第37話 進化した猫
なにか懐かしい気もするが、私の仕事は薬師である。
そして、目の前には患者がいる……セリカ・ラリーという。
細目や三毛が私の指示で走り周り、五人が見守る中、私は医師と一緒にセリカの治療に当たっていた。
何でも三日前から不調を訴えていたようだが、今朝になって昏睡状態になり、慌ててお呼びが掛かったというわけだ。
「ったく、もっと早く呼べっての!!」
イライラしながら叫ぶと、長剣兄ぃが面目ないと前置きした上で、
「こいつの仮病は以前からでな。誰も信じなかったのだ」
……自業自得か。
「狸、画像が乱れている……よし。少し休憩だ。魔力がもたん」
医師はその場にどっかり腰を下ろした。
ああ、言い忘れていたわね。ここはセリカのテント前。そこにありったけの毛布やら何やらを敷き詰め、意識がない彼女をそこに寝かせてある。
テントの中では手狭だし、近くの人間の病院まで行くのも遠い。だから、こんな場所に住むなと……。
「少し散歩をと思ってきたのですが、大変な事になっていますね」
声がした方を振り向くと、カモミールがいた。
「うん、どうも原因が分からなくてね……」
小さくため息。
「少しよろしいですか……」
カモミールはセリカに手を当て、そっと目を閉じた。
「……ソイサラ、ジェノベ、カオウレ、キラシタありますか?」
「……あいよ!!」
こんなもん、基本中の基本の薬草だ。馬車に山ほど積んであるそれらを取りだした。
「それを混ぜて液状にして下さい」
「はいよ。時短の魔法!!」
手早く地面に魔法陣を描き、ビーカーと薬草類を並べてえい!! で薬液の完成だ」
「出来たけど、これじゃなにを狙ったのか……風邪薬?」
強いて言うなら、それだった。しかし、それならもうちょっとマシな処方が……。
「次行きますね。ガンガモ、シルベスタ、マイチ……ラミットは、さすがに」
「任せなさい。ガンガンきて!!」
生憎、そこらの薬師と一緒にされたら困る。薬草の在庫は猫界一を自負しているのだ。
「では、それを……」
かくて、出来上がったものは、薄青い光りを放つ液状の怪しげな魔法薬だった。
「ねぇ。これって……」
「はい、特定のキノコ類に対する解毒薬です。急いで飲ませましょう」
そう、出来上がった薬は、毒キノコの解毒薬だった。
これが必要となる種類となると、相当な猛毒のはず。急ぐ必要がある。
「ダメですか。飲む力も残っていないようです」
カモミールは躊躇いもなく薬を口に含むと、そのまま口移しでセリカに飲ませた。
「ふぅ、これでもう大丈夫です……皆さん、どうされました?」
「コホン。なんでもない」
五人を代表するかのように、長剣兄いが言った。
「カモミール、これも王家とか吸血鬼の嗜み?」
苦笑しながら言うと、カモミールはようやく合点がいったようだ。
「はい、吸血鬼の嗜みです。吸血行為では口を使いますので、例えば、こういう事も平気ですよ」
さすが本職(?)、その動きは速かった。一瞬で私の目の前に来ると……キスしやがったのだ。
瞬間、細目が悲鳴を上げて倒れ、三毛がアングリと口を開け、五人衆は一斉に目を反らした。
医師だけが、こ、これは……写真撮りたかった。とほざいていたので、取りあえず蹴り入れておいた。
「カモモール……なんかもう、こういうことで怒るのも疲れるから、なにもなかった事にするけど、もうやめてね」
フッ、私なんてこんなもんさ。
「はい、ご迷惑でしたら……」
「いや、迷惑とか……価値観の違い?」
なんかもう、どうでもいいや……。
「それより、セリカは……」
先ほど蹴飛ばした医師が診察しているが、特に問題はない様子だ。
「しかし、よく分かったわね。あれでもあの医師、腕は立つのよ」
これには心底驚いた。こんな単純な事が分からなかったなんて……。
「はい、国では薬草学を少し囓っていましたので……。私も驚きました。あんなにマニアックな薬草がポンポン出てくるとは……」
カモミールは小さく笑みを浮かべた。
「なるほど、どうりで薬草に詳しいわけだ。私は薬師として必要な時に、必要な薬草が手元にないのが嫌なだけよ。薬草コレクターとも言うけど」
お陰で、使用期限切れで廃棄も多い。というのは、黙っておこう。
「あっ!!」
いきなりカモミールが声を上げた。
「ん、どうした?」
「いえ、こんな時に思い出してしまったのですが、私の主は何かと危険に巻き込まれると聞いています。そこで、少し『細工』をしたいと思うのですが、よろしいですか?」
……もう主でもとんまでも好きに呼んで。疲れた。
一番最初に反応したのは、細目だった。
「おっ、面白そう。なになに?」
ああもう、これだから猫は!!
「確かに心配ですね。少しでも対策になるなら……」
これは、三毛だ。
五人衆はそれぞれ顔を見合わせ、代表して長剣兄ぃがうなずいた。
「ワシは勘定に入れないでくれ。なにか、嫌な予感がする」
……このクソ医師!!
「簡単な事です。これから、私を含めて全員に『印』を入れます。これで、誰がどこにいるのか分かりますし、『意識』で会話も出来ます。相手が健在なのか気絶しているのか……死んでいるのかも。問題ない方は集まって下さい」
「あっ、俺ちょっとシロに声を掛けてみる」
細目が「街」に向かってダッシュしていった。
かくて、私の護衛艦隊招集のため、なにかとんでもない規模で何かが起きようとしていた……って、言い過ぎか。
いや、言い過ぎでもないかもしれない。
猫チームは、細目、三毛、シロ
人間チームは、長剣兄ぃ、斧兄ぃ、杖姐、罠姉さんにエルフの兄さんの五人衆。そして、まだ立てないけど、セリカは言うに及ばず。人間じゃないけど、カモミールもこっち側で。
合わせて、十名である。贅沢過ぎるだろ。これ!!
「では、魔法陣を描きますので、その中に……」
カモミールが見た事のない、指先に光りを点す方法で地面に複雑な紋様を書き始めた。
その指先がなぞった場所に光りの軌跡が残っていく。格好いい……。
全て完成した頃、五人衆がセリカを引きずって魔法陣の中に放り込み、全員が中に入ったところで、カモミールが中心に立った。
「では、行きます!!」
カモミールが短くつぶやくと、鈍色の杖がその左手に出現した。
いちいち、腹が立つくらい格好いいから困る。
そのまま、第二詠唱。これも、それほど長い呪文ではなかった。
最後にカモミールがトンと地面を杖で叩いた瞬間、バチッと電撃に似た感覚が左手に走った。
「ふぅ、この人数になるとなかなか……。これで、『誰か』と強く念じれば、その人にコンタクトが取れますし、所在地も分かります。ですが……うっかり説明する事を失念してしまったのですが、この魔法は本来、主君が家来を監視するためのものでして、便宜上ですが『主』となる人物を決めねばなりません。術中に気がついたので、勝手に設定させて頂きましたが……」
「狸なんだろ。何か嫌……」
「同じく」
細目と三毛が露骨に嫌そうに言った。
……私だって、こんなの嫌じゃい!!
「私は面白そうでワクワクします。いいじゃないですか。何かあったら、主の責任なんですよ~」
シロは楽しそうだ。
お前、そういうヤツだったんだね……。
「俺たちは構わん。また上官殿に戻っただけだ」
「私も構いません。むしろ、便利です」
人間チームはあっさり受け入れた。
……いいのか。私って猫だぞ?
フッとカモミールと視線が合った。
彼女はにこやかな笑みを浮かべ、舌をペロッと出した。
か、確信犯!?
その夜、一人では晩ご飯が寂しいからとカモミールに招待され、彼女の家で食事をした。
ゆっくりとお酒を飲んでいると、彼女はとんでもない事を言った。
「……家の周囲に誰もいませんね。実は、昼間の魔法について隠している事があります。家来の監視用ではなく、奴隷の監視用なんです。奴隷制は随分前に廃止されているのですが、一度開発された魔法は消せません」
「ブッ!!」
私は口に含んでいたお酒をグラスに吹いてしまった。
「ちょ、ちょっと、穏やかじゃないわね。それ」
「はい。その性質上、主であるあなたが死ぬまで解除出来ないのです」
……え?
「じゃあ、なに。みんな私が死ぬまであれ?」
「はい」
カモミールは自分の手の紋章を見せた。
「あのさぁ、そういうことってさ……最初に言っておくべき事じゃない?」
肉球から変な汗が出てきた。まだ、なんかあるぞ。きっと。
「申し訳ありません。そして、もう一つ……」
ほら、来た……。
「あまりにも過酷なので、これは私にだけ設定してあります。そして、もしかしたらあなたにとっても過酷かもしれません。これはかなり特殊なパターンで、私のように不死身の者の場合に結ばれたようですが、仮にあなたが通常であれば命を落とすようなケースに遭遇したとしても、私が生きている限りは絶対に死ぬ事はありません。そして、私は不死身ですから……」
私は思わずグラスを落としてしまった。
「それって、つまり私は永遠に生き続ける……」
「はい、究極の防御策です」
……ぼ、防御策って。
「やり過ぎじゃぁぁぁぁぁ!!」
叫ぶしかないだろ、これ。どーすんだよ!!
ついでに泣きながらカモミールをフル爪でバリバリ殴ってみたが、彼女は一切抵抗しなかった。
いい加減疲れて手を休めると、彼女の顔面が酷い事に……ヤベ。
「お気になさらず。すぐ治ります……」
まるで逆回しのように、カモミールの傷はあっという間に治ってしまった。
「私もそういう体になっちゃったって事か……」
カモミールは無言で答えてきた。
「ごめん。ちょっとパニクった」
「いえ、無理もありません」
……はぁ、私もここまで「進化」したか。
「この事はみんなには内緒ね。怒られるじゃ済まないから」
「はい、分かっています」
不死身の猫薬師か。ゾッとしないけど、なっちまったもんはなぁ。
「はぁ、帰る気力なくなちゃった。泊まってもいい?」
「もちろんです」
カモミールの笑顔は、本気で申し訳ないという色が滲んだものだった
だったらやるなっての。もう……。
翌日、セリカは無事に復調した。
通話テストと称して、『意思』での通話も試みたが、これも良好だった。
とんでもない事をしたカモミールとの関係も、何事もなかったかのように過ごすぐらいのスキルは持っている。嫌でも永劫一緒なのだから、ゴチャゴチャ言っても始まらない。
そして……。
「セリカ、一本付き合ってくれない?」
私は手入れこそしても、もう何年も使っていなかった短刀を片手に、キャンプ前で洗濯をしていたセリカに声を掛けた。
「ええええええ!?」
セリカがぶっ飛んだ声を上げたが、私は表情をピクリとも変えなかった。
「きょ、今日のカレン、恐ろしいです。怖いです……嫌なことでも?」
「いいから付き合ってよ……」
「そこまでだ」
長剣兄ぃが割って入った。
「セリカじゃ勝てん。俺もな……こんな所で死人を出すつもりか?」
長剣兄いはスッと剣を抜いて構えた。
使い手だが……敵じゃない。興味が失せた。
私は短刀を腰のベルトに付けてある鞘に戻した。
「あーあ、猫の気まぐれに付き合ってくれないなんて意地悪ね」
「お前の殺気は気まぐれでは済まん……」
長剣兄ぃも剣を収めた。
なーにやってるんだか……。
「ほら、セリカなら殺気だけで倒したぞ」
彼女は蹲って泣いている。やっちまった……。
「だから、暴力は封印したのよ。後味悪いったらない……」
私はセリカをほったらかしにして、「街」に戻った。
この場から消える事。それが、一番のフォローだからだ。
夕方になって、セリカから呼び出しがあった。
ぶっ叩かれるくらいの覚悟でセリカのテントに行くと、いきなり抱きしめられた。
「え?」
想定外だった。
「なにがあったかは聞きません。でも、相棒だって言うなら、もう少し頼ってください。剣では勝てませんが、話し相手くらいにはなりますよ」
……。
「まっ、話したいけど言えないんだな。知らない方がいい。雑談でも……」
「おいこら、一丁前に相棒気取りか。どうせなら、皆で雑談でもどうだ?」
テントに顔を覗かせたのは、杖姐だった。
結局、こうして皆と雑談し、心配して様子を見に来た三毛と細目を適当にからかって街に追い返し、最後にカモミールの所に行くと、彼女はいきなり片膝をついて頭を下げていた。
「うわぁ!?」
思わず三歩ほど後ずさってしまった。
「色々考えました。そして、見るに堪えません。吸血鬼にも弱点があります」
「知ってる。有名どころだと。銀のナイフかなにかで心臓一突きだっけ?」
カモミールが顔を上げた。
「ど、どうしてそれを?」
……あの与太話、本当だったんだ。
「今すぐ私を……」
「だーめ、やったんだから、ちゃんと最後まで責任取りなさい。やっぱり、私はもう暴力無理だわ……」
あーあ、すっかりヘタレになっちゃってまぁ。
「やっぱり、様子見に来て良かったよ。私以上に気にしているはずだと思ったからさ。ったく『永劫の相棒』なんだからしっかりしてよ」
「『永劫の相棒』、ですか?」
「そういうこと。まあ、私みたいなのでも、吸血姫の話し相手くらいにはなれるでしょ」
「えっ?」
カモミールが驚きの表情を浮かべた。
「あなたにはもう国もない。気に入ったら、こっそりこの国に住み着いちゃいなよ。よそに行くって言われたら……困っちゃうわね」
私は小さく笑った。
「私は元より、この国を離れるつもりはありません。いえ、あなたが行く場所が私の行く場所。そのくらいの覚悟でこうしました。なぜかと言えば、あなたには不思議な人徳があります。だから、みんな集まるのです」
うーむ……そうか?
「まあ、いいわ。じゃあ、よろしくね。『相棒』」
私がカシミールの家を出てしばらく歩くと、細目がにゅるっと現れた。
「おう、毒気は抜けたみたいだねぇ」
「なによ、元彼。逃げ回って出てこなかったくせに」
細目は倒れた。
「お、俺だって、怖いものは怖いよ」
あっそ……。
「それにしても、狸のマジはシャレにならないから、あんまりやらない方がいいよ」
「分かってるわよ。ちょっとした戯れじゃない」
最盛期はあんなもんじゃなかったけどね。
「さて、帰って寝ましょ」
明日も仕事である。
ああ、これでもちゃんと日常業務はやっているので、そこはご心配なく。
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