第28話 閑話 ついにきた……猫

 今さらなのだが、私たちが扱う薬には大きく分けて二つの種類がある。

 一つは薬草などの成分をそのまま使う生薬。もう一つは、その生薬に魔法的処理を加えて、効能を調整した魔法薬だ。

 どうしても生薬でないとダメな薬もあるが、基本的に扱うのは魔法薬である。使う薬草が少なく、症状に応じた微調整がしやすいからだ。

 そんなわけで、私は調剤室の魔法陣の真ん中に置いた瓶に向かって、軽く呪文を唱えた。

「美味しくなーれ。なーんちゃっちゃって」

 最後に杖をトン。魔法陣が光り、瓶の中身にあった液体は教授お気に入りの栄養ドリンクに変わった。

 これとて立派な薬だ。薬師の本分である。

「はい、三毛お願い」

「はい!!」

 三毛が魔法陣から瓶を退け、新たな瓶を魔法陣の真ん中に新しい瓶を置く。そして、同じ作業の繰り返し。

 そう、ここに来て空前のラッシュのため、閉店後に作りおきしないと間に合わないのだ。

 その原因は、私が一度死んで生き返ったから。どんな技を使ったのか、それを聞くついでに栄養ドリンクを買っていくのである。

「全く、猫の好奇心も考え物ね……」

「猫ながら、困りますよね……」

 私と三毛は言い合って笑った。

「よし、今日はあと三つ作って飲むか。暇ある?」

 三毛に聞くと、彼女はうなずいた。

「はい、大丈夫ですよ」

「じゃあ、私の家で飲みましょう。まっ、たまにはゆっくりとね」


 私と三毛は店を出ると、遅くまで開いている近所の総菜屋で適当につまみを買い、そのまま自宅のリビングへと案内した。

「まあ、その辺適当に腰かけて」

 私は白衣を脱いで大きく伸びをした。

「はい、お邪魔します」

 その間に、私は棚から取っておきを引っ張り出した。

「そ、それは、また高級そうなお酒ですね」

 そっか、三毛が一度亡くなる前は、まだ私はこの街の住人ではなかった。つまり、この『幻の名酒』も知らないわけだ。

「このお酒を私が持っていたのは内緒ね。さて、始めましょうか……」

 普段は急患などに備えて、家でもまずお酒を飲まない私だが、今日くらいは息抜きいてもいいだろう。

 いい感じでお酒も進んだ頃、私は恐る恐る切り出した。

「あのさ、やっぱり今も細目の事……」

「はい、好きですよ。例え狸さんが相手でも、これは譲れません」

 いい感じでお酒が回り、饒舌になった三毛がきっぱりはっきり断言した。

 ……ふぅ、やっぱりか。

 猫の恋愛に譲るという言葉はない。例えどんな事情があろうとも、それはそれ、これはこれなのである。

「あーあ。死んでなおこれか。勝てそうにないわね。猫の鉄則、勝ち目がない戦からは逃げる。細目の反応もよく分からないし、今のうちに引くわ」

 さすがにボケてる私だって、勝ち目が一ミリもない勝負はしない。三毛以上に細目が好きかと言われると……勝てねぇよ。馬鹿。

「あなたと争う事だけはしたくなかったので、それは助かります。あとは、細目の気持ち次第なんですけどね」

 私は三毛の言葉をほとんど聞いていなかったが、まともに恋愛する前に勝手に失恋である。やれやれ……。

 まあ、私の人生こんなもんさと思い直し、私はグラスのお酒を一気にあおった。


 翌日、店にやってきた細目とはなるべく接触を持たずに、ほとんどを三毛に任せた。

 実際、店はいつも通り忙しかったので、不自然ではなかったはずだ。

 いつも通り帰宅すると、窓の外に細目の気配がしたが無視して、そのままシャワーへ。

 戻ってみると、細目の気配は消えていた。

「なんだろうね。この喪失感……」

 三毛を蘇生した時に覚悟していたが、やはり私の入る隙間などなかった。

「やれやれ、私もヤキが回ったもんだわ。細目がなんだって言うんだか」

 狸さん、こう見えて結構強いのです。この程度のことではめげないのです。

「さてと、寝るか!!」

 こうして、一つの小さな恋は終わったのだった。

 いや、はずだった……。


「三毛、あまり狸を悩ませるな。もう話しただろう」

 混んだ店内に現れた細目が、忙しく駆け回っていた三毛に言った。その目は……本気モードの細目ならぬ吊り目になっていた。

 ん、なんだ?

「ごめん。今忙しいからあとで……」

 去って行こうとした三毛の手を、細目が掴んだ。

「いいから……」

 ……イライラ。

「痴話げんかはよそでやれ!!」

 私は手にしていたビーカーを、思い切りぶん投げたのだが、ムカつく事にそれをパシッと受け止めた細目。

「今は仕事中。遊んでいるなら、三毛も今日は帰っていいわよ!!」

 えー、信じられないでしょう。分かっておりますとも。

 でも、これでも穏健派で通っている私なのです。

 それが本気で怒鳴ったら……店内が固まりましたとさ。

 誰もが凍り付いたこの状況。しかし、コイツだけは違った。

「ごめん。邪魔する気はなかったんだ」

 細目だった。

「邪魔する気がないなら、後にしなさい。見ればわかるでしょ?」

 例によって店内は満員御礼。こと、今日に関しては、近所の公民館で演奏サークルだかの練習会があり、そこのジー様バー様たちが一挙に押し寄せ、長寿の秘訣など延々と聞かれて少々げんなりしていたところである。細目の相手をしている場合ではない。

「そうしたいんだけどさ、狸の性格を考えるとこういう状態じゃないと無理。俺は三毛と話ししたんだ。気になるけど昔のそう言うのじゃない、なんていうか蘇生した後の保護者的な視点でしか見られないって。納得してもらっては、いないみたいだけどね。これは僕のせい。まだまだ話さないと。今僕が対等な目線で見ているのは、狸。君だよ。まあ、正直危なっかしくって放っておけないってのもあるけど……言わなきゃダメ?」

 店内のお客さんや、なぜか三毛までもうなずく。

「……狸の事が好きなんだよ。いつの間にかね」

 店内からどよめきが起こった。そして、私はなにに使うのか、持っていた丸底フラスコを落っことした。いや、別にこそっと言えばいいじゃん!!

 それだけでも大変だったのだが……。

「私も決めました。こんな目が細い男だけでは、とても今を生きていけるとは思えません。今までは細目の家に居候していましたが、これからは狸さん……いえ、狸の姐の元で厄介にならせて頂きます」

「三毛、なぜそうなる!!」

 これがツッコミを入れずにいられるか!!

「まあ、何はともあれ、一件落着じゃな。おめでとう」

 私のツッコミは虚しく上空通過し、ジー様の一人が立ち上がりと、お客さんの三分の一が立ち上がって楽器を構え、これまたムカつくくらい荘厳な交響曲を奏で始めた。

「こら、待て。まだまとまってない!!」

 満場の拍手の中、私は手当たり次第に、ビーカーをぶん投げたい衝動に駆られたのだった。

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