81. 今度のデートのこととか

「さて郁弥さん」

「はい」


名前を呼べば軽い返事がくる。


「今さらなことを一つ聞いてもいいかしら?」

「うん?なに?いいよ?」


普段通りなはずなのに、なんとなくいつもと違う。なぜかというと。


「どうして眼鏡つけてないの?」


これに尽きる。お店入ってから外して机に置いたまま。あたしとの距離が近いから見えてはいるにしても、郁弥さんの視力が悪いことを知っているあたしとしてはつけた方がいいんじゃないかと思う。


「あー…別に理由はないけど、お店着いたとき汗かいてたからね。少し鬱陶しくて外したんだ。その後はつけなくても支障なかったからつけてなかったんだけど…」

「ふーん…」


"眼鏡つけた方が似合ってるかな?"とか副音声が聞こえた気がする。

…上等。あたしの郁弥さん好き度を試しているのね。いいわ。さくっと答えてあげる。


「つけてもつけなくてもどっちでもいいわよ?あたしはどっちの郁弥さんも好きだもの」


…しいて言うなら、普段つけてるからこそたまに外してかっこいいこと言ってくれたり褒めてくれたりきゅんきゅんすること言ってくれたりすればいいかな。


「あ、ありがとう…でもよくわかったね。どっちの方が合ってるのか教えてほしいって思ってることなんてさ」

「ふふ、どれだけ一緒にお出かけしたりしてると思っているのよ。それくらいわかるわ」

「あ、あはは。そっか」


赤くなった頬を隠すようにアイスカフェラテを口に含んだ。

照れてる郁弥さんってすっごく可愛いわよね。不思議。


「ええと…眼鏡ついでにあれだけど、日結花ちゃん今日の服可愛いよ。よく似合ってる。その服一緒に選んだやつだよね?」

「っ、ええ、そうよ。えへへ、よくわかったわね?」


ううー!嬉しいっ!軽く叫びたいくらい嬉しいわ。これよこれ。郁弥さんはこうでなくっちゃ!あたしも暑さとかで忘れてたくらいだけど、服のことも覚えててくれたし褒めてくれたし可愛いって好きだよって…はー幸せ。


「ふふ、さっきのお返しかな?これでもそれなりに日結花ちゃんのこと見てきたつもりだからね。色々話していて言うの遅くなっちゃったけど、すごく可愛いよ。いつも可愛いけど今日は人一倍可愛い」

「えへへぇ、ありがとっ」


もうもう!そんなに褒めないでよっ!好きになっちゃうでしょ!あっ!もう大好きだったわね!!世界で一番に郁弥さんのこと大好きよっ!


「ほらほら、ちゃんと去年買ったのが役立ってるでしょー?ね?買ってよかったでしょ?」

「あはは、うん。選んでよかった。そんなに喜んでもらえるなら選んだ甲斐があったってものだよ」

「えへへ、じゃあ今度またあたしの服買いに行く?」


ご飯食べたりお散歩したり買い物したりはしてたけどねー。洋服は全然買ってなかったのよ。どうせなら前みたいに洋服選びのデートしたいわ。次は郁弥さんの服も選んだりしたいし。


「いいけど…そうだね。うん、次はそんな感じにしようか?」


うんうん頷いてよくわからないことを言ってきた。

そんな感じってどんな感じよ。


「どういうこと?」

「あはは、次のデートのことだよ」


明るい笑顔が眩しい。まるであたしのことを好きで好きでしょうがないとでも言うような優しい笑顔。


「そう。今度はどこに行くの?」

「うーん、迷うよねー。前に行ったとこじゃないところにしようかなぁとは思うんだけど」

「そうね。どうせなら新しいところの方がいいわ」


甘名駅は映画以外でも買い物で行ったからそろそろ別の場所がいいかも。いや、別に甘名駅でもいいのよ?映画館二つもあるし、メルイとかニオンとかあるしモールもあるし。でもほら、郁弥さんとは全国各地を回るって話したでしょ?


「日結花ちゃんは行きたいところとかある?」

「ん?…あたしの意見でいいの?」


そんなこと言うと遠出させるわよ。主にお泊まりありの温泉旅行とか。


「…いや、やっぱりだめです」

「あら、そう?」


あたしがよっぽどいい笑顔をしていたのか、恋人に目をそらされた。

どうせならそのまま頷いてくれたら…いえ、実際問題まだ早いわね。


「はい。…じゃあ僕の方で考えておくから待っててね」

「ええ」


結局、前と同じで郁弥さんに丸投げ。

あたしのやりたいことは洋服の買い物で、あとはもう適当にお願いって感じ。


「あ、待って郁弥さん」

「はい待ちます」

「ふふ、なによそれ」


一つ思いついて声をかければ変にピシッと背筋を伸ばした。表情もキリッとしていてかっこいい。


「あはは、特に意味はないよ。なんとなく?」


真剣な顔はすぐに崩れてふにゃりとした笑顔になった。


「もう。ふざけてないでちゃんと聞くの。いい?」

「うん、いいよ。なに?」

「来週末のことを覚えているかしら?」

「7月30日だよね?」

「そうよ」


特に考え込む様子もなく、さらりと聞き返してきた。

…この感じだと普通にわかってるかも。


「映画のことかな?」

「…タイトルは?」

「『まほうひめリルシャのぼうけん 空のはてのおひめさま』だったような…」

「合ってるわよ。知ってたのね」


なんとなくそんな気はしてたけど。


「うん。リルシャ見てるから」

「それは前にも聞いたわ。映画はどうなの?見に行くの?」

「行くつもりだよ。…一人でだけど」


気まずそうに"一人で"を付け加えるあたしの彼氏。彼女たるこのあたしがいるというのに一人で行くとは…誘ってくれればいいのに。


「ふーん…まあ一人じゃ行かせないけど。あたしと一緒に見るわよ」

「え、いいの?」


ぱちくりと瞬く瞳が愛らしい。きゅんときた。


「いいの。あたしとあなたの仲じゃない」


ね?


「ふふ…うん。ありがとう。じゃあお願いしようかな」

「任されたわ。さ、いつ行く?」

「ええと…その前に一ついい?」

「ん、なに?」


あたしのこと好きだよーって話してくれるとか?


「これのこと」


―――コンコン


言いながら机に置かれたチケット入り封筒を人差し指で叩いた。骨と机が良い音を立てる。


「それが?」

「このチケットだけど、日結花ちゃんの番だけとかじゃないんだよね?」

「ええ。書いてなかった?」


その辺のことは書いてあったはずなのだけど…。


「あれ、あったかな。流し見してたから見逃したかも。……あ、ほんとだ。普通に書いてあった。ごめんね」


きゃー!しょんぼり郁弥さんかわいぃー!!


「ふふ、いいわよ。全然気にしてないから」

「うん…」


はぁぁ…なんでこの人はこんなキュートなのよ。抱きしめてぎゅーってしたくなるじゃない。


「とりあえず、当日は12時過ぎにでも来てちょうだい。普通に入り口行けば関係者用の受付もあるわ。そこでチケット見せるだけよ」

「12時ね…わかった。でも、関係者用って…色々わからないんだけど。席ってどうなってるの?僕には敷居が高いんじゃ」

「なくないから大丈夫」


瞳を不安に揺らす恋人さんを途中で遮った。

きゅんきゅんくる。卑怯な。負けないわよ。庇護欲なんかに負けない。


「親族席は二階だったはずだし、空いてるとこ適当に座ればいいから」

「て、適当…」

「平気平気。席なんてそれぞれの家族ぶんで…20くらいしかないはずだし、来ない人もいるはずだから空いてるところばっかりよ」


たしか20って言ってたような気がするのよね。峰内さんが。睡眠イベントの倍率の高さはよく知られてることだし、関係者席も事前に調べて数決めておくらしいのよ。そうしないとイベント来れない人可哀想でしょってことで。

ちなみに、あたしはパパのぶんと郁弥さんのぶんの二枚もらっておいた。パパにも渡しておいたけど、たぶん来ないわ。だからあたしの親族(未来の夫)は郁弥さんだけ。


「そうなんだ…でも、なんか申し訳ないね。歌劇のチケットなんてそうそう手に入らないのにさ…」


ぽつりと呟く。顔が下向きで純粋に喜べてはいない様子。


「一理あるわね。けど郁弥さん。わかってる?あなたの場合聞きたくて来るんじゃないの。あたしが聞いてほしくて呼ぶのよ」

「ふふ…そうだったね。大丈夫、日結花ちゃんの話は全部聞くから」


顔をあげて笑顔を見せてくれた。

ん、そうそう。暗い顔は似合…うけど、あたしは明るい顔の方が好きよ。


「ええ、それは当然…あ、ふふ、もしかしたら寝ちゃうかもしれないわよ?最近あたし絶好調だもの」

「え、そうなの?何かいいことあった?」


驚いてるところ悪いけれど、あたしが絶好調なのはあなたが原因なのよ?わかってる?わかってないわよね、知ってる。ちゃんと教えてあげるわ。


「ふふん、郁弥さんとのデートが楽しいから。最近のあたしはあなたと遊ぶのが楽しみすぎて夜も眠れないくらいなのよ」

「…本当に眠れない?」

「…少し言い過ぎたかも。夜は眠れるわ」

「だよねー」

「なんにせよそれくらい楽しみなの。わかった?」


三日前くらいからわくわくするくらいには楽しみにしてるんだから。


「うん。それはね。ありがとう、男冥利に尽きるよ」

「ん、あと別にデートだけじゃないから。電話したりメールしたりビジョンでお話したり、全部が楽しくて毎日が充実してるのよ」

「それは…僕も同じかな?」


二人でニコリと笑みを浮かべる。優しく温かい雰囲気に心が満たされていく。

…はぁぁー幸せ。


「僕もね、日結花ちゃんのおかげで毎日が楽しいんだよ。デートもそうだけど、何をしたら喜んでくれるかなとか、どこに行けば楽しめるかなとか、色々考えて、実際楽しんでもらえて笑顔になってくれるとさ。…本当に嬉しくて、よかったぁって思うんだ」

「んぅ…もう、そんな嬉しいこと言わないで。…あたし、だらしない顔してない?」


ばかみたいに緩んだ笑顔になっちゃってる気がする。


「あはは、大丈夫、いつも通り可愛い日結花ちゃんのままだよ」

「も、もう…ばか」


恥ずかしいっ…。そんな優しい顔して…ずるい。あたしはこんなに胸がいっぱいで嬉しさがあふれてるのに、郁弥さんはいつも通りなんて…やっばりずるいわ。


「はは、これで国イベントのことは大丈夫かな。ありがとう」

「べつにお礼なんていいわよ…それより話戻しましょ?ほらデートのこと」


頬が熱い。

わざわざお礼なんて言ってくれちゃって…ただでさえ舞い上がりそうなくらい嬉しいのに、そんな爽やかに笑いかけられたら頬どころか全身熱くなっちゃうじゃない。


「あぁ、そうだね…映画か」


一言つぶやいて考え込む。

顎に手を当てての考えるポーズが魅力的なあたしの恋人!かっこいいでしょー?これで可愛いところもたっくさんあるのよねー。もう最高!素敵っ!…よし、落ち着いた。


「なに?行きたくない…わけないわよね」


郁弥さんがあたしとのデートを拒むなんてありえないし、リルシャの映画見に行きたくないっていうのもあるわけないし。


「いや少しね。場所どうしようかなーと」

「場所?」

「うん。映画見るのなら甘名駅でいいと思うんだけど、デートにするならまた同じところは…ね」


苦笑いが似合う人ナンバーワ…そうじゃなくて、なるほど。それで悩んでいたのね。


「あたしは同じところでもいいけれど…」


郁弥さんと一緒ならどこでも楽しいから…それでも変えるとしたら…。


日桃ひとう駅とかはどう?」

「日桃?」

「ええ。あなたは少し遠いかもしれないけれど、あの駅近くにもモールがあったはずよ」


大きい映画館とアウトレットがどちらもあるならいいけれど、それだと遠出になっちゃうのよね。遠く行くなら行くでいいのよ?別に。でも、どうせなら移動距離短い方がいいじゃない。あと人が多すぎない方がイチャイチャしやすいのもあるわ。


「…日桃駅ってどこですか」

「咲見岡から…5駅くらい?」

「うーん?…うん、とりあえず日結花ちゃんの家から近いならなんでもいいよ」


…もうなんにも言わないわ。あたしのことばかり優先するなんてわかってることだもの。


「じゃあ場所は日桃駅で決まり。いつにする?」

「時間かー…僕は来週も普通に土日が休みだけど、日結花ちゃんは?」

「……」


無言で鞄から取り出した手帳を開く。

予定には明後日からお仕事お仕事お仕事…。


「…金曜日のお仕事といえば?」

「え?日結花ちゃんの?というか土曜日じゃなくて?」

「ええ。金曜日」

「うーん……」


薄々…というか普通にわかっていたけど、来週は金土日とお仕事が入っていたわ。どれもそれなりに大事なお仕事で、特に歌劇は大事。声者的に歌劇だけは無視できないもの。


「金曜日かぁ…わかんないな。何があるの?」

「"ひさらじ"」

「…なるほど。あのラジオね。ええと…ごめん、来週ってどっちだった?」

「どっちって…」


また抽象的なこと聞いてくれる。…ちょっと申し訳なさそうに聞いていくるのがずるいわ。いちいち人の心揺さぶってなにが楽しいのかしら…。


「それ、収録か生放送かのどっち?」

「うん」

「それなら来週は生の方よ。昨日は収録だったし…。ていうか郁弥さん"ひさらじ"知ってたのね」


"ひさらじ"については全然話してなかった気がするし、郁弥さんも話切り出してこないから聞いてないのかと思ってた。


「あはは、そりゃ聞いてるよ。だって日結花ちゃんのラジオだし。聞かなきゃファン失格だ」

「ん、そう?それはありがと。とりあえず来週は金曜日から日曜日まで全部お仕事入っているから無理よ」

「うん。わかった」


…どうにも予定を合わせるのは大変。せめて来月の予定が全部わかっていればよかったのだけど…。郁弥さんの方も予定わかってるわけじゃないみたいで悩ましげな顔してるし…。


「……」

「……」

「…いつにするかはネミリで決めようか?」

「…そうね」


二人で先延ばしにすることとした。

電話だってメールだってたくさんしてるんだから、今決める必要はないのよ。8月はまだ予定全部決まってないからなんとも言えないもの。仕方ないわ。


「さて、と。…そろそろ出る?」

「ん、そうね…」


ちらりと腕時計を見れば時刻は14時過ぎ。ここに来てから2時間近くが経っていた。


「…なんか今さらだけど、このお店女の人多いのね」

「ん?…あぁ、そういえば」


お店を出ようという段階になってさりげなく店内を見回す。客層は女性客のグループとカップルとがほとんどで、男の人のグループは見当たらない。一人で来ている人も女の人だけ。


「…郁弥さん、あたしたち注目されてる?」

「え?…」


なんとなくそんな気がする。さっきから他の人とよく目が合うし、ちらちら見られているような…。


「確かに…。日結花ちゃんのこと知ってる人多いのかな」

「んー…それはないと思うけど」


そりゃお仕事的に顔と名前知られてたりはするわ。RIMINEY好きな女の子とか睡眠不足な人とか、歌劇に応募するような人には知られているから。でも、ここにいる人は別にそんな…わざわざ歌劇に来るほど疲れてなさそうだし…。


「じゃあどうしてだろう…」

「どうしてかしらねぇ…」


…あたしたちを見る目は……尊敬と羨望と……なるほど。そう…そういえば前にもそんなことがあったわね。


「ね、ねえ郁弥さん」

「なにかな?」

「少しイチャつき過ぎたのかも」

「ん?…あぁ…そういうことか」


変に恥ずかしくなってきたあたしと比べて、彼は普通のまま。むしろ頷いて微笑むくらいの余裕を見せてくる。


「ふふ、日結花ちゃん顔赤くなってるよ」

「べ、べつにこれは…暑さのせいだもん」

「あはは、そうかもね」


…なんでそんなに余裕なのよ。もう。


「むぅ…郁弥さんは暑くないの?」

「僕?僕は全然。もう慣れちゃったからね。日結花ちゃんとのやり取りは楽しかったし、恥ずかしいとかはないかな。デートなんだから、これくらいはできなくちゃね」

「ふ、ふーん…」


大人な対応だわ。なんとかその余裕をなくしたいわね……よし。


「…ところで郁弥さん」


いつまでも周りを見ているわけでにもいかないので、話を変える。

お会計は…二人で3000円近くね。あとは…。


「あっ!郁弥さん後ろ!」

「えっ?なに?」


なんの警戒もなく振り向くダーリンこと藍崎ちょろ弥さん。

もうほんと…そういうところ大好き。心配になるくらい騙されやすいけど、警戒心ないところが好ポイントだわ。あたしにならいくらでも騙されていいわよ。大好き。


「じゃあお会計行ってくるわね!」

「…え?ちょっと、ええぇ…」


後ろから聞こえる困惑の声をそのままに、ささっとお会計を済ましに行く。

さっきの余裕さもさくっと取り払えたわね。さすがあたし。天才だわ。

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