第42話 冒険の猫(前編)

 プライベートはプライベート、仕事は仕事である。

 私の店での通常業務に加え、隣の病院で大きな手術があれば、要請次第で補助要員兼薬師として立ち会ったりもするのだ。

 しかし、隣のおとぼけ医師は、指示に対する私のほんの僅かな遅れも、見逃してはいなかった。

「狸、少し休んだ方がいいな。何があったかは聞かんが、明らかに今のお前はいつものお前ではない。いずれ、事故を起こすぞ」

「……」

 私は学んでいる。人の忠告は聞くものだと。

 まして、相手はなんだかんだで信用している医師だ。その言葉は重い。

「分かった。苦渋の決断ではあるけど、しばらく調剤はお休みにする。調子戻ったら連絡するわ。栄養ドリンクくらいは作ってるから、疲れたら寄ってね」

 私は白衣のポッケに両手を突っ込み、病院を後にした。


 昼休みの縁台、いつも通り集まってきた教授とサクラに加え、部分休業中で給料が下がっても真面目に働きに来ている三毛に、私は誰がとは言わなかったが事の次第を打ち明けてみた。不死になった事は言わなかったが。

「ほぅ、お前さんにそこまで影響を与えるとなると、相当本気だな」

 教授がポツリと漏らした。

「うん、本気で直球勝負されているからさ、私もどうしたもんだか……。断ったところで、多分一方通行でいいからってねじ込まれて終わるっていうか、今がそれだし」

 いつもの猫缶をガツガツやりながら、私は教授に返した。

「ある意味、うらやましいですが……、重いですね」

 三毛がため息をついた。

「重いなんてもんじゃないわよ。惚れてくれる人がいたんだぁって思ったけどさ」

 思わず苦笑してしまった。

「狸さんは、なぜ拒否されるのですか?」

 サクラがやんわりした声で聞いてきた。

「うーん、私が私だから。そういうこと出来るように見える?」

 二個目の猫缶に取りかかりながら、私は質問で返した。

「あらあら、原因はそこですね。なぜ、そこまで自信がないのでしょう?」

「細目」

 場に重い空気が落ちた。

「あとで死ぬまでボコっておきますね……」

 三毛が申し訳なさそうに言ったのだった。


 たまには自宅でゆっくりしようと店を閉めたら、「意識」の通話でカモミールに呼び出された。

 何とはなしに気が重かった私だったが、それでも出向いてしまうところが馬鹿なところだ。

 彼女の家の扉をノックすると、心配そうな表情を浮かべた彼女が出迎えた。

「あの……どうぞ」

「うん……」

 いかん、気まずい……。

「細目さんから話しを聞きました。私は、私なりの……吸血鬼式の……」

「あの、馬鹿野郎。気にする事はないわ。これは私の問題だから」

 本当にいらんことするな。あいつは……。

「ですが……日常生活にまで支障が出てしまうとなると、私も心中穏やかではありません」

「やっぱりそう?」

「当然です!!」

 この上なく強く、カモミールは言い切った。

「困ったね。どうしよか?」

 我ながら間抜けな質問をしてしまった。

「私は後悔はしていません。伝えなければ始まりませんし、黙っているのは性に合いません。カレン様は、ただ笑って聞き流して下されば……」

「無理、真面目なの。こう見えて」

 苦笑した。無茶言うな!!

「はい、よく分かりました。後悔はしていませんが、直球過ぎたと反省しています……」

 カモミールは肩を落とした。

「うん、狸さん馬鹿だからね。さて、それを踏まえて今後の方針だけど、残念だけどもう私はあなたの事を友人だと思えない」

「そうですか……」

「それでもって、私は恋というものを知らない。だから、その中間って事でどう?」

 私が叩き出した結論はこれだった。何かよく分からんが、大事な人って感じだろうか?

「えっ?」

 これは想定外だったらしく、カモミールはきょとんとした表情を浮かべた。

「軽くお付き合い開始って事。あるいは研修開始? まあ、時間は腐るほどあるし、不器用同士でも上手く行くかもねぇってなもんよ」

 いつまでも面倒。開き直ると速い狸さんなのです。はい。

「ええ!?」

「よかったじゃん。より一層馬鹿が少しまともになって」

 小さく笑みを送ると、カモミールは私を抱き上げてボフッと顔面を体に埋めた。

「なんでも言ってみるものです……」

「研修だからね。それと……」

 私はわざとタメを作った。

「猫缶の温度は37.5度だからね」

「……はい」


 ようやく胸のつっかえが取れ、私は再びフル営業に戻った。

 そんな折り、ようやくというか、やっとというか、細目と三毛が結婚した。

 式は仲がいい身内のみで行われ、あえて街の外であるカモミールの家を借りたのだが、五人衆にも招待状を出したら間近の「街」に速攻でバレ、結局大騒ぎになってしまった。

 ちなみに、私とカモミールが少しだけ深い関係にあるのは、みんなにはまだ内緒である。


 その二週間後、久々となる冒険者的依頼が舞い込んできた。

「場所は知っていると思うが、今度の場所は『イリアの大洞窟』だ。未踏領域が発見されたようでな、お前さんにはいつも通り薬師として同行願いたい。例の医師と一緒にな」

 「イリアの大洞窟」とは、ここから馬車で半日くらいの場所にある文字通り巨大な洞窟だ。

 粗方踏破され尽くされ、今では観光スポットにすらなっている場所でもある。

「分かった、医師に聞いてくる!!」

 私は「街」に向かって走った。

 出発は二日後。

 メンバーは、五人衆にセリカに医師、そして、どうしても付いていくと言って聞かなかったカモミールとなった。

 細目と三毛は留守番だ。特に細目には、絶対に付いてくるなと釘を刺したのは言うまでもない。


 二日後、物資と人員満載の二台の人間用馬車と、薬草や薬と猫コンビを乗せた猫用馬車が、ガタガタと縦一列で進んでいた。

 人間馬車より遅い猫馬車を先頭にした隊列だった。

「なんか、こういうの久々だな」

「そうね。まあ、たまには体を動かさないとね」

 魔法で周辺を探りながら、私は医師に返した。

「もうすぐ到着ね。こんな場所に、何が出たんだか……」

 結局、魔物の一匹も出ないまま目的地に着いた私たちは、さっそくテントを張って詳細のチェックを開始した。

「未踏領域が発見されたのはここ。遊歩道の最奥部だ。なにしろ、ここは観光地だ。途中までは、魔物の心配はしなくていいと思うが、念のため対策はしておこう」

 長剣兄ぃの言葉に、私は黙ってうなずいた。

「あっ、カモミールは初めてだったわね。今回は、魔物が出ても極力戦闘は避けること。とにかく、見つからない事を心がけて」

「分かりました。私が不可視の結界魔法を使いますので、その条件はクリア出来ると思います」

「ほぅ、そんな魔法が……」

 杖姐が反応した。

「はい、我が家に伝わる魔法の一つです」

 カモミールは真顔のままうなずいた。

「人間の間では禁術だからな……。あの臭い香油を浴びずに済むのはありがたい」

「……臭くて悪かったわね」

 確かに臭いけどさ。あれでも改良したんだぞ!!

 まあ、来てみたものの、今回は私の出番は少ないみたいね。

「皆さん、気を付けて下さい。あの洞窟からは、なにか歪な魔力を感じます」

 ここに着いてから、カモミールはトレードマークの笑顔を一度も出さなかった。


 カモミールに結界を張ってもらい、私たちは慎重に洞窟を進んだ。

「そう言えば、観光客がいないわね」

 隊列の先頭を行く私は誰ともなく言った。

 一応説明しておくと、横には罠姉さんがいて、すぐ背後の二列目には長剣兄ぃ、斧兄ぃ、セリカ。三列目には、エルフ兄さん、杖姐、カモミールという布陣だ。

「ああ、未踏領域が発見されてから、万一に備えて立ち入り禁止になっている」

 ……なるほど、賢明な処置ね。

「そろそろ、最奥部だ」

 洞窟内を照らす明かりに見えてきたのは、恐らく天井が崩落したのであろう瓦礫の山だった。

「この山を登った上に、人が通れるスペースがあるらしい。先行偵察隊の報告はそこで途絶えている……」

 ……おいおい。

「ったく、危険手当ちょうだい!!」

 ここから先は、馬車を通す事は不可能だ。

 さて……。

「あっ、私は何も持っていないので、馬車の荷物を運びます」

 カモミールは猫馬車の荷物を借りたロープで体に括り付けた。なんか、すげぇ。

「じゃあ、まずは私たちから……」

 罠探知要員の私と罠姉さんが、瓦礫の山に取り憑いた。

 ざらざら崩れて登りづらいが何とか頂上まで到達すると、確かに人が通れるくらいの穴があった。

 下の連中に身振りで「来い」と合図を出し、私たちは穴を潜った。

「ん?」

「都市?」

 その光景に、私と罠姉さんは同時に声を上げたのだった。

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