第5話

「…お、まえ…まさか……」

「そうよ」

 驚きを隠しきれない青年に、さも当然というように飄々と彼女は言い放った。

「私は、同胞を殺したの」

 同胞殺し。それは吸血鬼の世界ではあってはいけないものだ。この無邪気な女性がそんな大罪を犯したなど、本来は信じられるわけがなかった。けれども、そうでなければ理解は出来なかった。

 理性を失い、『吸血鬼』となった大切な人を彼女は殺めたのだ。そしておそらくその時すでにその『同胞』は血を摂取しかけており、床材に染み込んだのだろう。飢えた吸血鬼に血の匂いは厳禁だ。血を吸わないと彼女が決めているというのなら、染み込んだそれですらきつかっただろう。彼女はそれを削り取った。だから床だけがこんなにきれいなのだ。そして…

「この鍋は、銀の鍋か」

「よく、解ったわね」

 銀は吸血鬼にとって大ダメージを与える。この綺麗すぎる鍋は、同胞を殺すためだけに用意されたものなのだろう。

「…殺し合う約束でもしてたのか」

「ご名答よ。もう…残された私は誰に殺してもらえばいいのかしらって悩んでたところに、貴方が来たのよ」

「川に、おがくずを流していたのか」

「…殺したのは少し前なのだけれど」

 否定しなかったと言う事は正解なのだろう。暖炉で燃すという手もあったのだろうが、匂いが強くなることを懸念する気持ちのほうが強かったようだ。

「正気の沙汰じゃないな」

 彼女にとってどれほど「大切な人」だったのかは解らない。が、少なくともそんな人を自ら手にかけるなどとても青年には理解できなかった。恵まれた環境で育っていない彼でさえそうなのだから、やはり…

「その時点でもう、お前は人間ではないな」

「人間でも、いるでしょう?同胞殺しくらい」

「そういう輩が存在しているという事実と、それを人間と認めるかどうかは別問題だろう」

 わりと平然と答えたつもりだったが、吸血鬼は不満そうな顔をした。

「…それ、ずいぶんと自分勝手じゃない?」

「どうとでも言え」

 そういうと、彼は鍋を元の場所に戻す。いくら使っていないとはいえ、青年はそれで作った飯が食えるような、感性の外れた人間ではない。幸い野宿を覚悟していたため簡易な鍋くらい持っていたが、なにせ飯になる材料が不足していた。

 青年が再びコートに手を伸ばすと、先に吸血鬼がコートの裾をがっしりと掴んだ。特に着る分には支障はなく、彼は無視して袖を通す。

「逃がさないって聞いてなかったのかしら?」

「それはこちらの台詞だ。それとも俺を餓死させて喰らう気か?」

「それは…あ、冷蔵庫の中の物いくらでも使っていいのよ」

「誰が敵の用意した者など食うか」

「酷いっ!一晩一緒にいたじゃない…っ」

「同胞さえ殺す奴が何を言う」

 ぶりっこな動作で吸血鬼が手を離した隙に、青年はさっさと寝台の近くまで行き、置いたままにされていた拳銃とナイフを装備した。再び居間に出ると、玄関の扉の前で吸血鬼が仁王立ちしている。

「邪魔だ」

「邪魔してるんだから当然よ」

 悪びれもせず、ぷいっと緩く長い髪をひるがえしてそっぽを向いた。普通の男性が見れば美人な女性のそのしぐさはギャップもあって可愛いと思うのだろうが、相手が彼では「くそ面倒くせぇ」という残念な感想しか零れ落ちない。

「…なんで俺が逃げると決めつけるんだお前は」

「だって私と一緒にいると命の危険があるのよ?!人間なら逃げるのが普通じゃない」

「わかってんのは意外だったが、あいにく俺は普通ではなくてな」

「そうね、変わり者なのは認めるわ」

「言葉の文だ、認めるな」

 とりとめもなくただ無駄に長い会話に青年がため息を吐くと、同時に腹の虫が「限界だ」と大きな声を上げた。

「…き、こえただろう」

「ええ、はっきりと。なかなかここまで主張する子は珍しいわね」

「黙れ、誰のせいだ」

 苛立った青年は、女性の頭をアイアンクローで締め上げた。さすがにこのような攻撃が来ると読めなかったらしい女性が「痛い痛い」と悲鳴を上げる。

 そのまま横にポイと放り投げると、女性は地面に叩きつけられた。「酷いっ!私ってばこんなにいい女なのに…っ」とかなんとか吸血鬼がよよよ…と泣くフリまでして責め立ててきたが、青年は一切耳を貸さずにドアノブに手をかけさっさと外に出ていった。


 一時間後、青年は森の中で獲物を探して歩き回っていた。吸血鬼の家に向かってきたときにも記載はしたが、ものの見事に獣一匹見当たらない。ただ見つけられないだけ…などと言うこともなく、元気に茂った雑草に獣道の一本もできていなかったのだから、もはやいないと断定してもいいだろう。

―――もう少しここから離れたところを探すのがいいか、もしくは…

「そろそろ諦めて魚でも釣ったらどうかしら?」

 獣が近寄らない元凶が後ろからアドバイスを送ってきた。腹が減っているのも合わさってストレスフルな心境の青年が彼女をにらみつけると、彼女はドヤ顔で彼を見つめ返してくる。

 結局あのあと、彼女はずっと青年について回っていた。何を言っても離れる気配もなく、たまにこうして話しかけてくるのだ。彼女にこう付いて回られてしまっては、獣を見かけたあたりまで引き返したところで獣が彼女を察知して逃げてしまうだろう。本当にただただひたすらに厄介な存在だ。

「肉のほうが一匹仕留めればある程度量が取れるから助かるんだがな」

「それはそうね…でもこの辺りに獣はいないんじゃなくて?」

 自分が元凶だと思っていないのか、女性はけろりとした顔で応えてくれる。それを向けられた青年が殴りたいと思ったのはもはや書くまでもない話だろう。

「…釣りに切り替えるか」

 諦めた青年は獣探しから竿になりそうな枝を探す方向へと目的を変えざるを得なくなった。

 探している間、ふと気になった青年が尋ねた。

「お前が殺したのは、どんな関係の存在だったんだ?」

「ふふ、どんな存在でしょう?」

「ならいい」

「あら、ノリ悪いわねぇ」

 まるで質問したことさえなかったことのように黙々と枝を選び始めた青年に、「おーい」などと何度か声をかけてみた吸血鬼だったが、すべて無反応で流される。つまらなくなった吸血鬼は彼を見失わない距離を保ちながら、食べれそうな野草をちまちまと採取して歩いた。

「妹よ」

「何がだ」

「さっきの質問」

「さっきの…?」

「あらやだ、信じられない…もしかしてもう忘れたの?」

「冗談だ」

「貴方、昨晩も思ったけれど、冗談言うときくらい笑ったらいかがかしら」

「放っとけ」

 会話には返事をくれるが、一切女性のほうを見ていないため、どこまで聞きたい気持ちがあるのか彼女には解らなかった。だが、本当に興味がないのなら先ほどまでと同じように一切の返事もなかっただろう。

「そう。私より年下だし、私が先に理性を失うだろうからと思って一緒に家を出たの」

「巻き添えにしたのか」と青年が零したので、

「違うわよ、同じ考えだったの!」と吸血鬼が頬を膨らませて否定した。青年の考えは時として彼女に対して無礼過ぎる。

「先に理性を亡くした方を、暴走する前にもう一方が殺しましょう。そんな単純な約束をして一緒に家を出たのよ」

 吸血鬼が家を出て、何百年もの歳月が流れ、結果として彼女の妹の方が先に狂い殺されることとなった。そのため誰に殺してもらえばいいのか、暴走してまた馬鹿みたいに自制の日々を貫かねばならないのかと不安になっていたところに彼が来てくれた。だからこそ彼を引き留めようとしているのだと、吸血鬼は雄弁に語った。沈黙に耐えきれないだけの思い出話のような、対してまとまっていなかったその説明を青年がどこまで聞いていて、どこまで理解できたのかはわからない。ただ彼は特に相槌を入れることもなく、黙々とようやく見つけた竿にふさわしい適度な枝を木からナイフで器用に切り落としていただけだった。

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