第30話 キレる猫
言わないでも分かるだろう。私は極めて不機嫌だった。
こんな状態では、人の命を預かる薬師の仕事は出来ない。お店も臨時休業だ。
「やはり、怒っていますよね……」
「……」
私は背中で答えて寝室に籠もった。
少なくとも、この「街」の住人で、これを付けられて喜ぶ者はまずいない。
それは首輪だった。それは、誰かの「所有物」の証であり、「街」に住む猫が最も嫌うものだ。しかも、その「所有者」は、三毛と友人であるセリカ。どうしろと……。
「これで細目のヤツ動かなかったら、マジでこの街出るわ。ったく……」
半ば本気でつぶやいた時、扉の外で物音が聞こえた。
そっと扉を開けて見ると、三毛と頬目が対峙していた。
「三毛、これはどういうことだい?」
のんびりした口調ではあったが、その目が笑っていない。
「決まっているじゃないですか。狸さんを『所有』したのです。私とセリカさんで。もはや、街に住む野良ではありません」
動いた。しかし、細目の事だ。油断は出来ない。
「そんな事が許されると思っているのか? あいつの事だ、街を出るぞ」
……さすが、よく分かっていらっしゃる。
動いたことは秘めるが何か違う会話。もういいだろう。疲れた。
さて、さっそく、今日にでも実行しようと思っていたところだ。
いい街だったが、ちょっともう付き合いきれない……。
決行は深夜。すでに、馬車に必要なものは積んである。
「さて、あとは時間を待つだけね……」
ますます明後日の方向に飛んで行く会話を見ながら、私はそっと扉を閉めたのだった。
私は薬師として、やってはいけない事をやった。
まず、三毛の夕食に強力な沈静効果を持つ魔法薬を盛った。
フラフラになった彼女を寝室のベッドに寝かせ、『体調改善』の薬と称して、軽めに睡眠導入剤を何種類か飲ませたのである。
心配は要らない。朝までにはきっちり抜ける計算だし、その頃には私は消えている。
「さてと……」
私は家を出ると店に向かって歩いていく。探査魔法で探りながら……いた。
店周辺に細目の反応がある。しかし、手は打ってあった。
待つ事……十分くらいか? 細目目がけて二つの反応が駆けよってきた。警備隊である。
恐らく、こう言っているだろう。
『狸から、ストーカー被害が出ていると、通報が出ている。君たちが付き合っているのは知っているが、こんな時間にこんな場所をうろうろされたのでは、見過ごす事も出来ないのでね。簡単な調書だけでも作らせて欲しい』
そう、私は昼の間に被害届を出しておいたのだ。
実際、あり得ない話しではないので即座に受理され、周辺の警備がそこはかとなく強化され、それに細目が引っかかったわけだ。
心の底から申し訳ないと思うが、告白したらなぜかこの様だ。私が街から出るまでは、我慢してもらうしかない。馬鹿な事をした。
「よし……」
三つの点が私の店から離れた隙に、私は店内から薬師免許が入った額を引っぺがした。
これさえあれば、どこに行っても食べて行けるだろう。
そのまま馬車に飛び乗り、勢いよく通りに飛び出した。
「……正門は使えないか。となれば」
その利便性などから、この街は基本的に正門を使うのが常ではあるが、ほとんど使われない裏門がある。
ここから出ると、いきなりちょっとした森林地帯だが、追っ手の目を欺くにはちょうどいいだろう。
私は姿を見えなくする香油「ステルス君」を全身や馬車にぶちまけ、見張りすらいない裏門を駆け抜けた。
夜の森はそれだけで危ないが、私はひたすら馬車を飛ばし、明け方には隣の街に着いたのだった。
その街の名は「マスタング・シティー」。
当然、猫しかいない「街」とは違い、雑多な種族が住まう大きな街である。
私は、まず最初に手近な薬草店に寄り、店から持ち出してきた何種類かの薬草を売って、当座の資金を作った。
普通なら、ここで宿を取るところだが、それだと真っ先に探されてしまう……探されればだが、念のためだ。
そこで、私は複数の不動産屋を周り、ちょっとごねて今日即入居可能で最低限の家具付き、家賃はそこそこ、派手すぎずボロ過ぎず……まあ、「普通の物件をさっさと借りてしまった。
「はぁ、なんだかんだで疲れたわね」
間取りはワンルーム。十分だ。
まだ、店を出すのは早いだろう。私自身が落ち着いていない。
「さてと、この街に定住するかすらも、まだ分からないけど……!?」
極微弱な魔力を感じ取り、私は手近な建物の隙間に飛び込んだ。
……探査魔法!?
猫の目は誤魔化せない。上空程々の高さに人影が見える。
「……杖姐」
セリカのやつ、援軍を呼んだか。
言うまでもないが、この探査魔法は杖姐のものだ。物陰に隠れたところで、全く意味はない。その証拠に、一直線にこちらに向かってきた。
「ズルいな、もう!!」
こんな時に限って、「ステルス君」を持っていない。
しかし、猫を簡単に捕まえられると思うなよ!!
私は建物の間をひたすら駆け抜け、見知らぬ街をひたすら駆け回った。
「のわぁ!?」
通りに出た途端、待ち構えていたのは長剣兄ぃだった。
いや、のこり五人全員いる……セリカも。くっ!!
包囲網を築くかに見えた皆さんの肩を飛び越え……ると見せかけて、股下をサッと潜ると私は再びダッシュした。
ダメだ。この街も速攻で退去だ!!
どう走ったか覚えていないが、私は何とか馬車に辿りつき、「ステルス君」をぶちまけた。
「はぁはぁ……猫は、持久力、ないっての……」
私の反応が消えた辺りを、重点的に探査する杖姐の魔力が、ビシビシ感じられる。
相当な強さだが、動きさえしなければ探知はされないはずだ。
人間と猫、根比べなら負けない……。
「あっ、いた!!」
「なにぃ!?」
十数秒の攻防だった。
姿が見えないはずの私をあっさり見つけたのは、他でもないセリカだった。
「言うまでもありませんが、完全に包囲しています。降参してもいい頃ですよ」
セリカはニッコリ笑みを浮かべながら、私に接近してきた。
なぜ見えないはずなのに見える?
私に向かって正確に手を伸ばし……私はその手を思い切り引っ掻いた。
彼女の手に、はっきりと爪痕が刻まれた。
「傷つける事を嫌うカレンがそこまで……。どうしたんですか?」
傷口を見ようともせず、セリカが優しく問いかけてきた。
「……聞かなきゃ分からないならいいわ。私はよその街に行く。ただそれだけ」
「ステルス君」解除用の香油を振りかけ姿を見せ、私は忌々しい首輪に爪を引っ掛けた。
「ダメです。それは、電撃が!!」
「やかましい!!」
思い切り引っ張った瞬間、全身がバラバラになるんじゃないかと思うほどの、激しい電撃が襲いかかった。
……バーロー……強すぎる。殺す気だったのか!!
「こなくそー!!」
渾身の力で引っ張ると、カチッと音がして首輪の留め具が外れた。どうやら、猫印の引っかかると外れる安心タイプだったらしい。
「ど、どーよ、これが私の覚悟……無理」
パタッと倒れそうになった私を支えたのは、どこにいたのか罠姉さんだった。
「あはは、こりゃダメだ。寝てなよ」
そっと地面に寝かせてもらい、私はどこでもない場所を見つめた。
「……私、普通に好きな人に告白しただけなんだよ。それが、なにこれ?」
誰も何も言わない。さしものセリカも、なにも言えない様子だ。
そこで登場してきたのが、罠姉さんだった。
「本気で猫の街を捨てる気ならねぇ。うちの隊にスカウトするんだけど、残念だけどあなたにはその意図はない。患者さん一杯いるもんね。捨てられる性格じゃない」
「……」
クソッ!!
「ここは、他の連中に任せて、セリカとお前はこの猫に同行しろ。あっちでも待っているヤツらがいるだろう?」
空から杖姐が降りてきて、セリカと罠姉さんに指示を出した。
……って、待て。
「私、戻るなんて言ってないわよ。少しは休ませ……」
ギロッと杖姐に睨まれ、私は何も言えなくなった。
うん、めちゃくちゃ怖い。
「行くぞ、転送軸固定。『転送』」
視界が暗転し、私は一瞬で見覚えのある場所へと飛んだのだった。
「街」の正門前には、心配そうな細目と三毛がいた。
セリカも荷担したからだろう。私をそっと抱きかかえてくれているのは、罠姉さんだった。
「コホン、悪かったわね。私もかなりプッツンいってたみたいね」
二人とも何も言わないので、私から声を掛けた。
「まさか、こんな騒ぎになると思わなかったわ。もう、柄にもないことはしない。細目、あれは聞かなかった事にして。三毛、今まで通りうちで働いてね。もう、あなたがいないと回らないの。それから、セリカ。首輪はあなたの趣味だろうから腕立て一万回。死ぬ気でやれ!!」
そう、吹っ切った私は速いのだ。
「えっ、ちょっと待った。それじゃ俺は……」
頬目が付いて行けずにいた。
「端的に言って、フラれたということですね」
罠姉さんの言葉に、細目が石像になった。
「腕立て一万回って……朝になりますよ」
ガックリとその場に崩れ落ちるセリカ。いい電撃ありがとさん。
三毛はただオロオロしているだけだった……。
「さて、罠姉さん、こんなもんでどうかしら?」
「上出来。お疲れさま」
そう言って罠姉さんは首の脇辺りを……うーセリカもそうだが、恐るべし猫好き。ポイントをわきまえている。
「さて、みんなが来るまで待とうかな。セリカの作った家もあるし」
こうして、本当に小さな恋は終わりを告げたのだった。
私は一時の感情にほだされた、ちょっとした罰だと思っている。
次があるなら、そう慎重にね。
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