101. お話前の"ひとりごとしりーず"
「ただいまー」
「おかえりー」
ドアを開けて帰ってきたダーリンにだらっと言葉を返す。
「あれ、暖かいね」
「ええ、暖房入れたの。それより遅かったわね。どっちに捕まった?」
だらりと和風机に預けていた身体を起こしながら聞いた。ドアを開いてすぐに部屋の暖かさに気づいた様子。ぽやっと疑問符を浮かべた表情がキュート。
「二人ともに捕まっちゃって。遅くなってごめんね」
「ん、いいわ。ちゃんとここに来てくれたら許してあげる」
左手の人差し指であたしの隣にある座椅子を指差した。座椅子、というより座布団に指を向けて。
「あぁ、うん。そうだよね」
言いつつ歩いて荷物を置き、ゆるっと腰を下ろして自然な流れであたしを抱きしめようと…。
「…部屋暖かいから抱きしめなくてもいいんじゃないかな」
身体をこちらに向けたところで止まった。しかも意味不明な言い訳つき。
「…ばか。あたしに言わせる気?」
今さら躊躇する恋人に、むぅっと表情を変えながら伝える。
あたしの大好きな人なら、これくらいですぐちゃんとしてくれるはずだもの。
「あぁ、そっか。関係なかったね」
ぎゅーっと、優しく柔らかく抱きしめてくれた。あたしもゆっくりと力を込めて抱きしめ返す。首元に顔を埋めれば十分前に早戻り。幸せいっぱい温もりいっぱいで心が落ち着く。
「はぁぁ……それでー?ママたちなんて言ってたー?」
深く呼吸をしながら問いかける。顔は
聞こえないほどじゃないので問題はないわ。些細な問題よりも寂しさを埋める方が大事なのよ。
「ふぅ…えっと、僕が
「ふーん」
郁弥さんもあたしを抱きしめて落ち着いたのか、ほっと息を吐いた。
あたしのこと大好きだしで抱きしめて落ち着くのはいいんだけど…あたしのことどう思ってるか、ねぇ。
「その話、さっきしなかった?」
あたしと郁弥さん、ママとパパの四人でお話したときにそんなことも話したと思う。
"郁弥さんってばあたしのこと好きすぎて困っちゃうわーやだもー。きゃーきゃー"みたいなことを言ったような気がする。
「したね。でも、やっぱり日結花ちゃん本人がいないところで聞きたかったみたい。本人を前にしてだと言えないこともあるからね。普通は」
最後に"普通は"と付け加えた。それだけで、この人が何を言いたいのかはちゃんとあたしに伝わる。
「んー、ふふ、郁弥さんなんて答えたの?どうせあたしといたときと似たような感じでしょ?ううん。それ以上かしら?」
たぶんそれ以上。だって郁弥さんだし。さっき伝えてくれた、愛し…愛してる……。は、恥ずかしくなってきた。やばい、思い出しただけで照れてくる。これ本当にだめなやつかも。嬉しすぎてにやけちゃうっ。
「はは、よくわかってるね。だいたい日結花ちゃんの言った通り。世界で一番好きですって伝えておいたよ。この世に生まれて生きてきて、他の誰でもない日結花ちゃんが一番だって。これからずーっと先、嫌われることがあっても、離れることになっても、それでも僕が日結花ちゃんのことを好きであることに変わりはありませんって、そう伝えさせてもらったんだ」
「…ん」
言葉が出なくて、言われたことが胸に染み込んで、また泣きそうになる。それを抑え込むために目を閉じて、ぎゅっと回した腕に力を込めた。
「…ありがと」
少し時間を置いて、どうにか一言だけ絞り出した。
「ふふ、お礼を言うのは僕の方だよ。僕を助けてくれてありがとう。僕に幸せを教えてくれて…ううん、思い出させてくれてありがとう」
「…ばか」
本当に幸せそうな声で言わないでよ。そんなことばかり言われたらいつまでたっても落ち着けないじゃない…。
「…少し、このままでいようか」
「…うん」
雰囲気を察して短く一言。ただ抱きしめるだけじゃなくて、ゆっくり優しく、あたしの頭をなでながら待ってくれる。
聞こえるのは暖房の静かな音と雨音、それにお互いの息遣いだけ。言葉はなくて、緊張もなくて、温かく穏やかな、甘やかな時間が過ぎていく。
「はぁ、なんか幸せすぎてなんにもしたくなくなってきちゃった」
さすがに危機感を覚えた。このままだとなんの話もできずに一日が終わっちゃう。
それはよくない。ほんとによくない。今日うちまで来てやったことがイチャイチャするだけなんて許されないわ。そんなのうちじゃなくてもできるもの。
「あはは、じゃあそろそろ見てもらおうかな」
「うん。持ってきたものとやらを見せなさい。全部余さず見てあげる」
腕を解いて鞄をごそごそする。あたしは壁の時計を見て時刻を確認。どうやらこの部屋に来てから既に30分は経過したらしい。16時を過ぎてしまっていた。
「はいこれ」
「ふむ…」
手渡されたものは一冊の手帳。表紙には"振り返りノート"と手書きで書かれている。白を基調とした郁弥さんらしいシンプルで飾り気のない手帳。サイズは一般的な手帳よりも少し大きめ。表紙にプラスチックのカバーがされていて、それなりの高級感がある。
「これって…ん、あれ?あなたの振り返りノートってデジタルじゃなかった?」
去年の年末にそんな話をした記憶がある。
「あぁ、それとは別だからね。これは、なんていうか、ストレス解消用ノート?」
「へー」
「まあ、うん。自分の心の整理とかをするために作ったものなんだよ」
恥ずかしそうに自分の顎を撫でながら言った。
そんな可愛らしい恋人から手帳へと視線を移す。ぱらぱらと開いて送れば、文字が書かれているページは割とばらばら。スケジュール表などは何一つなく、手帳というよりは小さめのノートと言った方が正しいかもしれない。
最初の方にはメールアドレスとパスワードが…。
「…ねえ、これ人に見せちゃだめなやつじゃないの?」
「うん?」
今は抱き合っていた横向きから変わって、お行儀よく机に向かって座る体勢となっている。だからこそ、あたしの見ていたページを郁弥さんが見るには肩を寄せて覗き込むようにするしかない。
つまるところ、こういう何気ないやり取りで今まで以上にぐっと近い距離感でいられることが地味に嬉しいということ。
「あー、そういえばそうだったなぁ。別にいいよ。日結花ちゃんなら問題ないから」
一人頷いて、特に問題もないと軽く言う。軽すぎて動揺しちゃった。勢いでちゅーするところだった。あぶない。
「ほんとにそれでいいの?」
「え?う、うん。全然いいけど…」
そんな困惑の表情されても…それ浮かべるのって普通あたしの側じゃないの?
「そう…なら、いいけど」
本人がまったく気にしていないのにこちらが気にするのもばからしいので、ぱぱっとページを飛ばす。白紙のページが続いて、出てきたのは割と真面目に書いたらしい文章。ページの上真ん中に"ひとりごとしりーず"とひらがなで書かれていて、他の文章よりも可愛らしい書き方。
「…」
「っ」
ちらりと郁弥さんを見れば恥ずかしそうに目をそらしていた。可愛い。
気を取り直して本文を読み進める。一ページ目は"独白1"と書かれていて、日付は特にない。
「……」
書かれていた話をさらさらっと読んでみての感想。目を閉じて少し考える。
どうにも、あたしの
こういうとき静かに待っていてくれるのはありがたいし、そういうところも好きだけど…あたし、なんでこんな面倒くさい人のこと好きになっちゃったんだろう。
「…んー」
変に運がよくて、謎に既視感があって、意味わかんないくらい優しくて、温かで柔らかで、自然と気を緩められるような人。
顔は人懐っこいだけの人だし、笑顔は可愛いけどそれだけ。体格は…筋肉っていいものよね。あたしは好きよ。性格はとことんあたしに甘い。優しいし甘やかしてくれるし、本気で嫌がったこと一度もないのよね。あたしのことならなんでも興味持ってくれて、すぐ照れたり恥ずかしがったりするくせに、褒め言葉とかどんなときでも真っすぐ伝えてくれる。
結局…なんでかって、年上で大人っぽいのに子供みたいな可愛いところもあるから。あとはやっぱり、あたしへの全幅の信頼が伝わる笑顔と優しさ。
最初のきっかけはそれよ。歌劇で話したときに見せてくれた幸せいっぱいの笑顔が印象的で、だからこそ気になり始めた。
それからは運命みたいに偶然何度も会って、気づいたら郁弥さんのことばかり考えてた。知っていけばいくほどどんどん好きになって、いつの間にか大好きになっちゃってた。
支えられるだけじゃない、支えあって一緒に歩けるような関係になりたいって、そんなこと考えて…。
「…(ちら)」
「……」
目を開けて郁弥さんをちら見したら、向こうも向こうで目を閉じていたので再び考え事タイム。
色々あって郁弥さんに惚れ込んだのはいい。話を戻して今のこれよ。
"振り返りノート"の"ひとりごとしりーず"。最初の部分を読んだ感じ、自分の現状、というか心情を細かくだらだらと書いているらしい。こんな情感たっぷりの書き方なんて普通しないので、この"独白1"を書くことそのものが目的なのかもしれない。
ストレス解消って言ってたし、別に文章で自分に酔うくらい全然いいんだけど…問題は、郁弥さんがあんまり自分のことを好きじゃないらしいってこと。
…とりあえず続き読もう。
ノートに視線を落として"ひとりごとしりーず"を読み進める。2と3は1と同じようなもので、自分のこと嫌いなのに好きだから整理がつかなくて、ずーっと心の中ごちゃごちゃしてる感じ。
あと、3に出てきた友人。これ、たぶん女の人ね。あたしの勘よ。
くだらないことを考えつつ次に進むと、今度は少し違う。タイトルからして"独白"に二重線が引かれて"告白"になっている。
話の内容的に、おそらくあたしたちが"良い人"同士になったあたり。
信じられないことだけど、どうやらあたし、この時点で郁弥さんの心を助けてあげられていたみたい。ちょっと本気で驚いた。
普通に続きが読みたくなってきたので、目を瞬かせながらもページをめくる。
再びタイトルが変わって、今度は"独想"。番号は5番。
「…ふふ」
書き方が普段の郁弥さんみたいになってて笑っちゃった。
だってもう、一人喋りみたいな書き方してるんだもの。4からそうだったけど、書いてあることが明るくなってるのよ。しかも5番なんて、これ完全に恋してる人のことでしょ?しかもしかも、郁弥さんってばあたしのこと大好きで仕方ないんですって。照れる。
なんていうか、デート中とかこんなドキドキしてむずむずしてくれてたんだと思うと面映ゆいものがある。
くすぐったい気持ちを持て余しながら次のページへ。番号は6。タイトルは戻って"独白"。
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