第36話 亡国の吸血姫
姫が倒れたと連絡があり、私は医師と共に家に急行した。
医師はなにか感じ取ったらしく、馬車に積んであるのは薬草ではなく、「街」でかき集めた大量の輸血パックだった。
五分で到着すると、家を修復する時におまけで作ったベッドの上に、姫が荒い息を吐きながら横になっていて、その傍らには心配そうなセリカの姿があった。
「カレン!!」
セリカが短く声を上げた。
「いつものアレやる?」
私は医師に聞いた。
「いや、必要ない。血液欠乏症だ。吸血鬼ならではの病気だよ」
聞いた事ないわね……。
「いや、病気のうちにも入らんな。吸血させれば治る。どんどん輸血パックを持って来い」
「分かった」
私はセリカと協力して馬車から輸血パックを運び、それを姫の口元に持っていった。
すると、まるで飛びつくようにパックを食いちぎり、中の血液をすすり……。
持ってきたパックが全てなくなる頃になって、姫は見事に復調してベッドに上半身を起こした。
着ている服は、血まみれでべとべとになっていた。
「……これが吸血鬼なんです。あまり、お見せしたくなかったのですが」
「着替えましょう。風邪引きますよ」
私は笑顔で姫に言ったのだった。
「人間から吸血しなくなったとはいえ、やはり吸血鬼に血液は必要なんです。国では山羊や羊の血液を吸血していました」
家のささやかな居間で、セリカが用意したと思われる、庶民的な服に着替えた姫が言った。
「それはそうだろう。猫から猫缶を取るようなものだ」
医師がよく分からない例えを出した。まあ、猫缶がなくなったら、確かに困るけど。
「もちろん、普通の食事でも大丈夫なのですが、二週間に一度は吸血しないともたないもので……」
肩を落とす姫だったが、こればかりは如何ともしがたい。
二週間であれだけの血液を集めるのは、かなり難しい。それも、定期的にとなると……。
「羊や山羊でよろしいのであれば、実家に話せば何とかなると思います。しかし、当然理由が必要です。姫の存在を国に明かすのが、一番の策ではないかと……」
セリカが真っ当そうな意見を言うが……。
「それで、姫の国を潰した連中が引き渡しを求めてきたら? 姫の擁護より喜んで引き渡すでしょうね。無用な外交問題は起こしたくないでしょうし」
静かに言うと、場は静まり返った。
今回ばかりは、細目に頼んでも無駄だろう。牧畜をやっている猫の話しは、さすがに聞いたことがない。
「分かりました。今回は、カレンのネームバリューを最大限使います。方法を任せてもらえれば、姫の事は出さずとも実家経由で手配出来ます」
「ネームバリューって、人間相手に?」
猫ならいざ知らず、人間相手に私の名前なんて……。
「細目さんがあらゆる手段で吹聴した結果、今やこの国でカレンの名を知らない人間はいないでしょう『死の淵からも救える薬師』と」
「ブッ!!」
私は思わず吹いてしまった。
あの馬鹿、大げさ過ぎるだろ!!
ってか、勝手に吹聴して回るな!!
「そして、カレンには対価を支払ってもらわねばなりません」
「対価? そりゃ、出来る事ならなんでもするけど……」
ここまで来たら、乗りかかった船だ。なんでも来いってもんだ。
「預金残高、いくらあります?」
「へ?」
姫の家の側にみんなで作った柵の中に、次々に羊や山羊が運び込まれていった。
数は合わせて百頭ほどか。私が魔法薬学の『実験用』として買ったものだ。
話しは簡単、私が実験用動物の相談をセリカに相談し、それをセリカが実家に相談しただけの事である。なんら不自然な点はない。
しかし、お友達割引だったとはいえ、こいつはなかなか効いた……。
「何から何まで……ありがとう。ごめんなさい」
さっきから私を抱いたままの姫が、ちょっぴり泣きながら礼を言った。
「なに、困った時はお互い様でしょう。その代わり、私がピンチの時は細目と並んでよろしくお願いしますね」
「もちろん、この身に代えても!!」
姫は私を地面に下ろし、スカートで見えなかったが、太ももに取り付けたホルスターから、拳銃を二丁引き抜いて見せた。
……あらま、随分とお転婆な武器を。しかも、二丁拳銃とは。
「姫~、かっこよすぎですよ」
三毛が茶化した。
しかし、実際格好いい……。
はっ、いかんぞ。争い事は!!
「冗談で言ったのですが……。いくらなんでも、外国の姫に身を護ってもらうわけにはいかないですよ」
わざと崩した口調で、手をパタパタ振りながら言ったのだが、姫の顔は真剣なままだった。
「国なき今、お返し出来る事はこれくらいしかありません。今をもって、カモミールとお呼び下さい。姫ではなく、従者の一人とお考えください」
……泣きそう。色んな意味で。
どこの薬師が一国の姫を従者にする。ってか、そもそも従者いないだろ普通!!
「姫、カレンは巻き込まれ体質です。従者は生半可な覚悟では務まりませんよ」
セリカが苦笑しながら言った。
「さすがに、先輩の言葉は重みがあります。ぜひ、心得を……」
「姫……じゃなかった、カモミール。セリカは『相棒』よ。そして、あなたは『手のかかる友人』かな。一介の薬師に従者なんて要らないから」
実際、そんなところだろう。
これで仕舞いにするつもりだったのだが……。
「友人と仰って頂けるのは光栄です。しかし、これは私の気持ちです。押し付けてしまいますが、今後は何なりとお申し付けください」
丁寧に礼をするカモミールに、私は何も言えなかった。
島でエラいもの釣り上げちまったなぁ。
「せっかくなんだし、素直に受け取っておきなよ」
出たな細目。
「うん、これはもうどうにもならん……」
私は小さくため息をついた。
ちなみに、柵作りの時に当然のように細目も動員したので、カモミールとはすでに面識があった。
「姫さん、この狸はすぐに危険に足を突っ込むから、協力してくれると助かるな。結構ヤバい事になった事もあるし、俺一人じゃキツい」
「はい、そのつもりです」
細目……殺すぞ。当たってるけど。
「加えて、私と精鋭部隊五名が付いています。カレンは安心して仕事に専念できますね」
セリカがニコニコ笑顔で言った瞬間だった。
左肩の辺りに激しい痛みが走り、私は吹っ飛ばされてしまった。
やや遅れて銃声。狙撃……。
「くっ……」
身を起こそうとしたところに、カモミールが覆い被さってきた。
「ほらな、危険体質って言ったろ!!」
地面に伏せながら、マジモードの顔で周辺を探る細目。
「ダメだ。気配が感じられない……やり手だ」
そして、細目はゆっくり立ち上がった。
「三毛、医師を呼んできてくれ!!」
「わ、わ、分かりました!!」
そんな声と痛みだけが私の全てだった。カモミールが妙に手慣れた手つきで応急処置してくれていた。
……ああ、もう。誰よ、ただの薬師を撃つバカは。いってぇ!!
「銃弾は貫通していた。回復魔法を使ったから、これで大丈夫だろう」
意味があるのかないのか、上半身包帯グルグルの私は、カモミールのベッドに寝かされていた。
痛みより撃たれたショックの方が大きい。だから、銃は……。
「ところでお嬢さん、どこでこの処置を。医師の目から見ても、完璧な止血だった」
医師の興味はそっちにあるらしい。もう、これだから猫は……。
「王家の嗜みです。それより、カレンさんは本当に……?」
……出た、嗜み。嗜むの好きだな。みんな。
「カレン? ああ、狸か。問題ない。明日には歩けるだろう。よし、ワシは引き上げる。なにかあったら、細目でも使って呼んでくれ」
医師は引き上げていった。残ったのは、細目、セリカ、カモミール。三毛はショッキングな瞬間を見てしまったため、自宅で休んでいるそうだ。無理もない。
「ちょっと、みんなそんな葬式みたいな顔して、私を見ないでよ。縁起でもない」
誰も何も言わない空気が嫌で、私はわざと冗談めかして言った。
「……行きますか」
「……行きましょう」
「ったく、狸は……」
セリカ、カモミール、細目の順に言って、部屋から出て行こうとした。、まずい!!
「くっ……バインド!!」
弱々しい魔力のロープが、三人に結びついた。
しかし、こんなんじゃ拘束力なんてない。簡単に振り払えるだろう。
それでも、三人は足を止めた。
「カレンが極端に暴力を好まない事は知っています」
「でもねぇ、時には必要なんだな。そういうの」
「これは、けじめなのです。お許しを」
そして、三人は部屋から出ていった。
「馬鹿たれ、死んでも蘇生してやらんぞ!!」
拗ねたところで誰もいない。
我ながら、情けないね。本当……。
皆が怪我もなく無事に戻って来たのは、日も暮れようかという頃だった。
取りあえず、良かった……。
「ダメだ。全く痕跡が追えなかった。それなりのプロっぽいねぇ」
開口一番、細目が言ったが私は何も言わなかった。
「あっ、やっぱり怒っていますね……」
カレンが見抜いた。
「……次やったら、口も聞いてやらないからね。三つも頭あって、全員で血を上らせているんじゃないわよ」
「……申し訳ありません」
カモミールがショボンとしてしまった。
「全員無事で私も痛いだけ。それでいいじゃない。深く関わらない方がいいわ」
狙撃されるような心当たりはないが、わざと急所を外したところをみると、何らかの「警告」だろう。
「とりあえず、今日はみんなも疲れただろうから、帰った方がいいよ。ゆっくり頭冷やして」
セリカと細目が出て行き、私はカモミールと二人きりになった。
「あっ、ごめん。ベッド空けないと……」
私はコンディションチェックも兼ねて、そっとベッドから下りてみた。動けるようにはなったが、歩くのはまだキツいか……。
「無理してはいけません」
すぐにカモミールに抱き上げられ、ベッドに戻されてしまった。
「カモミールが寝る場所ないよ?」
まあ、私は猫なのでそれほどかさばる事はないが、人一人が寝るのがやっとというベッドでは邪魔だろう。
「怪我人優先です。セリカさんから寝袋を借りてありますので、問題ありません。良くなる事だけ考えてください」
……いいのかな?
聞いても野暮だから聞かないけどね。
簡単な夕食も終わると、後は寝るだけとなった。
「少し失礼します」
カモミールは私の傷口をチェックしてうなずくと、腰に帯びていた小刀で自分の左手の平を……って待った!!
「何やって……!?」
彼女の手の平か落ちた赤い滴が、私の傷口に落ちた。
「皆さんがいらっしゃる前ではできませんでした。気持ち悪いでしょうが、しばし我慢を……」
呪文もなにもなかった。しかし、どんな回復魔法より確実に速く、私の傷が塞がっていった。
「吸血鬼は不死の存在です。その血液には、あらゆる傷や病気を治す力が秘められています」
カモミールは小さな笑みを浮かべた。
「あれ、本当だ。痛くない……」
グリグリ肩を回してみたが、全く痛みは感じない。若干の違和感は残っているが、時間の問題だろう。
「傷は治っても、体力は回復しません。ゆっくりお休みください」
「待って」
ベッド脇の床に広げた寝袋に潜ろうとしたカモミールを呼び止めた。
「はい、どうされました?」
立ち止まったカモミールの左手を確認し、私は黙って呪文を唱えた。
……うぉ、目が回る!!
「はい、これでよし」
カモミールの傷は治った。問題ない。
「えっ、放っておいても大事なかったのですが……」
「私が大事あるの。いくら不死身だって、痛みはあるでしょ?」
……クラクラする。まだ、魔法を使えるコンディションじゃないか。
「ええ……」
「なら治す。当然の事でしょ。これでも、薬師だから」
私は苦笑してから、ベッドに倒れた。
「……誰かの治療を受けたのは、これが初めてです」
不思議そうに自分の左手を見ながら、カモミールが言った。
「じゃ、まあ、お互いお近づきの印ってことで。ロクなもんじゃないけど」
怪我の治し合い。こんな「握手」は嫌だなぁ。
「そうですね。さて、休みましょう。今日は、色々起きすぎました。
「賛成。それじゃ、おやすみ」
……寝られん。猫ともあろう事が!!
やはり、撃たれたというショックが大きかったのか、どうにもこうにも寝られなかった私は、そっとベッドから降りてゆっくり歩いてみた。
……おおぅ、さすが。もうなんの問題もない。
「それにしても、なんで私を撃つんだか……恨まれる覚えはないけどな……」
小声でつぶやき台所に行くと、勝手に料理酒を取り出してダイニングでチビチビやり始めた。不味いが飲みたかったのだ。
「傷に障りますよ」
あれま、おこしちゃったか。
カモミールが困った顔をして立っていた。
「ごめんごめん。なにか寝付けなくね」
「フフフ……。そういえば、やっと口調を変えてくださいましたね。親近感があっていいです」
……あっ、いつの間にか!!
「こ、これは、失礼を……」
やっちまった!!
「ああ、いいのです。そのままで……」
「ですが……」
カモミールはいきなりひざまずいて、私に恭順の意を表した。
「ええええええ!?」
「これは私の押し売りです。あなたが何と言おうと、私はあなたの命に謹んで従うと決めました。それが正しいという考えに至ったのです」
「えっと、あの……なんで?」
もうないとはいえ、仮にも一国の王女を従える薬師がどこにいる!!
逆ならまだ分かるが、猫にそんな習慣はない。
「吸血鬼の勘です」
……あ、あっそう。
「ちょっと、落ち対いて。私ってそういうの苦手だから、友人でいいでしょ?」
「どう思って頂いても構いません。これは、私の決意表明のようなものですから……」
……ダメだ。取り付く島がない。
「じゃあ、『友人』で。それにしても、あれきり襲撃なしなんて、タチの悪い嫌がらせか……」
襲撃があっても困るが、狙いが全く分からないというのも不気味だ。
「それについては、出来ないのかもしれません。この家の周囲はセリカさんとその仲間、細目さんが取り囲むように警戒をしてるので」
「そうなの?」
思わず近くの窓を開けた瞬間だった。
「危ない!!」
右肩に痛みが走るのと、カモミールが私を突き飛ばすのは同時だった。
「よし、居場所を掴んだ。行くぞ!!」
長剣兄いの声が聞こえたが、今はそれどころではない。
「良かった。かすっただけです。命じてください。私にも行けと!!」
脱気を孕んだカモミールの空気は、それだけで全てを切り刻みそうだった。
「ダメ!!」
右肩を押さえながら、私はカモミールに言った。
「なぜ……?」
「不死身のあなたなら、命を落とす事はないだろうけど、痛みは感じる。相手だって痛いのは同じ。それに、暴力に暴力で応えたら際限がなくなる。甘ちゃんだけど、そうしないと命が守れない時以外、暴力は振るわないって決めたの。これが、私の押し売りよ!!」
「……傷の手当てをしましょう。かすり傷です。心配なさらず」
カモミールから殺気が消え、代わりになにか諦めたような笑みを浮かべた。
「ありがとう。それにしても、こうもバカスカ撃たれたら、さすがに寝られないわね」
私は苦笑してそっと立ち上がったのだった。
セリカを含めた六人の腕は、私を狙っていたバカの上を行っていた。
ものの三十分で生け捕りにされ、引っ立ってられてきたのは、目つきの鋭い人間のオッサンだった。
「あの手この手で大体聞き出した。この前の爆弾騒動の残党だ。生き証人のお前を始末しようとしたのだがな、腕が悪くてこの様だ」
あれか……。
あの手この手については……聞かないでおこう。
「撃たれたのはお前だ。このまま海にでも沈めておくか?」
長剣兄いがさらっと怖い事を言う。
「うーん、警備隊に引き渡したところで、第二、第三が出るのがオチなのよね。徹底的にビビらせて追い返すか……」
うっかり言ってしまった時だった。
「お任せを……」
凄まじい殺気を放ち、カモミールが襲撃者に近づいていった。
その空気はあの五人組+セリカすら、一瞬で顔色が青くなるレベルだ。
「おい……口を開けろ」
完璧にビビった襲撃者は、アワアワしているだけだ。
「二度も言わせるな……」
カモミールは強引に顎関節を掴み、襲撃者の口を開けさせると、拳銃の一丁の銃口を強引にねじ込んだ。
「カモミール!!」
私が何とか声を絞り出すのと同時に、カモミールは躊躇なく引き金を引いた。
カチリ……と、金属と金属がぶつかり合う音が聞こえた。
「本当は、このまま撃ち殺してやりたいところだがな、我が主はそれを望んでおらぬ。仲間に伝えよ。次はその腐った脳漿が飛び散るとな」
カモミールが襲撃者の口から銃口を引っこ抜くと、哀れそいつはそのまま気絶して倒れた。
カモミールは私の元に戻り、片膝を突いた。
「こんなところでどうでしょうか? 足りないようでしたら、もう少し締めますが」
「いえ、十分です。ってか、あれ暴力だからね。うん」
両手両足の肉球から変な汗を掻きながら、私はさりげなくツッコミを入れてみたりした。
「た、狸、なんか知らんが、いつの間に手なずけたのか?」
細目が言うが無視。
「な、なにか、とんでもない方と知り合ってしまいましたね」
「そう思うよ。セリカ……」
怖いぜ。マジで。
「私は吸血鬼。すなわち、『鬼』です。いざとなると、どうしても……」
さっきまでのアレが嘘の嘘のように、しょんぼりと言うカモミール。
「よし、念のため朝まで警戒だ。さっき見た事は忘れろ!!」
長剣兄ぃの声で、再び長い夜が始まった。
穏やかな姫としての顔と、冷酷な「鬼」としての顔。
二つを持ち合わせるカモミールは、果たしてこの国に馴染めるのか。
今はまだ分からないが……私を主と呼ぶのだけはやめて欲しかった。
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