第8話
そして今から一時間ほど前。断ることが出来ずに吸血鬼を連れてくることになってしまった青年は、外敵侵入を防ぐ目的でそびえ立っている、街を囲む城壁の外側の木陰で女性と向かい合っていた。両手で彼女の逃げ道を塞いで立つその姿はいわゆる「壁ドン」に近い姿勢であり、通りすがりの者が見たところでただの男女の逢瀬だ。当然これも彼の計算の上で、彼女が勝手に入るのを防ぐのと同時に、内緒話をする際に周りから不審がられにくい体勢とも言えた。
「いいか、絶対に目立つなよ。目立った瞬間俺はお前のことを見捨てるからな」
「吸血鬼を一人街に置き去りにすると言う事?」
「どうせ街にはハンターはいくらでもいる」
「あら、殺され放題と言う事ね」
ふふっと笑うと、彼女は近くにあった彼の首に腕を絡め、鼻先が付かんばかりの距離で色っぽい視線を向けた。
「安心して?浮気はしないわ、ダーリン」
「誰がダーリンだ」
「街で『あなた』って呼んだら何人が振り向くかしらね?」
「ダーリンなんて言われても俺は反応しないぞ」
「じゃあ袖を引っ張りながら言うわね」
もう嫌がらせでしかない。元々女っ気のない青年がダーリンと呼ばれることはなかったのはもちろんだが、時代的にもかなり古風な呼び方だ。今時どんなバカップルでもそんな呼び方をしている奴はいない。
「・・・さすが1000年生きているだけあるな」
「今、馬鹿にしたでしょう」
「気のせいじゃないか?」
女性の腕から器用に頭を抜くと、街の入り口のほうへと歩き出した。釣れない青年に吸血鬼は少し頬を膨らませたが、置いていかれる前にと小走りで青年に追いつき、その腕にしがみついた。
入門するための審査所に並び、順番を待つ。女性は不安なのかからかう気持ちからなのか、青年に腕にしがみつく力を強めた。
「さすがに痛いんだが」
「・・・毎回こんな面倒くさいことをするの?」
「質問は俺の家に着くまで我慢しろ」
思ったよりは早く列は進み、すぐに青年の番になる。
青年が「よう」と少しフランクに挨拶をして鞄から出した書類を渡すと、門番の男は「ああ、お前か」とろくに確認もせず印鑑を押して彼に返した。書類をしまう姿を見て、門番の男がふっと笑った。
「帰りが早いな。狩りは失敗か?」
「いや、思いのほか長丁場になりそうでな」
「調達か…、っ!」
人見知りなのかわからないが、彼の背中に隠れていた吸血鬼に、門番の男が気付いた。とはいえ口をキュッと結んでいる彼女が吸血鬼とばれることはなく、彼に後ろから抱き着いているだけのちょっと変わった、ただの美人としてその目に映る。
「珍しいこともあるものだな。お前が女連れとは」
「ただのストーカーだ」
「何よそれっ」と返したかったが、口を開くとこの至近距離では牙が見られかねないため、吸血鬼はぽすっと彼のことを叩いた。
「いや、そんなに美人なストーカーならボクなら大歓迎だ」
「美人か?」
門番から彼女への賛辞に怪訝な顔を向けた青年のわき腹に、また女性からパンチが入る。ばれないようにと変に力をセーブしているのか、痛くもかゆくもなく、青年はびくりとも動かない。
青年のその淡泊さに、門番が吸血鬼に顔を近づけた。そろって「バレるんじゃ…」と怯えるが、ここで逃げたり隠したりしては少し不自然な気もして、青年は動くことが出来ない。吸血鬼もさすがに肝が冷え、どう動いていいのか混乱した。しかしその心配とは裏腹に彼は愛想のいい笑顔を向けてくる。
「そんな男やめてボクにしない?」
「ナンパはやめろ、阿呆」
青年が彼の頭をゴッと叩いた。冗談だよと笑う門番をじっと見ていた吸血鬼は、すぐに青年の腕にしがみつき、そのまま口元を隠す。
「この人がいいの。ごめんなさい」
フラれたと笑う門番をよそに、青年は喜ぶどころか面倒な言葉を残しやがってと眉間のしわを深くした。
そして先ほどの、大広場の件へと物語は戻る。
さっさと家路に向かって歩き出した青年を吸血鬼が慌てて追いかけた。
「ちょっと、はぐれてしまったらどうするの?」
「ついてくるなら自己責任だと言ったはずだが?」
「女性のエスコートくらい出来なきゃダメよ」
「吸血鬼のエスコートなんざ死んでもやらん」
ぷくーっと膨れる吸血鬼の視界に、一人の少女が映る。吸血鬼にはすぐにわかった。あの少女は、同族だと。
少女は男性とともに歩いていた。男性の年齢は青年より少し上だろうが、壮年と言うにはまだ若い、妙齢の男だ。男も女も、機械油や日常生活の一端で汚れている服を身にまとっている住民たちと比べ、妙に小奇麗な恰好をしていて、一目で裕福な家の出身であろうと推察できる。彼はまだ幼いとも言える年齢の吸血鬼の少女の首に首輪をつけ、まるで犬の散歩でもするかのように手綱を引いていた。首輪には銀の十字架が仕込まれており、おそらくあの少女が自分では外すことが出来ないように作られたものだと察せられる。
つまり、飼われている、ということだ。
女性は少女と目があったが、少女は少し目を丸くしただけで、何も言わずに歩いていった。男も、青年から小汚い羽織を借りていたせいか、吸血鬼には目もくれず、自慢げな顔をして中央通りから奥へと消える。
――――この街にも、ああいう輩がいるのね
女性は少し嫌悪感が湧いた。その不穏な雰囲気を察したのか、青年が唐突に彼女の頭をガシガシと乱暴に撫でてくる。
「不快なのは解るが、落ち着け」
「・・・落ち着いてるわ」
「そうか」
実際は青年のらしくない動きにびっくりして、落ち着いているとは言い難い心境だったが、青年が気にしていることとは異なるため彼女はすぐにそう答えた。
「この街にはまだまだああやって吸血鬼を飼っている奴は多い。いちいち嫌悪感を抱いていてはきりがないぞ」
人通りの少ない路地に入った青年は、彼女の心境を考えて、そうフォローを入れた。けれども、彼女は特に気にする風もなく、淡々と返してくる。
「別に。『吸血鬼を支配できていると思い込んでいる人間』に興味はないわ」
「・・・は?」
言葉に違和感があった。「吸血鬼を支配できていると思い込んでいる」とはどういうことなのか。その疑問がしっかりと詰まっていたその一音に、女性はふふふと可愛らしく笑った。
「あれは、飼われてやってるのよ」
「逃げられるというのか?」
「ええ。他はどうだか知らないけれど、さっきの子はそうね。あの程度の首輪、あの年齢であれば造作もなく外すことが出来るわ」
「だが、銀に十字だぞ?吸血鬼の苦手なものだろう」
「そうね。でも苦手であっても触って死ぬものじゃない。人で言うなら刃物を握るようなものかしら?多少手は切れても、命に別状はないでしょう?」
言われてしまえばそうかもしれないと、青年は言葉を詰まらせた。確かに、刃物で刺されたとしたって、致命傷でなければ人間とて生き残ることだって多い。
「だがあれは、吸血鬼の『再生』を止めるのに、ハンターの間でも有用な手段だ」
「それは否定しないわ。だから苦手なんだもの。でも『再生できない』のと『死ぬ』のは別物。全てが銀製の首輪で、首がずっと灼け続けるのならそれだけで死ぬけれど、あの首輪は留め具は普通の金具だし、なにせ布に十字架があしらわれている程度よ?十字に触れなくたってあんな布くらい、吸血鬼なら力で千切ることくらい容易いわ」
確かに吸血鬼の力と言うのはなかなか馬鹿に出来ないものだ。素手で木を倒したりイノシシなどの獲物も裂く力があると聞いたことがある。事実、青年も何度剣を折られたことがあることか。思い返せば、対吸血鬼用の剣で、あれらの剣にも銀が仕込まれていた気がすると青年は気付いた。
「・・・なぜ飼われる?」
「食事よ」
ため息交じりに、彼女はそう答えた。再び人通りの多い道に入りそうになり、足を止めようとした青年の腕に彼女が抱き付いて人込みの中に引っ張っていく。
「おい」と続きの気になった青年が声をかけるが、もう戻るに戻れず、諦めて腕に捕まる彼女の頭を軽く小突いた。
「逆方面だ、阿呆」
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