第4章 踏み出す先と踏み出した先と

91. 声者ハイパースリーピングミュージアム

声者ハイパースリーピングミュージアム。公的な略称はKHSM。通称国イベ。

新暦28年の8月13日、日曜日に開催される国主催の大々的なおやすみイベント。


『早いもので僕が二人目ですけど、時間もないのでさくっと始めますよー!』


その当日。時刻は14時10分を過ぎて、ちょうど二人目の歌劇が始まったところ。起床放送が終わり、ほんの数分待って二回目の歌劇が始まった。


『"先の見えない暗がりで、ゆっくりと確かめながら進もう"』


控え室に置いてある映像からどんどん客席の光が弱くなるのが見える。柔らかい色の緑が薄い消え入りそうな緑に変わっていく。

観客が座っている椅子に取り付けられた装置が人の背中からお尻にかけて信号を読み取って、起きているか寝ているかを判断しているらしい。起きていたら柔らかい緑。寝ていたら薄く弱い緑と、わかりやすい違いが目に見える。


『"急がなくていい。ゆっくりでいいんだ。一歩ずつ進んでいこう"』


さすがあたしと同じ会場を担当するだけのことはある。開始1分で大半の明かりが薄い緑に変わっていた。

普段の歌劇が500~1000人で、会場も専用のホール。比べてここは3000人とかいうキャパシティーに会場も声の反響がしやすくて音が浸透しやすい作りじゃない。それなのにこれだけ簡単に眠らせられるということは、声者としての"力"がそれだけ優れているということ。


『"誰だって前は見えない。もちろん僕だって。それでも歩いていくんだ"』


声者が持つ"力"を会場ごとにできるだけ均等にするような形で配置が決められているので、3000人ともなればそれなりに、というかある程度"力"がある人じゃないと担当はできない。あたしはもちろん、最初の人も、今歌を歌っている人も声者の"力"はしっかりしている。

あたしも頑張らないといけないわね。ただでさえ一番年下なんだし、今回はあたしの大好きな人があたしを見るためだけに来てくれているんだもの。


『"空を見上げて、あの青い空を。どこまでも遠く広い大空を"』


頑張れあたし。全員眠らせる勢いでいくのよ。


『"目に映る空のように、僕らの道はずっと続いている。広がっているのさ"』


…全然聞いたことなかったけど、いい曲じゃない。この歌。



『みなさん、起きてください。時間ですよ。おはようございます。起床時間です。起きてください。よく寝ていらっしゃったようですね。おはようございます。快適な起床を提供する咲澄日結花です。数分後にはより上質な睡眠を提供いたしますので、今はのんびりと目を覚ましてください』


自分の声が会場に響く。声者ならみんな持っている弱い"力"を使うため、歌劇とは違い強く意識しなくてもじんわり風のように広がっていく。緑色の明かりがいっきに強くなるのを見ながら、適当な放送を入れていった。


「……ふぅ」


あたしが声を出していたステージ横には誰もいない。あたしだけ。さっきまでステージにいた声者は既に控え室へ戻ったし、スタッフの人は特注の密閉イヤホンをつけて色々頑張ってくれていると思う。音響とか、マイクの調整とか。最悪マイクなくても"力"の浸透はできるけど、声の届きが悪いと"力"の効きも悪いので、やっぱりマイクはないと困る。

……よし、行こうかな。


「……」


無言で足を進め、ステージの中央に向かう。3000人の目があたしに向き、自然と口角が上がる。


「ふふ」


初めての大規模なおやすみイベントで、これから歌劇を始めるっていうのに笑っちゃうのは変かもしれないわ。でも…ふふ、でもね。


「ん…んん」


ピンマイクとステージ中央のマイクに音を入れる直前、声の通りを確認する。マイクを二つ使うのはよりダイレクトに声を会場全体に響かせるため。

両方のスイッチを入れて、一つ息を吸ったあと口を開いた。



◇◇



『ええ、みなさん。みなさんはどうしてあたしが笑顔でいるのか気になっているんですよね?』


会場に響くのは一つの声。明るく力強く、それでいてどこか耳を傾けたくなるような柔らかい声。


『あたし、思ったんです。あぁ、こんなにたくさんの人の前で話すのは久しぶりだなぁって。もちろんイベントでお話することはありますけど、声者として本気で、全力で歌劇を行うなんてしたことありませんでしたから。それを考えたらおかしくなっちゃって、ふふ。ついつい笑っちゃったんです』


ころころと笑みを見せる姿は可愛らしく、その声に似合うような優しく柔らかい笑顔。

話を始めたばかりだというのに、ゆっくりと染み渡るような声が3000人の耳に、頭に、身体に浸透していく。可愛らしい姿をまだ見ていたいと思うのに、まぶたが重く、目を開けていられない。ただ彼女の語りかけるような声だけが、ぼんやりとした意識の中どこからか、遠いような近いような、ただ心地よく聞こえる。


『もちろん緊張はしています。何度もこういった場所に立たせていただきましたし、たくさん今みたいなお話もしてきました。それでも、ドキドキして心配で、大丈夫かな、上手くできるかな、そんなことを考えてばかりです。あ、ふふ、今だって上手く喋れているかしら?とか考えているんですよ?』


遠く、まだ聞いていたいと思うのに、この優しく心を、身体を包みこんでくれるような声を聞いていたいというのに、声が遠のいていく。ただ、それを名残惜しいと思うのと同時に、とろけるような気持ちが心を満たしていく。


『ドキドキしているのはあるんです。でも、それ以上にこうやってお話できているのが楽しくて、面白くて、嬉しくて、そんな気持ちがあふれてくるんです。だから、今すっごく楽しいんですよ。あたしにしかできないことを今この瞬間やっているんですから。ふふ、目で見てわかるのもいいですよね。ほら、もう効いてきているでしょう?』


ゆらりと揺れたような、揺れていないような。そんな気がしてーーー。


『あ、もう落ちちゃってましたか、ふふ』


そう言って、彼女はステージの上で一人くすりと笑みを浮かべた。


『今少し強めに"力"入れましたからね。ゆらっとしていた人はいい感じに深く眠れたと思いますよ。それじゃあここで自己紹介をしましょうか。あたしは咲澄日結花です。若く見えますよね?ふふ、大丈夫ですよー。ちゃんと若いので。若いからって侮らないでくださいね。あたし、これでも歌劇6年目ですから』


ぴっと人差し指を立てて、まだ意識を保っているオーディエンスに改めて伝える。


『6年間歌劇やってきて、色々思うことがあったんですよね。あたしがこんなに素敵なお話をしているのに、話し始めでみんな眠っちゃってつまんないなぁとか、面白くないなぁ、とか』


彼女が言うように今でさえ3000の明かりはほとんどが消え失せ、残りはぽつぽつと数十あるかないかといった程度。会場は特別でもなく、人数は過去最大。しかし、咲澄日結花の歌劇至上最高に"力"の制御、浸透が上手く出来ている。それはきっと、彼女自身の考えが変わったから。


『でも、思ったんです。歌劇って、人を癒すものなんですよね。疲れた人とか、辛い人とか、上手くいかないことだらけで大変な人とか、そういった人を深い眠りに落とすことで心と身体を休ませてあげる。歌劇の本質ってそれなんですよ』


"力"をゆっくりと言葉に乗せ、穏やかな流れを刻んでいく。


『話を聞いてくれないってことは、それだけたくさんの人が休めているってことです。それはつまり、あたしがみんなに休息を与えられているってことで…ふふ、それってすごいことじゃないですか?』


時折流す"力"に強弱をつけることでより遠く、より深くまで人を落としていく。咲澄日結花の"力"に抵抗力を持っている人をも強烈な"力"に意識を落としていった。


『誰にでもできることじゃありません。もちろん声者ならみんなできることですけど、あたしの声を聞いて、あたしの"力"を受けて休んでいる人がいるということは事実です。それはあたしにしかできないことですよね』


声者への抵抗力というのは、単にその声者の"力"と波長が合っただけのこと。基本的な波長が合っているから"力"が効かないのであって、声者側が"力"に大きく波を作り操れば、合わさっていた波長も崩れ他の人同様眠りに落ちていく。高い能力を持ち、ある程度経験を重ねた声者ならできることではある。しかし、日結花はまだ6年。たったの6年である。


『だから、話を聞いてもらえないのが面白くないとか、そうじゃなくて。…いや、面白くないのは面白くないんですけど。ふふ』


6年という期間は長いように思われるが、声者の"力"というのはそう単純なものではない。もともと存在する"力"に指向性を持たせることが歌劇や拡歌に繋がっているのだ。その"力"が大きければ大きいほど扱うのが難しくなってくる。


『こほん…面白くない以上に、人の心を、身体を休ませることができるって素敵なことだなぁって思うようになったんです』


日結花の"力"はかなりのものであり、それを扱うのは当然難しい。指向性を持たせ、そこから波に変化をつけるのはそう簡単にできるものではなかった。そう、なかったのだ。


『そんなわけで、たぶん今のあたしって絶好調なんですよね。"力"がよくわからないくらいに上手く動いてくれて、ほら、もうみなさんだいたい眠っていますよね?聞こえてないと思うんですけど、あと起きている人って…十人くらいですか?』


たった数分、それこそ5分経たない程度で起きている人は十人かそこら。

6年という歳月で積み重ねた歌劇の経験は、確かに日結花の力になっている。しかし、それは繰り返し行ってきたことによる技術の上達であり、ある程度の"力"を持っている者ならば続けていれば誰もがその域に達するものである。

"力"の扱いは声者にとってほとんど直感的なもので、経験を重ねて少しずつ上手くなっていくのが普通ではある。日結花の場合、順当にいけば10年目程度で"力"に対する波のつけ方もわかったことだろう。以降"力"を制御し実戦を繰り返せば数年で"力"を自由に扱えるようになったと考えられる。


『…自分で言うのもあれですけど、やっぱりあたしってすごいですね。3000人に対する歌劇なんて初めてなのに、割とあっさりみんな眠っちゃいましたよ。どうですかー?起きている人まだ元気ですかー?元気なら手を挙げてくださーい。ふふ』


にこやかに落ち着いた笑みを見せながらひらひらと手を振るも、会場には弱々しく手を振り返す数人がいるのみ。

会場を見ての通り、今、日結花は成長に必要な時間をすべて飛ばして声者としての階段を駆け上がった。彼女自身が何か"力"の鍛錬をしただとか、誰かに教えを請うたとか、そういうことではない。


『…んー、みんなよく眠っていますね。…よかった。少し力抜いてみましたけど、全然起きる気配はありませんね。しっかり眠っている証拠です。まだ起きている人も眠っちゃっていいですからねー』


ただ人を休ませたいと、そう思っただけ。その気持ちが他の人よりも大きく、日結花にとっての原点がその気持ちであった、ただそれだけのこと。


『でも本当に…こんなにも歌劇が良いものだと思うようになるなんて。少し不思議な感じです。さっきも言った通り、ちょっと前までお話してるんだから聞いてほしいって思っていましたから。今でもそれは変わりませんけど、なんていうか、もやもやしたのがなくなって落ち着いた気分で話ができているんですよ』


面白くない、つまらない、やる気が出ない。そう思っていたことが反転して、むしろ人を眠らせたい、癒したい、休ませたいと思うようになった。そのことだけとは言わないが、"力"の制御が大幅に向上したのは日結花の意識の変化が大きい。


『…よし、ちょうどいいのでどうしてあたしがこんな気持ちを持つようになったのか話しましょうか。ふふ、そんな複雑なことでもないんです。あたしですら、"なーんだ、そんなことだったのね"みたいな感じでしたから』


結局、"力"なんてものは理屈でもなんでもない、感情によるものなのだ。一定までは理屈があるにしても、それ以上は感情がすべて。

たまたま歌劇の在り方と日結花の気持ちが一致して、それが噛み合わさっただけのこと。難しいことは何もない。要は声者の気持ち次第である。


『一言でいえば、原点回帰です。あたしが声者になりたいと思った理由が人の心を癒したいとか、心が疲れちゃった人を助けてあげたいとか、そういったものだったんですよね。そのことを考え直して、歌劇に当てはめてみたら今の通り。ふふ、歌劇ってあたしの夢そのものだったんです。びっくりですよね。ええ、あたしもびっくりしました』


ただ、いくら気持ちと言えどここまで急激な変化は早々ない。その原因は、日結花が持つ狂おしいほどに燃え上がる心がかかわっているのかもしれない。

そんなことを何一つわかっていない、考えてすらいない意中の人物、残り少ない眠りに落ちていない人のうちの一人である彼は、ぽやっとした顔で幸せそうにステージ上の少女…いや、女性を見つめていた。


『ね?だから今起きている人もみんな、じっくりぐっすり眠っちゃってください』


その一言とともに日結花は"力"を大きく流し、まだ落ちていない人の抵抗力を貫いた。



◇◇


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