16. "好き"の意味



「―――で、どんな風に話せばいいと思う?」


大雑把おおざっぱにあたしの事情を説明して、両親になにを言えばいいのか聞いてみた。あたしとしては一緒に来て軽い挨拶くらいはしてほしいんだけど…。


「また難しいことを聞くね…」

「ふふ、何かしら考えてくれてるでしょ?」

「ええっと…か、家庭教師、とか…」

「…へー」


呆れて物も言えない、みたいな感じの視線を送る。彼もわかっていたようで気まずげに目をそらす。

もちろん、内心は呆れてたりしない。だってすっごく楽しいから。なによ家庭教師って。ふふ、ママもパパも絶対変な風に見るわ。家庭教師なんて雇ったことないし、そんなそぶり見せたこともないのにいきなり紹介したらね。あぁでも、それはそれで面白いことになりそう。


「や、やっぱなし!今のなしでお願いします!」

「やーん、郁弥さんのえっちー」

「ちょっ!?」


焦って声をあげるも、無慈悲にあたしの声が響いた。そんなに大きな声でもないから周りに聞こえたわけじゃない。

ま、一人には十分聞こえてたみたいだけどね。はー楽しいっ。


「ど、どこにそんな要素あったの?なかったよね?」

「あら、気づかなかったの?」


だって家庭教師よ?うちの両親だったら絶対邪推するわ。


「ええと、家庭教師って別にえっちでもなんでもないと思うんだけど」

「ふふ、どうかしらねー」


笑顔で軽く流す程度にしておく。

これでいいのよ。どちらにしたって家庭教師なんて説明できないんだから。


「ううん…じゃあなんて説明すればいいのかな」

「そうねー」


下唇に指を当てて考える。

親戚っていうのはまず全部だめ。幼馴染っていうのもありえないでしょ?…やっぱり友達で通すしかないかな。


「んー……」

「……」


他には…なんか視線感じるわね。前にも似たようなことあった気がするわ。あたしが見てるときもあったけど、向こうが見てるときもあったし…。


「…ねえ郁弥さん」

「な、なに?」


考えを中断して前を見れば、頬を緩ませてふんわり笑顔のお友達がいた。

予想通りとはいえ…あたしが色々考えてる間にこの人はっ。


「どうしてこっちを見ていたのかしら?」

「え、いや…考えてる日結花ちゃんが可愛かったから…」


若干躊躇したのか一瞬間ができる。それでも、目をそらして頬をかきながらひどく真っ直ぐな言葉を放り込んできた。

ノータイムで顔に熱が上る。


「か、可愛くなんてないわ…」

「…照れてる姿も可愛いなぁ」

「~~っ!!」


お、落ち着けあたし。こんな風に言ってくる人は郁弥さんぐらいなのよ。いつものことじゃない。振り回されてないで…しっかりしないと。


「すぅ…はぁ…それじゃあ、恋人とでも紹介しようかしらね」

「っえぇ!?」


深呼吸のおかげである程度冷静になった。…頬はまだ熱いけど。


「ん、おかしいところあった?」

「おかしいところしかないよっ!」


焦りをにじませた声と動揺を隠せない表情は見ていてとても楽しい。自分自身の照れくささは置いておいて、話を進める。


「ふふ、どこがおかしいの?教えてくれる?」

「ええと…まず、日結花ちゃんと恋人なんて恐れ多いし、それに…」


頭が上手く回っていないのか"恐れ多い"なんて言葉を使う。

言葉の綾だとは思うけれど…この人のことだから下手したらほんとにそんな風に思ってそうで困る。


「恋人って…10年くらい早いんじゃないかな…」

「10年って…」


それはない。今ですらいてもおかしくないのに10年はさすがにないわ。長くても5年くらいでしょ。


「…もしかして、10年後なら恋人として紹介してもいいって意味?」

「え?いやいや違うよ!ほら、そんな両親への紹介なんて結婚を前提にしてるからさ。それだったら日結花ちゃんの年齢的に今から8年くらい後がベストなんじゃないかなって。うん。10年は盛ってたよ。ごめんね」


早々とまくし立てて喋る。なにを焦っているのか手を軽く振って意思表示もしている。

別にそこまで必死に否定しなくてもいいのに…。


「んー…あたしのことはいいんだけど。郁弥さん恋人とかいないの?あなたの10年後ってギリギリアウトな年齢じゃない?」

「そ、そうかな?」

「ええ。だって10年後っていうと34でしょ?」

「僕にも恋人くらいいるよ?」

「…ふーん」


嘘ね。声からして取って付けたような言い方だったわ。そんなのに騙されたりしないんだから。


「な、なにかな。その疑り深い目は」

「べっつにー?ただ…そうね。もしそんな人がいたら紹介でもしてもらおうかしら」

「……」

「…ふふ」


じーっと見つめると気まずそうに視線をそらす。そのまま数十秒ほど。


「…ごめんなさい嘘つきました」

「あら、早かったわね」

「…そんな目で見られたら耐えられないよ」

「別に意識なんてした覚えないわよ?」

「意識しなくてもずっと見られたら恥ずかしいもんだよ普通」


ま、それはそっか。だから見つめてたわけだし。郁弥さんのことだからすぐに降参してくれるとは思ったけれど、予想通りだったわね。


「ともかく、両親に対しては友達で通すわ。これが無難でしょ?」

「それは、そうだね。うん」

「あなたにも一緒に説明してもらうから、そのときはよろしく頼むわね」

「うん、わかった…うん?」


そんな変な顔してどうしたのよ。今の話に疑問に思うところなんてあった?


「ええと、僕も君の両親に説明するって言った?」

「ええ」

「…おかしくない?」

「だって郁弥さんの話なんだし、当然でしょ?」

「…そうなのかなぁ」


どこか納得いかなそうなまま顎に手を当てる。

あ、その仕草ちょっと大人っぽい。


「さてと…そろそろ行く?」

「うーん…そうだね。あ、僕が払うよ」

「あら、いいの?」

「うん…日結花ちゃんこそ今日はあっさりだね」


考える姿に名残惜しさはあるものの、いつまでも見ていたって仕方ない。話を打ち切ってお会計に進む。

カフェだし、本当ならあたしが払いたいところだけど…。


「あたしだって空気くらい読むわ」

「あはは、今日は制服だもんね」


そう。何を隠そう今日は制服。さすがにこの格好で年上の男の人、それもスーツ姿の人にお金を出すなんておかしい。

兄妹設定にしたって社会人の兄が学生の妹に奢られるなんて変だわ。


「そ。今日はお願いね。ごちそうさま」

「はは、いいよいいよ。お粗末様です」


ニコニコと爽やかに笑ってお会計に進む姿はスーツと相まっていつもより大人っぽくて、なんだか不思議な気持ち。ふわふわとした気分のままお店を出ると、橙色混じりの空が目に映った。


「うー楽しかったー!」

「あ、ほんと?」

「うん。郁弥さんは?」

「僕も楽しかったよ。久しぶりだったしさ」


冬特有の冷たい空気が肌を刺す。

吐く息白く、今日もこれで終わりかと思うと若干の寂しさが胸によぎる。


「……」

「……ふぅ」


ゆったりと歩を進めて、大広場に足を踏み入れる。映画館も近くにあるからか、夕方だというのに人通りが多い。


「……」


なにを話そうか。話したいことはわかっているのに、どうしてか一歩踏み出す気が起きない。この人の前だと自分の感情が上手くコントロールできない。

…結局話さないといけないのよね…よし。


「…来週。ううん、再来週また会える?」

「…たぶん、大丈夫かな」

「むぅ…」


話の切り出しはできたけど…たぶんかぁ…それは、少し嫌だわ。


「たぶんじゃ嫌」


ここ最近ずっと話せてなかったのに…結局ご飯だって一緒に食べてないし、今くらいわがまま言ったっていいと思うの。


「え、うーん…」


ちらりとうかがうような視線を向けてくる。それに対して不安と期待の入り混じった瞳で応えた。


「はぁ…そんな顔しないでよ。わかった。約束するから。再来週だね」


苦笑を浮かべながら約束してくれた。


「…ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。日結花ちゃんのお願いなんてそうそうないからね。これくらい応えないとさ」

「…ありがと」


自分で思っていた以上に不安だったのか、声に張りがない。いつもの自分らしさが全然なくて情けないのに、隣で微笑む郁弥さんの言葉が嬉しくてどんな顔をすればいいのかわからない。


「さ、今日はこの辺で解散かな」


考え事をしていたら、いつの間にか駅までやってきてしまっていた。

…うん。しゃんとしましょ。


「はぁ…よし!」

「うん?」

「なんでもないわ。郁弥さん電車あっちでしょ?」

「あ、うん」


気合を入れようと声に出すと、さっきまでの沈んだ気持ちが嘘のようにあっさり切り替わる。


「今日は色々ありがとう。久しぶりにあなたと話せて楽しかったわ」

「それはこっちのセリフだよ。日結花ちゃんと話せてよかった。ありがとう」


二人でそこそこに挨拶を交わして笑いあう。

調子戻ってきたわね。これなら大丈夫。ちゃんと話せる。


「はい、洋服。結構買ったから頑張って持って帰ってね」

「あら…預けたままだったわね。ありがと」


帰る電車が違うからと荷物を渡された。

完全に忘れてた…結局ずっと持ってもらってたのね。文句の一つくらい言ってくれてもいいのに…いつも通りの笑顔なところがほんとこの人らしい。


「ん…それじゃあね。再来週、楽しみにしてるわ」

「うん。お店とか見繕っておくね。それじゃあ、また」


別れの言葉を告げる彼から一歩離れて、振り返る。そう来るとは思っていなかったのか、びくりと驚いて目を瞬かせた。


「ねえ、郁弥さん」

「な、なに?」


動揺して言葉が詰まり気味。

ふふ、別に変なことを言うつもりなんてないからそんな身構えなくてもいいのに。



「あなたが30歳になるまで恋人できなかったら、あたしがなってあげてもいいわよ」



「えっ……」


何を言われたのかわかっていないような、そんな不思議そうな顔をする。

彼の反応を確認したところで、もう一度口を開いた。


「それじゃあね。お先に失礼するわ」

「え、あ…うん」


上手い言葉が見つからないのか、こくりと頷いて手を振ってきた。あたしも言いたいことだけ言って、さっさときびすを返す。後ろ手に軽く手を振り返して、今度こそ振り返ることなく駅のホームまで歩みを進めた。


「…はぁぁ」


吐く息は白く熱く。頬が燃えるような熱さを伴う。

一応、言うつもりでいた言葉はきっちり全部言うことができた。それはいい。今日の変な調子のあたしにしては上出来。ただ…あたしの方が影響を受けすぎているのはどうしてなのよ。心臓はドキドキしてるし顔は熱いし…それでも後悔がないから変な感じ。


「…ふぅ」


そもそも、なんであんなことを言ったのか。別にあたしはあの人が好きなわけじゃないのに…。

…ううん。好きね。認めましょう。好きなのは間違いない…でも、それがどんな好きなのかわからないわ。恋人になりたい…っていうのもなにか違う気がする。恋人とか彼氏とか…そういうのじゃない。わからないけどなんとなく違う形。


―――♪


冷えた風が吹いてすぐさま頭を冷静にする。落ち着いて考えてもまだまだわからないことだらけで、電車到着のアナウンスが流れる中、最終的にいつも通り接していけばいいかと結論付けた。

あたしがどうしたいかなんて、そのうちきっとわかる。今はこのままでも……いえ、そうね。今日話した通り、関係を変えるのも悪くない、かも。好きにも色々な形があるっていうし、真面目に探してみようかしら。


「好き…かぁ」


冬の寒さに反して、身体の芯は強く熱い。ふわりと、肌を刺す冷たい風が気持ちいい。

呟いた言葉一つが、どうしてか胸に残る。今日が大きな転機になったわけじゃない。それでも、今日という日があたしのこれからを考えるきっかけにはなった日ではあって、自分の気持ちを改めて意識するようになった日であることは確かだと思う。


「あ…」


思考に区切りをつけたところで一つ思い出した。

…再来週ってクリスマスイブじゃない?



夜。食事からお風呂まで全て済ませ、自分の部屋に帰ってきた。お風呂上がりで身体が火照っているから、ベッドには触れず椅子に腰掛けてノートパソコンを立ち上げる。


【ばんはー】


携帯で適当に文章を送り、パソコンの画面に目を移す。ブルーライトカットのメガネをかけてメールをチェック。

基本的にお仕事の話は峰内さんから直接されるのよ。それでも峰内さんだって忙しいし、大事な連絡は文書で送ってくれるわ。これからの予定しかり受けるオーディションしかりね。

新しく予定ができたときは手帳に書き込むのだけど、今日は特になかった。来週の予定に一通り目を通した後、携帯に返事が来ているか確認。

ちなみに、イブは空いてた。

クリスマス当日の方は"あおさき"の運営ともいえるラジオ番組制作会社"フィオーレスタイル"のイベントがある。番組一つ一つの持ち時間が2時間で、トークショーしたり公録したりコラボしたりライブしたりと、なんでもありの年末一大イベント。

…クリスマスだっていうのにお仕事とか、よくもまあみんな集まるものよ。あたし含め他のパーソナリティーの人たちもみんなおかしいわ。


【こんばんは】

【さっそくだけど、再来週の話】


ぐちぐちと頭で考えていたことを打ち切って、挨拶もそこそこにさっさと本題を切り出す。返信をして数分。早々はやばやと郁弥さんから返事がきた。


【ちゃんと空けるよ?約束したからね】

【うん。それはいいの。わかってるから】

【そっか。じゃあお店の場所とか?】


そうじゃない。お店のこととかはまだいいのよ。大事なのは日付。


【ううん。再来週ってさ。12/24なのよ?気づいてた?】

【…そういえばそうだね。でも僕は大丈夫だよ。予定空けるから。日結花ちゃんの方は?】

【平気。でも遅くなるのはちょっと無理かも。翌日早いし夜は家族でご飯食べるから】


日曜はあたしもイベントで忙しい。朝から打ち合わせして軽い段取り確認とか色々ある。"あおさき"はいつもの収録と似たような形のトークショーとちょっとしたコラボ。その辺もテキトーに勢いでどうにかできるから大丈夫。

あたしたちの番が昼からで、最終の打ち合わせは朝から。ほんと昼開始でよかった。朝一開始なんてやってられない。

なによ8時開始って。フィオーレの人頭おかしいんじゃない?しかも8時、10時半、13時、15時半、18時とかいうスケジュールで、30分の休憩中に客席入れ替えって…やっぱりおかしいわこのイベント。むしろ今まで成功してきたのが奇跡よ。


【いいね。家族でご飯。クリスマスだからね。うん。じゃあ少し早めに切り上げようか】

【おねがい。あたしから頼んでおいてごめんね】

【全然いいよ。せっかくのクリスマスなのに僕が引き止めちゃ日結花ちゃんの家族にも悪いからさ】

【ありがと。あたしの方はこんな感じなんだけど、郁弥さんも家族とご飯食べたりするの?】


あー、でもこの人一人暮らししてるって言ってたし、家族とご飯食べるの実家帰ってからかな。そうするとクリスマスじゃなくて年末になるのかも。


【いや、一緒に食べるのは年末だね】

【そうなんだ。じゃあクリスマスも一人?】

【うん】


友達とか同僚となにかしたリしないんだ。可哀想な人。友達がいないのね…。


【あ、別に友達がいないわけじゃないよ?翌日も仕事だし、飲み会食事会はその週にやるから暇だっただけだよ?】


わざわざ弁解するようなセリフを送ってきた。

わかってるわよそれくらい…でもあれね。郁弥さん自身が言ってた通りほんとにいないのね。クリスマスを一緒に過ごしてくれるような恋人…じゃなくても、それに近しい人。


【わかってるわ。でも…それなら洋食にしてもいいかなって】


彼の交友関係は置いといて、こんなちょうどよくクリスマスに当たったんだもの。雰囲気に則したご飯を食べてもいいわよね。郁弥さんのことだからクリスマス当日も適当な食事で済ませるでしょうし…贅沢にいってもいいと思うの。


【洋食かぁ…それならいっそのこと高めのお店に行ってもいいかもね】

【あたしも同じこと考えてた。ランチだから値段も跳ね上がったりしないと思うわ】

【うん…じゃあそうしようか?】

【うん…また調べ直しになっちゃうわね。あたしも調べた方がいい?】

【いいよ。それくらい僕がやるから。まかせて】


なら任せましょ。こういうのって二人で調べるより一人が調べた方が早く決まるのよ。ここは年上に任せた方がいい場面だわ。


【わかった。お願いするわね】

【おーけー】


和食の方は今度…来年ね。また延びちゃったけどしょうがない。今回はほんと不可抗力ってやつよ。まさかクリスマスイブに被るなんてわかるわけないじゃない…あ、聞きたいことあったんだ。


【そういえば郁弥さん】

【はい】

【クリスマスの"フィオーレラストショー27"来ないの?】

【うん。ごめんねる】


「ふふ」


やけに返事が軽いかと思ったらそういうこと。にしても唐突すぎでしょ。いや、いいのよ別に。そんな急ぎでもないから明日返してくれればよかったのに…郁弥さんらしいなぁ。


「…ふぁ」


あたしも寝よう。

メール中に椅子からベッドに移ったこともあって、割と眠気は強い。ぽちぽちと挨拶だけ送信して、部屋の電気を消す。


【はーい、おやすみー】


目を閉じるとすぐに睡魔が襲ってきた。

今日は濃い1日だったわ…そうそう、知宵にも相談することあったんだ。そのうちしないと……。

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