55. 『映画で手繋ぎ大作戦』

新暦28年。

新しい年になってもあたしの周りは何も変わらず、あたし自身は少し変わった。恋愛という一面で目標目的、そこまでの道筋を作ったから。

やることがわかっているだけで違うのよ。やる気が出てくるわ。


ーーー♪


電車の発着音がホームに響く。するすると動き出す車体を尻目に、あたしも改札に足を向ける。

時間が過ぎ去るのは早いもので、今年もお仕事が始まり、『Magical Music2』も公開され、既に1ヶ月ほどが経過した。

その間に知宵の誕生日があったりもして、"あおさき"でしっかり祝わせてもらった。プレゼントも渡して、喋って歌って相変わらずの"あおさき"だったことをよく覚えている。

それから…今日は2月11日の土曜日。つい一週間前にはあたしも誕生日を迎えて、18歳になった。


「…ふぅ」


改札を抜けたところで壁際に寄り一息。ついでに携帯も取り出した。

結局、愛しい人にお祝いはしてもらってビジョンも使ったりしたけど、直接はまだ話せてないのよ。あたしの予定とか郁弥さんの予定とか色々…なかなか合わなくて。

会いたい気持ちを乗り越えて今日。前から知宵と相談して決めていたデート決行の日。あたしからしたら手を繋ごうとする(重ねる)一大イベントになる。


【郁弥さんもう着いてる?】


携帯で連絡を取り合いながらもう一度服装をチェックする。

デートと銘打ってきただけあっておしゃれもしっかりしてきたわ。

編み目に工夫を入れたクリーム色のニットセーターと、インナーは少し厚手のカットソー。コートは灰色寄りの白。下は黒より少し明るい膝丈のスカートに黒タイツ。靴はスカートに合わせて茶系のショートブーツ。下着は白地にオレンジ入れたブラとパンティー。ノンワイヤーにして着やすく、それでいてフリルをあしらって可愛い勝負下着の一つ。

布陣は完璧。今日のあたしに死角はないわ。お化粧だっていつもは使わない高いやつ使ったんだから。


【着いてるよ。日結花ちゃんもう来てる?】

【今着いたとこー】


あっちはもう着いてるのね。あたしも早く向かわなきゃ。

知宵と話したときはどこの映画館にするか決めないで、結局、以前冬服の買い物をした場所にしちゃったから。…遠い場所は面倒だし、一番大きい映画館がここだったのよ。


【じゃあ駅出て映画館方面のすぐのところにいるから】


ちらっと携帯を見てすぐに歩き始める。

返事は保留。それより早く会った方がいいもの。というか早く会いたい…。

早歩き気味に歩いて郁弥さんがいるであろう場所に…見つけた!

駅側を向いてあたしを待っていてくれた人を見て嬉しさがあふれる。歩きながら胸の前で手を振ると、顔の横で振り返してくれた。


「郁弥さんおはよー!」

「おはよう。ってもうお昼だけどね」

「ふふ、いいじゃない。それより待ったでしょ?ごめんね?」

「あはは。全然待ってないよ。それこそ気にしなくていいんじゃないかな。まだ10分以上前だよ?」


12時30分集合の13時15分上映開始。今は12時15分を過ぎたところ。


「そういう郁弥さんはいつから来てたのよ」

「僕?僕はほら…今来たところさ」

「…じー」

「う…12時に着きました。ごめんなさい」

「なんであなたが謝るのよ…今のはあたしが……」


…いえ、これは使えるんじゃないかしら。許してあげるから~って頼みごととかお願いとかできるやつでしょ…よし。


「日結花ちゃん?」

「…ねえ郁弥さん」

「な、なに?」


いきなり無言になったためか戸惑いがちに返事をしてくる。困り顔が可愛…じゃなくて、なにお願いしよう。


「…少し待って。今考え事してるから」

「うん」


どうしよう…ええっと、今日デートなのよね。ならやっぱりデートっぽいことしたいわ。例えば…あーん、とか…。よ、よし、これにしようっ。


「ええと、映画終わったらご飯食べるでしょ?」

「うん?そうだね」

「そのとき、あたしにあーんしてちょうだい」

「…え、ええっと…あーんって、あのあーん?」


察してくれたのか薄っすら頬に朱色を広げて言う。スプーンとか使ってこちらに差し出す、そんな仕草。


「ええ、そのあーんよ」

「…どうしてそんな話になったのか聞きたいんだけど」

「どうしてって…郁弥さんが謝ってきたから?あーんで許してあげようと思って」


ね?普通でしょ?


「…さっきの謝罪は取り消そう。うん。僕を待たせちゃった日結花ちゃんが悪いね」

「あら、あたしが悪いならあとでお詫びにあーんしてあげるわ」

「逃げ道がないっ!?」

「ふふ、どっちでもいいわね。あ、せっかくだしどっちもやりましょ?」

「…うーん、本当にやりたい?」


やりたくないオーラが強い。

そんなに嫌がるなんて…恥ずかしいのはあたしも同じなんだから我慢してほしいわ。


「…郁弥さんがほんとに嫌ならあたしは」

「あー…そんなしゅんとした顔しないでよ。やるから。あーんぐらい付き合うよ。今日はデートだもんね」

「えへ、そう言ってくれると思ったわ」


照れくさそうに目をそらして頷いてくれた。

デートって言っといてよかった。会ってすぐこんな約束できちゃうなんて…デート効果すごい。


「…日結花ちゃんはずるいなぁ」

「んふふ、そう?」

「そりゃ、ね。君がしょんぼりしてたらどうにかしてあげたくなるに決まってるさ」

「ありがと。これからもちゃんと元気づけてちょうだいね」

「はいはい、わかってますよお姫様」



「言い忘れてたけどさ。日結花ちゃん今日可愛いよね。いつも可愛いけど、今日はまた一段と魅力的」

「そ、そう…えへへ。どこ?どこが違う?」


映画館でチケットを発券して、壁際で少し話をしようとしたらこれ。唐突に褒められて気分が舞い上がる。

あたしも成長しているから単純に照れて終わりじゃないわ。色々聞いていかないとね。


「色々違うかな。服も可愛いしお化粧も気合入ってる?」

「えへ、そうでしょそうでしょー?あたしもデートってなったら可愛く見えるように頑張れるんだから」

「うんうん、すごい可愛い。キュート。ビューティフォー」

「…ねえ、ばかにしてる?」

「し、してないしてない!してないよ!?」


完全に雑な褒め方だった。別のこと考えてるか、あんまり興味ないときの反応。あせあせ否定してるのがその証拠。


「……ふーん」

「う…ええっと、可愛いって思ってるのは本当なんだよ…」


肩を落としてあたしの顔色うかがってくる。良心が痛む。

今すぐ許してウインドウショッピングにでも繰り出したいけど…だめ。甘やかしちゃだめよ日結花。


「それで?」

「い、いや…言わなきゃだめかな?」


…この人の困り顔はどうしてこんなにも見ててきゅんきゅんするのかな。卑怯だと思うのよ、そういうの。


「だ、だめよ。ちゃんと話さないとだめ」

「ううーん…その…改めてデートって意識したら気恥ずかしくなってさ…そんな感じなだけ…なんだけど」


…そう。そっか。うん…デート効果そんなに出たんだ…よし!!


「ふふ…そんなに意識しちゃう?あたしのこと」

「…そりゃ、ね…真面目にデートなんていつぶりだろう…」


……そう。"いつぶり"ね。ふーん…誰とデートしたのかしら。


「郁弥さんが前にデートした人は?どうなったの?」


急に冷めた。25近くともなればデートの一回や二回経験しててもおかしくないことを忘れてた。

郁弥さんって案外人に誘われてるんだったわ。


「え、うーん…普通に一回ご飯食べて終わりだったよ。あの頃はまだ学生だったし、僕と話しててもつまらなかったんだろうね…」


遠い目をして懐かしんでいる様子。

彼が学生っていうと…5年前くらい?


「へー…大学生のとき?」

「うん。同級生に誘われて……ねえ日結花ちゃん」

「ん?なに?」


そのまま昔話が続くかと思ったら真面目な声色。躊躇いがちにあたしの名前を呼んだ。


「僕と話しててさ…楽しい?」


…そういうこと。昔つまんないって言われたから…いや言われてないのか。とにかく郁弥さんがそう言われたと思って…あたしも楽しくないんじゃないかって…。


「楽しいに決まってるでしょ、なに言ってんのよ。おばかさんめ」

「おばかさんって…言い方可愛い」

「そ、それはいいでしょ!…あのね郁弥さん。あたしがあなたと一緒にいて楽しくないと思う?」


変なとこツッコミ入れられた。それはいいとして、これで楽しくないでしょとかなんとか言われたら怒るわ。お説教タイムよ。


「…楽しいと思ってくれてる、かな」

「そ。わかってるじゃない。楽しくなかったらデートになんか誘わないわよ」

「そ…っか。そうだよね…うん、ありがとう」


迷いが晴れて"らしい'顔になる。

やっぱりあたしの恋人こいしてるひとは優しい笑顔じゃなくっちゃ。


「それで?あたしとのデートはどう?楽しい?」

「うん、楽しいよ。日結花ちゃんと話してるだけで楽しいから。でも…普段と変わらないような…デートって言われて意識しちゃってたけど、いつも通りだね。なんか」

「そう、かしら…」


あんまりよろしくない展開。いつも通りはだめだと思う。また去年と同じで進展のないお食事会みたいになっちゃう。

…ここであたしが手でも握れたらなぁ…まあ無理なんだけど。


「うん。映画っていうのは少し違うけどね」

「そうね…郁弥さん、まだ時間あるしデートっぽく外歩かない?」

「あはは、いいよ。行こうか」


映画館を出て歩く。時間も時間なので近場を散歩。冬の空気が肌を刺してずいぶんと冷たい。


「さすがに寒いねー」

「映画館あったかかったもの…それより郁弥さん」

「うん?」

「あたしが今日結構頑張って来たのはわかっているんでしょ?」

「えーっと…服とかお化粧のこと、だよね?」

「ええ」


服は上から下まで。文字通り下着まで。お化粧に関しては自然ないつもの形をベースにアクセント入れたり高級なやつを入れたりした。


「ならわかってるよ。それがどうかした?可愛いは可愛いけど…もっと褒めた方がいい?」

「そ、そういうのはいいの!…そうじゃなくて」


可愛い可愛い言わないでよ…ただでさえ言いにくくて困ってるのに、ちゃんと伝えられなくなる。


「…今日、あたしだけじゃなくて…郁弥さんもいつもと違う、わよね…」


ただ感想を言って褒めるだけなのにどうしてこんなにも難しいのか…やっぱり郁弥さんおかしいわ。なんでいっつも簡単に可愛い可愛い似合ってる綺麗だ素敵だ大好きだって言えるのよ…。


「あはは、そうだね。デートだから僕も少しはおしゃれしてきたんだよ。よくわかったね」

「だっていつもよりかっこいいもの。それくらいわかるわ」


いつもかっこいいけど…今日もすごくかっこいい。

青…ネイビー?な腰丈のコートに白シャツと明るい黒に近い青のニットセーター。ズボンは黒で靴が革靴みたいな…シックで大人な雰囲気が強い。

大人っぽくて余裕のある郁弥さんはかっこよすぎる。惚れるわ。ううん。もう惚れてたわね。


「ありがとう…あはは、なんか照れるね」


照れると言いつつも変わらず余裕に満ちた表情。むしろ頬に薄っすら朱が広がっているせいでかっこよさに磨きがかかって惚れそうに…あぁ違う。もう惚れてたのよ…こういうときに惚れ直したとか言うのかしら。


「…ええと、郁弥さんは買いたいものとかある?」

「買い物かー、特にないよ。日結花ちゃんの誕生日プレゼントはもう買って…な、なしなし!今のなしでお願いします!」


話題を変えた途端に、かっこいい大人な雰囲気は霧散して郁弥さんらしいぽかぽかする空気になった。少しだけ残念な気持ちはあっても、それ以上に胸の内が温かくなる。

あたし、どっちの郁弥さんも大好きよ。


「ふふ、プレゼントねー。聞いちゃったわ。もう聞いちゃったからなしになんてできないわねー」


焦る彼に笑いかけた。

誕生日プレゼントなんて考えてすらいなかった。あたしの誕生日なのにあたしが忘れてたわ。


「…はぁ。そう、誕生日プレゼントだよ。結局渡せず仕舞いで今日になっちゃったんだ…誕生日おめでとう。遅くなってごめんね」


諦めてため息をつき、お祝いの言葉をくれた。あたしにおめでとうと言ってくれたときはいつもの優しい笑顔で、どうしてか胸が高鳴る。


「えへへ、ありがと」


このままぎゅっと抱きついて頬ずりしたいくらいの気持ち。もちろんしないけど。ていうかできたら苦労しないわよ。


「プレゼントは後でいいよね?ご飯食べるときにでも渡そうかなって思ってたんだけど」

「ええ、全然いいわよ」


渡してくれるだけで十分嬉しいから。郁弥さんのプレゼントなら嬉しいに決まってる。

それに、この人センスいいもの。今回のプレゼントも可愛いものくれると思うわ。


「ねえねえ郁弥さん」

「なに?」

「誕生日プレゼント何がほしい?」


誕生日の話になったんだしちょうどいい。あたしの誕生日が過ぎて、次は彼の番。4/1なんてもうすぐよ。買うもの決めておかないと。


「プレゼント?僕に?」


…どうして不思議そうにしてるのよ。この人は。


「…当たり前でしょ、あたしが渡さないとでも思ってた?」

「え、そ、そんなことないよ?やー嬉しいなー」


ひどく棒読みで目が泳いでいる。わかりやすいにもほどがある。


「もう…あたしの誕生日覚えてても自分の誕生日忘れたらだめでしょ?今度からはちゃんと覚えておくこと、いい?」

「…はい」


また忘れたらあたしが教えてあげる。仕方ないから毎回教えてあげるわ…それ、まるで恋人みたいね。ふふ。


「でも日結花ちゃん。僕、さすがに自分の誕生日は覚えてたよ?日結花ちゃんからプレゼントもらえるとは思ってなかっただけで」

「それくらいわかってるわ。だから、あたしからのお祝いとプレゼントがあることをしっかり覚えておいて、って意味」

「…もしかして、これから毎年?」

「え?ええ、そうよ?だめ?」


一瞬どう返せばいいかわからなくなった。

当然今年だけの話じゃない。来年、再来年。その次もこの先ずっと、毎年の誕生日が楽しみになるくらいお祝いしてあげるんだから。


「…ううん。だめじゃない…毎年か…うん、ありがとう日結花ちゃん」


ふ、っと花開くように綺麗な笑顔を浮かべる。こっちまで嬉しい気持ちが伝わってきた。


「えへへ、どういたしまして」



幸せな気分に浸れたところで、軽いお散歩は終了。劇場に入れる10分前より早くに映画館まで戻ってきた。あと10分で入れる時刻。お手洗いはさっき済ませたから、あとは適当に話して待つだけ。


「今日の映画『Magical Music2』だけど…僕これ1見てないんだよね」

「大丈夫。1見てなくても面白いから。あたしが保証するわ」

「あはは、日結花ちゃんが言うなら安心だね。楽しみになってきたよ」

「ふふん、存分に楽しみにしてくれちゃってちょうだい」


なにを隠そうこのあたしが出ているんだから。一緒にあたしの作品見よう見よう言っておいてようやくよ。ここまで長かった…あとは、あたしか郁弥さんの家か知宵の家で"あおさき"のDJCD聞いたり見たりしないとね。


「楽しむ楽しむ…あ、そういえば飲み物買ってなかったね…どうしよっか?」


なんだろう…郁弥さんの喋り方が可愛い。

表情もいつもより明るめで楽しそうな雰囲気が伝わってくる。


「んー…とりあえず並びましょ?」


開場まで10分あるとはいえ、先に並んでおいた方がいいと思う。何買うかは並びながらでも決められるし。


「おーけー。並ぼうか」


壁際から歩いて、レジにできている列の一つに並ぶ。あたしたちの前は4組ほど。


「郁弥さんなににするの?」

「僕は…うーん、アイスティーでいいかな」

「わ、おっとなー!」

「え、そう?普通だと思うけど…」

「ふふ、ちょっと言いたかっただけよ」


困り顔もまた良いと思う。ほんわかする。

あとはあたしの飲み物…あたしも同じのにしようかな。


「あたしもアイスティーにするわ」

「あはは、日結花ちゃんも大人だねー」

「えへへ、そうでしょー?」


まるで恋人同士のような楽しいやり取り。このまま腕を絡めても大丈夫な気がして…こない。無理。


「大人な日結花ちゃんに聞くけど、食べものはどうする?ポップコーンとか」

「平気。あとでご飯食べるでしょ?今食べちゃったら食べられなくなるわ」

「そうだねぇ。でも大丈夫?お腹減ってない?」

「大丈夫よ。郁弥さんこそ大丈夫?」

「僕も大丈夫。朝ちゃんと食べてきたから」


朝はいつもより遅い時間に食べてきた。

もともとお昼から映画見て遅い昼食の予定だったもの。時間調整ぐらいしないと。


「そう?ならアイスティー2つでお願いね」

「おっけー…って、危ない危ない。サイズ決めてなかったよ」

「あー…あたしは小さいのでいいわよ」


映画見てるときにそんなたくさん飲まないから。飲み過ぎるとお手洗いに行きたくなるし、第一そこまで喉乾かないわ。


「はは、僕と同じだね。じゃあそれで注文しちゃうよ?」

「うん。お願い」


色々話している間に順番が回ってきて、ぱぱっと注文してくれる。

お金のことなら大丈夫。さっきお札三枚ほど渡したわ。彼のクレジットで席予約したせいであたしが一銭も払わないことになりそうだったけど、強引に受け取らせた。ご飯だけならまだしも、映画含めたら軽く5000円飛ぶし。あたしが学生料金じゃなくて大人料金にしたのもあるから…。


「はい、アイスティー」

「ありがと」


手渡されるときに指が触れ合ってきゃっ、なんてこともなくて普通に終わる。もったいない。郁弥さんももうちょっと攻めてくれたっていいのに…。


「ん?どうかしたの?」

「ううん。なんでもない」


純粋な目であたしを見つめる姿に毒気を抜かれた。

これじゃああたしが気にしすぎてるだけみたいじゃない。もっと彼にも色々動揺してもらわないと。


―――大変長らくお待たせ致しました。スクリーン…。


「あ、入れるみたいだ…けど」

「けど?」


言葉を切ってあたしに目を向ける。困ったとでも言いたげな目が可愛…じゃなくて、アナウンスはあたしたちが見る『Magical Music2』の入場案内。


「ほら、入り口」

「…そういうこと」


言われて入口を見ると、長蛇の列が…。全員同じ映画で、あたしたちもあれに混じる必要がある。


「少し待とうか?」

「うーん…待つと劇場に入ってから席に着くの大変よね」

「だね…じゃあ行こうか?」

「ええ」


予約しておいたおかげで座席は後方真ん中。一番見やすい席。そのぶん座っている人の前を横切るわけで、先に入っておかないと面倒。

人の列に混じって劇場へ入る。


「…ふぅ」

「早く入ってよかったね」

「そうね。ほんとに」


既に席はある程度埋まってしまっていた。それでも半分程度なため、座るまで時間はかからず人を横切ることも少なくてすんだ。よかった。


「日結花ちゃん」

「んぅ…な。なに?」


いきなり声が近くなって変な反応しちゃった。周りみんな静かに喋ってるからあたしたちも静かにしないといけないのはわかるんだけど…近い。やっぱり近い。


「入口でも思ったけど、人多いね」

「そうね」


ち、近い…うう、ドキドキする。なんでこの人は当たり前のように顔寄せてお喋りできるのよ。あたしがこんなにも動揺させられてるのにっ。


「もう満員だ…すごい」

「…ええ」


さっと周囲に目を通すと空いている席は見当たらない。どれもこれも人で埋まっている。ちなみに、あたしの隣は家族連れのお母さん。郁弥さんの隣は女の子の三人グループ。カップルは…ところどころにそれっぽいのは見える。


「ここに登場人物の声当ててる人がいるなんて思わないだろうねー。ふふ、僕だけが知ってるんだね」

「…えへへ、そうよー?」


ドキドキはしつつも、郁弥さんにしては珍しい悪戯っぽい笑みに口元が緩む。


「あたしが演じてる人出てきたら教えてあげるわね」

「うん。よろしく…あ、CM始まったよ」


上映前のCMが始まり、これから上映される映画の宣伝が入る。スクリーンを眺める横顔に一瞬目を奪われ、すぐにそらした…予想外に照れる。映画見るだけなのにこんなドキドキするなるなんて思ってもみなかった。


「……ふぅ」


アイスティーを一口飲んで落ち着く。

…この後暗くなったら手をぎゅっとするのよ。手を……あれ?


「え?」

「ん?どうかした?」

「え、ううん。なんでもない。携帯オフにしないとって思っただけだから」

「あ、そうだ。僕もしてなかった。ありがとう日結花ちゃん」

「ううん。いいの…」


あたしにしては上手く言い訳が言えた。実際オフにはしていなかったので、ちゃっちゃと携帯電話の電源を切る。

何に驚いたかというと、手の置き場がないことに驚いた。あたしの記憶より肘置き?手すり?が短すぎて手が置けない。というか飲み物のせいで手を置くどころじゃない。


「……」


あたしのプランが崩れた。


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