第7話
「わぁぁ・・・っ!すごい!すごいわ!!」
深くフードを被った女性が人波を器用に抜けて走っていく。彼女の目の前には露骨に歯車の見えた、まるでオブジェのような大きな時計がそびえたっていた。大人の女性が大はしゃぎしてオブジェの前に行く姿は人々の関心を引き、フードから覗くその綺麗な面立ちにたまらず目を奪われる。
「ほら!あなたも早く早く!!」
女性が無邪気に手を振る先には一人の体格のいい青年がいた。が、彼は特にときめくでもなく、むしろ迷惑そうな、とても不機嫌な表情をしている。
―――あれだけ目立つなと言ったのに
青年は呆れてため息を吐くと、一生懸命手を振る女性から視線をそらして目的の方向へと足を進めた。
どうしてこんなことになったのか?それは半日ほど前に遡る。
ようやく腹を満たすことが出来た青年は、吸血鬼の家で自分の獲物を弄っていた。ナイフや剣などは特に刃毀れも何もしていなかったのだが暇つぶしに研がれ、銃は一度分解され綺麗にしてから組み立て直される。
と、視線をつい感じてしまった。言葉にはせず、じろりと視線の主をにらみつけると、熱心に彼の手を見つめている目が見える。まだ彼が気が付いたことには気付いていないようで、だが不快に思った彼は彼女から手元が見えないように体の向きを動かした。
「んもう・・・いじわる」
「言ってろ」
元々特に手入れが必要ない状態であったそれらを、青年は元々入れてあった場所へとすべて戻していく。
「手馴れてるのねぇ」
ハンターとして自分を捕らえている相手からそう言われては、青年もさすがに笑ってしまった。手馴れてなければ困るのは彼女だろうに。
「安心したか?」と彼が聞くと、彼女はぽかんと少し間抜けな顔をして固まった。青年から話しかけただけでそんな大げさな反応をするのかと、彼は些か不快感を覚える。彼の眉間のしわがいつも通り戻ってきたのを確認した吸血鬼が、いつものようにふふっといたずらに笑った。
「ええ、安心したわ。貴方でも笑えるのね」
「・・・お前と少しでも会話しようと思った俺が馬鹿だった」
特にやることのなくなった青年は、ぼすっと近くのソファに深く腰を掛ける。このソファはどうにも上質なものらしく、ビロードのような肌触りに腰の少し沈むような程よい反発感がちょうどいい、数少ないこの家の気に入ったスペースだった。
とはいえ、いつも吸血鬼狩りで歩き回っているアウトドア派な青年にとって、室内で何もしないで一日過ごすというのは少し過酷だった。読書や勉強など、何か集中できるものがあればそれもそれで話は別のなのだが、そんなものもあるわけがなかった。我慢できなくなった青年が、吸血鬼に尋ねる。
「いつも、お前は何をして過ごしているんだ」
「そうねぇ、小鳥が来たら話し相手をしてもらって、あとは部屋の掃除をしたり、一輪挿しに飾る花を取りに行ってるわ」
「花摘みか。なら外に出れそうだな」
「残念だけど、さっきあなたが狩りに行ったときに採ってきちゃったわ」
彼が室内にいることの限界であることは、もう彼女にはばれているようだ。ニヤニヤと彼を見ながら会話を楽しんでいるように見えた。
吸血鬼の玩具にされていることに気付いた青年は、すぐさま立ち上がった。上着をバサッと羽織る。荷物を手にかけ扉の方へ向かおうとすると、彼の前にいつの間にか彼女が立っていた。
「何処かに行くつもりなのかしら?」
「監禁生活は向いていないようでな」
「向いているとかそう言う話ではないのよ」
目を赤く光らせ、普段は見せないような鋭い眼光を向けてくる。射るような、肉食獣を思わせる視線だ。しかし彼にそのような威嚇は通用しなかった。
青年は牙を見せ敵意を見せてくる彼女の口に自らの腕を押し付けたのだ。驚いた彼女とは裏腹に、青年は表情をピクリとも変えずに布告する。
「殺したいのなら殺せばいい。お前に俺は殺せないだろう?」
「こ、殺せるわよ」
「殺せないな。なぜならそうなったとき、お前を殺してくれるやつがいないからだ。殺してくれる相手をまた待つ日々に戻るのは苦痛だろう?」
「・・・あまり驕らない方がいいわよ」
「お前こそ人間を舐めるなよ。正直俺は、俺が殺されてもお前がその孤独と不安に怯え苛まれ苦しむ結果になるというのなら、本気で死んでも構わんと思っているからな」
さらに押し付けられた青年の腕に、吸血鬼の歯が刺さった。
「それに、お前が俺の血を吸った瞬間、お前は『殺されるべき吸血鬼』となり、約束通りお前を殺す権利を俺が得る。どう転んでも脅されるのは俺ではなくお前のほうだ、吸血鬼」
何らかの犯行を試みているのか、吸血鬼は黙り込む。だがおもむろに、青年の腕に血が出ない程度に食い込んでいた牙を抜くと、その歯があたっていた部分をいきなり舐めた。嫌悪感が背中を凪いだ青年は、とっさにその腕を引っ込め戦闘態勢に入る。
ふらふらと歩いた女性が勢いをつけたと青年が認識した時には遅く、彼の身体に女性が思い切り抱き着いていた。剥がそうと思っても剥がれず、力ずくで剥がすにも折れてしまいそうで少々寝覚めが悪い。
「・・・邪魔だ」
「優しくない子は嫌いよ」
「俺はもともとお前が嫌いだ。嫌われようとかまわん」
「可愛くない」
「可愛いと言われても嬉しくない」
「・・・つまらない」
「それはよく言われるな」
自分が生物的強者であるがゆえに、彼女は強かったのかと青年は分析する。ただし実際のところ青年も死にたくはないし、彼女を殺せないというのも完全に心残りになりそうな話だった。もちろん温情や愛情と言うより、彼の中にある約束に対する責任感や義務感に由来する感情だが。
「貴方が帰るのは自由だわ。でも…」
ぎゅっと抱き着く力が強くなる。
「もし出ていくのなら、直近の村を一つ壊すわ。貴方を殺さなければ、どんなに悪い吸血鬼になっても貴方が殺してくれるもの」
口喧嘩で勝ったつもりになっていた青年だが、まだまだ彼女のほうが上手らしい。自分以外の人間を守りたいなんて、そんな義務感も使命感も微塵も持っていなかったが、それを言うのはやめておこうと彼は言葉を飲み込む。きっとこれ以上言い合いになればせっかく有利になっている今の立場を失いかねない。
青年はため息を一つつくと、剥がすのを諦めて女性の頭にポンと手を置いた。
「安心しろ、服だのなんだのの必要なもんを取りに行くだけだ」
女性はピクリとも動かない。もうこれは妨害と言うことで殺してもいいんじゃないだろうかと、ときめくよりも面倒くささによる殺意が青年に湧き上がる。
「一週間やそこらならいいが、一か月も同じ服じゃさすがに過ごせないぞ」
常人の考えでは一週間も厳しいが、ハンターである青年は一週間くらい帰れないこともあり、そこにはあまり抵抗がなかった。
すると、女性が少し動いた。
「じゃあ、私も行くわ」
「ああ、ちゃんと…は?今なんて…」
「私も一緒に行くと言ったの」
しっかりと青年の目を見て、女性が宣言をした。そんなことで彼がほだされることはないだろうが、おそらく本気であると言う事を伝えたかったのだろう。
しかし、それは簡単なことではなかった。前に説明した通り、吸血鬼は退治を必要とされるレベルの凶悪生物として認定されている。金持ち共が飼育していることはあるが、それも申請許可が必要な上、管理下から離れた瞬間即刻狩り対象になるほどの危険度と認定されている。そんな中、資格も持っていない彼が吸血鬼を連れて入ったとなったら。
想像するだけで青年は胃が痛くなった。ハンターとしての信用は堕ち、謀反扱いは間違いなし、下手をすれば彼自身が彼女の眷族になったとみなされ、大した確認もされることなく始末対象とされることだろう。その辺の法の荒さは青年もハンターなのだ、よく把握していた。
「隠し通せるわけがないだろう?!」
「隠し通せるわ!それくらい楽勝よ」
「お前は自分の外見の人外さに気付いていないだけだ!!」
人の形をしていようと、吸血鬼の放つ神秘的な美しさや雰囲気は人のそれとはだいぶかけ離れている。ましてや彼女は吸血鬼に見慣れた青年でさえ精霊の化身ではないかと思わされ、色恋沙汰に全く関心のない彼ですら一瞬とはいえ思わず目を奪われた存在だ。目立とうとしなくても目立つうえに、目立たないようにすれば逆に目立ちかねないという非常に面倒くさい結末は予測できた。
彼としてはそんな想像が容易かったので出した言葉だったが、女性は青年の顔を見上げてニヤニヤと笑みを浮かべた。
「あら、それって私が綺麗ってこと?」
「美醜を問うだけなら吸血鬼と言う点で美だろう」
「貴方の観点だと違うと言う事かしら?」
「そうだな」
「あら、残念」
少し照れたように笑う彼女は愛嬌こそあれ、少し彼をからかうようないたずらな口角に青年の機嫌が悪くなったのは言うまでもない。
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