67. 幸せパートナー


「んむ…むぅ…でも美味しいなこれ。日結花ちゃんさ。このおにぎりどうやって作ったの?」


難しい顔で変なことを聞いてきた。

どうやってと言われても…。


「普通に?」

「ええっと…具とか塩とか、その辺はどうかな?」

「んー…」


どうだったかな…別に特別なものは使ってないはずだけど。だいたいうちにあったものを使ったし、具だってただの鮭とかよ?スーパーで売ってる瓶のやつ。


「特に高いものは使ってないわ。普通にその辺で売ってるもので作ったわよ」

「そうなんだ…あはは、なんかすっごく美味しいからびっくりしちゃった」

「そ、そう?えへへ…」


そんな嬉しそうな顔で言わないで…頬が緩んじゃうの抑えられないからっ。


「やっぱり外で食べるからかな。日結花ちゃんの手作りっていうのももちろんあるけど、特別なものとか入れてないなら…お花見しながらだからかもね」

「えへ、作ってきてよかったわ。…あ、ふふ、一つだけ特別なもの入れてたの思い出したわ」

「…むぐ……そうなの?」


そうなのよ。郁弥さんにあげるものだからこそ入れられたもの。


「愛情よ」

「あはは、なるほどね。それなら美味しいに決まってるよ」

「ふふ。そう、でしょ?…」


…ええっと、あたし、結構すごいこと言った気がするのよ。勢いで言っちゃったけど、愛情なんて…あの、ええと…あ、やばい。顔熱くなってきた。


「はぁー…幸せ」

「そ、それはよかったわ」


おにぎりをもぐもぐしながら穏やかに笑みを浮かべる。

幸せオーラを纏う彼と比較して、羞恥の渦中にいるあたしはというと…だめ。どうにか恥ずかしいのを振り払おうとしても上手くいかない。

なによ羞恥の渦中にいるあたしって。意味わかんない。べつに恥ずかしくないし。照れてるだけだもん。


「……」


こちらが一人悶々としている間も食事は進んでいく。ぽーっとした頭で食事風景を眺めていたら、なぜか気分が落ち着いた。

…前に、あたしの食事風景が可愛いとか食べてる姿可愛いとか、でもやっぱりいつも可愛いよとか色々言われたわよね。ちょっとだけ気持ちわかったかも。これは見ちゃう。デリカシーないとか言われても見ちゃうわ…ただの食事なのに、それが好きな人だとずっと見ていたくなる。これが…恋故、というやつなのかしら。


「…ふぅ、ごちそうさ…え、いや…あの、日結花ちゃん。どうしてそんなにニコニコしていらっしゃるんでしょうか…」

「んー?んふふ、なんでって郁弥さんがご飯食べてたから?」


そんな驚いた顔しなくてもいいのに。今さら気づいたって遅いわ。たっぷり見させてもらったんだから。以前の仕返しね。


「そ、そっか…日結花ちゃんが楽しいならそれでいいけど…そんなニコニコするほどだった?」

「ええ!もちろんよ!」


これは即答。あたしの手作り(ただのおにぎりだけど)を食べて美味しい美味しい言ってくれるんだから。自然と笑顔になるってものよ。


「そうですか…」

「うん…ところで、おにぎりは二個でよかったの?」

「え?うん。二個でいいよ。あとは持ち帰らせてもらおうかなって…あ、このケースごと持って帰らせてもらうけど、いいよね?」

「いいわよ。そのために保冷剤と保冷ケースにしたんだし」


頷いてゆっくりケースを鞄にしまう。

二個でごちそうさまとなると…今はもう食べないってことよね。


「うーん…」

「ん?どうしたの?そんな難しい顔して…」

「いえ…郁弥さんが頬にご飯粒付けるとかべたなことしなかったから」

「…そんな無茶な」


理不尽とでも言いたげな顔。


「別に無茶じゃないでしょ。あたしのやりたい1000のことをこなすにはさらっとやってくれなくちゃ」

「あれ、やりたいこと増えてない?」

「そうかしら?増えたならそのぶん全部こなせばいいでしょう?時間はたくさんあるんだもの」

「…まあ、そうだね」


あっさり納得してくれた。郁弥さんはちゃんとあたしのやりたいことに全部付き合ってくれるらしい。

律儀な人。こんな軽く流されてくれるなら、そのうち恋人になることとかあたしのママとパパに挨拶することもOKしてくれそう。ふふ、やっぱり『外堀埋めていこう大作戦』は通用しそうね。


「…うん。色々考えまとまってきた。日結花ちゃん。とりあえず写真撮ろう」

「ん?ふふ、いいわよ。どうやって撮る?」


くーっと身体を伸ばして一つ頷いてからの提案。あたしが今の状況に一喜一憂している間も真面目に考えてくれていたらしい。

さっすがあたしが惚れただけはある。あたしとのこときちんと考えてくれるんだから。…あたしとのことってちょっと恋愛っぽいかも。悪くない。


「どうしようかー…普通に三脚使ってもいいけど、日結花ちゃん的に自撮りっぽいのも撮りたいんだよね?」

「そうねー、数枚は欲しいわ」


こう、デートっぽい写真。主にあたしの携帯とかPCとかその辺周りに色々と。当然遠目からの写真も必要よ?でも自撮りっぽいのもないと…。バラエティー豊富な写真が必要だわ。


「だよね。そうすると…よし、迷うだけ無駄だ。どっちも撮っちゃおう」

「あら、ふふ、名案。それならさっそく撮りましょ?」

「おっけー」


まずはカメラを三脚にセットして遠目からの写真。準備するのは郁弥さんで、あたしは一人桜の下で待機。


「ほらほらー、郁弥さん早くー」

「ちょっと待ってー、今急いでるからー」

「はーい…ふふ」


手持ち無沙汰で声をかければゆるーい声が返ってきた。いつもよりもっと柔らかい声音にくすりと笑みがこぼれる。


「おまたせー。準備してきたよ」

「おかえりー」

「え、うん。ただいま?…」

「ふふ、おかえりなさい」


困った顔が愛おしい。

郁弥さんって、あんまりわかってなくてもちゃんと返事してくれるのよね。今だっていきなりの"おかえり"に"ただいま"で応えてくれて…あたしが好きになっちゃうのも仕方ないわよ。


「ただいま。でもなんでおかえり?」

「意味はないわよ。あたしがやりたかっただけだから」

「なるほど…もしかして、今のもやりたいことの一つだったりする?」

「あら、少しはわかってきたみたいね」


あたしのやりたいことなんてほんの些細なことばかりなのよ。あーんしたいとか一緒にお出かけしたいとか。一緒にお花見したいことだって一つに入るわ。中には結構大変なこともあるけれど…基本的にはちょっとしたことだから大丈夫。郁弥さんでもできるわ。ううん。郁弥さんじゃないとできないわ。


「うん…本当に少しだけどね」

「ふふ、簡単でしょ?ほら、今から撮る写真でもあるんだから予想してみなさい」

「む…いきなりきたね。なんだろう…」


眉根を寄せて考え中。いい感じにあたしの術中にはまっていってくれている。

最終的には逃げ道がなくなってあたしと籍を同じにせざるを得ない状況になるとは思ってもいないでしょうね。

ふふ、見てなさい。今のあたしにはママとパパ。知宵、知宵ママパパのバックアップがあるのよ。もう遠慮なんて一切しないんだからっ。


「ヒントはポーズよ。じゃああたしはタイマー入れてくるわね」

「あ、うん。よろしくね」


考え込む恋人を置いて今度はあたしがカメラの元へ。ちゃちゃっとタイマーの時間を確認してシャッターボタンをひと押し。


「もうすぐよ!郁弥さんはここ!はいピースしてー!」

「え、は、はい!」


今回は何も変なところがない、いたって普通の写真。二人並んで立って、笑顔でピースしてるだけの簡単な写真。さっき別のところで撮ったのと同じような普通のもの。


「…ええと、数枚撮ったけどこれでよかったの?」

「ええ。これでよかったのよ」

「参考までに、今回のやりたいことがなんだったのか教えてくれると助かります…」


…わざわざ頼まなくても教えてあげるつもりだったのに。申し訳なさそうにされるときゅんきゅんするからやめてほしい。


「いいわ。教えてあげる。今回はみんなに自慢するようで写真を撮ったのよ。さっき橋で撮ったのだけじゃ足りないでしょ?いくつか準備しておかないと」

「僕の聞き間違いじゃなかったらなんだけど…自慢って言った?」

「言ったわ」

「ええっと…誰に自慢するのかな」

「とりあえずはママと知宵と峰内さんね」


とりあえずもなにも、自慢できる相手が少ないから今のところそれくらいしかいないけれど。知宵ママパパには今度会ったときに話すもの。そうすると、話せるのは三人だけ。


「…よーし、100歩譲って自慢することは納得しよう。うん。日結花ちゃんのお母さんとマネージャーさんはもう色々と話しちゃったって言ってたからね。仕方ない。…でも、知宵ちゃんにまで話す理由はないと思うんだ」

「?あれ?郁弥さんに言ってなかった?」

「え…たぶん言ってないことだと思う。なんかすっごく嫌な予感するけど…」


言葉通りあんまり聞きたくなさそう。

ごめんね、ちゃんと教えてあげるから。


「別に大丈夫よ。ただ知宵にも郁弥さんとのデートのこと話してるだけだから」

「ほらやっぱり!嫌な予感すると思ったんだよぉ…」

「あら、どこかに嫌なところあった?」

「…嫌というか、いろんな人に勘違いが広がっていくのがよくないと思うんだ」

「勘違い?」


…勘違いってなんのことかしら。デートしてるのは事実だし、人は選んで話してるから大丈夫よ?


「いや…そんな不思議そうにされても」

「んー…あたしたちがデートしてるのは事実でしょ?」

「それは、うん」

「ならいいじゃない」

「え、あれ?結論早くない?」


結論を出すどうこうって、あたしからしたらあんまり意味ないのよね。だって最初から結論出てるもの。それが変わるっていうのも…たぶんない。


「えっと…僕らがデートしてるのは正しいんだけど、僕たちってデートを楽しむ同好会みたいな関係でしょ?一応良い人って銘打ったよね」


…なにその、あたしがよく考えてる大作戦シリーズみたいなの。


「その、なに?デートを楽しんできゃっきゃうふふする関係?…はいいとして、勘違いはどこに繋がるの?」

「…色々と間違ってるけど…ええと、誰かにデートのこと話したりしたらさ。普通は好きな人とか恋人とかそういう風に捉えないかな?」


…好きな人、恋人。…なによ。合ってるじゃない。大正解ね。


「そうね。あたしもそう思うわ」

「うん。だからみんな勘違いしちゃうんじゃないかなって」

「…勘違いさせることのなにが悪いの?」

「えっ?…色々と困らない?」

「困らない」

「困るよね?」

「困らないわ」

「…困らない?」

「困らないわ!」


諦めの悪い人。あたしが困るどころか、郁弥さんの方が困っちゃってるじゃない。


「…どうして困らないのかな」

「あたしを困らせたいの?」

「そういうわけじゃないけど…」

「ふむ…いいわ、聞いてあげる。話しなさい」


困った困ったとでも言いたそうな顔。ときめき力の高い表情はいつまでも見ていられるけれど、ついつい抱きしめたくなってくるから話を進めた。


「あ、うん…日結花ちゃんの周りの人が勘違いするとさ。いつか日結花ちゃんに好きな人ができたときに困ると思うんだ」

「…続けて?」

「それがいつかはわからないけど、たくさん経験を積んで、今よりもっと成長した日結花ちゃんが困らないようにしなくちゃ」

「…そう」

「僕は君にとって通過点だから。日結花ちゃんが素敵な恋をするための準備、みたいなものかな。…あはは、それになれればいいなぁ、って思ってるだけなんだけどね」

「…うん」

「…まあだから、できるだけ小さな範囲で収めた方がいいと思うん…だ…よね…ええっと、日結花ちゃん怒ってる?」


…うん。


「怒ってるわ。どうしてだかわかる?」


おばかな郁弥さんに問いかけて数十秒。


「……わからないです」

「…はぁ」


まったくわかっていない答えにため息をついた。

本当に…この人は本当にっ。


「あたしが怒ってるのはね。あなたがあたしのことわかってるようで全然わかってないからよ」

「…どこか間違えてたかな」

「どこか?どこかって、全部間違ってるわよ全部!あたしがいつあなたのことを"将来への準備"とか言った?あたしが今デートを楽しんでるのはあなたなのよ?未来の素敵な恋なんて知らないわ。恋をするときはするし、しないときはしない!周りの人が勘違いしてたってあたしが気にすると思う?恋に理由なんてないでしょ!違うっ!?」

「ち、違わないです」

「そう。違わないわ…郁弥さんの言いたいこともわかるわよ?あたしだってこれからのことで悩んでたし、お仕事だって先を見越して考えてるもの。でも、恋はそんな簡単なものじゃないでしょう?…さっき、勘違いを広めたくないとか言ったわね?」

「…うん」

「これからどうなるかわからないから、たしかに一理あるわ。一理あるけれど、一理あるだけ。あなたは…あたしのなに?」

「友達…かな」


自信があるのかないのか、なんとも微妙な言い方にまた言いたいことが…いえ、今は話の続きよ。


「そ。友達。男の人でダントツ…ていうかナンバーワンでオンリーワンな友達なわけだけど」

「ちょっと言い方古いね…」

「そこ!茶化さないっ!!」

「ご、ごめんなさいっ!」


まったく、すぐ雰囲気柔らかくしようとするんだから。油断も隙もないわ。


「その大事な友達であるあなたは、ずっとずっと、ずーっと先まであたしと仲良くしていたいって言っていたわよね?」

「…言ったね」

「それなら、少しくらいの問題笑って乗り越えなさい。ついさっき決めたでしょ?ほら、幸せの目標」

「日結花ちゃんのやりたいことに付き合うこと…かな」

「ええ。そのこと。…ねえ郁弥さん。あなたが幸せになるための目標は、あたしが一緒じゃないとどうにもならないのよ?問題が起きたときは頑張って乗り越える!起きなかったときはそのままあたしと一緒に頑張る!これくらいやってくれなきゃ。あたしの幸せパートナーなんでしょ?」

「幸せパートナー…」


考え込むようにつぶやく。ずいぶんと真面目な顔。


「もう一度言うけれど、先のことはわからないわ。あたしが誰かを好きになるかもしれないし、今のまま変わらないかもしれない。未来なんて誰にもわからないんだから、今ある幸せを繋げていけばいいのよ」

「未来はわからないから…今の幸せを、か…」


ふわりと風が吹いた。桜の花びらが空へと舞い上がる。吸い込まれそうな青い空が、いつもより広く見えた。


「…あたし、今、幸せなのよ?」


こんなにも満たされた日は今までになくて。毎日が幸せで。

人生を謳歌おうかするというのは、きっと今のあたしのことを言うんだと思う。


「郁弥さん。あなたはどうなの?」

「僕は…僕も幸せだよ。幸せ過ぎて怖いくらいには幸せなんだ」

「ふふ…その幸せを繋げる努力をしなさいね。起こるかわからない問題なんて気にしないで、今の幸せのために頑張るのよ」

「……」


目を閉じて考えてくれている。

あたしと話すときは、いつもこうやって真剣に考えて話してくれて…だから郁弥さんと話すの楽しいのよ。


「…そうだ、ね。僕は少し、目の前にいる日結花ちゃんのことを忘れちゃってたみたいだ」

「あら、ちゃんと思い出してくれた?」

「うん。もう忘れないよ。起きてもいない、起こるかもわからない問題のことは気にしないことにしたから」


どことなくすっきりとした面持ち。また一つ、足を進めることができたような、そんな気がする。


「僕は…君が幸せでさえあればなんでもよかったんだ」

「あたしが?」

「うん。家族でも、友達でも、恋人でも。どんな人でも、誰のおかげでもいい。日結花ちゃんが幸せで、笑顔で、人生を楽しんでくれていればそれでよかった。もともとそれが僕の願いだったんだよ。幸運にも、僕がそんな幸せの一助になれていて…それで少し舞い上がっていたのかな」

「そう…」

「僕自身が日結花ちゃんの助けにどれだけなれるのかはわからない。それこそ、未来のことなんてわからないからね。でも…だからこそ、できるだけのことをしたいんだ。それがどんな形であれ、君の幸せに繋がるならなんでもするよ」

「…そうなの」

「うん。日結花ちゃんから直接幸せだって言われちゃったんだ。今僕が君の隣にいることで幸せになれている…それなら、僕が日結花ちゃんを止めるわけにはいかないよ。だって、それが僕の幸せにも繋がるんだから」


ふ、っと花開く柔らかな笑顔。幸せをそのまま表したような優しさが伝わってくる。

…そこまで。そこまで想ってくれているのね。…あぁ、やっぱりあたし…郁弥さんのこと好きみたい。

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