第4話

 昼過ぎ。警戒心と吸血鬼による物理的拘束のせいで朝食を食べ損ねた彼の腹が鳴った。

「あら、大きい音」

 さっきまで子供のように泣いていた吸血鬼が、今度は子供を見るようなまなざしを青年に向けてきた。吸血鬼の年齢は解りにくいと先述したが、このようにころころと態度が変わるとなおさら判断が付きにくかった。

「放っておけ」

「お昼ご飯、食べる?」

「放っておけ」

 彼の言葉を無視した問い掛けに、もう一度届くように青年は台詞を繰り返した。とはいえ何かを食べなければ、吸血鬼を殺す前に青年が死んでしまう。ハンターとして、青年は五日ほどの絶食には耐えられる自信はあったが、そんなに短い期間で決着がつくようには思えなかった。

 青年は自分の手荷物から缶を取り出した。缶の中身は非常食にあたるスープである。栄養がきちんと取れるような代物ではないが、一時的に腹を満たすくらいはできるだろう。

「鍋を借りるぞ」

「あら美味しそうね」

「お前の分などない」

 台所へ行くと、そこは綺麗に片付いている空間だった。コンロなどを使っている感じは見て取れたが、鍋などはきれいに磨かれており、煤一つついていない状態を保っている。よく見れば地面には埃の一つもなく、フローリングのような作りのわりに木がほぼ傷付いていなかった。

―――ここに住み始めてから、日が浅いのか?

 そう考えると状況はかなり危ない。日が浅いのなら彼女は吸血鬼の知り合いとまだ連絡を取り合っている可能性があるからだ。女性一人で家を建てることなど困難であり、つまりは誰かに頼んだということに他ならない。しかし。

 青年は顔を上げた。コンロに残っている油は昨日今日の物ではなさそうだし、何より使われているタイルは少し黄ばんでいる。女性のほうを見ようと視線を向ければ、彼女をとらえるより先に飛び込んでくる壁や柱にはある程度の年季が感じ取れた。

 つまり。

「おい」

「おい、じゃないわ」

「名前がないんだからそれでいいだろう。吸血鬼とでも呼ばれたいのか?」

「名前を付けれくれればいいじゃない」

「誰がするか、飼い犬でもあるまい」

「…名付ける行為を犬にしかしないというのなら、確かに付けられない方がましね」

 嘆息しながら、女性は名前を諦めた。

「で、何かしら?」

「お前、この家で誰か殺しただろう。それも…つい、最近」

「……」

 女性の目つきが鋭くなった。普通の人間であれば腰を抜かしてもおかしくないほどの、殺意とも嫌悪とも思えるような、まさに射るような視線だ。綺麗な顔の女性がすると、それはより一層迫力を帯びた。

「返答次第じゃ、俺は今すぐにでもお前を殺してやる」

「…さすがに、ハンターには隠せないわね」

 肩で大きく息を吐くと、女性は座っていた椅子から経ち、青年のいる台所の方へ歩いてきた。青年は台所に置かれていた包丁を二つ、両手に構える。銃が彼の主な武器ではあるが、弾切れという事態に備えて剣術くらい心得ていた。

「吸血鬼は不老不死である。それは知ってるかしら」

「馬鹿にしているのか?」

「してないわ」

 にこりと人のいい笑顔を見せる女性だったが、青年の猜疑心はむしろ深まるばかりだった。彼はごくりと唾を飲むと、姿勢を少しも動かさずに眉間のしわだけ深くする。

「吸血鬼は不老のため不死とされる。故に殺された場合は不死ではない」

「そうねぇ。でも殺すことだって本来は難しいわ」

 女性はゆっくりと青年に近づくと、彼の手に持つ包丁の、鋭く研がれた刃の部分を素手で握った。だが、一滴たりとも血は落ちない。

「吸血鬼の再生能力はとても高い。これくらいじゃ傷付かないの」

「…そうだな」

 吸血鬼を殺すのであれば一撃必殺が欠かせない。代表とされる急所は額と心臓であり、その箇所を狙うのであれば銃のほうが剣よりも圧倒的に効率が良い。聖剣などであればそのほうが容易に痛手を負わせることができるが、「聖剣」なんてものがこの世に何本もあるわけがない。それくらいは青年も知識として持っており、そのためこの包丁の無力さも解っていた。この包丁は、彼女を殺すための武器ではなく、彼が銃のあるところまで彼女から逃げ切るための武器なのだ。

「でも、『吸血鬼は不老不死である』、この考えは間違いなのよ」

「は?」

「だって、吸血鬼は吸血鬼同士では人同様に普通に子を為すけれど、その子は大人になるでしょう?不老とは言えないわ」

 言われてみればそうだ、と青年は思わず納得した。子供の吸血鬼は稀なので記憶から消えかけていたが、確かに存在はする。逆に、壮年や初老という吸血鬼もいるのが解っているので、その点からも不老であるとは言えない。

 青年が気付いたことを察した女性は「物分かりが良い子は好きよ」と笑った。

「吸血鬼もね、年老いて死ぬことがあるの」

「…は?」

 吸血鬼に寿命がある。今目の前の吸血鬼はそう言ったのだ。初めて聞く情報に、青年は堪らず包丁を落としそうになる。女性はゆっくりと詰め寄ると、青年の手から包丁を抜き取り、もともと包丁の刺さっていたスタンドに戻した。

「さっき子供の話をしたけれど、実は吸血鬼の『外見年齢』は最後に血を吸った人の年齢で止まるのよ。だから若い血を飲めばそれだけ若い見た目を手に入れられる。でもね、精神は違うの」

「精…神?」

「そう。長い年月生きていると、どんどんおかしくなっていくの。『心が死んでいく』のよ」

―――死ぬとはそういうことか

 青年は少し呆れた。精神論など吸血鬼の寿命の話においては不要のはずだ。すると、その感情を察知した女性が、笑顔で人差し指を突きだしてきた。

「さて問題です。心が死んでいくとどうなるでしょう?」

「は?」

「ほらほら早く答えて?さーん、にー、いーち」

「…引きこもる?」

「ブッブー!ざんねーん!!」

 妙に明るい声が青年の神経を逆立てる。

「くだらない寄り道をするな」

「いいじゃない、飽き性さん」

「飽き性ではない」

 青年がまだ何か言いたそうだったが、きりがないと判断した女性が話をつづけた。

「理性がなくなるの」

「それは…まさか…」

 女性の言わんとするところを察した青年が言葉を詰まらせる。もう答えは解っただろうと思ったが、吸血鬼は「正解」と言う代わりに言葉を続けた。

「そう。生存本能だけが残るの。死なないように生き物を襲って血を吸い続ける。まさに『吸血鬼』よね」

「…お前は、そんな状態なのか?」

「血を吸わないと、代わりに理性を摩耗する。それが吸血鬼なのよ」

 へへっと牙を惜しげもなく晒した、いたずらな笑みを女性が見せる。だがその茶目っ気はハンターには届いていなかった。

―――こいつ、何年血を吸ってないと言っていた?

『1000年近く』

 女性の言葉が頭の中で再生された。

 バッと青年は食器棚に目を向ける。そこには食器やコップがきれいに並べられているのだが…

「気付いた?」

 女性のその声が青年に聞こえたかわからない。けれども、彼の目にはしっかりとこの家にもともとあった違和感を確定させるものがあった。


 食器が、コップが、箸やフォークが、すべて、『二人分』揃ってたのだ

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