帝都つくもちぎり
佐々木匙
第零話 ほねからかわまで
ほねからかわまで
あんまり筆が進まないので、何も書かぬよりは少しでも埋めれば
仕舞いには震える筆跡で「死ぬ」。流石にこれには慌てて、死ぬと言ってもこの場合は本当に命を絶つ訳ではないのだ、ひとつのレトリックに過ぎない、等と言い訳を書き連ねた。
もし、もしだ。僕が今この場で心臓麻痺でも起こして本当に死んでしまっては、気鬱の三文文士
さて、ここまで来ると、これはどうにか
「先生、進行は
庭先から声がする。生い茂った草は、この間
「菱田君か。もう少しで骨格が出来そうだよ」
「
ひょいと顔を出したのは、学生の様な顔に白い眼帯が目立つ、小柄で短髪の青年だった。
「肉が出来て皮膚が張るのは
「まあ、明日、明後日……締切には間に合うさ。多分」
「多分では困りますよ。お願いしますね」
菱田君は、よいしょと腰を下ろす。全体、彼も何か用がある訳でも無い。大抵、外回りの仕事の合間や退社後に、暇になると時折ここにやって来るのだ。この家は古いが、居心地が良いらしい。
「今日は、あれですね。
時計を見ると、学校はとうに終わっている時分だ。
それは良いのだが、どうもこの頃この菱田君に気があるとかで、運良くかち合うと、僕には
「本を貸そうと思ったのですが、じゃあ、ここに置いておけば
「僕の家を貸本屋にしないでくれよ。自分で渡し
しっしっと手を振ってやった。また持って帰るのですか、と菱田君は眉を八の字にするが、これも姪の為だ。
「まあ、今日は悪いが大して進まないよ。出かける先約があるんだ」
「書き終えて下さるなら、もう何処へ行かれても僕の止めるところでは無いですよ。銀座のバーだろうが、中野の飲み屋だろうが、神田の居酒屋だろうが」
「酒場以外に僕の行き場は無い様な事を言う……」
「どうなんです」
「神田だよ。関と飲みに行くんだ」
「そら、当たった」
鬼の首を取った様な喜び方をするが、大した問題でもないのにわからぬ編集だ。
「ご武運を。新聞のお仕事で僕らの事を忘れないで下さいね」
ハンケチを振られた。
「良い話を仕入れて来たんだよ」
それらの怪異の発端であり、何だかんだと解決役も担う関は、飲み屋のカウンター席に掛け、眼鏡の奥で目を細めた。
「どうもそんな気がしていたんだよな……」
僕は氷入りのグラスを揺らしながら溜息をつく。怪談採集のお供にと誘われ振り回され、副産物として怪奇物を少々手掛ける事となった僕だが、何を隠そう、大の臆病者だ。出来れば怪談なぞ聞かずに過ごしたいし、怪異とは一線を引いて付き合いたい。だがどうも関は僕をそちらへと引き込みたがる節がある。
奴には奴の、寂しさがあるのだろうか、とウイスキーを煽りながらそう考えた。知るかと笑い飛ばされそうな気もする。
「何、このすぐ近くの通りだ。裏道を歩いていると、後ろから足音が聞こえて来ると言う……」
「そりゃあ
「ところが、振り返ると……そこには世にも恐ろしい姿が立っていたのだと」
僕は眉を
「そこは、どう恐ろしいのか描写するところだろう」
「大久保先生の赤字が入ったね。否、これがどうも人によってまるで話が違うのさ。誰もが恐ろしい思いをしているが、骸骨だの、腐乱死体だの、死んだ
そんな埒は開かなくて結構だと思う。
「そこでだ」
「確かめには行かないよ」
僕は先回りして関の言葉を
「何だ、
「勘弁してくれ。驚き役はもう嫌だと何回も言ってるだろう」
「ふん」
関は面白く無さそうに鼻を鳴らすと、それ以上強く言っては来なかった。少しばかり気まずい空気が流れたが、
気がつけば、ふらふらと何処とも知らぬ夜の路地裏に、二人で迷い込んでいた。
僕ははたと我に返る。滅多に酔わぬし、酔っても一度醒めれば直ぐに正気に戻るのが僕の取り柄だ。下戸の関はと言うと、そこらの壁に寄りかかり、半分開いた扇子で眠そうに暑そうに、自分のシャツの襟元を扇いでいる。
「おい、関」
肩を叩いてやると、薄っすらと目を開け、辺りを見回した。
「おや、いつの間に店から出た」
「僕も知らん。勘定はどうなったかな」
「さあ、帰ってから財布の中身でも確かめて、減っていなけりゃツケにしたんだろうな」
「君、何かやらかしていないだろうな。また行きづらい店が増えた」
「そりゃ君の方だろう。良い酒をガバガバと、悪い飲み方しやがって」
取り敢えず駅は何処だと関はグルグル腕を振り回し、僕らは酒臭い息を吐きながら路地裏を後にしようとした。
その時だった。
かつ、かつ、と軽い、硬い足音が後ろから聞こえたのは。
僕らは顔を見合わせ、そうして恐る恐る背後を振り返った。
街灯も無い通りの事、月明かりに照らされ、それでも真っ白なそれは良く見えた。
骸骨。骨ばかりの人体が、ゆっくり、ゆっくりと行き止まりの壁の辺りから、かつ、かつ、足音を鳴らし、僕らの方へと向かって、歩いて来る。
ひっ、と僕の喉が勝手に変な声を立てる。関は一瞬骸骨と見つめ合い、そうして、僕の着物の袖を引っ
「な、な」
何だあれは、何でも良いから逃げよう、と言う様な事を言おうとしたのだが、声は
「ま、まさか君が」
それだけ言った。
「そんな訳があるか畜生。来るならもっと万全に心の準備を整えるさ」
滅茶苦茶な早口が返って来る。流石に僕は疑い過ぎであったらしい。少々反省し、そして、耳を澄ました。
びちゃ、と追って来る足音が、濡れた様な物に変わったのだ。僕は恐る恐る再び振り返り――今度は力の無い悲鳴を上げる事となった。
どう言う事なのであろうか、先の白骨は赤い、肉の見えた、皮膚の無い人の姿に変わって、僕らをゆっくりと、しかし離れずに追いかけて来ていたのだ。びちゃ、びちゃ、嫌な音が夜の街に響く。
「おい、あれ! 肉が生えたぞ!」
「ああ、見る奴によって違うってのはそう言う事か、骨から肉が出て、それから……」
「何だって良い、急げ!」
僕は
ぽん、と肩を叩かれた。直ぐ背後に、濁った目、皮膚のずる剥けた顔が
暫く、遠くで何処かの自動車がクラクションを鳴らすまで、僕らは荒い息を吐きながら、ジッと人影の消えたその先を見つめていた。それは、もう戻っては来ない様子であった。関がゆるゆると首を振る。
「何……何だ、今のは」
「噂の怪異だろうが、妙な物だったな。肩は何とも無いか」
「うん、何ともなく動くよ」
一瞬間、氷の様に冷えたと思ったが、そこはもう体温も戻り、痛みや重さも無い。万年の肩凝りは健在ではあったが。
「ただ悪戯をするばかりの物だったのかも知れんが、何かあれば直ぐに言えよ。祈祷でもして貰った方が良いかも知れん」
「わかった」
「然し、骨に肉がついて……あのままだと、皮が張っていたのじゃないか」
「ふん、その方がああも気色悪くは無かったかも知れん」
「そうかい、僕はさっきの方が
街灯の光照らす表通りに戻りながら、僕は自分の肩を自分で抱いた。関が語った話には、骨と、腐乱死体と、そうしてもうひとつ、死んだ人間の姿が出てきていた。
「肉の上に
それから、特に大きな事は起こらずに、僕は家へと帰り着き、
菱田君はいつもの様に原稿を
「いや、
「その例えはもう、止めにしないかい」
菱田君、不思議そうに
「何か
僕は苦笑いした。錬金術の不思議も、あの怪異を解決する事が出来ようとはとても思えない。
さて、正確に言おう。僕がこの罪の無い
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます