帝都つくもちぎり

佐々木匙

第零話 ほねからかわまで

ほねからかわまで

 あんまり筆が進まないので、何も書かぬよりは少しでも埋めれば切欠きっかけにでもなろう、と思った事を素直に書いた。そうしたら「嫌だ嫌だ嫌だ」としみったれた言葉が並ぶ。そのまま、手の動くままにさせておくと今度は「駄目だ駄目だ駄目だ」。秋口とは言え、僕の憂愁ゆうしゅうはやや羽目を外しているようだった。


 仕舞いには震える筆跡で「死ぬ」。流石にこれには慌てて、死ぬと言ってもこの場合は本当に命を絶つ訳ではないのだ、ひとつのレトリックに過ぎない、等と言い訳を書き連ねた。


 もし、もしだ。僕が今この場で心臓麻痺でも起こして本当に死んでしまっては、気鬱の三文文士大久保純おおくぼじゅん、自宅にて横死す、手元には悲憤の遺書、等と新聞の記事に書かれかねない。それは、困る。僕は確かに(遺憾ながら)死に縁がある身であるが、状況が独り歩きし、誤解されて逝くのは、御免だ。


 さて、ここまで来ると、これはどうにかねくり回して小説の冒頭にならないかと言う気になって来る。この悲嘆の主人公君は、どの様な悩みを抱えてこうまでうめいているのであるか? 僕の創作は、別段いつもこの様に行き当たりばったりである訳では無いのだが、構想が湧かぬままに締切が迫って来ると、この様な綱渡りをお見せする事にもなる。しばらく僕は、原稿用紙を上から下から眺め、反故ほごの裏に図を描き、主人公君に襲い来る悲劇にいて考えを巡らせた。


「先生、進行は如何いかがです」


 庭先から声がする。生い茂った草は、この間流石さすがに音を上げ、植木屋に刈り取って貰ったから、綺麗な物だ。その綺麗な草を踏み躙って、ざくざくと闖入らんにゅうしてくるやからがいるのは、面倒な事だ。


「菱田君か。もう少しで骨格が出来そうだよ」

人造人間ホムンクルスか何かでも造っていそうな言い様ですね」


 ひょいと顔を出したのは、学生の様な顔に白い眼帯が目立つ、小柄で短髪の青年だった。秋風社しゅうふうしゃ菱田明彦ひしだあきひこ君。これで先日二十六になったと言うのだから、不思議な物である。詰襟を着て早稲田でも歩けば、ぐに紛れてしまうだろう。


「肉が出来て皮膚が張るのは何時いつ頃です」

「まあ、明日、明後日……締切には間に合うさ。多分」

「多分では困りますよ。お願いしますね」


 菱田君は、よいしょと腰を下ろす。全体、彼も何か用がある訳でも無い。大抵、外回りの仕事の合間や退社後に、暇になると時折ここにやって来るのだ。この家は古いが、居心地が良いらしい。


「今日は、あれですね。みどりちゃんは来ない日か。最近よく会うものだから、いつも居るものだと思っていました」


 時計を見ると、学校はとうに終わっている時分だ。めいの翠も矢張り我が家を頻繁に訪れる客だが、僕の仕事が忙しくなると、察して暫く無沙汰ぶさたになる。試験の勉強をしている時に邪魔される様な物でしょう、それは嫌だもの、と訳知り顔で言われた事もある。まあ、気の利く姪である。


 それは良いのだが、どうもこの頃この菱田君に気があるとかで、運良くかち合うと、僕にはろくに見せない様なはにかんだ笑顔を見せる。菱田君は、彼女のいじらしさに気づく様子も無い。どうも、れったい事である。


「本を貸そうと思ったのですが、じゃあ、ここに置いておけばいずれ取りに来るかな」

「僕の家を貸本屋にしないでくれよ。自分で渡したまえ」


 しっしっと手を振ってやった。また持って帰るのですか、と菱田君は眉を八の字にするが、これも姪の為だ。じかにやり取りをした方が彼女も嬉しかろう。


「まあ、今日は悪いが大して進まないよ。出かける先約があるんだ」

「書き終えて下さるなら、もう何処へ行かれても僕の止めるところでは無いですよ。銀座のバーだろうが、中野の飲み屋だろうが、神田の居酒屋だろうが」

「酒場以外に僕の行き場は無い様な事を言う……」

「どうなんです」

「神田だよ。関と飲みに行くんだ」

「そら、当たった」


 鬼の首を取った様な喜び方をするが、大した問題でもないのにわからぬ編集だ。


「ご武運を。新聞のお仕事で僕らの事を忘れないで下さいね」


 ハンケチを振られた。



 関信二せきしんじと言う男は、まあ、一言で言ってしまえば胡散臭いブン屋で、縁あって僕とは学生時代より友人付き合いをしている。


 帝都読報ていとどくほう文化部所属と言う事で、時々仕事を回してくれる事もあるが、何よりこの男とは不定期怪談連載『帝都つくもがたり』の関係で行動を共にする事が多いのだ。関によるこの連載文が如何いかなる良い加減な代物であるかはおおよそ省くが、どういう訳か僕らは怪談を探す内に何度も真実ほんとうの怪異に巻き込まれる羽目になった。


「良い話を仕入れて来たんだよ」


 それらの怪異の発端であり、何だかんだと解決役も担う関は、飲み屋のカウンター席に掛け、眼鏡の奥で目を細めた。


「どうもそんな気がしていたんだよな……」


 僕は氷入りのグラスを揺らしながら溜息をつく。怪談採集のお供にと誘われ振り回され、副産物として怪奇物を少々手掛ける事となった僕だが、何を隠そう、大の臆病者だ。出来れば怪談なぞ聞かずに過ごしたいし、怪異とは一線を引いて付き合いたい。だがどうも関は僕をそちらへと引き込みたがる節がある。


 奴には奴の、寂しさがあるのだろうか、とウイスキーを煽りながらそう考えた。知るかと笑い飛ばされそうな気もする。


「何、このすぐ近くの通りだ。裏道を歩いていると、後ろから足音が聞こえて来ると言う……」

「そりゃあ掏摸すりだとか暴漢の類じゃあないのか」

「ところが、振り返ると……そこには世にも恐ろしい姿が立っていたのだと」


 僕は眉をひそめ、四杯目のウイスキーを注文した。何だか随分ずいぶん曖昧あいまいな怪談だ。


「そこは、どう恐ろしいのか描写するところだろう」

「大久保先生の赤字が入ったね。否、これがどうも人によってまるで話が違うのさ。誰もが恐ろしい思いをしているが、骸骨だの、腐乱死体だの、死んだはずの人間が居ただの、らちが開かない」


 そんな埒は開かなくて結構だと思う。


「そこでだ」

「確かめには行かないよ」


 僕は先回りして関の言葉をさえぎる事に成功した。


「何だ、折角せっかく久々にいい出物と思ったのに」

「勘弁してくれ。驚き役はもう嫌だと何回も言ってるだろう」

「ふん」


 関は面白く無さそうに鼻を鳴らすと、それ以上強く言っては来なかった。少しばかり気まずい空気が流れたが、じきに世間話も盛り上がり、僕はウイスキーを何杯飲んだか忘れ、そうして。


 気がつけば、ふらふらと何処とも知らぬ夜の路地裏に、二人で迷い込んでいた。


 僕ははたと我に返る。滅多に酔わぬし、酔っても一度醒めれば直ぐに正気に戻るのが僕の取り柄だ。下戸の関はと言うと、そこらの壁に寄りかかり、半分開いた扇子で眠そうに暑そうに、自分のシャツの襟元を扇いでいる。


「おい、関」


 肩を叩いてやると、薄っすらと目を開け、辺りを見回した。


「おや、いつの間に店から出た」

「僕も知らん。勘定はどうなったかな」

「さあ、帰ってから財布の中身でも確かめて、減っていなけりゃツケにしたんだろうな」


 欠伸あくび混じりに良い加減な事を言う。


「君、何かやらかしていないだろうな。また行きづらい店が増えた」

「そりゃ君の方だろう。良い酒をガバガバと、悪い飲み方しやがって」


 取り敢えず駅は何処だと関はグルグル腕を振り回し、僕らは酒臭い息を吐きながら路地裏を後にしようとした。


 その時だった。


 かつ、かつ、と軽い、硬い足音が後ろから聞こえたのは。


 僕らは顔を見合わせ、そうして恐る恐る背後を振り返った。


 街灯も無い通りの事、月明かりに照らされ、それでも真っ白なそれは良く見えた。


 骸骨。骨ばかりの人体が、ゆっくり、ゆっくりと行き止まりの壁の辺りから、かつ、かつ、足音を鳴らし、僕らの方へと向かって、歩いて来る。


 ひっ、と僕の喉が勝手に変な声を立てる。関は一瞬骸骨と見つめ合い、そうして、僕の着物の袖を引っつかむとくるりと前に向き直って走り出した。前とは。大きな通り、人の居るであろう方角だ。


「な、な」


 何だあれは、何でも良いから逃げよう、と言う様な事を言おうとしたのだが、声は上擦うわずって途切れてしまう。


「ま、まさか君が」


 それだけ言った。わざとあの骸骨に引き合わせようとしたのじゃあるまいな、と伝わる事を祈って。


「そんな訳があるか畜生。来るならもっと万全に心の準備を整えるさ」


 滅茶苦茶な早口が返って来る。流石に僕は疑い過ぎであったらしい。少々反省し、そして、耳を澄ました。


 びちゃ、と追って来る足音が、濡れた様な物に変わったのだ。僕は恐る恐る再び振り返り――今度は力の無い悲鳴を上げる事となった。


 どう言う事なのであろうか、先の白骨は赤い、肉の見えた、皮膚の無い人の姿に変わって、僕らをゆっくりと、しかし離れずに追いかけて来ていたのだ。びちゃ、びちゃ、嫌な音が夜の街に響く。


「おい、あれ! 肉が生えたぞ!」

「ああ、見る奴によって違うってのはそう言う事か、骨から肉が出て、それから……」

「何だって良い、急げ!」


 僕は渾身こんしんの力を込め、アテナイの勇士が如くの勢いで走った。どこまでぶらついていたのか、表通りは妙に遠く、夜の街はしんと静かだった。それでも、自動車の音や喧騒けんそうが少しずつ耳に届いて来る。もう少しだ。僕は大きく息を吸い。


 ぽん、と肩を叩かれた。直ぐ背後に、濁った目、皮膚のずる剥けた顔がほのかに浮かんでいた。僕と関の肩口には、その赤い手が掛けられていた。触られたところが、奇妙に冷たい。関が、何をしやがる、と叫んで奇妙な人影を突き飛ばした。そいつは、ケラケラと笑って霧になり、闇に溶ける様に、消えた。


 暫く、遠くで何処かの自動車がクラクションを鳴らすまで、僕らは荒い息を吐きながら、ジッと人影の消えたその先を見つめていた。それは、もう戻っては来ない様子であった。関がゆるゆると首を振る。


「何……何だ、今のは」

「噂の怪異だろうが、妙な物だったな。肩は何とも無いか」

「うん、何ともなく動くよ」


 一瞬間、氷の様に冷えたと思ったが、そこはもう体温も戻り、痛みや重さも無い。万年の肩凝りは健在ではあったが。


「ただ悪戯をするばかりの物だったのかも知れんが、何かあれば直ぐに言えよ。祈祷でもして貰った方が良いかも知れん」

「わかった」


 うなずく。こう言った物事に関しては、関の方が詳しい。


「然し、骨に肉がついて……あのままだと、皮が張っていたのじゃないか」

「ふん、その方がああも気色悪くは無かったかも知れん」

「そうかい、僕はさっきの方がいくらかましだったのじゃあないかと、思えてならないよ」


 街灯の光照らす表通りに戻りながら、僕は自分の肩を自分で抱いた。関が語った話には、骨と、腐乱死体と、そうしてもうひとつ、死んだ人間の姿が出てきていた。


「肉の上にしっかりと皮が張って、人になって、そこには一体誰が立っていた筈だったのか、考えるととても怖いんだ」




 それから、特に大きな事は起こらずに、僕は家へと帰り着き、鬱々うつうつとした主人公君の身に起こる、身の毛もよだつが如き恐怖譚をどうにか書き終えた。


 菱田君はいつもの様に原稿をうやうやしく受け取り、先生は怖がりなのに、こうも恐ろしい話を書けるのは不思議です、と感心した様に言う。褒められたのかどうかは知らない。


「いや、しかし、今回も無事、骨に肉と皮がつき、目鼻もついて何よりです」

「その例えはもう、止めにしないかい」


 菱田君、不思議そうにまばたきをして首を傾げる。


「何か人造人間ホムンクルスに嫌な思い出でもつきましたか」


 僕は苦笑いした。錬金術の不思議も、あの怪異を解決する事が出来ようとはとても思えない。



 さて、正確に言おう。僕がこの罪の無いたとえ話にさらに恐怖する羽目になるのは、これから先の事であった、と。あの嫌に耳に残る、べちゃ、という足音は、僕に確かな爪跡を残して行ったのである。

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