第15話
自分の分の朝食を終えた吸血鬼は、彼の分をタッパーに仕舞い、ふくれっ面のまま玄関に掛けてある外套をバサッと羽織った。さらに初めて会った時に持っていた銀の鍋を、今回は手袋越しに携えている。
「ちょっと、出掛けるわ」
「散歩か」
「目的はあるけれど、まあ似たようなものかしら?」
目的、と言う言葉に、青年が敏感に反応した。この女性が、こんなふうに言葉を濁すことはあまり無かった。さらに手ぶらなことが常のため、何かを持っているというところにも疑念を抱く。
「そうか」と青年は立ち上がり、外套に手をかけた。ついてくることを悟った彼女は、ふふっと口元に手を当てて笑う。
「過保護ね。そんなに心配かしら?」
「なんとでも言え。お前が暴走して人を殺した時を思えば、何をしようと俺に後悔はないだろう」
「私が他のハンターにやられる心配はしてくれないのかしら?」
「そんなに簡単に殺せるものなら、俺がとっくに殺せているはずだ」
「随分と腕に自信があるのね」と冷やかしてくる彼女を他所に、青年が先に家を出た。
女性の後に静かについて行くと、少し開けた高台に着いた。遠くに彼の街が見え、まるで映画のワンシーンのような絶景とも言える。だがこの世界の「人間」にとっては、吸血鬼が自分の街を眺めていたのかと思うと、頭に拳銃を突きつけられているような気持ちになった。
「ここは…」
「妹の、好きだった場所よ」
やはり吸血鬼が眺めていたのかと、青年はゾクリとする。吸血鬼は目も良いと聞く。たとえ彼女や彼女の妹がやらなかったとしても、ここから狙いを定めるような吸血鬼もいるだろう。
ザクッ
何かが勢いよく刺さる音に、青年は思わずビクッとする。咄嗟に女性の方を見ると、丘の先端付近に鍋をざっくりと刺していた。深く刺さっているように見えるが、彼女はそれで納得していないのか、未だガンガンと鍋を叩いている。
不意に彼女が青年の方を向いた。そのままじっと見つめてくる。何かを要求されると悟った彼は、どんと構えたまま視線を迎え打った。
「ねぇ」「勝手にやってろ」
女性に最後まで言わせずに、青年が言葉を重ねる。
「手伝っ」「関係ない」
沈黙が走った。その間に女性の顔がじとっとした湿気を帯び始める。
「少しくらいいいじゃない」
「得体の知れない行為の援助など出来るものか」
「ああ、それなら大丈夫よ」と合点がいった感じに返すと、鍋を片手に町を眺めながら彼女が憂いを帯びた、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「お墓よ」
ここで「誰の」と聞くほど青年も鈍くはない。彼女の話に出てくる人物は、いつも妹以外にいないからだ。だが。
「灰を捨てたのにか?」
「あの時は、要らないと思ったの」
「今はいるのか?」
「そうみたいね。不思議だわ」
そう答えつつ彼女には、何故自分が墓なんてものを作ってあげたくなったのか、なんとなく分かっていた。
それは、青年と過ごしているからだ。一人で生きていこうと覚悟を決めていたはずだが、その覚悟は灰と共に、妹が天に持って行ってしまったようだった。警戒心は相変わらずでも誰かと過ごせば、いやでも妹が何度も思い起こされた。心に残ってしまうと、もう供養したくて仕方なくなってしまったのだ。
しかし、そんな感情の変化が吸血鬼を化け物としている人間たる青年に伝わるわけもなく。
「十字架じゃなくていいのか?」
「相手は人間じゃないからね」
この国では人間の墓には銀の十字架を立てる。重要なのは化け物除けの銀であり、十字架である必要性はあまりないが、それでもその形には魔よけの効果があると信じられていた。
今度は青年がじっと彼女を見る。ゆっくりと、何も言わずに彼女の手から銀の鍋をひったくり、それを使って穴を掘り始めた。
彼女が持ってきたのは中華鍋ほど大きくはないが、持ち手が2個あると言うだけの、フライパンに近いような鍋だ。とはいえサクッと地面に刺さるわけがない。
それでも10分も経たないうちに、青年は穴を掘って鍋を固定し、見事に丘に立ててみせた。その姿を感心した様子で吸血鬼が眺める。
「貴方って本当に器用ねぇ」
「ふん。…用はこれだけか?」
「ええ、ありがとう」
ふわりと花が咲いたように女性は笑ったが、青年は苦々しく眉間に皺を寄せた。自身の行いで吸血鬼が喜ぶことは、青年にとっては屈辱的なのだ。
「終わったなら帰るぞ」
「あら、今日のデートは終わり?」
「ここに吸血鬼がいるのは気分が悪い」
青年の言葉の意味を彼女がどう捉えたのか?そんなことに彼は微塵も興味を示さず、さっさと踵を返した。しかし。
「私は…ここで少し、お参りだけして帰るわ」
「なら」
「大丈夫、必ず真っ直ぐ帰るから。1人にしてちょうだい」
発言に振り向いた彼の瞳に映った彼女は、悲しむことはなく、仕方がないと、何故か少しくすぐったそうな表情をしていた。
青年が家に帰ってから30分は経った。あの丘まではそんなにかからない。ましてや吸血鬼の彼女は単独であればもっと早いだろう。いつも人間の彼に合わせて歩いていることが、彼にとって屈辱的であり、それを苦々しく思っていることを彼女が楽しんでいたりする。
―― 信用したのが間違いだったか?
吸血鬼に気を遣うつもりはないのだが、さすがに最後のは感情を出しすぎたかと、青年は若干の後悔の念を抱いていた。
その時。
トントン
と、ノックの音がした。頻繁なことではないが、誰かと一緒に過ごしているのを感じたかったのか、たまに彼女はこういうことをした。
ため息をつきつつ、青年が扉を開けたその時だった。
「ああ、会いたかったよ!ボクの新しいペットちゃん…っ」
いきなり男が手を広げて抱きつこうとしてきたもので、青年は反射的に避けた。
彼の目の前にバタンと倒れたのは、ずいぶんと小綺麗な格好をした男だった。扉の外を見れば、お付きの者だかなんだかがたくさん付き添っているのが見える。
突然現れた人物に仰天する青年に、当の男はガバッと体を起こすと青年を訝しげに見た。相手の顔を見て、彼はすぐに気付く。
―― ああ、こいつは…
この男は青年の住む街の、吸血鬼を飼育し、自慢げに街を連れ歩いていた、あの貴族の男だった。
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