は止まった。そのまま彼女を胸に抱き自分の生活拠点に向かい高く跳躍した。そして去り際に眼下を見ると、警察が現場収拾のため多数の警官を配置しているのが見えた。血だらけのホームとともに。
※
防衛医科大学校附属病院の待合室の一角に濃紺のジャケットを着た向井とシャツにほどけかけたネクタイをした50代半ばぐらいの男性、
坂上のとりあえずの肩書は、警視庁刑事部の刑事だが、本当のところは謎だ。向井はいつも、坂上のことを「おやっさん」と呼んでいた。
「彼女の容態は。」
向井はそっけなく坂上に質問すると、坂上は下を向いたまま返答した。
「心配ねえよ。ただの右手首切断だ。止血もよかった。ただな、心の方が問題だよ。」
「まともにあのクリーチャーの姿を見たと思うか?」
「たぶん。」
向井はそれ以上言葉にしなかった。
「一部始終見てしまった無差別テロの惨劇に、初めて真近で見たクリーチャー。そして目を覚ました後に気づく右手のない現実。どう自分に納得させるかは、彼女次第だ。」
坂上は、胸のポケットから煙草を一本取ってライターで火をつけた。そしてゆっくりと煙を吸い込むと大きく吐き出した。
坂上は話をつづける。
「あの施設爆破事件が起きて約2年、その直後から始まった謎のテロリスト集団と怪物の襲撃事件の多発。今日でトータル127件。どれだけの犠牲者が出ているかわかるか、ゼロサン。死者だけで500人を超える。未曽有の大事件だよ、まったく。」
坂上は吐き捨てるように言った。
向井は坂上の方を向いた。
「すべて俺のせいですか、おやっさん。」
坂上は一本目の煙草が吸い終わり、携帯用の吸い殻入れを使って煙草の火をもみ消し、吸い殻を押し込めた。
「そう聞こえてしまったのなら謝るよ。ただな、この種の事件の約7割以上、特にここ半年はすべてお前がらみだ。残りは旧実験施設関係者や、防衛省、内閣府への挑戦状みたいなもんだ。一体あいつらはどこまで知ってんだ。」
「わからないです。でも、なんであの施設爆破事件の時に俺を一緒に破壊しなかったんですか。すべてを闇に葬れば、こんなことは起きなかったはず。」
ずっと下を見続けながら話す向井に坂上は、
「いや、なるさ。」
「これは必然だ。」
「ゼロサン。この日本が、この未曽有の惨事、テロリズムの脅威にさらされることを予見して開発者や科学者はあえてお前だけを残したんだ。これからの最後の希望としてな。」
「買いかぶらないでください。俺はまだ何もわからない、自分の記憶すらもない、自分がなにが出来るかも判らない、操り人形です。こんな俺に・・・」
向井は立つと、坂上に
「それじゃあ帰ります。」
と言って病院を後にした。坂上は2本目の煙草を吸い始めた。
向井は外に出ると涼しい風がほほをなでるように流れてゆくのお感じた。
「こんな俺にも風を感じる機能と心地よいと感じる感情があるのか・・・」
そう思うと、ふと空を見上げた。
ゆっくり歩いていく向井の後ろ姿が暗闇の中に静かに
Fin
「03(ゼロサン)」 ソラ @ho-kumann
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