92. 歌劇中のお話について
「…ふむ」
国イベが始まってはや二時間半。あたしの歌劇が始まって10分ほど。起床放送の時間も込みでの10分。だから眠らせ始めてだいたい5分かそこら。
「…あーあー。今"力"入れてませんけど、どうですか?…聞くまでもないか」
普段の調子で話してみても誰かが起きる気配はない。会場全体が静まり返ってぐっすりすやすや…よく眠っているわ。
まだ5分なのに、起きている人はほんの一握り。たぶん5人とかそれくらい。見た感じ5つくらいしか明るい緑見えないし…あ、また一人落ちた。
「なるほどなるほど。もう落ちかけってわけですね。じゃあはりきってお話しましょうか」
ここまで上手くいくとは思ってなかったけど、これはこれでよし。それだけあたしの"力"が上手に伝わっているってことだもの。
「あたしの歌劇事情については色々話したので、今度は他のお仕事について話しましょう。普段聞くことなんてない話ですから、割と面白いかもしれませんよ?」
…まあ、聞ける人なんてほぼいないみたいだけどね。
「声者のお仕事というと、みなさん何を思い浮かべます?…ええ、そうですね。まずは歌劇です。今やっているのも含めて歌劇が一番大事です。拡歌とかもありますが、基本は歌劇です。次に声当てがきますよね。吹き替えとかアニメーションとか。そういう系です。とりあえず声当てのことから話しましょう」
会場全体をぼんやり見回しながら、最初より"力"をゆったり流して話を進める。
「声者というよりあたし個人のことですが、咲澄日結花という名前、聞き覚えありません?ほら、映画のクレジットとかキャストのところであるじゃないですか。吹き替えの人の名前が出てくるやつ。…返事がないのはいいです。みんな眠っているのは知ってるから勝手に話すので。とにかく、あたしもそれなりに色々出てきたわけですよ」
しーんと静まり返った会場に問いかけるのは少し虚しいものがある。
ただ、しかし。今日のあたしはいつもとひと味違う。
「映画とかドラマについては今はちょっと省きます。有名どころだと『Mysterious family』とか『Unreasonable Overturn』とか ありますけど、今はいいんです。大事なのはアニメーションの方。みなさんご存知RIMINEYです」
なんといってもあたしの大好きな人が現在進行形であたしの話を聞いていてくれるから。
しかもあの人ってばまだ起きているのよ。…いや、そうなるかなぁとは思ってたけど、案の定だったわね。家族席でぽつんと一人だけ起きているって…さすが郁弥さん。あたしの歌劇慣れしているだけのことはあるわ。
「『Unreasonable Overturn』もRIMINEYの作品ではありますけれど、そちらではなくですね。あたしが言いたいのはRIMINEYのアニメーションのことです。これについては世界的に有名なのでさすがに知っているでしょう。その中にあたしの代表作…」
…代表作って言っていいのよね。一応主人公だし…ん、大丈夫。平気よ。
「一瞬代表作と言ってもいいのか迷いましたが、たぶん大丈夫です。だめだったらこの歌劇のDVDは編集で切られるでしょうし、聞いている人もほとんどいないから大丈夫です。ていうかだめだったらもっと前に他の人から文句言われてるわよ。…こほん、話を戻しましょう。あたしの代表作の話でしたね」
みんな眠っちゃって気が緩んできちゃった。もう少し気を引き締めてやらないと。せめて30分経つまで、もしくは全員眠っちゃうくらいまでは頑張ろう。
「作品名は『まほうひめリルシャのぼうけん』です。まだまだ新しい方の作品ではありますけど、劇場版とかやってたりもするくらいには人気なんですよ?その劇場版、ちょうど映画館で放映中なのでよかったら見てみてくださいね」
この人数にお仕事ついでで宣伝できるなんてなかなかないから、みんな眠っちゃってるのが悔やまれる。
「知らない方のために一応説明しますか。『まほうひめリルシャのぼうけん』は主人公であるリルシャちゃんが世界中を冒険していろんな人と出会って成長していくハートフルグローアップサクセスストーリーです」
…うん。
「…なんか言い方アレでしたけど、大事なのは冒険しながら各地で出会う人と問題を解決していく点ですね。例えば海底国のお話。リルシャちゃんが海底国を訪れたとき、大きな問題が起きていたんです。海の流れ、海流ですね。それが変わってしまってこのままだと国の結界が崩れてしまうという話でした。結界は水の流れを利用した大規模なもので、それがあるからこそ水中でも火を起こしたり重力を働かせたりできるんです。だから、結界がなくなったらすごく大変で…どうせなら一つセリフも言いますか」
説明してたらやる気出てきちゃった。やっぱリルシャはやってて楽しいわ。ストーリーだけじゃなくて、演じるのが楽しいっていうのが最高よね。
「ふぅ…"あら、そうなの。ふふ、いいわ!わたしが手伝ってあげる!これでも国では"まほうひめ"のネームをもらっているのよ?調査くらいどうってことないわ!わたしに任せなさい!"…と、こんな感じです」
素のあたしに近いのはご愛嬌。
「聞いてわかる通り、リルシャちゃんは勝ち気で冒険心あふれていて自信満々で、かっこよくて可愛いお姫様です。この海底国についてのお話は再放送でそのうちやると思うので、気になる人は見てみてください。あと、このお話って『5人魚シリーズ』とのコラボでもあるので、その点も魅力ですね」
いつやるかは知らないけど、たぶんそのうちやる。それに、見たい人はDVD買うなり借りるなりすればいいでしょ?
「基本的に、『まほうひめリルシャのぼうけん』には今あたしが話したようなお話が詰まっているんです。…だいたいこんな感じかな」
リルシャの説明についてはこんなところでいいと思う。あとは…お仕事関連?
「続いてリルシャのことですけど、お仕事といえば、みなさんが考えるのは普通の声当てだと思うんです。キャラクターの動きや表情に合わせて声を出して、抑揚から強弱、声の大きさに音の表情と。メインのお仕事はそれで合っています。でも、それだけじゃないんです」
話すのは声当て以外のお仕事。RIMINEYのお仕事をやる上で必須なもの。
「RIMINEYの作品に多いみたいなんですけど、キャラクターを演じてる人ってイベントに呼ばれることが多いんですよね。呼ばれるというか、イベントでキャラクターの声を出して読んで話してお喋りしてのお仕事があるんです」
もう何回もやったわ。ううん、何回どころじゃないわね。何十回よ。
「最初は裏でお喋りしているだけだったんです。ずっとこんな感じかなぁと思っていたら、二回目には前に出て挨拶をすることになったんです。ええ、不思議ですよね。あたしも不思議に思いました。前に出る意味なんてないじゃないですか。それに、夢を壊しちゃうような気もしますよね」
懐かしいわ。初めてリルシャのお姫様なドレス着て前に出たのよ。
「実際はそんなことありませんでしたけど。普通に大歓声で、しかも子供たちもみんなあたしの名前知ってたんですよ。リルシャちゃんじゃなくて咲澄日結花の名前を、です。キャラクターとあたしのことを分けて理解していて、その上であたしのことも好きだったんですって。どうしてそんなことになっていたのか、最初はほんと意味わかりませんでしたけど、話を聞いてみれば納得でした」
あのときはどうしたんだったかな。…前の方にいた子供たちに話を聞いたような気がするわ。
「声者って、よく人を眠らせるじゃないですか?今もそうですけど、歌劇とかでですね。あたしの場合朗読でも適度にゆるーく"力"入れたりしているのでそれも入りますね。そういったものの中で、歌劇ってDVDも出ているんですよ。知ってました?知ってましたよね。有名ですから。DVDだけじゃなくてCDもありますが、それはともかくとして。そういった録音したものにも誘眠効果が残ることも知っていると思います。効果の強さとかは全然弱いし、眠りへの深さも薄いものですけど」
実際に聞くのと録音されてるのを聞くのとだと、効果は十分の一とかだったような。ううん。もっと低かったわね。1時間寝て10時間ぶんになるに対して、1時間寝て1時間半ぶんになる感じ。あとは眠れないときにさくっと眠れるようになるくらい?
「たいていの人が誰かしらの声者の"力"が入ったCDやらDVDやらを持っているんですよね。もちろんリルシャのイベントに来た子供たちの親御さんも持っているわけで、それを聞いたり見たりした人が"わぁ、すごい!なにこれ!どうやってるの?すごいすごい!!"みたいになるらしいです。実際に自分が聞いてぐっすり眠ったりもしたみたいで、声者が好きになったそうなんですよ。そこから繋がって、声者がどんなことをしている人なのか知っていき、ついにはあたしにたどり着いたと」
なんていうか、子供たちからしたら声者の"力"が魔法みたいに見えるのよね。きっと。実際は魔法というより超能力に近いんだけど…いや、どっちにしろすごいことには変わらないか。
「ですから、イベントだと大半はキャラクターとしてだけじゃなくて声者としての役柄も求められるんです。別に難しいことじゃありませんけど、RIMINEYの声当て事情がそんな感じになっているんですよ、っていうお話でした。ついでに言っておきますと、イベントでは声者としての"力"の実演もやったりしますよ。しっかり寝る体勢になってもらった人にちょちょいと"力"流せばぐっすりおやすみなさいしてくれます。特に子供たちなんてすーぐ眠っちゃいますから。ふふ、大人も子供も参加できるイベントですので一度参加してみるものも面白いかもしれませんよ?」
親御さんと子供が多いにしても、声者が出るとあって上質な睡眠を求める大人も来たりすることが多いのよ。もちろんリルシャを見ていて、好きのついでに眠れたらいいなぁみたいな感じらしいけどね。
「リルシャのお話についてはこの辺でいいでしょう。じゃあ次のお話に…と行きたいところなんですが、ちょっと国イベ限定飲料水をいただきますね」
ささっとマイクから離れてステージの床に置いてあるペットボトルを手に取った。
…冷静に考えたらマイクから離れたってピンマイクあるんだから声は普通に入るのよね、これ。
「…はぁ…これはいい水。あ、この水限定販売なのでみなさん買って帰るといいですよ…って言うの遅かったか。どうせなら歌劇最初に言っておけば…それはそれでおかしいし…タイミングは起床放送入れたときくらいしかなかったじゃない」
お水を置いてスタンドマイクの前に戻る。改めて会場を見回すと、既に明かりは…一つ?
「…あれ?え、うそ。もうあと一人だけ?」
あたしの予想以上に"力"の効きがいい。効きすぎなくらい効いている。
いつもの歌劇と違って参加者は多いし、それだけ聖人っぽい紳士淑女な人もたくさんいるとは思ったんだけど…ちょっと予想外かも。
「ええっと、こほん…どうかしら。今力抜いてるけど、起きる気配は……なさそう?」
うん。なさそう。明かりの動きも全然ないし、寝てる人も全員完璧に寝入ってくれている。
「それならあとは一人だけか…」
…まあ…うん…。
「…やっぱり最後はあなただったのね」
これに関しては予想通りというか、予定調和というか…当然というか。"さすがにこうなるとは思ってなかったよ"とか、いつもだったらこんな返事が来ると思う。今日は歌劇だし会場だし声を出せたりなんてするわけないけれど…ふふ、あたしはこうなると思っていたわよ。
「説明しておきますと、あと一人残っているのはあたしの親族席に座っている人です。細かい紹介とかはしませんが、なんなんですかね。よくあたしに接しているから耐性があるとかそういうことなんでしょうか。声者の"力"に対する耐性が得られるなんて聞いたこともないのであるわけないんですが、同じ声者でもないのによくもここまで起きていられたものです」
郁弥さんなら起きているとは思っていたけどね!
「ふふ、まあ悪くないです。さっきも言いましたけど、話を聞く人が一人もいないというのが面白くないのは事実ですから。一人でも聞いてくれているだけでちょっとくらい気分も違うものですよ」
本当はちょっとなんかじゃないわ。ものすごくよ!ものすごく!
「それじゃあここからはお仕事のことからいったん離れて、最近のあたしのことについて話しましょうか」
よーし!郁弥さんとのお話始めるわよー!楽しくなってきたっ!
「ちょっと前のことです―――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます