第6話

 天敵がいないためか、釣りの結果は大漁だった。バケツの中でわしゃわしゃと狭苦しく動き回る丸々と太った川魚たちを、女性はじっと見つめて言う。

「可哀想」

「それらは所詮食い物だ。感情移入なんて無駄なことをするな」

「いいじゃない」とぷくーっと頬を膨らませると、女性はすっと立ち上がって、座り込んで釣竿をしまう青年の背中に抱き着いた。青年の首元に女性の息がかかる。

「だってそうしないと、人間にも感情移入できないわ」

 普通の男ならそれだけでムラッと来るだろうし、ましてや相手が吸血鬼では普通の人間なら命の危機に身を震わせるところだろう。だが、青年は淡々と彼女のほうを見ずに立ち上がった。お蔭で女性は手を離して彼を解放せざるを得なくなる。

「食い物だと言い切ったな」

「吸血鬼ですもの」

 吸血鬼だと認めたり、吸血鬼ではないと言ったり、彼女の言動はコロコロと変わっている。彼女が吸血鬼である事実は変わらないため、青年にとってはどうでもいいことだったが、いちいちこの肯定したり否定したりを繰り返されるそれは少し神経に触る。

 何も知らない者が見たら森の妖精だと思えてしまうような彼女の笑顔を受け流し、青年は彼女の家のほうへ向かい始めた。彼にとっては当然のことだったが、彼女にとっては意外な行動だったらしい。

「…本当に逃げないのね?」

「あ?」

「ほら、逃げていいのよ?ほらほら」

「本気で言ってるのか?」

「いいえ?もし逃げ出そうものなら眷族にしてでもここに留めさせるわ」

 本気さを伝えたいのか、彼女はにっと牙を見せて笑った。青年は特に目立つ反応もせず、「だろうな」と一瞥だけしてさっさと歩みを進める。

 置いていかれた女性は小走りで追い付くと、青年の顔を隣から覗き込んだ。

「諦めが良いのね」

「賢いと言え」

「偉い偉い」

「馬鹿にしているのか?」

「私にしてみれば二桁の存在なんてみんな赤子同然よ」

 ふふっといたずらに笑う彼女に釈然としなかった青年は、無意識のうちに反撃の言葉をこぼしていた。

「その赤子に襲われると思って警戒していたのはどこのどいつだろうな」

「そ…ッ、れは!私じゃなくて!!あなたのことを心配して…」

「さぁて、どうだろうな」

「貴方みたいな年頃の子はどうしてそういう話が好きなのかしら?!」

「いい歳なのにお前みたいに恥じらいすぎているのもどうかと思うがな」

「うるさーい!あなたたちに言う『ハコイシ』ってやつだったのよ!!」

「『箱入り』か?」

 興奮のあまり間違えたのか、本気で間違えて覚えていたのかは不明だが、青年の訂正に顔を真っ赤にして「あーもうっ!知らないっ!!」と女性は早足で彼の隣を通り過ぎて家に向かって行った。自分に背中を向けた時点でもう逃げることが出来るなぁなどと思ってしまった青年だったが、彼女を殺すまで出ていく気などさらさらなかった。

 そんな彼の感想を知ってか知らずか、彼女はくるっと振り返るとまだ赤みの残った顔で大声を上げた。

「何してるの?!遅いわよ、早く!!」

「…はいはい」

 怒られる筋合いはなかったが、また煽っても面倒になるだけだ。そう分かった青年はぷんぷんと憤慨しながらずしずしと草を踏みつけて自分の家のほうへ歩いていく女性の後を追った。


 釣った魚はすぐに内臓を取り出して血をきれいに洗い流した。慣れた手際でさっさと捌く様子を見ていた女性が、くたっと息絶えた魚を突いて遊んでいる。

「こんなにたくさん釣って、一日で食べられるの?」

「保冷装置くらい持ってる。それに半分は干物にしておけば日持ちもするだろう」

「二人で食べても四日分はありそうね、これ」

「お前の分など入っていない」

「ケチな男性は魅力に欠けるわよ?」

「どうとでも言え」

「けちーけちー」と小さく抗議し続ける女性を無視して、彼は鞄の外側についていた一枚板を外した。上部だけを持ち上げると小さな箱の形となり、ふたを開けて内側から側面を固定する。ふたを閉めてから、その蓋に付いた小さなふただけを開けると、そこに小さなモニターが付いていた。

「へぇ…それ、機械だったのね」

 感心する女性の言葉に耳を貸さず、彼がモニターを何回か弄って再び大きなふたを開けると、箱の内側から白い煙が出てきた。湯気にも近いそれだったが、肌に触れるとひんやりと冷たく、まるでドライアイスを見ずにつけたときのようなそれだった。

「その箱の中なら魚を凍らせて保管できるのね…便利だわ…」

「このくらい朝飯前の技術だ。人間なら子供でも扱える」

「あら、子供って認めるのね」

「表現の一端だ。俺自身のことではない」

「意固地ねぇ」

 捌いた魚の顎を木の枝で作った串で刺して複数匹毎に固定し、ぽいっと保冷器の中に投げ入れていく。それを四セット程作ると、ふたを閉めた。同時にガチャンと音がする。

「それ、知ってるわ。『おーとろっく』ってやつでしょう?」

 システムの名称が吸血鬼の口から出てきたことに青年は目を丸くした。その反応が嬉しかった女性は、ふふんとドヤ顔を向けてくる。

「…ずいぶんと詳しいな」

「昔、人里で暮らしてたことがあるの」

「なるほどな」

 それだけ返すと青年は残った魚をさばいて、もはや昼食になりそうな朝食の準備を再開する。そのため語る気満々だった女性は、腰に手を当てたふんぞり返った姿勢のまま、その場に取り残されてしまった。

 彼女は頬を膨らませて不満を体現すると、敷居も何もないのだが、居間に当たる部分から青年のいる台所に相当する区域に移動する。そして彼の背中に背中合わせでくっついた。体重をぐぐっとかけてみるものの、青年はピクリともしない。職が職だけに筋肉はかなりある方のようだ。

「…調理中だ、邪魔をするな」

「貴方、私に興味なさすぎじゃない?」

「話を聞け」

「私の話も聞いてくれてもいいんじゃない?」

「も」という表現に、この吸血鬼が一度でも話を聞いてくれたことはあっただろうかと青年は不満を覚える。

「これから殺す相手の身の上話など聞く趣味はない」

「貴方…人付き合いって知ってる?」

「獲物との付き合いに人付き合いなど当てはまらんだろう」

「…貴方にとって、私はその魚と同じなのかしら」

 青年の調理の手が止まった。今彼の手の中にあるのは、頭もそのままに一番手っ取り早い丸焼きをしようとしていた魚だった。内臓を抜かれ、これから串刺しにされてあぶられようとしている魚。彼の血肉となる運命になった魚だ。その魚の死んだ目は、今背中にかかっている重みの持ち主とはだいぶ違っていた。だが。

「そう、だな」

 そう返すしか、彼には道はなかった。本気で同じだと思っているなんて、そんなことはあり得なかった。人と近しい容姿を持ち、こうやって会話することもできている。ましてや本能を無理やり理性で抑え込み、誰にも迷惑をかけないで死に逝こうとしている彼女はなおさらだ。

 けれども、吸血鬼と言うだけで彼にとっては殺したい対象だった。殺さねばならない相手だった。情など許されない、失敗は死を意味する危険な存在。

「今の間は躊躇いかしら?」

「意表を突かれただけだ。己惚れるな」

「そう、残念。でも嬉しいわ」

 そういうと彼女は彼の背から離れ、近くに置いてあった串刺しの魚を一匹持ち上げた。くるくると回しながら、まだ輝きの鈍らない鮮度のいい皮を眺める。

「誰かの血肉になれるのなら、そんなに嬉しい死に方はないもの」

「…さすがに吸血鬼は食わないがな」

「そういう意味じゃないわよ」

「わざとだ」

「貴方の冗談は解り辛いってことがよくわかったわ」

 青年も馬鹿ではない。彼女がただ死にゆくだけではなく、誰かに殺されることによってその誰かに利益をもたらし、そして役に立てるというのなら、誰かの人生に影響出来るというのなら、それは嬉しいことで。

――なんで、この吸血鬼はこんなに人間くさいのだろう

 得も言われぬ殺しにくさを感じながら、青年は魚の口から勢いよく串を挿した。

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