80. 声者ハイパースリーピングミュージアムのこと
「…ところで姫様」
「あら、なにかしら?なんでも言いなさい?」
デートらしく幸せなひとときを過ごし、お互いの食事も半分を過ぎた。
ていうか食べさせあって自分のお皿の半分が相手の胃に入っただけだけど。
「今度のデートどうしようか?」
「む…」
アイスチョコレートを飲んでたら郁弥さんが普段通りの話し方に戻った。
デートか…。
「…なにか考えある?」
「うーん…プランならいくつかは。夏らしく涼しいところ行くとかドライブデートとか、あとはまだまだ近場でも行ってないところたくさんあるからね。いくらでも考えられはするよ」
「ふむ…」
たしかに。あたしの手料理を食べてもらうとかもやってないし、案ならいくらでもあるわ。…一応聞いておこうかな。
「郁弥さん。あなた8月の中旬は空いてる?」
いわゆるお盆と呼ばれる夏のお休み。
「うん。特に予定はなかった…かな。仕事もないから空いてるよ」
「やった!…んん…こほん、実は8月の半ばにあるイベントがあるのよ。知っているかしら?」
「…もしかしてあれ?"あおさき"で言ってた声者を集めた国主催のやつ」
「そそ。それ」
怪訝な顔をするのもごもっとも。なぜなら国主催だから。前々からお国様も考えていたみたいで、ようやく形にできたらしい。
何がすごいってその規模がすごい。キャパ数百から数千、1万人までも含めた建物をたくさん使ってのイベント。しかもこのイベント、関東のみならず地方のコンサートホールやアリーナも使った一国規模のものになっている。
「…結構ニュースとかでも話題になってるよね。8月に入ったくらいで当選が決まるとか聞いたけど、応募が多すぎるってテレビで言ってたよ」
「らしいわね」
峰内さんにそんな話聞いたわ。
あたしが普段行ってる歌劇は多くても千人に届くか届かないくらいの人数だから、数千、ましてや1万なんてありえない。…理論上声者の能力的に不可能じゃない…ていうか余裕だけど、施設的にいつもの歌劇とか拡歌って専用のホールを使ってるのよ。比べてその新しいイベントは普通の建物だし、"力の効き"が悪くなると思う。…そこはまあ、国に考えがあるのよね、きっと。
「全部のイベントホール合わせたら数万どころか数十万人行くんじゃない?知らないけど」
あたし自身は他の人の歌劇とか応募したことないし、関係者チケットでしか入ったことないからそれぞれの人数とかわかんないわ。声者特権万歳。
「すごいよね。それが全部埋まるどころか抽選になるんだから」
感嘆の声を漏らすあたしの良い人。目の前にいるのがその大規模イベントのステージに立つ一人とは微塵も思っていない様子。
「何倍かしらね、今度のは」
倍率は…あたしですら数百から数千倍らしいし、それくらい大きいイベントとなると…ううん、むしろ席が増えるから倍率は下がるのかも。
「ええと…昨日見たのだと場所によって違うらしいよ。有名な声者が多く参加するところは倍率も数千、下手したら数万倍とか聞いたし、地方だともう少し下がるとか言ってたかな」
「へー…」
…そっか。会場多いとはいえ有名どころに人が集まるのは当然よね。…ママくらいの声者だと眠りの質も意味わかんないくらいになるもの。だいたい…数か月ぶんの疲れが取れるくらい?
「専用の声者イベントホールを使わないからなんとも言えないけれど、声者の力が強ければそれだけよく効くわね。有名な人は…やっぱり大きいホールよね?」
「うん。そうらしいよ…というか、日結花ちゃんの方がよく知ってるんじゃないの?」
真面目な顔で聞かれた。
「それがあんまり知らないのよ。あたしが参加する場所はもう決まってるし、そこに誰が来るのかも知ってるわ。でも他の場所は全然」
「あ、そうなんだ?」
「ええ。会場規模ごとにランキング表示はされるけど、誰がどれくらいの人を眠らせたかはその会場内限定だったはずだし…」
例えば5千人規模の会場で、眠った人合計の数が表示されてるのが一つ。もう一つはその会場内にいる声者同士の競い合い、みたいな話を聞いたような気がする。
ちなみにあたしは3千人規模だったりするので、その辺りのランキングに参加する。5千人とか1万人規模はママみたいな声者が参加するはず。
「ランキング?」
「どの会場が一番人を眠らせたのかと、どの声者が一番人を眠らせたのかの二つよ」
眠ったかどうかの判断は神経がどうとか肉体がどうとかを計測する機械が椅子に取り付けられてるとかなんとか。そのイベントのために新しく開発したらしいわ。
「ほー…なんかすごいね」
あ、今の可愛い。ぽけーっと全然わかってない顔すっごく可愛かった。
「ふふ、あなたもそこに来るのよ?ちゃんとわかってる?」
「え、そうなの?」
もう、不思議そうにしちゃって…。なんのためにこの話したと思っているのよ。あなたを誘うため以外ないでしょう?
「ほら、さっきお休みか聞いたでしょ?」
「あー…そういうことか。いいよ。連休中だし全然行くよ」
「それはよかったわ」
ふわりと微笑んで了承をくれた。
安心した…はいいけど、この人、なんで今までイベントとか来てくれなかったのに今回はいいのかしら。
「ねえ郁弥さん」
「…ん…うん?なに?」
パスタを飲み込んでから聞いてくる。
いちいち仕草がきゅんとくるわね。そんなにあたしを惚れ込ませてなにがしたいのよ。婚約?結婚?いいわ。今すぐ役所に行ってあげてもいいわよ。
「日結花ちゃん?」
「え、な、なに?」
気づいたらじーっと見つめられてた。
もう、照れるじゃない……いやそうじゃないでしょ。
「え?いや、日結花ちゃんが名前呼んだから応えただけなんだけど…」
「あ、う、うん。そうよね?ええわかってるわ」
困った困ったと言いたそうなあたし好みの表情から意識を戻す。そう、話しかけたのはあたしだったから。
「…ええと、郁弥さんって色々イベント来てくれなかったでしょ?今回はどうして来てくれるの?」
「…イベントって、そんなに行ってなかった?サイン会とか結構行ってると思うよ?」
「"あおさき"のとか"フィオーレ"のとか」
「それは…うん。認めよう。行ってなかったね」
そんな"言わなきゃだめ?"みたいな、悶えそうになるくらいきゅんきゅんする顔したって無駄よ。あたしには効かないわ。効かないったら効かない。全然効いてなんてないんだから。
「…す…そ、それで、どうして?」
あっぶなぁー!"好き"とか言っちゃいそうだった!!ほんっとあぶない!効いてないどころか効きすぎて一瞬本音出そうになったじゃない。…気をつけなきゃ。
「うーん…翌日仕事だから?」
「…土曜日のときもあったでしょ?」
「大勢の人が集まるところは体力使うんだよ…」
遠い目をして変なことを言う。
「お年寄りみたいなこと言うのね…郁弥さんまだ若いでしょ」
「僕、もう25だよ?体力はないんだ…イベントについていける体力はもうないよ」
「ライブじゃないんだからそんな体力使わないわよ。だいたい25ならまだ全然余裕あるでしょ。うちの知宵見なさいよ。あの子24よ?それでもあれだけお仕事できてるんだから郁弥さんだってまだまだ頑張れるわ」
知宵がよく寝てるとかそういうのは知らない。郁弥さんそのこと知らないしいいの。
「知宵ちゃんに失礼だよ。それに、あの子はよく休んでるみたいだし…ううん。それはいいや。とにかく、"あおさき"のイベントとかは今度行くからさ。それでいいかな?」
「ん…まあいいわ」
来てくれるならいい。今は8月の話よ。
「それで、イベントだけどさ。名前ってもう決まってた…よね?」
「ええ。声者ハイパースリーピングミュージアムよ…」
…そのイベントに携わるあたしが言うのもなんだけど、ほんとださいわね。誰よこんな微妙なネーミングしたの。
「あぁ、それだ。…ええと、わかりやすいよね」
「ふふ、無理に褒めようとしてくれなくていいのに」
はぁ…郁弥さんってこういうところあるのよね。全部表情に出てるのに口では配慮しようとして…もう、わかりやすい人。ほら、今だって苦笑隠しきれてないわよ。
「あ、あはは…うん、声者ハイパースリーピングミュージアムね。…略称とかなかったりする?」
「KHSMと言われているけれど、あたしは国イベと呼んでいるわ」
「ええぇ…なんだろう。それでいいの?」
「いいのよ。国主催なんだし」
KHSM(けーえいちえすえむ)なんて長すぎよ。国イベくらいの短さじゃないと略称とは言えないわ。
「そっか。…うん。僕が言うことでもないしなんでもいいかな」
「そう?なら…はいこれ」
鞄から取り出した封筒を渡す。普通の茶封筒で、国からもらったものそのまま。
「これって…もしかして?」
「そ。チケットよ」
受け取ったチケット入り封筒を見てちら見してくる。可愛い。好き。
「…ついに…あ、いや、もしかしてふつ」
「関係者だから」
「…友人枠みた」
「そんなのないわよ」
「……間違いならいいんだけど…親族?」
「あら、わかってるじゃない」
恐る恐る尋ねる郁弥さん。対してあたしはというと、自信たっぷりに頷いてあげた。
「…あ、親族って僕だけだったりする?」
どこに希望を見たのか、沈んでいた瞳に光が宿る。
「そうねぇ…」
ママはあたしと同じく国イベ。パパは…どうかな。あたしの歌劇だと普通に寝ちゃうからママの方行くかも。わかんないけど。だとすると…。
「一人かも?あたしと同じ会場を担当する声者の家族とかはいても、あたしのママとパパはいないと思うわ」
パパはちょっとわかんない。ママの方行くかもしれないし、あたしの方来るかもしれないし。郁弥さんには言わないけど。
「そう…そっか。それならまだ…大丈夫かな」
「…ねえ、そんなにママとパパに会うの嫌なの?」
「え?ううん。別に会うのはいいよ?関係者席とかそういうところで会いたくないだけで、挨拶するくらいならいつでもいいよ」
さらっとすごい発言をしてくれた。
なに、そのすごく嬉しいセリフ。好きになっちゃうでしょばか…あ、もう大好きになってたわね。
「ふふ。じゃあ今度会いにきてちょうだいね?」
「…いやあの、日結花ちゃんの家に行くのはハードル高くないですか。外でばったりとかならまだしも、家は色々とほら…」
…なるほど。そういう考えか。
「それならそれでいいわ。別にあたしの両親と話してほしいわけじゃないもの。それより開けなくていいの?」
「あ、うん。開ける開ける」
一つ頷いて封筒を開いた。中には紙とチケット。
「へー、13日なんだね」
「……」
パスタ美味しい。あと郁弥さんかっこいい。真面目な顔してる郁弥さんってほんっと素敵。そのままちゅーしてくれたりとかしちゃったら…きゃー!
「日結花ちゃん?」
「はいっ!…え、な、なに?」
…全然聞いてなかった。なんて言ってた?郁弥さんすっごく怪訝そうにしてるんだけど…。
「いや、13日なんだなーって」
「あ、あー…うん。そうそう。13日に開催されるのよ」
せ…セーフ!
「それにこれ、お昼からなんだね」
「ん?…あぁ、13時から18時までだったわね」
「日結花ちゃんは何時から出るの?」
「あたしは中盤だから15時くらいだったはずよ」
「そっかー」
ぽわぽわした顔で呟いた。可愛い。癒された。
「なんかあれだね。日結花ちゃんの仕事見にいくの久しぶりだね」
くすりと優しい笑みを浮かべる。素敵。癒された。
「そうかしら?」
「うん。いつぶりだろう…今年入ってから初めて?」
「…んー」
考え込んでる。かっこいい。癒され…ばかみたいに見惚れてないで、郁弥さんがあたしのお仕事見にきたかどうかよ。…たしかにきてないかも?普通に休日とか会ってたから全然意識してなかった…けど。
「…なんで来ないの?」
「え?そういえば考えたことなかったな。歌劇とかだよね…ええと、行かなくても日結花ちゃんに会えるから?」
「…むぅ」
嬉しいけど嬉しくない。どうせなら会いにきてほしいもの。デートじゃなくても郁弥さんにはあたしのこと見ていてほしいじゃない。
「…ちゃんと来るのよ?」
「…そうだね。ちゃんと本人の仕事ぶり見ておかなくちゃ。ファンとしてラジオ聞いてアニメ見て映画見てCDとか買ってるだけじゃだめだよね」
残りのパスタをもぐもぐし終わってから、ぐっと拳を握って言った。
…冷静に考えたらあたしの参加作品ほとんど見てくれて朗読CDとかもだいたい買ってくれてるんだから、別にイベントきてくれなくてもいいのよね。きてもらうけど。
「…ええ、だめ。あたしの声聞いてお喋りしてくれなくちゃだめ」
「うん、わかった。とりあえずお休み合う日の歌劇は応募しようかな。他のイベントは何かあったら教えてよ。参加できるときはするからさ」
「いいわ。用意できるときはすべてチケット用意してあげるわね」
それくらいお安い御用よ。歌劇は抽選だから置いておいて、朗読とかサイン会なら余裕。チケットどころか別で時間取ってもらうわ。
「…いや、そこまでしてもらわなくてもいいんだけど…」
「ん?どうして?」
自信満々に頷いたのに、お相手の恋人さんはひどく微妙そうな顔をしていた。不可解ね。
「どうしてって…他のファンの人に悪いからかな。日結花ちゃんのサイン会とか朗読会って結構子供も多いよね?」
「ええ、まあ」
それなりには。
これでもRIMINEYで主役張ってるだけのことはあるのよ。色々リルシャのイベントには引っ張られて、普通に顔出して声出してるわ。
なんかよくわかんないけどドレス着て歌ったり喋ったりしてたら子供たちに人気が出ちゃって…最初は裏で声出したり録音したやつ聞いてもらうだけだったのよ?それがちょこっと舞台挨拶とかしたらすっごく受けちゃって…RIMINEYの役でイベント呼ばれる人ってみんなそんな感じらしいわ。キャラクターと担当の声者の両方が超人気とかなんとか。
さすが声者よね。環境きちんとしなくても声者力発揮しちゃうんだから。…気分引き上げる効果なんて拡歌メインだし、あたしは全然上手く使えないんだけど、少しの効果が結構会場の熱気に混じっていい感じに働く…って前に聞いたわ。
「だからね。日結花ちゃんと親しいってだけで優遇されるのはだめだと思うんだよ」
「…むぅ」
…そりゃ子供たちには聞いてほしいし――朗読で寝るとか寝ないとか今は関係なし――聞いてもらえればあたしも嬉しいけど、それと郁弥さんにきてほしいと思うのは別よ。
「…ずいぶんとご不満そうで」
あたしがどんな気持ちでいるのか察してくれたのか、苦笑して一言。
「ええ、不満ね」
口元への字になるくらいには不満。郁弥さんの言ってることが正しいからこそ余計に不満よ。
「あはは…できる限りの参加はするからさ。ごめんね?」
「…もう、そんな顔しないで。す…いいわよそんなに気にしてないから」
…好きになっちゃうから、だなんて言えない。
申し訳なさいっぱいな表情見せる郁弥さんが悪いわ。口が滑りそうになったじゃない、ばか。
「うん。ありがとう」
ほんのり熱くなった頬を冷ますようにアイスチョコレートを口に含む。氷が溶けて少しだけ味が薄まったようで、今の甘々な頭にはちょうどいい甘さが広がった。
「…ふぅ」
話にひと段落ついたところで、店員の人がタイミングよくやってきてパスタのお皿を下げてくれた。
「ごゆっくりどうぞ」
「「ありがとうございますー」」
軽くお礼だけしてクールな美人さんを見送った。
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