第16話
気が付くと、真っ暗闇の中で青年は一人で座っていた。手足を縛られた状態で、座っているのも床だろう。あまりにも目が利かないところから、目隠しも付けられていることも彼には推測できた。また尻の少し痛い感覚から、思ったよりも長い時間が経っていることを認識する。
キィ…と扉が開き、人の入ってきた気配があった。足音が鳴ることもなく、その人物はその場で声をかけてくる。
「やぁ、気分はどうだい?」
ねちっこい話し方で、ぞくっと嫌な感じが青年の背筋を走った。加虐的な話し方は幼いころに耳馴染みがあるのだ。
「いいと思うか?」
「さあ?ただ、ボクなら最悪だと思うね」
「なら同じだ」
青年の目には映らないが、ニィ…っと綺麗な白い歯を見せて相手が笑っているのは分かった。コツコツと質のいい靴を鳴らして、男は青年に近付く。
「ああ…っ、そうだね。吸血鬼を愛でるボクらは同胞だ」
その言葉で初めて、青年はこの男があの貴族の男であると理解した。そしてそう分かってしまえば、そんなに怖いことはない。青年はいたって冷静に否定する。
「残念でもないだろうが、俺にその嗜好は無い」
「謙遜を」と嗤いながら、貴族は青年の肩を踵でガッと踏み付けた。
「ボクの可愛い吸血鬼がどこに行ったのか、知ってるんだろぉ?話せよぉぉ」
肩が痛いとは、青年は思わなかった。話しかける際にしゃがまなかったことから蹴られるだろう予測ができた上に、戦闘職の彼と市民の管理がメインという非力な貴族では力の差も歴然だ。
けれどもこの貴族から逃げるのは容易いが、その奥にいる衛兵や見張りの傭兵がたくさんいるのだろう。それらを振り切るのは至難の業だと青年は考えていた。
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こうなったのも全て、半日前に遡る。
いきなり吸血鬼の家に訪れた貴族は、何故か彼女のことを探していた。青年が中にいることには驚いていたが、彼を無視してすぐに貴族は衛兵を使って家の中を探させ始める。かと思えば、すぐに貴族は彼に視線を戻してきた。
「で、キミは?」
「え、ああ…街の人間です」
「ハンターか」
質問ではなかったのかもしれないが、その呟きを肯定すると、男は不快そうな顔を向けてきた。
「まさか、ここの子もキミがもう殺したなんてことは…」
「いいえ」と否定した後に、誤魔化した方がいいかと判断し、「貴殿同様、吸血鬼が居ると聞いて来た者です」と加える。
詳しく聞かれることを避けるため、あえて青年は話題を変えるように話を振った。
「それにしても、貴殿は吸血鬼を既に飼っていたのでは?」
「ああ、僕の愛しかったあの子は何者かに殺されてしまったんだよ。可哀そうに」
最後を知っている青年にとって、「可哀そう」という言葉はいささか引っかかるものがあったが、疑問を押し隠す。
「それでここに?」
「そうだよ。ここにはそれはもう麗しい吸血鬼がいるそうでね…」
そう彼が恍惚とした表情で、言葉を切ったところだった。気が付くと青年を取り囲むように、彼の衛兵が槍を向けて立っていた。貴族はゆっくりと青年に近付くと、気色悪い笑みを浮かべながら続ける。
「最近、人間の男を飼っていると聞いたんだよ」
―― ああ、なるほど
青年は自分の演じていたことの無駄を知った。男は全部下調べを済ました上で来ている。青年が街の人間かどうかなんてことは知らなかっただろうが、ただ彼が彼女と知り合いではないと言う嘘は、はなからバレていたのだろう。
「飼われているつもりは無いんだがな」
「ならキミが飼っているのかな?それとも恋仲だとでも?」
「はっ、それこそありえない。もっと笑える冗談にしてくれ」
「なら庇うことも無いだろう」
貴族は青年に興奮気味に微笑みかけた。
「さあ、ボクの愛する吸血鬼は今、どこにいるんだい?」
「さあ?別に首輪も付けていないしなぁ」
街中で見かけた際、首輪をつけて飼育していた貴族を青年が揶揄すると、相手の表情は変わった。
「ボクはね、愛する吸血鬼を殺されるのは嫌いなんだ。でもね…」
距離を置いて立っていた貴族が、パチンと指を鳴らした。
「身分の低い者に馬鹿にされるのは、もっと嫌いなんだよ…っ」
その言葉を最後に頭に強い衝撃を受け、青年は気を失ったのだった。
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そして今に至る。
今思い返せば、あの「パチン」というのが彼を昏倒させる合図だったのだろう。向けられていた複数の槍に目を取られ、傭兵の腰に差していた棍棒に気付けなかった失態を、青年は悔やんだ。
「まぁいい。お前を捕まえておけば、彼女も迎えに来るだろう」
「どうしてそう思う?」
「愛だよ…っ!お前にはわからないだろうがね」
―― ああ、わからないな。
言葉に出さずに、青年は肯定した。
青年と吸血鬼の間に愛なんてものは存在しない。そこにあるのは殺したいと殺されたいの利害の一致だけである。この貴族の男は、自分が吸血鬼を愛しているから吸血鬼にも愛してもらっていると信じている。だが実際はどうだったのかは、以前の吸血鬼同士の話の際に触れられていた。
それでも吸血鬼は外見の優れているものが多い。好感を抱くものや、それを利用されて食われた人も比例して多かった。この貴族も、化け物に入れ込んだ哀れな男だと青年が嗤った時だ。
「きゅ、吸血鬼だぁぁぁぁ!!」
それは、外にいた傭兵たちの悲鳴だった。その混乱と恐怖は、建物の中にまで一瞬で侵入してくる。
「ああ…っ!ようやくボクの前に現れてくれたんだね、ボクの吸血鬼ィ…っ」
「領主様!ここは危ないのでご非難を…」
「ええい、離せ!彼女はボクに会いに来たんだ…っ」
ごたごたと部屋を出ていく音がして、青年のいる部屋は静かになった。乗り込んできた吸血鬼があの女性だとは限らないと青年は考え、身を固くする。
耳をつんざく阿鼻叫喚はそれほど長くは続かなかった。先ほどまでわずかにあった人の気配はなくなり、嫌な沈黙が続く。
誰も戻ってこない。
誰も入ってこない。
吸血鬼も無尽蔵に人を襲うわけではない。腹が満たされれば相手を残して去ることもある。そしてたとえ領主たちが助かったとしても、吸血鬼が戻ってこない確証のない場所にわざわざ戻って来ないことなんて、少ししか話していないとはいえ、青年にだって簡単に推測できた。
緊張していた体から力を抜き、どうやってここから脱出しようかと考え始めたちょうどその時。
「…生きている?」
唐突に耳元であの吸血鬼の声がして、青年はびくりとする。まったく気配がなかったのだ。ようやく彼女の位置をなんとなく掴めたころには、ゆるりと彼を包み込むように抱きしめる感触が伝わってきた。
「ああ、よかった」
その言葉と同時に、酷く強い鉄の匂いが彼の鼻を刺激した。血の匂いである。吐くほどの悪臭に、青年は顔をゆがめた。
「ずいぶんと、殺して回ったようだな」
「そうね」
吸血鬼が、そっと彼の目隠しを外す。ゆっくりと開けた彼の視界に移ったのは、化け物となった彼女の姿だった。
白い肌は赤く血に染まり、黒くなった白目の中央にある赤い瞳は爛々と光っている。彼の頬に触れる指は鋭くとがり、きれいな口元には似つかわしくないほど凶暴な牙が顔を覗かせている。
「血を…あなたの血を……ちょうだい…」
「…好きなだけ飲めばいい」
少し悔しそうな顔の彼の首筋に、自我を失った吸血鬼が思い切り噛みついた。
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